ここでは上手く嘘をつくことを教える。なぜなら真実を知らされて不幸になるよりは嘘をつかれ欺かれて幸せであるほうがよほどマシであるからだ。<Angel of ABYSS>
2012/12/21
「万物をつくる者の手をはなれるときすべてはよいものであるが,人間の手にうつるとすべてが悪くなる」
ジャン・ジャック・ルソー<エミール>より
ようこそOUT OF EDENへ
原生林の奥の奥
倒れた大樹のその上に
こけときのこが絵を描いた
小さな小さなきのこたち
白とピンクの服きてた
秋の光を背に受けて
水の流れの音楽に小人の国の舞踏会
どろ亀先生「無心」より
遠い地平線が消えてふかぶかとした 夜の闇が心を休める時
はるか雲海の上を 音もなく流れ去る気流は
たゆみない宇宙の営みを 告げています
満天の星をいただく果てしない光の海を ゆたかに流れ行く風に心を開けばきらめく星座の物語も聞こえてくる 夜の静寂の何と饒舌なことでしょうか 光と影の境に消えていったはるかな地平線もまぶたに浮かんでまいります....
ジェットストリームの音楽はここから
「われわれは、われわれが教え込んだことではあるけれども、ゴイムの若者たちに、 われわれには嘘と解っている主義や学説を注入することによって、かれらを翻弄し困惑させ堕落させてきた。 現行の法律については、内容的には変えることなく、単にねじ曲げて反対の解釈を することによって、結果としては大層な成果を挙げてきた。その成果は、第一に解釈 が法律を覆い隠すという事実に、次いで立法の錯綜した糸から何かを引き出すのは不 可能なために、政府の目から法が完全に姿を隠すという点に明かに見てとれる。 法律を文字に拘泥せずに解釈するという学説は、ここに起源がある。 諸兄の中には、来たるべき時が来ないうちに、もしもゴイムが真相を嗅ぎつけたら、 かれらは武器を手にして蜂起すると言われる方もおられるようが、それに備えるに西 欧においては、最も太い肝玉の持ち主をも戦慄させる恐怖作戦をもって対抗する・・ すなわち、決定的な瞬間が来る前にすべての首都に地下鉄道、大都市の地下通路が設 けられ、事到ればそれらの首都を建物や書類もろとも空中に吹き飛ばすのである」。<シオンのプロトコール9より>
殆どの指導者が裏切り者である。そして,人類がいいようのないスケールの極悪非道の陰謀の犠牲者であることを正しく認識するまで,我々は世界を理解することは出来ないだろう。我々は互いに戦うことをやめて,本当の敵に向かうときである。<ヘンリー・マコウ>
一般大衆が見せられているのは,イルミナティの操り人形がそこらじゅうを歩き回り,イルミナティの台本通りに盛大な演説をするステージショーなのです。ユートピアの表面的なゴールは人類に世界的な幸福を与えるというものです。しかし彼らの裏に潜んだ意図は違います。
代理人は,彼らの忠義を彼らの国ではなく,風の征するモレア=イルミナティに捧げるのである。彼らの狙いは彼らの愛すべき国を破壊して,その殺戮から利益を得ることである<ヘンリー・マルコウ>。
描写するのは,高位の悪魔主義者らによるある極秘集会の様子である。それは元イルミナティ最高位の13位階で,キリスト教徒になっていたが消されてしまった。彼(ジョン・トッド)の体験は1955年に遡る。この集会は年に二回行なわれるもので,ロスチャイルド家はじめマザー・ファミリーのすべてが顔をそろえる。その時玉座についていたグランド・マザーはコリンズ家の者だった。コリンズ家が表舞台に出てくることは,まずない。というのは,彼らはロスチャイルド家やロックフェラー家以上のオカルト・パワーを持っているからだ。もちろん,コリンズ家も金儲けのために為替取引などそれなりの経済活動はする。.......さて,グランド・マザーのコリンズは黒い衣装を身に纏い,黒檀と金で出来た月型の玉座にいる。玉座は足でペダルを踏むと自動的に回転する。彼女の後ろにはグランド・カウンセル(総評議会)の13人(達人注:世界最高の意志決定機関である13人ドルイドカウンセルのこと)が坐っている。この時の最高位はグランド・マザー(管理人注:イルミナティの最高位階13階級のことででシスコさんは11階級の暗黒の母であった)にあり,この時のグランド・マザーを務めたコリンズ家の女性は,50代半ばでと思われ,声は深く尊大,体格は小柄で,大変な圧迫感を持っていた。彼女は玉座にあって,おびただしい数の宝石で身を飾っていた。初めになされたことの一つは,彼女の足下に小さな黄金の煉瓦(れんが)を置くことだった。
これはクイーンマザーの絵です。(ここをクリック)
彼女の子とおぼしき少年が二人(一人はトム・コリンズで後にイルミナティにより射殺された)玉座の近くにいた。格の面でも権力の面でも高位の者だけが玉座に近づくことができるのだから,この光景はコリンズ家の二人の少年が大きな力を持っていたことを示している。(管理人注:もう一人のこどもはジョン・トッド・コリンズと考えていいだろう)その少年らが書類を配布する。そこにはこれから起こることが書き込まれた”予定表”が載っていた。これに基づいて盛んに論議が交和され,悪魔の統一世界政府実現に向けて過去六ヶ月間に世界で起こったこと,近い将来に起こされる”計画”が話し合われた。
また計画通りに運ばなかった事柄も話されたし,モーゼの十戒を収めた約櫃(やくひつ)についてアフリカのどこに隠されているかが討議され,約櫃を模した儀式が行われた。そうしたあと,代々の悪魔主義血族から選ばれた七人の子が白い衣装で連れてこられ,グランド・マザーであるコリンズの前に引き出された。子供らは彼女の前にひれ伏して祈った。彼女は蛇を巻きつけた笏(しゃく)を上下に振るって床を打ち,志願した子供を一人一人承認していく。すると承認された七人の子のために新たに七人が〜一人につき一人が〜生贄に供され,承認された子らの名が,生贄となった子らの血を使って鷲ペンで記録される。子供らは神を冒涜する言葉を与えられる。グランド・マザーは玉座を回転させ,「13人ドルイドカウンセル」の方を向いて宣言した。「これが明日の世代,選ばれし少数の者」。ここで決まることが漏れることはない。しかしここのブログで書かれていることは漏れるはずがない話である。
右は元イルミナティMothers-of-DarknessのCisco Wheeler女史,左は元召使のSherryさん。2008年1月オレゴン州ポートランドにて。撮影:小石泉牧師
クリストファー・ストーリー氏は絶えず暗殺の危険に晒されながらも氏とアライアンスを組むことにより2008年4月8日に起こる予定であった米国の八つの州でのサムソナイト爆弾を使用した偽テロは未然に防ぐことが出来たようです。氏のHPは一ヶ月で4900万人が閲覧しその8割が権力者であり最近の記事でホワイトハウスがアルカイダに密かに資金援助していたことが暴露され今後偽テロは不可能になるでしょう。しかしイルミナティの目標は世界統一政府です。偽テロが仕掛けられない今,今度は金融メルトダウンを仕掛けて世界を混乱の渦のなかに巻き込んでおります。これを二人で止めるようなことは到底不可能でしょうが高齢である氏のHPを支える意味でもご支援いただければ幸いです。今年は三回英国に行きましたが2009年も三回ほど予定しておりご支援金は直接手渡したいと考えておりますので宜しくお願い申しあげます。
目標二万ポンドに対してまだ3000ポンドです。ぜひご支援にご協力ください。ポパーの言うように『他人に依存して幸福でありたいという誘惑に駆られず,われわれの十字架すなわち人間らしさと理性と責任の十字架を担うという課題にしりごみせず,,勇気を失わず圧迫にたじろがないならば,そのときにはわれわれは目の前にある単純な決定を明瞭に理解出来る』。あなたの勇気と愛と寛容さと厳しさを待っています。あまり時間がありません。なお,ご支援いただいてパス・ワードがまだの方はメール下さい。GOD BLESS YOU!
2009/1/27
Our sources confirm that the general theme is accurate.The fact that I(IRAN & ISRAELの意味)financed H(HAMASの意味)is quite well known.But rats in a sack turn on each other,that was then,that is now applies.............
イラン・イスラム共和国は1979年4月1日成立した。裏で操っていたのはフランス亡命中のRouholla Khomeini氏でしたが1979年2月1日Khomeini(ホメイニ)はエールフランス機でイランに帰ってきた。
アーヤトッラー・ルーホッラー・ホメイニー(آیتالله روحالله خمینی, Āyatollāh Rūhollāh Khomeinī、1902年9月24日 - 1989年6月3日)は、イランのシーア派(十二イマーム派)の精神的リーダーであり、1979年にイラン皇帝モハンマド・レザー・パフラヴィーを追ったイラン革命の指導者である。タイトルにある『灯りを消してくれ.......』はホメイニが死の直前に言った言葉として知られる。
『悪魔の詩』(あくまのし、あくまのうた、訳書にルビはない。原題:The Satanic Verses)は、1988年に発表された、イギリスの作家サルマーン・ルシュディーがムハンマドの生涯を題材に書いた小説である。日本では、筑波大学助教授五十嵐一(いがらし ひとし)によって邦訳(『悪魔の詩(上・下)』、新泉社、1990年)がなされた。
イギリスでは1988年ブッカー賞最終候補となり、また同年のホワイトブレッド賞小説部門を受賞するなど高い評価を得る一方、現代の出来事や人物に強く関連付けられた内容がムスリム社会では冒涜的であると受けとられ、激しい反発を招いた。この結果、一連の焚書騒動、イラン最高指導者ホメイニによるルシュディーの死刑宣告に続き各国の翻訳者・出版関係者を標的とした暗殺事件が発生した。
イスラーム批判
イスラームの聖典クルアーン中には神の預言として、メッカの多神教の神々を認めるかのような記述がなされている章句がある[1]。後に預言者ムハンマドは、その章句を神の預言によるものではなく悪魔によるものだとしたが、ルシュディーはこれを揶揄した。具体的に言うと、原題の The Satanic Versesはクルアーンそのものを暗示していると見られる。この他にも、ムハンマドの12人の妻たちと同じ名前を持つ12人の売春婦が登場するなどイスラームに対する揶揄が多くちりばめられており、イスラームに対する挑発でもあった。
死刑宣告とその影響
1989年2月14日 - イランの最高指導者アーヤトッラー・ホメイニーによって著者のルシュディー、及び、発行に関わった者などに対する死刑宣告が言い渡され、ルシュディーはイギリス警察に厳重に保護された。死刑宣告はイスラム法の解釈であるファトワー(fatwa)として宣告された。
1989年2月15日 - イランの財団より、ファトワーの実行者に対する高額の懸賞金(日本円に換算して数億円)が提示された。
1989年6月3日 - 心臓発作のためホメイニーが死去。ファトワーの撤回は行われなかった。ファトワーは発した本人以外は撤回できないので、以後、撤回することはできなくなった。
1991年7月12日 - 日本語訳を出版した五十嵐一(筑波大学助教授)が勤務先の筑波大学にて何者かに襲われ、喉を繰り返し切られて殺害された。他の外国語翻訳者も狙われた。イタリアやノルウェーでは訳者が何者かに襲われ重傷を負う事件が起こった。
1993年 - トルコ語翻訳者の集会が襲撃され、37人が死亡した。
1998年 - イラン政府は、ファトワーを撤回することはできないが、今後一切関与せず、懸賞金も支持しないとの立場を表明。
2006年7月11日 - 五十嵐一の事件で(実行犯が1991年から日本国内に居続けたと仮定した場合の)時効が成立した。
^ クルアーン(コーラン)第53章19節から22節、『あなたがたは、アッラートとウッザーを(何であると)考えるか。 それから第3番目のマナートを。あなたがたには男子があり、かれには女子があるというのか。それでは、本当に不当な分け方であろう。』の部分に挿入されていた。<Wiki> (管理人注:イスラム教もキリスト教も元を辿ればアブラハムで兄弟なのですから本当は仲良くしなくてはいけないのよ)
上記『悪魔の詩』の原本は 「The Fourteen Infallibles Muhammad · Fatimah」ですが非常に微妙な本で例えは悪いですが性に芽生えた小学生が夜中にパパとママの「コウマン行為」を見てしまったようなものである。世の中には言っていいことと隠しておかなければいけないことがあります。それに違反すると「悪魔の詩」の翻訳者のように喉を掻っ切られることになりますからChristopher氏と長いメールを10回ほどやり取りしましたがHAMASの裏にはMOSSADもいればIRANもいるわけです。袋の中のネズミがあっちこっち動き回っているのです。とくにレバノンでのイランをバックにしたHezbollah(Iran-Backed)などは良く知られていません。ホメイニがフランス亡命中面倒をみたのがDGSE(External Documentation and Counter-Espionage Service)でサイクス・ピコ協定のようにアラブの両翼を英仏が,そして胸肉をロシアが分け合ったようにイランのバックにはロシアもいるわけです。当然ホメイニはMI6によって操縦されていたこともあまり知られておりません。
今は亡きオールさんの上の図式で間違いはないしHAMASを突き詰めて行くとバルフォア宣言後のウオルター・ロスチャイルドが作ったHaganah(現IDF・Israel Defence Force)にいたシャロンがハマスにPLOのAnti-Thesisとして資金援助し,さらにイランもバック・アップし,さらにさらにその背後にはMI6がいて,それを追求して行くと女王陛下と英国の盟主のところまで行ってしまうことになるわけです。
MI6は007の映画の通り「女王陛下」のMI6ですからRichard Sale↓の書いた記事に嘘はないと冒頭のメールにあるようにHAMASを暴露することは双方大人ですから取りやめた次第です。どこかに演出家とプロデューサーがいてヒズボラとイスラエルの捕虜交換とかのステージショーなどを毎日をやっているわけです。
A UPI article by Richard Sale offers more on the connection between Israel and the Hamas organization.
Israeli Prime Minister Ariel Sharon, speaking of the Islamic Resistance Movement Hamas recently described it as "the deadliest terrorist group that we have ever had to face." Active in Gaza and the West Bank Hamas wants to liberate all of Palestine and establish a radical Islamic state in place of Israel. It has gained notoriety with its assassinations, car bombs and other acts of terrorism.
But Sharon had left something out.
Israel and Hamas may currently be locked in deadly combat, but, according to several current and former U.S. intelligence officials, beginning in the late 1970s, Tel Aviv gave direct and indirect financial aid to Hamas over a period of years.
Israel "aided Hamas directly -- the Israelis wanted to use it as a counterbalance to the PLO," said Tony Cordesman, Middle East analyst for the Center for Strategic Studies.
Israel's support for Hamas "was a direct attempt to divide and dilute support for a strong, secular PLO by using a competing religious alternative," said a former senior CIA official.
According to documents obtained from the Israel-based Institute for Counter Terrorism (ICT) by UPI, Hamas evolved from cells of the Muslim Brotherhood, founded in Egypt in 1928. Islamic movements in Israel and Palestine were "weak and dormant" until after the 1967 Six Day War in which Israel scored a stunning victory over its Arab enemies.
After 1967, a great part of the success of the Hamas/Muslim Brotherhood was due to their activities among the refugees of the Gaza Strip. The cornerstone of the Islamic movements success was an impressive social, religious, educational and cultural infrastructure, called Da'wah, that worked to ease the hardship of large numbers of Palestinian refugees, confined to camps, and many of whom were living on the edge.
"Social influence grew into political influence," first in the Gaza Strip, then on the West Bank, said an administration official who spoke on condition of anonymity.
According to ICT papers, Hamas was legally registered in Israel in 1978 by Sheikh Ahmed Yassin, the movements spiritual leader, as an Islamic Association by the name Al-Mujamma Al Islami, which widened its base of supporters and sympathizers by religious propaganda and social work.
Funds for the movement came from the oil-producing states and directly and indirectly from Israel, according to U.S. intelligence officials. The PLO was secular and leftist and promoted Palestinian nationalism. Hamas wanted set up a transnational state under the rule of Islam, much like Khomeini's Iran.
What took Israeli leaders by surprise was the way the Islamic movements began to surge after the Iranian revolution, after armed resistance to Israel sprang up in southern Lebanon organized by an Iran-backed movement called Hezbollah that bore similitaries to Hamas, these sources said.
"Nothing stirs up the energy for imitation as much as success," commented one administration expert.
A further factor of Hamas' growth was the fact the PLO moved its base of operations to Beirut in the 1980s, leaving the Islamic movements to strengthen their influence in the Occupied Territories "as the court of last resort," he said.
When the intifada began, the Israeli leadership was further surprised when Islamic groups began to surge in membership and strength. Hamas immediately grew in numbers and violence. The group had always embraced the doctrine of armed struggle, but the doctrine had not been practiced and Islamic groups had not been subjected to suppression the way groups like Fatah had been, according to U.S. government officials.
But with the triumph of the Khomeini revolution in Iran, with the birth of Iranian-backed Hezbollah terrorism in Lebanon, Hamas began to gain strength in Gaza and then in the West Bank, relying on terror to resist the Israeli occupation.
PS:魚拓WEB(通称CACHE)のとり方ですがここをクリックしてください。そこに当ブログのURLとHTMLをコピペすると保存することが出来ます。読みたい分はCACHEで保存しておいてください。記事のタイトルのHTMLを控えておけば記事を削除されてもサーバーに残っていますのでCACHEは可能です。例えばここの記事はhttp://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/331.htmlです。これを貼り付ければいいだけです(笑)
次の記事は「協和紙業のちり紙交換です」,矢沢永吉との出会い。面白いよ。
2009/1/21
Emperor Akihito was made Knight of the Garter in 1998. As such, he has armorialbearings, which are prominently displayed in St.George's Chapel at Windsor Castle.
今上天皇の紋章ですが「Honi soit qui mal y pense (思い邪なる者に災いあれ)」の標語が見える。出典はリンクにもあります。
St.George's Chapel,Windsor Castleにある今上天皇の紋章
同じくWindsor Castleでの紋章
京都御所で発見されたという天皇家の紋章。宮内庁はひた隠しにしていると思われる。
危ないところでしたね。救ってくれたのはガーター騎士団でしょう。
京都御所。上の紋章はどこかロスチャイルド家の紋章と似ていませんか。
高利貸しの象徴ロスチャイルド家(ロートシルト・赤い盾)の紋章
古代神代文字に「吉見百穴文字がある。イスラエル国旗と同じであるのはなぜか?
ヘッセン大公国 Grossherzogtum Hessen
1567年にヘッセン=カッセルから分かれたヘッセン=ダルムシュタット方伯領が前身で、1806年に大公国に昇格しました。1866年の普墺戦争で一族のヘッセン選帝侯国(ヘッセン=カッセル)と共にプロイセンに敵対したものの、領土の一部を失っただけで独立を保ち、1918年まで存続しました。
また、ヘッセン選帝侯国が取りつぶされ、選帝侯フリードリヒ・ヴィルヘルムが1875年に没すると、一族の家長の地位とヘッセン=カッセルの金獅子勲章も引き継ぎました。1876年以降の紋章図には金獅子勲章が描かれました。なお、刻まれているモットーは、大公国昇格を機に制定されたルートヴィヒ勲章の銘文で、モットーが刻まれている巻物は、同勲章のリボンと同デザインです。
なお、大公ルートヴィヒ2世の息子アレクサンダー・ルートヴィヒは妹のロシア皇后マリア付の女官ユーリエと貴賤結婚し、彼の子孫はバッテンベルク侯を称しました。同家の長男の家系は英国に帰化してマウントバッテン(バッテンベルクの英訳)と改姓しました。(ヘッセン方伯を兼ねていたテューリンゲン方伯家は1247年に男系が途絶し、ヘッセンとテューリンゲンは分離します。ヘッセンを継承した女方伯ゾフィーはブラバント公ハインリヒ2世と結婚していたため、子孫はブラバント家を名乗りました。しかし、ブラバントはハインリヒ2世の最初の妃との間の息子が継承し、ヘッセンはゾフィーの息子が受け継いだため、ブラバントとの連合は起こりませんでした)
ヘッセン大公国の勲章です。初代大公ルートヴィヒ1世によって1807年に制定されました。勲章の十字部分は黒で、赤の縁取りがあります。中央のメダル部分は、制定者のイニシャルのLと、円周に沿って「Fuer Verdienste」の銘が刻まれています。勲章のリボンは、十字架部分と同じ配色で、黒色のリボンに赤い縁取りが加えられています。なお、大公国の国章ではリボンでなくチェーンで、ルートヴィヒ1世のイニシャルLを対称形に組んで王冠を被せた飾りと、円形のプレートを交互に組み合わせています。プレートは勲章の裏側のデザインをそのまま使っていて、黒地に「GOTT EHRE VATERLAND」と刻まれています。
この勲章は軍事と非軍事両方の功労者に授与されたそうで、等級は大十字勲章、上級騎士勲章(一等、二等)、騎士勲章(一等、二等)の五つがありました。
神聖ローマ帝国・ドイツ。ロスチャイルドはヘッセン・カッセル伯爵一族から騙し奪った財産が出発点となった。詳しいことはジョン・コールマン著「ロスチャイルドの陰謀」を買ってお読みください。
一部を要約して紹介しましょう。「マイヤー・アンセルム(アムシェル)ロスチャイルド」は3人兄弟の長男で,金銭を扱う仕事をしていた両親を10歳のときから手伝っていた。この仕事は当時(神聖ローマ帝国時代,1806年まで)ドイツは350の公国から構成され,それぞれの公国がそれぞれの通貨を持っていたから,小規模ながらも実質的には一種の外貨両替商のそれだったと言える。一家は薄汚い小屋に両親と3人の兄弟で暮らしていたが,天然痘がヨーロッパで猛威をふるった1757年,両親が病死した。マイヤーは3年後自立した。13歳でハノーバーに出たアムシェルはオッペンハイム銀行にあまり重要でない半端仕事をお情けで与えられたが,仕事について半年もしないうちに見習い行員になった。ほどなく金融業で成功するには権力のある貴族からの保護がどうしても必要であると彼は悟った。そして,6年後ハノーバーを離れてフランクフルトに戻り,1770年,グーテレ・シュナッパーと結婚した。
アムシェルがこのオッペンハイム銀行で働いていた当時,ヘッセン・カッセル伯爵(上の地図ではドイツ西部のヘッセン方伯領)に最も近い貴族の一人,エストルフ将軍に出会うという幸運に恵まれた。ヘッセン伯爵は後のウイルヘルム9世であり,アムシェルは金貸しとなり,ヘッセン・カッセルの領主ウイルヘルム9世の代理人となった。ウイルヘルム9世は1786年,父の死によって個人としてはヨーロッパ最大の財産(推定4000万ドル)を相続していた。この財産は主としてアメリカの独立戦争鎮圧用の兵隊をイギリス政府に貸し出して得られたものだ。1806年6月の戦いののち,領主ウイルヘルム9世はデンマークに逃れ,60万ポンド(約300万ドル)の管理をマイヤー・ロスチャイルドに委ねた。そして信用を勝ち得たマイヤーはウイルヘルム9世から財産を騙し奪ることになる。その金は三男ネイサンに持たせロンドン分家を創り,ネイサンはそこでワーテルローの戦いに乗じて資産を2500倍に増やした」ロスチャイルド家の創業者マイヤー・アムシェルには5人の息子と5人の娘がいた。長男はアムシェル・マイヤーで間違いやすい。ジョン・コールマンによればロスチャイルドが現在所有している財産のうち,一ドルたりとも真っ当な手段で得られた金はない,そうだ。次男のサロモンはヒットラーの祖父である。もしそうでなかったら歴史は変わっていたかもしれません。
Order of the Garter。このデザインの外枠がモサドやハマスのロゴに使われた可能性もある。シオニズムと呼ばれるイスラエル建国運動とロスチャイルド銀行のコネクションは、イギリス外相アーサー・バルフォアが一九一七年に"ユダヤ人国家の建設"を約束した「親愛なるロスチャイルド卿へ」の書き出しで始まる有名な書簡"バルフォア宣言"にあり、金融王ネイサン・ロスチャイルドの曾孫で、ロンドン・ロスチャイルド銀行の経営者ウォルター・ロスチャイルド宛てだったことに起点がある。ロスチャイルド家はこれを受けて、三年後に設立されたユダヤ人の地下軍事組織ハガナー(現IDF・Israel Defence Force)に資金を送り、今日のイスラエル一のヘブライ大学の母体となる学校を二五年に創設した。続いて二九年に、ユダヤ人のパレスチナ入植を進めるための「ユダヤ機関」という組織をつくり、これが臨時政府としての役割をになった<広瀬隆氏の著作より)>。シャロンはそのハガナー出身でありハマスはまさに「シャロンの子ども」なのである。
Hamas Gang is Sharon's Tool
Israeli Prime Minister Sharon plans to use the Hamas countergang to trigger a war that would demolish the Palestinian Authority and destabilize Jordan, ultimately overthrowing King Abdullah II and establishing Jordan as a "Palestinian homeland" under Hamas control. He counts on the Bush Administration, seeking a U.S. military buildup, to go along with his manipulations. An EIRexclusive, by Jeffrey Steinberg(ユダヤの告白Paul Goldsteinとの共著者)。。.
E・I・Rを主宰するLaRoucheとはこんな人。
GERMANY1940 and ISRAEL2009
מדינת ישראל
המוסד למודיעין ולתפקידים מיוחדי上はkee betachbulot ta'ase lecha milchama『諸君、撹乱戦術によって戦へ』下はHa'Mossad Le'modiein・情報収集機関
I(Ariel Sharon) was summoned to see Ben-Gurion. It was the first time I met him, and right from the start Ben-Gurion said to me: "Let me first tell you one thing: it doesn't matter what the world says about Israel, it doesn't matter what they say about us anywhere else. The only thing that matters is that we can exist here on the land of our forefathers. And unless we show the Arabs that there is a high price to pay for murdering Jews, we won't survive."
David ben-Gurion
私がBen-Gurionを訪ねるように言われ始めて面会した。しょっぱなから彼は私にこう言った。『まずひとつだけあなたに申し上げよう。世界がイスラエルや我々についてとやかく何を言おうが構わない。重要なことはただ一つである。それは,我々がここ祖先の地に生存できることである。そして我々はアラブに対してユダヤ人を殺戮するならば高い代償を払わなければならないということを示さなければ我々は存続できない』,と。
MORE ON THE HAMAS-ISRAEL CONNECTION
A UPI article by Richard Sale offers more on the connection between Israel and the Hamas organization.
Israeli Prime Minister Ariel Sharon, speaking of the Islamic Resistance Movement Hamas recently described it as "the deadliest terrorist group that we have ever had to face." Active in Gaza and the West Bank Hamas wants to liberate all of Palestine and establish a radical Islamic state in place of Israel. It has gained notoriety with its assassinations, car bombs and other acts of terrorism.
But Sharon had left something out.
Israel and Hamas may currently be locked in deadly combat, but, according to several current and former U.S. intelligence officials, beginning in the late 1970s, Tel Aviv gave direct and indirect financial aid to Hamas over a period of years.
Israel "aided Hamas directly -- the Israelis wanted to use it as a counterbalance to the PLO," said Tony Cordesman, Middle East analyst for the Center for Strategic Studies.
Israel's support for Hamas "was a direct attempt to divide and dilute support for a strong, secular PLO by using a competing religious alternative," said a former senior CIA official.
According to documents obtained from the Israel-based Institute for Counter Terrorism (ICT) by UPI, Hamas evolved from cells of the Muslim Brotherhood, founded in Egypt in 1928. Islamic movements in Israel and Palestine were "weak and dormant" until after the 1967 Six Day War in which Israel scored a stunning victory over its Arab enemies.
After 1967, a great part of the success of the Hamas/Muslim Brotherhood was due to their activities among the refugees of the Gaza Strip. The cornerstone of the Islamic movements success was an impressive social, religious, educational and cultural infrastructure, called Da'wah, that worked to ease the hardship of large numbers of Palestinian refugees, confined to camps, and many of whom were living on the edge.
"Social influence grew into political influence," first in the Gaza Strip, then on the West Bank, said an administration official who spoke on condition of anonymity.
According to ICT papers, Hamas was legally registered in Israel in 1978 by Sheikh Ahmed Yassin, the movements spiritual leader, as an Islamic Association by the name Al-Mujamma Al Islami, which widened its base of supporters and sympathizers by religious propaganda and social work.
Funds for the movement came from the oil-producing states and directly and indirectly from Israel, according to U.S. intelligence officials. The PLO was secular and leftist and promoted Palestinian nationalism. Hamas wanted set up a transnational state under the rule of Islam, much like Khomeini's Iran.
What took Israeli leaders by surprise was the way the Islamic movements began to surge after the Iranian revolution, after armed resistance to Israel sprang up in southern Lebanon organized by an Iran-backed movement called Hezbollah that bore similitaries to Hamas, these sources said.
"Nothing stirs up the energy for imitation as much as success," commented one administration expert.
A further factor of Hamas' growth was the fact the PLO moved its base of operations to Beirut in the 1980s, leaving the Islamic movements to strengthen their influence in the Occupied Territories "as the court of last resort," he said.
When the intifada began, the Israeli leadership was further surprised when Islamic groups began to surge in membership and strength. Hamas immediately grew in numbers and violence. The group had always embraced the doctrine of armed struggle, but the doctrine had not been practiced and Islamic groups had not been subjected to suppression the way groups like Fatah had been, according to U.S. government officials.
But with the triumph of the Khomeini revolution in Iran, with the birth of Iranian-backed Hezbollah terrorism in Lebanon, Hamas began to gain strength in Gaza and then in the West Bank, relying on terror to resist the Israeli occupation.
Israel was certainly funding the group at that time. One US intelligence source who asked not to be named, said that not only was Hamas being funded as a "counterweight" to the PLO, Israeli aid had a more devious purpose: "to help identify and channel towards Israeli agents Hamas members who were dangerous terrorists."
In addition, by infiltrating Hamas, Israeli informers could listen to debates on policy and identify Hamas members who "were dangerous hardliners," the official said.
In the end, as Hamas set up a very comprehensive counterintelligence system, many collaborators with Israel were weeded out and shot. Violent acts of terrorism became the central tenet, and Hamas, unlike the PLO, was unwilling to compromise in any way with Israel, refusing to acknowledge its very existence.
Even then, some in Israel saw some benefits to be had in trying to continue to give Hamas support: "The thinking on the part of some of the right-wing Israeli establishment was that Hamas and the other groups, if they gained control, would refuse to have anything to do with the pace process and would torpedo any agreements put in place," said a U.S. government official.
"Israel would still be the only democracy in the region for the United States to deal with," he said. All of which is viewed with disapproval by some former U.S. intelligence officials.
"The thing wrong with so many Israeli operations is that they try to be too sexy," said former CIA official Vincent Cannestraro. Former State Department counter-terrorism official Larry Johnson told UPI: "The Israelis are their own worst enemies when it comes to fighting terrorism. They are like a guy who sets fire to his hair and then tries to put it out by hitting it with a hammer.They do more to incite and sustain terrorism than curb it."
Aid to Hamas may have looked clever, "but it was hardly designed to help smooth the waters," he said. "It gives weight to President George W Bush's remark about there being a crisis in education."
Cordesman said that a similar attempt by Egyptian intelligence to fund Egypt's fundamentalists had also come to grief because of overcomplication.
An Israeli Embassy defense official, asked if Israel had given aid to Hamas replied: "I am not able to answer that question. I was in Lebanon commanding a unit at the time, besides it is not my field of interest."
Asked to confirm a report by U.S. officials that Brigadier General Yithaq Segev, the military governor of Gaza, had told U.S. officials that he had helped fund "Islamic movements as a counterweight to the PLO and communists," the Israeli official said he could confirm only that he believed that Segev had served back in 1986.
エ・テメン・アン・キ参照のこと
【ドイツ騎士団】 Deutscher Orden in Mergentheim (1526-1809)。これはドイツ(チュートン)騎士団の紋章ですがここをクリックしてご覧ください。かれらの正体が分かりますよ。
左上はKGBのロゴ,右上はナチスの思想的母体となった「トウーレ協会」の紋章でPrenazi Symbol。
イエズス会の創始者イグナチウス・デ・ロヨラが提唱した「心霊修行」は、SSにおいても霊的覚醒のためのトレーニング・テキストとされた。
拙稿デ・ロヨラの霊操その1〜2参照
1920年地球の清掃。レーニンによる共産党のポスター
ナチスが作った反共産主義のポスター。実は共産主義はシオニストがAnti-Thesisとして作ったものででイスラエルがハマスを(勝手に育て)テロリストと呼ぶのと全く同じである。敵対する相手と戦争させ双方に金を出し儲ける構図がそこにはある。対立物の統一は進化であり,弁証法的進歩において重要な役割を演じるから,対立物の戦争およびそれらの統一こそへーゲルの中心思想と考えることができる。それは正・反・合からなる。サットンのウオール街とボルシェビキ革命はそのうち成甲書房より完全翻訳版が出ますので買ってお読みむださい。ヒントになりますよ。
拙稿:ローマ銀行そのぼろ儲けの仕組みその1〜2参照
下記はWikiによる一般的な解説です。
ハマース(حماس、Ḥamās)は、パレスチナのイスラーム主義団体で、パレスチナ解放運動の諸派のうち、いわゆるイスラーム原理主義の代表的な組織、あるいは政党(野党)である。1987年12月14日、ムスリム同胞団とイスラム・ジハードのパレスチナ支部に基づき、アフマド・ヤースィーンによって創設された(文化・啓蒙組織として、イスラエルにより公式登録)。日本の報道などでは「ハマス」と呼ばれる事が多い。
正式名称はイスラーム抵抗運動(حركة المقاومة الاسلامية、Harakat al-Muqāwama al-Islāmīya)といい、各単語のアラビア文字の頭文字ح(Ḥ)、م(M)、ا(Ā)、س(S)を取ってحماس(ハマース、アラビア語で「熱情」という意味)と通称される。
アメリカ合衆国、欧州、サウジアラビア、ヨルダン(1999年にヨルダン当局により閉鎖。2008年再開)、シリア、レバノン、イラン等に支部や支持団体を有する。シリアとレバノンには、教育キャンプが存在する。
1980年代の第1次インティファーダ時代に、ヤーセル・アラファートのパレスチナ解放機構(PLO)と一線を画した民衆レベルでのイスラエル抵抗運動を組織、パレスチナ解放運動を広めた。
イスラエルは、当初はPLOに対抗する勢力となることを期待し、密かに援助した(管理人注:Anti-Thesisとして)こともあった。PLOとハマースは敵対していたからである。ハマースは教育、医療、福祉などの地道な活動でパレスチナ人への支持を広げていった。
1990年代にはPLOが進める中東和平に反対した。和平がイスラエル側の推進者イツハク・ラビンの暗殺をきっかけに崩壊に向かった後、2000年、右傾化したイスラエルによってパレスチナへの圧力が強まるとその抵抗運動の中心組織となり(第2次インティファーダ)、自爆テロ(Suicide bombing,直訳すると「自爆」だが、日本の報道では「テロ」と訳されることが多い)を犯し、多数のイスラエルの兵士・入植者に加えて一般市民を多数殺傷してきている。
こうしてイスラエル当局側は、PLOに代わってハマースを抑えこむ政策を取り、2004年3月22日、創設者のアフマド・ヤースィーン師が、彼の暗殺を目的としたイスラエル軍ヘリの攻撃により殺害された。翌日、最高幹部のひとりアブドゥルアズィーズ・アッ=ランティースィーが後継者を宣言したが、同年4月17日にイスラエル軍ヘリの攻撃を受け暗殺された。
イスラエルや欧米側からは、ハマースは自爆テロばかりやる過激な連中であるという印象が広まっているが、パレスチナ住民にとっては、機能不全に陥っている自治政府にかわって、貧困層のために病院、孤児院、学校などの経営を行うといった医療・教育等福祉をおこなっている自助組織の意味合いが強い[1]。 そういったこともあって、ハマースは、2004年12月から行われたパレスチナ地方議会選挙においては過半数の議席を獲得した。
また、2006年1月のパレスチナ評議会選挙でも貧困層を中心に支持を広げ、76議席と過半数の議席を占めるなど圧勝した。3月29日、ハマースのイスマイル・ハニーヤが首相となり、パレスチナの政権参加を果たした。これにより、中東和平プロセスは重大な局面を迎えた。
アメリカ合衆国やEUや日本などの先進国では、ハマースが主権を握ったことについて中東和平の弊害になると思われている為、非難している。これらの各国はパレスチナへの援助を差し止めた(7月、日本は世界食糧計画などを介した形で再開)。
しかし、国際連帯運動(ISM)、パレスチナ・メディア・ウォッチ の活動家パトリック・オコナーによると、ハマースは政権参加後、おおむね停戦を守っていると指摘。2000年から2006年11月3日までの、パレスチナ側とイスラエル側の犠牲者数の比率は39:10である。しかし、2006年は258:10で、3月のハマースの政権参加後に限ると、762:10にまで差が広がったという[2]。一方、イスラエル諜報機関の元長官ディクター氏は、分離壁の建設によって自爆テロを90%阻止することが出来たと証言している[3]。実際、自爆テロは未遂の時点で逮捕されているケースが多く[4]、ハマース側が自粛しているのではなく、物理的に自爆テロが出来ない状況になっていると思われる。なお、このような状況下でハマースはロケット砲による無差別攻撃に攻撃を転換したとの指摘もある。
ハマースは、ヤースィーンとランティースィーが相次いでイスラエル軍に殺害されたため、次のリーダーを安全のために公表しなかった。 しかし、2005年9月3日に軍事部門「イッズッディーン・アル=カッサーム旅団」の指揮官を公表した。このトップにいるのが、ムハンマド・ディーフである。
事実上の最高指導者は、ハマース政治局議長のハーレド・マシャアル。1997年、イスラエル諜報特務局に毒殺されかけたことがあるが、ヨルダンが国交断絶をも視野に入れて解毒剤をイスラエルに要求したため、一命を取り留めた。その後ヨルダンを追われたが、パレスチナには入らず、シリアに逃れた。2007年5月21日、イスラエルのアビ・デヒテル警察長官(警察相)は、「見つけ次第、軍は彼を片づける」とマシャアルの暗殺実行を公言した。
また、デヒテルはハニーヤ首相についても、「(イスラエルに対する)攻撃命令を出している者の中にハニーヤが連なっているならば、彼も正当な(暗殺の)標的となる」と述べた。
2007年6月12日、ハマースはガザ地区の武力占拠に及び、ファタハとの挙国一致内閣は崩壊、事実上内戦状態に突入した。また、イスラエルはハマースの議員を40人以上拘束し、評議会での活動を事実上マヒさせた。
同年7月、ハマース配下にあるTV局が、イスラエルに抵抗することを呼びかけるミッキーマウスに酷似したキャラクター「ファルフル」が登場する子供向け番組の最終回を放送し、その中で「ファルフル」がイスラエル当局者に扮した男に暴行される映像が流された。「視聴者の子供に悪影響を与える」としてイスラエルが抗議声明を出している。
政権の座から追われた現在も、評議会では依然過半数を握っている。そのためファタハ側は評議会を開会せず、非常事態宣言を根拠に組閣している。ハマース側は「ハニーヤ内閣こそ正当政府」として、ガザでは単独で自治政府を運営して、内閣を組織しているが、イランやシリア以外の国際社会が、いち早く西岸のファタハ単独内閣を承認したため、現在は孤立しているのが現状である。 また、連立政権時代は自制していたカッサーム・ロケット砲によるイスラエル領内への攻撃も再開したため、イスラエル軍によるガザ攻撃を招く口実を与えてしまっている。こうしたハマースの強硬一辺倒の態度に対して、かつて連立政府の報道官を務めたガーズィー・ハマド氏は、現在のハマース指導部の対応を批判する文書を発表している。2008年に、イスラエルとの休戦に合意した。
しかし、その半年後、休戦延長を望むイスラエルと仲介者エジプトの声をよそにハマースは、停戦延長を拒否すると宣言した[5]。さらに休戦期間終了を待たず、ロケット砲による無差別な攻撃を開始し、イスラエルは攻撃を中止するように再三にわたり警告を発したが、ハマースはそれを黙殺し、イスラエルへの攻撃を続けた[6]。2008年末、イスラエルはハマースのロケット砲壊滅を目的とし、ガザへの空爆を開始した。2009年1月1日にハマース創設者の一人で、ガザのハマース指導部のメンバーでもあるニザール・ラヤーンがジャバリーヤ難民キャンプにある自宅に居たところをイスラエル軍に空爆され、死亡した。1月15日には、ハマース政府の内相で幹部の一人であるサイード・スィヤームがイスラエル軍の爆撃で殺害された。
シャリーアに基づく統治を目指しているため、当然のことながら現代国際社会において要求される水準の人権のうち、いくつかに対して反対しており、とりわけ同性愛者には敵対的である[7]。このため、イスラエルによるパレスチナ強占に反対している国際社会の知識人であっても、ハマースに対する危惧が存在している。
合法部門
ハマースは、当局の干渉を避けるために、4つの独立的な部門に分かれている。
ダヴァフ:インフラ拡張、メンバーの募集、宗教裁判、資金調達及び配分
街頭行動の組織・調整部門
アマン:イスラエルの協力者に関する情報の収集
ア=アリャム:プロパガンダ用のビラ、出版物の配布、テレビ・ラジオでの活動
ハマースの指導機関は、マジリス・アル=シューラ(評議会)である。政治局は、総合戦略を立案し、各部門の活動分野と機能を決定する。ラビタート・ウリャマ・フィラスティン(パレスチナ・ウラマー協会)は、イスラームの観点からハマースの活動に合法性を与える。
非合法部門
武装闘争のための非合法部門は、以下の2つのグループに統合されている。
アル=ムジャーヒディーン・アル=ファリスティニウン(パレスチナ聖戦士):1987年のインティファーダ以来勢力を拡張し、反イスラエル闘争のリーダー的存在となった。
ジェハズ・アマン(保安部門):配下に執行機関であるマジドを有し、イスラエルの協力者の暗殺に従事している。
ハマースの機構には、シャヒード(自爆テロ)部隊も存在する。隊員は、イスラエルから被害を受け、ユダヤ人を憎悪する18歳から27歳の住民から選抜される。ハマースの宗教指導者は、イスラエル撃滅という聖なる目的で死ねば、天国に行けると彼らを納得させている。
ハマースの軍事部門には、イッズッディーン・アル=カッサーム旅団が存在し、イスラエル人及びその協力者の誘拐・暗殺に従事している。1992年以降の大規模なテロ活動、ロケット弾攻撃の大部分は、同旅団の仕業とされている。ハマース内部でもっともサラフィー主義の影響が濃い部門で、アル=カーイダのシンパも多数いるとされ、ハマースの他部門との路線対立が存在するとされる。
現在の主要幹部
ハーレド・マシャアル(ハレド・メシャル) - 政治局議長。事実上の最高指導者。
ムーサー・ムハンマド・アブー・マルズーク -政治局副議長。
イスマーイール・ハニーヤ(ハニヤ) - 「ガザ政府」首相。
マフムード・ザッハール(ザハル) - ハマースのガザ指導部メンバー。
ムハンマド・ディーフ - 「イッズッディーン・アル=カッサーム旅団」司令官。
サーミー・アブー・ズフリー - ハマースのスポークスマン。
ファウズィー・バルフーム - スポークスマン。
殺害された幹部
アフマド・ヤースィーン(ヤシン) - 創設者。2004年3月22日、イスラエルによる攻撃で暗殺。
アブドゥルアズィーズ・アッ=ランティースィー - ヤースィーン後継の指導者。2004年4月17日、イスラエルによる攻撃で暗殺。
ニザール・ラヤーン(ラヤン) - 2009年1月1日、イスラエルによる空爆で死亡。
サイード・スィヤーム - 「ガザ政府」内相。ハマースの治安部隊「執行部隊」創設を主導。2009年1月15日、イスラエルによる空爆で死亡。
下記はMI6が仕掛けた記事ともつゆ知らず無邪気な「日本共産党」が書いたファイナンシアル・タイムズの記事を引用した『赤旗』。
2006年1月28日(土)「しんぶん赤旗」
「パレスチナ選ハマス勝利」
ファタハ敗因は生活苦
官僚主義や腐敗にも批判
パレスチナ評議会選挙で過半数を制して第一党となったイスラム原理主義組織ハマスは、組織の綱領に“イスラエル抹殺”を掲げ、長く自爆テロを含む武装抵抗路線を進めてきました。そのハマスが政権を担うことが確実になったことで、国際的に衝撃が広がっています。(カイロ=小泉大介)
この十年間自治政府を担当してきたファタハが敗北し、ハマスが躍進した背景には、パレスチナ人を覆う極めて深刻な閉塞(へいそく)状況への不満がありました。
ファタハの敗因の第一に、国民の生活苦があげられます。イスラエルによる軍事占領と弾圧、暴力の応酬のなかでインフラは破壊され、ガザでは住民の過半数が失業し、七割が貧困ライン以下の生活を強いられています。
第二には長年パレスチナ運動を指導し自治政府を運営してきたファタハのなかに生まれた官僚主義や腐敗にたいする批判です。自治政府やファタハの一部幹部が豪勢な邸宅に住み、高級車を乗り回すことに強い反発が生まれていました。
選挙戦でファタハは、こうした負のイメージを払しょくできなかったばかりか、一時は新旧世代の対立から分裂の危機に陥りました。また候補者乱立もあってハマスに効果的に対抗することができませんでした。
これに対してハマスは、イスラエルに対する武装抵抗を進める一方、住民の立場にたったきめの細かい活動で住民の支持を拡大してきました。とくに貧困対策や医療事業を展開し、ファタハ指導部とは対照的な清新イメージを広げてきました。ガザ地区にはハマスが経営する病院、孤児院、幼稚園、小学校、大学などがあり、対イスラエル闘争での死亡者の家族らを支援しています。
ハマスは十年前の評議会選挙はボイコットしましたが、今回は「社会にまん延する腐敗を終わらせるため」(組織幹部)として初参加し、ファタハの汚職体質を厳しく追及しました。
もうひとつの背景として見逃せないのが、イスラエルによる占領と和平交渉をめぐる問題でした。イスラエルと米ブッシュ政権はこの間、和平交渉再開の必要性をのべながら、過激派組織の武装解除をはかりました。
イスラエル軍は占領地で凶暴な軍事作戦を展開。さらに、ヨルダン川西岸の大規模入植地を維持・強化し、パレスチナ人の土地と財産を奪う分離壁の建設を急ぐなど反和平の動きを強め、米政府もこれを黙認してきました。
イスラエル軍と入植者は昨年夏にガザ地区から撤退しましたが、その後、肝心の住民の移動の自由確保ではわずかな進展しかなく、経済は最悪のまま。ガザ地区北部には「緩衝地帯」を設置し「再占領への一歩」と呼ばれるような状況さえつくりました。
このもとで、少なくないパレスチナ人がこの抑圧からの活路を「まじめで献身的だと広くみなされている」(英紙フィナンシャル・タイムズ二十七日付)ハマスに託したとみられます。
シャロンはロンドン筋のハガナ出身である。
ハガナ<Wiki>
Gaza Strip
この本はクリストファー氏のブレーンの一人で元KGB(その後CIAとなり命を狙われる)Anatoliy Golitsyn氏の書いた本です。クリストファー氏はエリザべス二世女王よりとの批判もあります。ロスチャイルドには触れていません。鉄の女と呼ばれたサッチャー元首相のブレーンでもありました。でもそれが何でしょう。メールや電話でいつも喧嘩しているのですよ。そうして何かが生まれればそれでいいと思っています。
At the same time, the Editor has published the second work by Anatoliy Golitsyn, The Perestroika Deception, which exposed Soviet long-range deception strategy against the West and the United States. The Editor acquired the rights to this manuscript, as Editor inter alia of Soviet Analyst, after the US intelligence community had tried to suppress it; and Edward Harle Limited duly published a greatly expanded version with Golitsyn's approval in 1995.
FACT: At the strategic intelligence level, the covert Soviet Union and the covert Nazi Continuum work together, to this day. That these two powers work covertly together was explicitly revealed in the 'Madrid Circular Letter', a document captured by the Allies in the early 1950s en route from the Nazis' German Geopolitical Centre in Madrid, which was set up by the Abwehr in 1942 to plan for the post-war period and, if Germany was defeated, to develop a new methodology designed to reverse the outcomes of the defeats suffered by Germany in the First and Second World Wars.
This notorious document not only trumpeted the Nazi slogan 'Fur uns ist der Krieg niemals vorbei' ('For us the war never ended'), which we have repeatedly cited, but also contained confirmations that Germany's alliance with the West was false, representing no more than a temporary expedient, and that Germany's permanent interests lie in the East:
'... We must not forget that Germany has always considered any orientation towards the West as a policy of expediency, or one to be pursued only under pressure of circumstances.... The so-called American democracy does not deserve the sacrifice of the bones of a single German soldier... US babbling about democracy and so-called 'free enterprise' is such nonsense that we do not need to squander a single moment in refuting this American propaganda swindle'. (1)
The Editor's book 'The New Underworld Order' cites Nazi and related documents to prove that the covert Nazis have, furthermore, persisted with their strategy of reversing the outcomes of the two World Wars, encapsulated in the further slogan, found in a Nazi document captured in 1945 by the Allies: 'We shall establish the Thousand-Year Reich on the Ruins of the United States'.
U.S. SOURCES CONFIRM TWO FOREIGN POWERS ARE INVOLVED IN THIS CONSPIRACY
At 3.30pm on this day, 15th July 2008, the Editor was specifically advised by an impeccable source citing authoritative US sources who advised him of what follows in order that the Editor should be so informed: that the ONGOING destabilisation of the US dollar system and of the US financial and real economies has been proven now to be AN OFFENSIVE BY TWO FOREIGN POWERS.
We cannot elaborate on how we know this, but we can assure you that what has been alluded to on this website and in our publications on this score has now 'suddenly' been confirmed.
Since we know that the covert Pan-German Nazi Continuum has specifically indicated that it seeks to destroy the United States as confirmed above, and since it has always been obvious that the US intelligence operation to pillage the old Soviet economy in the late 1980s and 1990s would in due course trigger what is known in the trade as 'BLOWBACK', the Editor hereby asserts that the two foreign powers that are working together to overthrow the United States are Germany and Russia.(管理人注:デヴィッド・アイクによるとロシアは消滅するとかブレジンスキーはロシアを攻撃するとか言っていますがそれは反対です。米国が消えてなくなることなのです)。
It is stressed that the identity of the two enemy foreign powers behind this crisis has NOT yet been revealed to the Editor of this service. But since we have consistently pointed to the DVD-Dachau's intentions and activities, and since the Soviet Union has a glaringly obvious motive to reverse the pillaging of its economy which was orchestrated by elements of US intelligence, we hazard that the two countries whose intelligence services are destabilising America are those identified above.
クリストファー氏のハマスに関する記事は間もなく出ると思います。これでアル・カイダ,ハマスに名を借りたロシア製Micro Nuke100基分の偽テロは不可能になるはずです。No News is Good Newsとはよく言ったものです。そうなることを願っています。
参考:下記はDVD・German Black Intelligence(Black POPE)の関連団体
• A VERY LARGE NUMBER OF THESE ENTITIES ARE ASSOCIATED WITH THE DVD*, DACHAU〜ヒットラーの祖父はソロモン・ロスチャイルドであったことをお忘れなく。
15 May Organization
3rd October Organization
17 November Revolutionary Organization
Abu Nidal organization (ANO)
Abu Sayyaf Group (ASG)
Action Directe
Aceh Merdeka
Ahl-e-Hadees
Aid for Northern Ireland
Al Aqsa Martyrs Brigade
Al-`Asifa
Al-Badhr Mujahidin
Al Faran
Al-Fatah
al-Gama'a al-Islamiyya
Al-Ittihad al-Islami (AIAI)
al-Jihad
al-Qa'ida (The Base)
Albanian National Army (ANA)
Alex Boncayao Brigade (ABB)
Algeti Wolves
Ali Suleiyman
Alliance of Eritrean National Force
Alliance pour la resistance democratique (ARD)
Allied Democratic Forces (ADF)
AMAL
Amn Araissi
Ansar al-Islam
Anti-Imperialist International Brigade (AIIB)
Anti-Imperialist Territorial Nuclei (NTA)
Arab Revolutionary Brigades
Arab Revolutionary Council
Arewa People's Congress [Nigeria]
Armed Forces of Puerto Rican National Liberation (FALN)
Armed Islamic Group (GIA)
Armed Islamic Movement [AIM]
Armed Nuclei for Proletarian Autonomy
Armed Proletarian Nuclei
Armed Revolutionary Nuclei (ARN)
Armée pour la libération du Rwanda (ALIR)
Armenian Secret Army for the Liberation of Armenia (ASALA)
'Asbat al-Ansar
Aum Shinrikyo
Aum Supreme Truth
Azad Khalistan
Babbar Khalsa
Babbar Khalsa Force
Baader Meinhof Gang
Basque Fatherland and Liberty (ETA)
Bavarian Liberation Army
Bhinderanwala Tiger Force
Black Mamba
Black September
Breton Liberation Front
Breton Revolutionary Army
Brigades of the Martyr Abdallah Al Hudhaifi
Brigate Rosse
Cambodian Freedom Fighters
Caprivi Liberation Front
Catholic Reaction Force (CRF)
Cellules Communistes Combattantes
Chukaku-Ha
CNRM National Council of Maubere Resistance
CNRT Timorese National Resistance Council
Commandos of the November 95 Anarchist Group
Committee for the Defense of Legitimate Rights
Committee for Eastern Turkistan
Communist Party of India (Marxist-Leninist)
Communist Party of Nepal (Maoist)
Conseil national pour la défense de la democratie (CNDD)
Dal Khalsa
Dark Harvest
Dayak
Democratic Front for the Liberation of Palestine (DFLP)
Democratic Karen Burmese Army (DKBA)
Devrimci Sol (Revolutionary Left)
Dev Sol
Direct Action Against Drugs (DADD)
Djibouti Youth Movement
Dukhtaran E Millat
Eastern Shan State Army (ESSA)
Ejercito Popular Boricua (Macheteros)
Ejercito Popular Revolucionario (EPR)
ELA - Revolutionary People's Struggle
Ellalan Force
ELN - National Liberation Army -- Colombia
EOKA (Ethniki Organosis Kyprion Agoniston)
ERP [Ejército Revolucionario del Pueblo]
Eritrean Democratic Liberation Movement
Eritrean Islamic Jihad Movement
Eritrean Liberation Front-Revolutionary Council (ELF-RC)
Eritrean People's Liberation Front (EPLF)
Euzkadi Ta Askatasuna (ETA) - Basque Fatherland and Liberty
Executive Outcomes
FALINTIL National Armed Forces for the Liberation of East Timor
Farabundo Marti National Liberation Front (FMLN)
FARC - Revolutionary Armed Forces of Colombia
Fatah Revolutionary Council
Fatah Special Operations Group
Federation of Associations of Canadian Tamils (FACT)
Fighting Islamic Group (FIG)
Force 17
Forces armees du peuple (FAP)
ex-FAR (Forces armees rwandaises)
Forces nationales de liberation (FNL)
Forces de liberation nationale (FALINA)
Forces pour la défense de la democratie (FDD)
Fraxia Midheniston
Free Aceh
Free Aceh Movement
Free Papua Movement
FPM - Morazanist Patriotic Front
FPMR - Manuel Rodriguez Patriotic Front
FRETILIN Revolutionary Front for an Independent East Timor
Front contre l’occupation tutsie (FLOT)
Front De La Liberation Nationale
Front Line
Front pour la liberation nationale (FROLINA)
Fuerzas Armadas Liberacion Nacional Puertoriquena (FALN)
al-Gama'at al-Islamiyya
Gerakin Aceh Merdeka (GAM)
God's Army
GRAPO - 1 October Antifascist Resistance Group
Gray Wolves [Sivi Vukovi]
Grey Wolves
Great East Islamic Raiders – Front (IBDA-C)
HAMAS
Harakat ul-Ansar (HUA)
Harakat ul-Jihad-I-Islami (HUJI)
Harakat ul-Jihad-I-Islami/Bangladesh (HUJI-B)
Harakat ul-Mujahidin (HUM)
Hawari Group
Hawari Special Operations Group
Hizballah Al Khalji
Hizballah [Bahrain]
Hizballa [Kuwait]
Hizballah [Lebanon]
Hizbullah [Turkish]
Hizb-i-Islami
Hizb-I Islami Gulbuddin (HIG)
Hizb-i Wahdat
Hizb ul-Mujahidin (HM)
Ikhwan-ul-Mussalmin
Interahamwe
International Front for Jihad Against the Jews and Crusaders
International Islamic Front for Jihad Against the Jews and Crusaders
International Justice Group
International Revolutionary Action Group
International Sikh Youth Federation
Iparretarrak (IK)
Iranian National Front
Iraqi National Accord (INA)
Iraqi National Congress
Irish National Liberation Army (INLA)
Irish Republican Army (IRA)
Irish Republican Army (IRA) - Continuity
Irish Republican Army (IRA) - New
Irish Republican Army (IRA) - Provisional
Irish Republican Army (IRA) - Real
Isatabu Freedom Movement
Islamic Army of Aden
Islamic Group (IG)
Islamic Great Eastern Raiders Front
Jamat-E- Islami
Islamic Armed Group (GIA)
Islamic International Peacekeeping Brigade
Islamic Jihad [Egypt]
Islamic Jihad [Lebanon]
Islamic Jihad [Turkey]
Islamic Jihad for the Liberation of Palestine
Islamic Liberation Army (AIS)
Islamic Movement of Uzbekistan (IMU)
Islamic Movement Organization
Islamic Movement for Change
Islamic Reform Movement
Islamic Resistance Movement
Islamic Salvation Army
Islamic Salvation Front / Movement (FIS)
Islamic Salvation Movement
Islamic Union (Al-Ittihad al-Islami)
Jaish-e-Mohammed (JEM)
Al-Jama’a al-Islamiyyah al-Muqatilah bi-Libya
Jemaah Islamiya (JI)
Jamat-e-Islami
Jamaat ul-Fuqra
Jamiat-e-Ahl-e-Hadees
Jamiat ul-Mujahidin
Jammu and Kashmir Liberation Front (JKLF)
Japanese Red Army (JRA)
Jihad Group
Kach
Kachin Defense Army (KDA)
Kachin Independence Organization (KIO)
Kahane Chai
Khalistan Liberation Tiger Force
Khalistan Commando Force
Khalistan Liberation Front
Khalistan National Army
Khmer Rouge
Komala
Ku Klux Klan
Kumpulan Mujahidin Malaysia (KMM)
Kurdish Democratic Party of Iran (KDPI)
Kurdistan Democratic Party (KDP)
Kurdistan Workers' Party (PKK)
La Cosa Nostra
Lashkar I Jhangvi
Lashkar-e-Taiba
Lautaro Youth Movement (MJL)
Lautaro faction of the United Popular Action Movement (MAPU/L)
Lautaro Popular Rebel Forces (FRPL)
Lebanese Armed Revolutionary Faction
Les mongoles
Liberation Army of the Islamic Sanctuaries
Liberation Tigers of Tamil Eelam (LTTE)
Lord's Resistance Army (LRA)
Loyalist Volunteer Force (LVF)
Macheteros
Maktab al-Khidamat (MAK - Services Office
Malaita Eagles Force
Manuel Rodriguez Patriotic Front (FPMR)
Maoist Communist Centre (MCC)
Martyrs of Tal Al Za'atar
Mau Mau
Mayi-Mayi
Meccan Group
Middle-Core Faction
Minnesota Patriots Council
Mong Tai Army (MTA)
Mohajir Qaumi Movement [MQM]
Morazanist Patriotic Front (FPM)
Moro Islamic Liberation Front [MILF]
Moro National Liberation Front [MNLF]
Moroccan Islamic Combatant Group (GICM)
Mothaidda Quami Movement (MQM)
Mozambican National Resistance (RENAMO)
Mouvement de liberation congolais (MLC)
Movement for an Islamic State
Movement of Democratic Forces in the Casamance (MFDC)
Movimento Sociale Italiano
Movimiento De Liberacion Nacional
MRTA - Tupac Amaru Revolutionary Movement
Mujahedin-e Khalq Organization (MEK or MKO)
Muslim Brotherhood
Muslim Iranian Student's Society
Muslims Against Global Oppresion
Muttahida Jihad Council [MJC]
Muttahidda Quami Movement (MQM)
Myanmar National Democratic Alliance Army (MNDAA)
National Army for the Liberation of Uganda (NALU)
National Committee for the Liberation and Defense of Albanian Lands (KKCMTSH)
National Council for Resistance (NCR)
National Front for the Liberation of Corsica
National Liberation Army (ELN) -- Bolivia
National Liberation Army (ELN) -- Colombia
National Liberation Army of Iran (NLA)
National Liberation Front Of Kurdistan (ERNK)
National Patriotic Front of Liberia
National United Front of Arakan (NUFA)
New Jihad Group
New Mon State Party (NMSP)
New People's Army (NPA)
New Red Brigades/Communist Combatant Party
Northern Alliance
Nucleus Faction
Orange Volunteers
Ordine Nuovo (New Order)
Organisasi Papua Merdeka (OPM)
Organisation of Iranian People's Fedaian (Majority) OIPFM
Organization of the Oppressed on Earth
Orly Group
Osama bin Laden [DIED 26th December 2001]
Palestine Islamic Jihad (PIJ)
Palestine Liberation Front (PLF)
Palestine Liberation Organization (PLO)
Parti pour la liberation du peuple hutu (PALIPEHUTU)
Partido Democratico Popular Revolucionario (PDPR)
Party of Allah
Party of Democratic Kampuchea
Party of God
Patriotic Union of Kurdistan (PUK)
People Against Gangsterism and Drugs (PAGAD)
People's Liberation Army (PLA) Ireland
People's Liberation Army Of Kurdistan (ARGK)
People's Mujahedin of Iran (PMOI)
People's Republican Army (PRA)
Peoples' War Group (PWG) [India]
Peoples' War Group (PWG) [Nepal]
Peuple en armes pour la liberation du Rwanda (PALIR)
Pirates
PKK - Kurdistan Workers' Party
Popular Boricua Army (Macheteros)
Popular Front for the Liberation of Palestine (PFLP)
Popular Front for the Liberation of Palestine-General Command (PFLP-GC)
Popular Front for the Liberation of Palestine-Special Command (PFLP-SC)
Popular Liberation Forces
Popular Revolutionary Army (EPR)
Popular Revolutionary Vanguard
Popular Struggle Front (PSF)
Prima Lina
Provisional Irish Republican Army (PIRA)
Provos
Puka Inti
Rajneeshee
Rassemblement congolais pour la democratie (RCD)
Real IRA
Red Army Faction (RAF)
Red Brigades
Red Hand Defenders
RENAMO - Resistencia Nacional Mocambicana
Recontra 380
Recontras
Revolutionary Armed Forces of Colombia (FARC)
Revolutionary Cells
Revolutionary Council of Nigeria (RCN)
Revolutionary Justice Organization
Revolutionary Left
Revolutionary Nuclei
Revolutionary Organization 17 November
Revolutionary Organization of Socialist Muslims
Revolutionary Organization of the Toilers of Kurdistan
Revolutionary People's Liberation Party/Front (DHKP/C)
Revolutionary People's Struggle (ELA)
Revolutionary Proletarian Initiative Nuclei (NIPR)
Revolutionary Struggle
Revolutionary United Front (RUF)
Riyadus-Salikhin Reconnaissance and Sabotage Battalion of Chechen Martyrs
Russian Organized Crime (ROC)
Rwandan Liberation Army
Salafist Group for Call and Combat (GSPC)
Saheed Khalsa Force
Sendero Luminoso (SL)
Serb Volunteer Guard [SDG / SSJ] "Tigers"
Serbian Radical Party [SRS]
Shan Democratic Union
Shining Path
Shora-e-Jehad
Sipah I Sahaba Pakistan
SLA - South Lebanese Army
Special Purpose Islamic Regiment
Students of the Engineer
Students of Yahya Ayyash
Sudan People's Liberation Army (SPLA)
Sudan People's Liberation Movement (SPLM)
Supreme Council for Islamic Revolution in Iraq (SCIRI)
Supreme Assembly of the Islamic Revolution in Iraq (SAIRI)
Talaa' al-Fateh
Taleban
Terra Lliure (TL) (Free Land)
Territorial Anti Imperialist Nucleus
The Brotherhood
The Order
The Tunisian Combatant Group (TCG)
Tupac Amaru Revolutionary Movement (MRTA)
Tupac Katari Guerrilla Army
Turkish Hizballah
Turkish Islamic Jihad
Turkish Peoples Liberation Army
Uganda National Rescue Front
Uganda National Rescue Front II
Uganda Salvation Front/Army
Uighur militants
Ulster Defence Association (UDA)
UDT Uniao Democratica Timorense
Ulster Freedom Fighters (UFF)
Ulster Volunteer Force (UVF)
Union des forces vives pour la liberation et la democratie en RDC-Zaire (UFLD)
Union pour la liberation nationale (ULINA)
UNITA Union Nacional Por La Independencee Totale Do Angola
United Company of Jihad
United Jihad Council
United Liberation Front of Assam
United Self-Defense Forces/Group of Colombia (AUC)
United Wa State Army (UWSA)
Vanguards of Conquest
Vasat
Vigorous Burmese Student Warriors
Weathermen
Weather Underground Organization
West Nile Bank Front [WNBF]
White Eagles
World Tamil Association (WTA)
World Tamil Movement (WTM)
Zapatista National Liberation Army
Zimbabwe African National Union
最後に余計なことかもしれませんが早ければ今年中に世界中の取引所は閉鎖になるかもしれません。
目標二万ポンドに対してポンド安もありますがまだ3200ポンドです。ぜひご支援にご協力ください。ポパーの言うように『他人に依存して幸福でありたいという誘惑に駆られず,われわれの十字架すなわち人間らしさと理性と責任の十字架を担うという課題にしりごみせず,,勇気を失わず圧迫にたじろがないならば,そのときにはわれわれは目の前にある単純な決定を明瞭に理解出来る』。あなたの勇気と愛と寛容さと厳しさを待っています。あまり時間がありません。ご支援の半分が匿名です。
2009/1/18
へーゲルは,ヘラクレイトスと同様に,戦争が万物の父であり王であると信じており,実際対立物の統一は進化であり,弁証法的進歩において重要な役割を演じるから,対立物の戦争およびそれらの統一こそへーゲルの中心思想と考えることができる。それは正・反・合からなる。例えばPLOをThesisとするとAnti-Thesisが必要になる。それがHAMASである。そしてa Defact Syn-Thesisはイスラエルの利益となる。民主主義というDemocracyはDemon(悪魔)+Cracy(支配)=悪魔が支配する社会の意味であるが,資本主義社会(Thesis)+共産主義社会(Anti-Thesis)=世界統一政府(a Defact SYN-Thesis)となる。共産主義もヤコブ・シフによって作られたようにハマスもイスラエルのシャロンによって作られた。そしてパレスティナFatah-Hamasの連立政権を終わらせることはPLOの終焉でもある。イスラエルの盟主であるロンドンの操る華麗で残虐なステージショーなのである。
Fighting spread in the Gaza Strip with both factions attacking vehicles and facilities of the other side. In response to constant attacks by rocket fire from the Gaza Strip, Israel launched an air strike which destroyed a building used by Hamas. Ongoing violence prompted fear that it could bring the end of the Fatah-Hamas coalition government, and possibly the end of the Palestinian authority.
IDF(Israel Defence Force)の前身はHAGANAHでありシャロンはそこの出身である。アラファトがハマスはシャロンの子どもと言った理由はそこにある。HAGANAH(現IDF),HAMASの両方に金を出し戦わせるのはイスラエルの盟主であるロンドンの方針でもある。図はHaganah.
「それからあの賢く抜け目のない男が現れた,神々への恐れを最初に発明した男が......。彼は一つの物語を,とても魅惑的な教えを案出し,いつわりの伝説のベールで真理を隠した。彼は恐ろしい神々の住まいを語る,回転する天球の,雷鳴が轟き稲妻の恐ろしい閃きが目をくらませるところ.......。こうして人々の周りに恐れの縄を張り巡らした。崇高なところに住む神々で彼らを取り囲み,呪文で魅了し,ひるませてーーーーそして無法が法と秩序に変わったのだ」<クリティアス>
彼はプラトンの曽祖父であるが,詩人であり,人民を「説得する」ために,すなわち脅迫して服従させるために宗教を作り出した賢くもずるい男を讃える(管理人注:讃えられているのは弁証法の父ヘラクレイトスのこと)。クリティアスの見解では,宗教とは偉大で賢明な政治家の堂々たるうそに他ならない,と。(カール・ポパー)
そろそろシュメール人の末裔である日本人が目覚めるときは来たようだ。
バベルの塔跡
米国の作家で,南イリノイ大學教授のLionel Bender氏はWadai-Darfur=Language in Ethiopiaの論文でSemitic Language(セム語=アラム語)のエチオピア起源説を発表した。ノアの子供セム(黄色人種)とハム(黒人人種)はその名が意図的につけられた感がある。シュメール人の建設した年にセム系アラム人が侵入し王朝を築き,シュメールの影響を引きずると言われているバビロンの「イシュタルの門」には蛇に関する聖獣が多く描かれている。
これは修復されたもので岩田明氏の「16菊家紋の謎」にオリジナルがある。大英博物館には隅に17菊家紋の偽物が置いてある。これは天皇家とシュメールとの関係を知られては困るからであろう。
アフロ・アジア語(セム・ハム語)の源流は北東アフリカであり,黄色い部分がその地域でベルベル語族,チャド語族,クシュ語族,オモ語族,セム語族とされる。
現女王(エリザベス2世)の紋章を使っての説明はここから。
@ガーター勲章受勲者のみの特権で加える事が出来る「ガーター」
Aサポーター
Bヘルメット
Cクラウン
Dモットー
Eコンパートメント
Fクレスト
Gアームズ
Hマント
紋章冠参照
Garter Insignia。有名な英国の騎士団章です。ガーターベルトをかたどった勲章に「Honi soit qui mal y pense (思い邪なる者に災いあれ)」の標語が刻まれています。
騎士団は1348年に創設され、国王の他に24名の定員で構成され、英国紋章院長官が騎士団の首席事務官を務めるそうです。ほかに、他国の王侯などが定員外の名誉団員に迎えられています。
創設時のメンバーは、黒太子に従ってクレシーやポアトゥーなどの戦いで武名を上げた人物が多く、まさに、騎士の栄誉を象徴する勲章といった感じです。
最近では女性も団員になることができます。1995年にサッチャー元首相が登録されたり、他にもオランダやデンマークの女王が叙されています。エリザベス女王も即位前の1947年に夫のフィリップ殿下と共にガーター騎士に登録されました。
ちなみに、わが国の天皇も、明治天皇以来4代続けてガーター騎士に迎えられています。
…ということは、菊の御紋の周りにこの騎士団章が描かれるのでしょうか…?(出典はリンクにありますリニシェ・カッシェより
騎士道精神
ガーター勲章と日英同盟
英仏100年戦争参照
イギリスとフランスの世紀の大喧嘩参照
歴史のページは楽しい
Wikiによる騎士団資料
テンプル騎士団とマルタ騎士団参照
漫画:ガーター騎士団とリチャード二世参照
騎士団も沢山あるなあ〜(笑)
チュートン騎士団
上にあるチュートン騎士団(ドイツ騎士団は)は恐ろしい。ミューズの女神参照
ドイツ騎士修道会参照
Truth In Fantasy 78『騎士団』は西洋史専攻の学生さんは読まれるとよいでしょう。
須田武郎 著
中世ヨーロッパで聖地エルサレムへの巡礼者を防衛、援助、救護のために創設された騎士修道会。そのなかで最も輝いたのがテンプル騎士団、聖ヨハネ騎士団(マルタ騎士団)、ドイツ騎士団の三大騎士修道会です。
また、アーサー王物語などで登場し、当時の騎士や王侯に多くの影響を与えた円卓の騎士団。そして、円卓の騎士団などに影響を受けて、イングランドの最高勲章であるガーター勲章を授かった者たちをそう呼んだガーター騎士団など。(注:イギリスではライバルであるフランスが国の象徴としてカール大帝を持ち上げたことに対抗して、アーサー王を自国の象徴として持ち上げたのである。エドワード3世が円卓の騎士に倣ってガーター騎士団を設立したのは有名な話である)
ひとくちに騎士団といってもさまざまな成り立ち、組織、役割などがあります。それらを創設された時の歴史的背景とともに分かりやすく紹介していく書籍です。
立ち読み:アーサーとアングロサクソン戦争
主な掲載騎士団
テンプル騎士団
聖ヨハネ騎士団
ドイツ騎士団
ガーター騎士団
バース騎士団
金羊毛騎士団
カラトラーバ騎士団
サンティアーゴ騎士団
アルカンタラ騎士団
アザミ騎士団
聖パトリック騎士団
【ドイツ騎士団】 Deutscher Orden in Mergentheim (1526-1809)
1190-1198 Hospitalbruderschaft
1198 Ritterorden (Sitz in Akkon)
1230-1271 Sitz in Montfort
1271-1291 Sitz in Akkon
1291-1309 Sitz in Venedig (Venezia)
1309-1457 Sitz in der Marienburg
1457-1525 Sitz in Königsberg
1526-1809 Sitz in Mergentheim
1809- Sitz in Wien
1923 Klerikaler Orden
十字軍三大騎士団の一つです。(下記参照)
十字軍(Crusades、クルセーダー)のエルサレム遠征と大航海。
・クレルモン教会会議 Council of Clermont France (1095/11)
エルサレムまでも支配下に治めていた東ローマ帝国(ビザンチン帝国、正教会派)がイスラムに圧迫されてきて、1071/8/26の「マラズギルト(Malazgirt、アナトリア半島)の戦い」でイスラム軍に敗れて、海岸地帯の一部を除く全小アジアを占領されましたので、東ローマ皇帝アレクシオス1世コムネノス(在位:1081-1118)はピアチェンツァの教会会議に特使を派遣して援軍を要請しました。要請を受けたフランス出身のローマ教皇ウルバヌス2世(在位:1088-99)は、1095年11月にフランス中央高知にあるオーヴェルニュ(La region d'Auvergne)ピュイ・ド・ドーム県(Puy-de-Dome)のクレルモン(Clermont)で行われた教会会議の最後に聖地エルサレム回復支援の呼びかけを演説しました。それが、当時の民衆の宗教意識の高まりとあいまって西欧の国々を巻き込む一大運動へと発展しました。こうして翌1096年に多数の諸侯・騎士から成る第1回十字軍が出発し、以後約200年間にわたって9回の大規模な十字軍が派遣されることとなりました。
・民衆十字軍 People's Crusade (1095〜1097)
ローマ教皇ウルバヌス2世の演説は大きな反響を引き起こしました。こうした状況のなかで隠者ピエール(1050〜1115)と呼ばれた北フランス生まれの修道士・説教士は各地で十字軍への参加を呼びかける熱烈な説教を行いました。彼の元には数万の熱狂者が集まり、ピエールはこの群衆を率いて、バルカン半島を南下し、コンスタンティノープルから小アジアに渡りましたが、イスラム(トルコ)軍に殲滅されました。第1回十字軍に先立つこの十字軍は民衆十字軍と呼ばれています。隠者ピエールは生き残ってヨーロッパに戻り、第1回十字軍の本隊に参加しました。民衆十字軍の失敗は、聖地の回復には烏合の衆でなく、武力を持った軍隊が必要であることを教えました。そして、十字軍運動の盛り上がりは反ユダヤ主義の高まりという側面をもたらすことにもなり、ユダヤ人共同体に対する組織的な暴力行為が行われました。1096年の夏、ゴットシャルク、フォルクマーなどといった説教師に率いられた1万人のドイツ人はライン川周辺のヴォルムスやマインツでユダヤ人の虐殺を行いました。この事件を「最初のホロコースト」という説もあります。
・第1回十字軍 First Crusade (1096〜1099)
第1回十字軍はローマ教皇ウルバヌス2世の呼びかけで、フランスの諸侯・騎士を主力として、1096年8月に各自出発し、12月に東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルの城壁外で合流し、東ローマ皇帝に臣従の礼をとった後、東ローマ帝国軍の小アジアを案内する部隊と共に小アジアに渡り、騎兵5千・歩兵1万5千の大軍は、イスラム軍と戦いイスラム教徒を破って、1099/7/15にエルサレムを占領しました。この時に十字軍の兵士達は殺戮と掠奪と陵辱をほしいままにし老若男女を問わず住民約7万人を虐殺。当時のイスラム教徒がキリスト教徒に寛大であったのに対し、キリスト教徒の狂信・不寛容ぶりが際だっていました。第1回十字軍は聖地の回復に成功し、回復した聖地を確保するためにエルサレム王国(1099〜1291)が建国され、ロレーヌ(ロートリンゲン)公ゴドフロアを統治者に選び、残留した戦士達に封土を与えて封建国家が建てられました。エデッサ伯国(1098〜1146、ボードアン国王)、アンティオキア公国(1098〜1268、南イタリアのノルマンの騎士ボエモン国王)が建国されました。エルサレム回復後に十字軍兵士達の多数が目的を達成したとして帰国し、また西ヨーロッパから来る増援隊は少数だったので、現地軍は絶えず兵員不足に悩まされました。イタリアのジェノヴァやヴェネツィアなどの海洋都市国家が十字軍国家の防衛やこれらの国々との交易で大きな役割を果たし、占領地との交易を盛んに行い、東西交易(レヴァント貿易)で大いに利益を得ました。また、東ローマ帝国はアナトリア地方(小アジア)の支配権を取り戻し、ふたたび繁栄の時代を迎えることができました。こうして第1回十字軍はエルサレム王国、アンティオキア公国、エデッサ伯国などの十字軍国家と呼ばれる国家群をパレスティナとシリアに成立させて、巡礼の保護と聖墳墓の守護という宗教的目的を達成しました。
・1101年の十字軍 Crusade of 1101 (1101)
エルサレム奪回のニュースがヨーロッパに伝わると途中で脱落して帰国した騎士や十字軍に参加しなかった騎士は激しい非難と嘲笑にさらされ、聖職者による破門さえほのめかされましたので、1101年に入るとヨーロッパにおいて(途中で脱落していた)ボロワ公エティエンヌやユーグ・ド・ヴェルマンドワによって新たな軍勢が組織され、他の諸侯との不仲でコンスタンティノープルにいたレーモン・ド・サンジルと合流し、女子供を含む10万人近い軍勢が再びエルサレムを目指しました。食料も船賃もほとんど持たなかった彼らは掠奪や敗北で命を落としながらの途中での苦難のすえにレバノンに着き、後々まで十字軍の強力な補給と上陸の拠点となるトリポリ伯国(1102-1289)を誕生させました。そしてエルサレムに到着した騎士たちはエルサレム王国の守りを固め、やがてイタリアの商人たちがシリアの諸港に来航して物資を補給し始め、テンプル騎士団、病院騎士団(聖ヨハネ騎士団)といった騎士修道会が組織されてエルサレム王国を防衛することになりました。トリポリ伯国は地中海の強国ジェノヴァ艦隊の支援のもとにトリポリ北方の都市トルトーズ、ジューバイルを奪い、トリポリ正面の要塞を1103年に包囲占領して、1109/7/12にトリポリが陥落して海洋国家となりました。
・騎士修道会 Knights Hospitaller (1023年頃〜現在)
十字軍時代に聖地エルサレムへの巡礼者を防衛、援助、救護する目的のために設立されたのが宗教騎士団(中世のローマ・カトリックの修道会)でした。後にはイベリア半島と東ヨーロッパでも異教徒との戦いのために活動しました。1023年頃エルサレムで設立されロードス島からマルタ島を本拠地に活躍した「ヨハネ騎士団」(病院騎士団。1113公認-現在)、1096年頃エルサレムで創設され1118年に設立された「テンプル騎士団」(神殿(金融)騎士団。1128公認-1314、後にフリーメイソンになった説有)、そして第3回十字軍後に創設された「ドイツ騎士団」(後にチュートン騎士団。1191公認-現在は慈善団体)は三大騎士団と呼ばれています。また、マルタ騎士団(Sovereign Military Order of Malta)は、カトリックの騎士修道会で、現在は国際連合にオブザーバーとして参加し、郵便切手とコインを発行する主権実体(sovereign entity)で、十字軍時代のパレスチナに発祥した聖ヨハネ騎士団が現在まで存続したものだといわれています。正式名称はロードスおよびマルタにおけるエルサレムの聖ヨハネ病院独立騎士修道会(Sovereign Military Hospitaller Order of St. John of Jerusalem of Rhodes and of Malta)となっています。 マルタ騎士団の旗
マルタ騎士団 発行
・第2回十字軍 Second Crusade (1147〜1149)
第1回十字軍が成功をおさめたのはセルジューク朝が分裂し内紛のために連合して十字軍と戦うことが出来なかったことが大きな理由でしたが、セルジューク朝はその後勢力を回復し、モスル太守のザンギーが北シリアを回復し、1146年にエデッサ伯国を滅ぼしました。エデッサ伯領の喪失を受けローマ教皇エウゲニウス3世によって呼びかけられ、その翌年に第2回十字軍が派遣されました。第2回十字軍には、ドイツ皇帝、フランス王の他、多数の貴族、司教、庶民の参加者を得ました。
イ ングランド、ノルマンディーはスティーブン王の無政府時代のため、まとまった出兵は行えませんでしたが、各々の騎士達が、スコットランド、フランドル勢と共に船で出帆し、十字軍の艦隊でリスボン港のテージョ河々口を封鎖して、りスボンのイスラム軍(ムーア人)を攻撃しているポルトガル王アフォンソ1世の軍を救援、1147/10/24にリスボンが陥落したので上陸して東に向かいフランス王と合流しました。主要参加者がそれぞれ別々の思惑を持ってエデッサ伯国の救援におもむき、バラバラに行動したため、アッコに到達しダマスカスを攻撃はしましたが失敗に終わり、ほとんど成果を挙げられずに解散して帰国しました。 リスボン(ムーア人)の降伏
ポルトガル 1947 発行
・北方十字軍 Northern Crusades (1193〜1410頃)
(バルト十字軍 Baltic Crusades)
北方十字軍(バルト十字軍)はカトリックのデンマーク王、スウェーデン王、リヴォニア帯剣騎士団、ドイツ騎士団によって開始された十字軍のことで、北ヨーロッパおよびバルト海沿岸の異教徒に対して行われたキリスト教国の同盟による遠征でした。スウェーデンとドイツによるロシアの正教会に対する遠征もまた「北方十字軍」の一部と考えられています。つまり北方十字軍とは、西欧のゲルマン民族と東欧のスラブ民族との闘争の歴史の最初の局面という見方も有ります。スウェーデンとドイツによるロシアの正教会に対する遠征もまた「北方十字軍」の一部と考えられています。つまり北方十字軍とは、西欧のゲルマン民族と東欧のスラブ民族との闘争の歴史の最初の局面であったという見方も有ります。最初の遠征は聖地に対する第2回十字軍と並行して1100年半ばに着手され、16世紀まで不定期に継続されました。軍事作戦が教皇の呼びかけにより動機を正当化された騎士団と武装僧によって開始されましたのは、1193年のローマ教皇クレメンス3世がバルト海沿岸の異教徒に対する十字軍を布告したのが発端となりました。1199年アルベルト・フォン・ブクスへーフェンデンはブレーメン大司教によってバルト諸国のキリスト教化を行うよう任命され派遣された彼は、1200年にダウガヴァ川の河口にわずか23隻の舟と500人の兵士とともに上陸したが、彼の十字軍募集のための努力は結実し、続けてドイツから多くの兵士が送り込まれた。初期の十字軍は通常、春の間に戦うために到来し、秋には本国へと帰っていた。恒常的に軍を駐留させるためにリヴォニア帯剣騎士団が1202年に設立された。1201年のアルベルト司教によるリガの市場の開設は帝国から多くの市民をひきつけ、経済的繁栄を実現した。アルベルトの希望により、教皇インノケンティウス3世は、陸軍の徴募を一般的にするためにバルト海諸国に聖母マリアの名を捧げた。「マリアランド(聖母の国)」の名前は現存しています。そして、リューゲン島のリューゲン人などは1147年にデンマーク、後にザクセン公国、ポーランド王国によって征服されました。現在のフィンランド人は1154年にフィンランド南西部が、1249年ごろにタヴァスティアが、そして1293年にカレリアがスウェーデンによってキリスト教化されました。エストニアとラトビアとリヴォニアはドイツ人とデーン人によって1193年から1227年にかけて征服されました。リトアニアは1385年に公式にキリスト教に改宗しましたが、13世紀はじめから1316年にかけてドイツ人による教化を受けていましたが、ドイツ騎士団が1410年の「グルンヴァルトの戦い」でポーランド・リトアニア連合に敗れました。その他にクロニア人とセミガリア人や古プロイセン人やポラーブ人とアボトリテス人(Abotrites エルベ川とオーデル川の間の民族)などがキリスト教化されました。
・第3回十字軍 Third Crusade (1189〜1192)
「イスラムの擁護者」といわれたサラディンにより約90年ぶりに征服された聖地エルサレムをヨーロッパのキリスト教諸国が奪還するために、ローマ教皇グレゴリウス9世の呼びかけで開始されました。イングランドの獅子王リチャード1世、フランス王フィリップ2世、神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世が参加しました。フリードリヒ1世は1190年にキリキアで川を渡ろうとして落馬し甲冑が重くて溺死しました。あとを継いだイングランドとフランスの十字軍が1191年にアッコを奪還。その後フィリップ2世は帰国し、リチャード1世がサラディンと休戦協定を結んだことでエルサレム巡礼の自由は保障されましたが、聖地エルサレムの奪回はできませんでした。 リチャード1世
バーブダ 1970 発行
・第4回十字軍 Fourth Crusade (1202〜1204)
(破門された十字軍 Excommunication Crusade)
教皇権絶頂期の教皇として有名なローマ教皇インノケンティウス3世(在位:1198〜1216)の呼びかけで、第4回十字軍が起こされ、フランスの諸侯が中心に編成されました。ヴェネツィアは兵士・資財の輸送と1年分の食料調達を銀貨8万5千マルクで請け負いましたが、約束の船賃が6割しか調達できず、ヴェネツィアの商人に頼んで輸送料の不足分の費用を出してもらう代わりに、ハンガリーのザラ(現ザダルZadar、アドリア海沿いの海港都市)を取り戻してくれるなら船を出すと提案してきたので、十字軍士はやむを得ずこの条件を受け入れ、1202年にツァラの町を襲い占領して略奪を行いました。十字軍が同じキリスト教徒の町を襲ったという報を聞いた教皇インノケンティウス3世は激怒し、第4回十字軍士全員を破門しました。そして翌年1203年に東ローマ帝国の首都で難攻不落のコンスタンティノープルを十字軍はヴェネツィアの優勢な海軍力を生かして海側から攻撃をしかけると同時に陸上からフランス騎士隊が攻撃をかけ征服。この際十字軍側によるコンスタンティノポリス市民の虐殺や掠奪が行われました。略奪品は十字軍とヴェネツィアで折半されました。フランドル伯ボードゥアンが皇帝になりラテン帝国(1204〜61)を建国。内陸部の土地は主立った十字軍士に分け与えられ、ラテン帝国に対して、小アジアに逃れて抵抗したテオドロス1世を創始者として「ニケーア帝国」(1204-1261)が建国され、東ローマ帝国は一時消滅しました。ヴェネツィアはコンスタンティノープルの一部と多くの島々や沿海地域を手に入れ目的を果たしました。やむなく教皇は追認し、さらにエジプトからエルサレムを目指し遠征するよう要請しましたが、実施されませんでした。このように第4回十字軍は、本来の目的から全くはずれてしまい、まさに「脱線した十字軍」となり、東ローマ(ビザンチン)帝国を消滅させ、ヴェネツィアの商権拡大と諸侯・騎士の領土獲得欲のみを満足させる結果となりました。またこれによって東西教会の対立が深まり、十字軍に対する不信感はますます強まりました。東ローマ帝国はいったん断絶し、東ローマの皇族たちは旧東ローマ領の各地に亡命政権を樹立しました(東ローマ帝国は57年後の1261年に復活)。コンスタンティノープルの攻防戦についは十字軍と東ローマ軍とに詳しい歴史書が現存しています。
・アルビジョワ十字軍 Albigensian Crusade (1209〜1229)
1209年に南フランスで盛んだった異端アルビ派(カタリ派と同義、南フランスの都市アルビからアルビ派と呼ばれました)を征伐するために、ローマ教皇インノケンティウス3世が呼びかけた十字軍。 他の十字軍と同様、宗教的情熱と領土欲の両方により、主に北フランスの諸侯を中心に結成されましたが、南フランス諸侯の反撃の中で次第に領土戦争の色合いが強まり、最終的にはフランス王ルイ8世が主導して、王権の南フランスへの伸張に利用されました。独自の文化を誇った南フランスは20年に渡る戦乱により荒廃し、フランス王の支配下に入ることにより北フランス文化の流入を受けることになりました。また、アルビジョア十字軍後の1229年に異端審問制度が確立し、異端者との判決がくだされると火刑に処せられました。
・少年十字軍 Children's Crusade (1212)
少年十字軍は、第4回十字軍の後の1212年に説教師のアジテーションに感化され、神の啓示を受けたとするフランスのオルレアン地方の牧童エティエンヌが少年十字軍を説き、フランスにおいて呼びかけ、少年・少女が中心となって数千人の少年少女を集めて結成された民間十字軍。地中海までたどり着いたとき、船賃を持ってなかった彼らにマルセイユの船主が「殊勝な心がけに感じたので、聖地エルサレムまで、無償で船に乗せてやろう」と申し出ました。彼らは7隻の船に分乗してマルセイユを出帆したものの、そのうち2隻はサルデーニャ島付近で難破、残る5隻の船に乗った少年少女達がアレクサンドリアに運ばれ、千人を超える少年少女が十字軍ではなく奴隷として売り飛ばされました。なお、同じようなことはドイツでもあり、「ハーメルンの笛ふき男」の伝説のもとになったといわれています。
・第5回十字軍 Fifth Crusade (1217〜1221)
ローマ教皇主導で行われた最後の十字軍で、アッコン王国(エルサレム王国の後身)のジャン・ド・ブリエンヌらがイスラムの本拠であるアユーブ朝の本拠地エジプトの攻略を目指し、エジプト・カイロ郊外の海港ダミエッタ(Damietta、現ディムヤート)を1219/11に占領しましたが、カイロ攻略に失敗し占領地を返却して撤退しました。この頃、遙かアジアの彼方から謎のキリスト教国の王プレスター・ジョンが大軍を率いて十字軍を救出するという情報を聞き、彼らに呼応して挙兵したとも言われています。しかし現実にはその大軍が、後にヨーロッパ全土を震撼させるモンゴル帝国の来襲である事を彼らは知るよしもありませんでした。
・第6回十字軍(1228〜1229)・・・・・これを第5回(1228〜1229)とする説も有る。
破門されていた十字軍ともいわれ、ローマ教皇インノケンティウス3世は1215年の第4回ラテラノ公会議で新たな十字軍を提唱しましたが、その翌年に亡くなりました。インノケンティウス3世の支持を得て十字軍実施を条件に戴冠して神聖ローマ帝国皇帝となったフリードリヒ2世(在位1215-50)は、教皇から十字軍を派遣するように迫られていましたが出発しませんでした。グレゴリウス9世が教皇になると、すぐに実行するように強く迫り、フリードリヒ2世はやむを得ず出発しましたが、マラリアにかかり引き返しました。教皇はこれを仮病として破門しました。破門をもって脅されたフリードリヒ2世は1228年に聖地におもむきました。こうして始まったのが第5回十字軍です。フリードリヒはイタリアを出帆し、キプロス島をへてアッコに上陸して、アユーブ朝の内紛につけいり、外交交渉によってスルタンのアル・カーミル(1180−1238)と協定を結び、一戦も交えることなくエルサレムを回復しました。協定の内容はエルサレムは返還するが信仰上は共同統治とし、10年間の休戦を約束したものでした。教皇グレゴリウス9世は、カトリック教会を破門されたままであった皇帝フリードリヒ2世がエルサレムの王となったことを口実に、フリードリヒに対する十字軍を差し向け攻撃しましたが皇帝軍に撃退されたので、1230年にフリードリヒの破門を解きました。1239年に休戦が失効しマムルーク勢がエルサレムを攻撃して1244年に再占領しました。また、1239年から1240年にかけてフランスの諸侯らが遠征しましたが、戦闘は行わないまま帰還しました。
・第7回十字軍 (1248〜1254)・・・・・これを第6回(1248〜1254)とする説も有る。
第7回十字軍は、アル・カーミルの死後、10年の休戦後の1244年にエルサレムがイスラム側に攻撃されて陥落、キリスト教徒2000人余りが殺されました。西欧の反応は1187年時の陥落と比べて遥かに少なく、神聖ローマ皇帝でエルサレム王でもあるフリードリヒ2世はローマ教皇と対立しており、イギリスは内戦状態でしたので十字軍には関心を示しませんでした。当時のフランス王国は西欧一の実力を誇り、後に列聖されるほど信心深かった国王ルイ9世が母ブランシェや重臣の反対を押し切り1248年に単独で十字軍を起こしました。こうして第7回十字軍として、弟のトゥールーズ伯アルフォンス、アンジュー伯シャルル、アルトワ伯ロベールなど2万の軍勢を連れて海路でキプロスに到着しました。キプロスで現地諸侯らを集めて軍議を開き目的地を討議すると、ラテン帝国からはニケーア帝国の攻撃を要請され、アンティオキア公やテンプル騎士団からはシリアを攻めることが提案されましたが、ルイ9世はエルサレムを確保した上で維持するためにはエジプトを攻撃して占領することが必要だと判断しました。1249年6月にエジプトの海港ダミエッタを攻撃し占領しましたが、ナイル川の氾濫により6ヵ月間の足止めをくうことになりました。11月にカイロに向けて進撃を開始しましたが、マムルーク勢の将軍バイバルスの軍に敗れました。その後、マンスールを包囲しましたが、病や食料不足に苦しみ、1250年3月に包囲を解いて撤退を開始しました。ところが追撃してきたエジプト勢アユーブ朝サーリフ(サラディン2世)に包囲され全員捕虜となりました。解放交渉の途中にエジプト側でクーデータが起こり、アユーブ朝のスルタンが廃され、マムルーク朝が始まりました。マムルーク朝との交渉により、ダミエッタ等の占領地の放棄と、40万リーブルの身代金という莫大な賠償金を払って解放され、5月にアッコに向かいました。以降、ルイ9世はアッコを根拠地にして、マムルーク朝と同盟しシリアに勢力拡大を計ったり、東から来たモンゴル勢をプレスター・ジョンが創設した東方のキリスト教国と考えて、モンゴル勢と提携を試みたりしましたが、いずれも成果は挙がらず、1254年にフランスの摂政として留守を任せていた母ブランシュが亡くなった知らせを聞くとルイ9世はフランスに戻りました。
・第8回十字軍 EighthCrusade(1270/7〜10)・・・これを第7回(1270)とする説も有る。
フランスのルイ9世が再度出兵。ルイ9世の弟でシチリア王となっていた野心家のシャルル・ダンジューは、自己の勢力拡大のために、以前、シチリア王国の勢力内にあったが現在は自立しているチュニジアの征服を提案しました。チュニジアのサルタンは以前からキリスト教徒との付き合いがあり、キリスト教への改宗も考えているといわれており、ルイ9世はそれを支援しチュニジアを十字軍の供給基地にしようと考えました。北アフリカを攻めて、そこに十字軍の新しい拠点を築こうとして、1270年7月にチュニスに上陸しましたが、現地勢力の抵抗を受け、滞陣中に飲み水の劣化や暑さにより病気が蔓延しだし、8月にルイ9世が亡くなり、その他に娘婿のナバラ王テオバルド2世なども病で亡くなりました。シャルルと王太子フィリップ(フィリップ3世)は10月まで滞陣し、チュニジアとの貿易の回復、キリスト教徒の保護、賠償金等の条件で10月30日にサルタンと和睦しフィリップはフランスに戻り、これが最後の十字軍となりました。これより前、マムルーク朝(1250〜1517)は、アユーブ朝を滅ぼし、エジプト・シリアを領有し、1268年にアンティオキア公国を滅ぼし、1289年にトリポリ伯国も滅ぼしました。さらに十字軍の最後の拠点アッコも1291年に陥落し、シリア・パレスチナの地は完全にイスラム教徒の支配下に置かれ、この年をもって十字軍時代の終わりとなりました。
ヨーロッパ勢がエルサレムを確保した期間は1099-1187年及び1229-1244年ということになり、14世紀以後も十字軍は続けられましたが、オスマントルコが興隆したため全面的に失敗に終わり、以後は20世紀までイスラムの支配下に置かれました。第一次世界大戦終結の混乱期にフランスがシリアを占領し、第二次世界大戦終結の混乱期にイスラエルが建国されるまで、シリア・パレスチナの地は完全にイスラム教徒の支配下に置かれることとなりました。
・第9回十字軍 Ninth Crusade (1271〜1272)
東ローマ帝国を狙っていたシチリア王国と聖地回復を願うローマ教皇の夢を実現しょうとして、ルイ9世の弟でシチリア王となっていた野心家のシャルル・ダンジュー(1227-1285)は、甥のフィリップ3世を神聖ローマ皇帝につけ、コンスタンティノープルを征服し地中海帝国を築き、エルサレムを奪回するとしたものでした。そして1270年に新たに到着したイングランド王太子エドワード(エドワード1世)と共にルイ9世の死後にチュニスを出帆し、1271/5にトリポリに上陸、アッコへ向かい敗走(1271/12)し、モンゴル軍の援軍も到着(1271/5)と敗走(1271/12)して、イスラム税(マルムー朝エジプト、Mamluks in Egypt)の反撃で聖地回復に失敗し、エドワードはイギリスへ戻りました。フランス南部やイタリア北部に積極的な勢力拡大を行ない、ローマ教皇の支持を得てホーエンシュタウフェン家を滅亡させシチリアを征服し、さらには東ローマ帝国の征服と地中海帝国の建設を夢見たが、シチリアの晩鐘事件を契機に失敗に終わった。そしてシャルルは1282年の「シチリアの晩祷」事件後にシチリアを失いナポリへと退却しました。彼の失敗の理由は、性急過ぎたためとも、すでに時代がそのような汎ヨーロッパ的な帝国を望んでいなかったためだともいわれています。
・第10回十字軍 Tenth Crusade (2003/4/9 〜 ?)
第十回十字軍はアメリカのジョージ・ブッシュ(George Walker Bush, 1946/7/6生)第43代大統領が行ったイラク侵攻などの軍事行動のことです。歴史的な意味での十字軍になぞらえた名称で、2001/9/11の同時多発テロに関してブッシュ大統領が国家哀悼日に ”this crusade, this war on terrorism” と述べました。この言葉はヨーロッパやアラブ(イスラム勢)から批判され、発言を擁護する層は crusade というのは単なる討伐という意味であって宗教上の差別はないとしました。例えば第二次大戦時にアイゼンハワー将軍(Dwight David Eisenhower,欧州連合軍最高司令官 1890/10/14-1969/3/28 第34代米大統領)がノルマンディー上陸・侵攻日(D-デイ)の発表に際して ”The Great Crusade” という言葉を使いました。中東では不満が残りました。2002/9/7にカウンターパンチ誌にコラムニストのアレクサンダー・コーバーン(Alexander Cockburn)の記事「第十次十字軍」が掲載され、2003/12/4にニューズデー誌に政治評論家のジェームズ・ピンカートン(James Pinkerton)の記事が掲載され、その中で同氏はコックバーンの発言を踏襲して第十二次十字軍と(Twelfth Crusade)と呼びました。米国の侵攻を十字軍という単語で表すのは一般にピンカートンに始まるものとされています。日本も自衛艦隊による参加各国軍艦へのインド洋給油作戦を通じて参加していることは良く知られていますよね。
・十字軍とその影響
約200年(1096〜1272)の間に9回の十字軍が派遣されたことは、当然のことながらヨーロッパ世界に大きな影響を及ぼし、中世ヨーロッパ世界を大きく変化させることとなりました。特に経済面で、十字軍によって最大の利益を得た北イタリアのヴェネツィアやジェノヴァなどの海港都市がイスラム世界との遠隔地貿易(東方貿易)によって大きな利益を得て発展しました。またヨーロッパ内部でも遠隔地商業や貨幣経済が発展し都市が発達しましたが、これらが後の大航海時代へと続き、やがて北イタリアの衰退へとなっていきました。 07/12/12
・十字軍ごろのヨーロッパと地中海の事情、十字軍と共栄したイタリア都市国家。
西ヨーロッパでは、封建制社会のもとで農業の生産力が増大し、それを基礎にして手工業が 発達し、余剰農産物と手工業製品を取引しまた原材料を供給する商業が、いままでとはちがっ て広域的に展開されるようになる。10世紀末には、農村からの商工業の分離が進み、商業が 復活して都市が形成され、11世紀になると、地中海と北海・バルト海に遠隔地海商都市 がほぼ同時に育ち、2つの大きな海商圏が築かれました。ローマ帝国も、375年民族大移動でゴート人がローマ領に入ると、急速に衰退し始め、そ れに伴い、大規模であった海商活動はあっけなく姿を消し、11世紀、十字軍が活動するまで 停滞しつづけました。しかし海商活動がなくなつたわけではない。330年にコンスタソティヌス大帝が都に移したコンスタンチノープル(現在のイスタンブール)の東ローマ帝国が、東西貿易の限 られた中心地として残り、6、7世紀アラブ回教徒”イスラム”(サラセン)軍の攻撃に堪え抜くとその独占的地位が確立しました。しかし、アラブ人は名うての海賊(アラブ人にとっては海軍)で あったため、強力な海軍に守られた東ローマ帝国以外の船舶は地中海から締め出されました。東ローマ帝国も、ペルシア、アラブ、スラブ、トルコにあいついで侵略され、力を弱めて行き、ベネチアとジェノバといった都市国家が力を強め、軍艦の保護のもとで多数の商船を動かすようになりました。なかでも、ベネチアは1081年東ローマ帝国と通商条約を結び、東方物産をヨ ーロッパに供給する特権を獲得。地中海世界における回教徒の膨張も10世紀初めには ほぼ終り、11世紀に入るとヨーロッパは反撃に入り、国土回復“レコンキスタ”運動を始め る。その1つが、キリスト教徒の聖地エルサレム奪回の十字軍(1096-1270年の間に7回)でした。「十字軍は兵員輸送、物資補給のため多大な船舶を要し、またサラセン人の艦隊と闘うために戦艦と優秀な海上戦士とを必要としました。……ヴェニス、ゼノア、ピサは、代償の条件次 第では、輸送船および護送船を供給できる域に達しました。真の宗教をまもるという大義にもとづいてなされた彼らの奉仕には、報酬として単に貨幣ばかりでなく、「十字軍がサラセンからと りもどしたシリア諸港で通商を独占する特権が与えられたし」、「1203−04年、ヴェニス…… は第4回十字軍指揮者を説き伏せて、遠征の目的を『聖なる墓所』の奪回からコンスタンチノ ープルの攻略へ転ぜしめた」、「宗教的情熱と冒険精神と掠奪意欲とが奇好に混り合ってできた、かの俸大なる十字軍の遠征」が、ベネチアやジェノバを大海商国に押 し上げたのでした。イタリア都市国家の海商路は、「東方、すなわちエジプト方面、シリア・パレスチナ方面、ビザンチン方面に達する大規模な貿易ルート。この貿易路はヴェニス・ゼノアの船主に最も高価な貨物を提供しました。次に、西方ルート、この貿易路によって、……珍奇かつ高価な貨物がス ペイン、フランス、イングランド、フランダースに供給されました。次に、イタリー、スペイン、北アフリ カの諸港相互間に交叉する無数の貿易ルート、この貿易路では、ヴェニスの塩、ガラス製品、アフリカの金、皮革のごとき物産が交易されました。最後に、活発をきわめた沿岸航路および近海航路。これも充分に利益のあるルートであって、多数の小型船舶を就航していました」。このように、地中海海商はあいかわらず、東方物産を中心にした奢侈品が中心 で、イスラム海賊が徘徊するなかを、一発勝負の海商を営んでいました。
都市国家ベネチアが最強国となる。
だがイタリア都市国家は、どれも独力でアラブの海賊を鎮圧できる力はなく、そればかりか お互いに抗争しあっていました。商人は船主と契約するにあたって、乗組員に適切な武装をするこ とを要求し、さらに船団を組み、時には軍艦の護衛をつけて航海していました。海賊と闘うのはもと より、都市問が戦争に入ると、私掠許可状が発行され、敵国船に襲いかかりました。船主と商人 は、敵船に襲われた場合、その損害は共同で負担し、逆に敵船の捕獲物は共同で分配しまし た。ベネチアは、その商人や船主が外国の港で海商特権を獲得するため、戦争、抑圧、報復、差別、買収、肝計などあらゆる策術をめぐらしました。ベネチアはラグーナ(潟)に浮かぶ小国 ではあるが、貴族共和制を成功させ、13−14世紀ヨーロッパの最強国となりました。
1423年頃、ベネチア本土の人口は15万人でしたが、45隻の大型ガレー船に1万1000人、300隻の大型帆船(120トン以上)に8000人、3000隻の小型帆船(24−120トン)に1万7000人の船員が配置され、その他に船大工が1万6000人いたとされています。ベネチアはあげて海商に熱中していたし、そうせざるをえなかったのでした。そこで注目すべきことは、船員はベネチア人だけではなく、水夫は航路筋に当る現在のダルマチア海岸やギリシアの島じ まから集めていました。ベネチアでは海運経営が行われていましたが、最盛期もすぎた1255年ムーダと呼ばれる国有定期船隊を編成し、商人船主に航海用船あるいは定期 用船するようになりました。ベネチア商人は、個別の競争を行うが相互の規制に服することにも長け、それが成功の鍵となっていました。それ以外ジェノバ、ピサ、アマルフィといったイタリア都市の商人船主は、まとまりのない海商をつづけていたとされます。中世、地中海世界を支配したベネチアを中心としたイタリア海商都市も、15世紀、オスマン・ トルコが東ローマ帝国を滅ぼし、16世紀「地理上の発見」により海商圏が大西洋に移り、スペ イン、ポルトガル、オランダそしてイギリスが台頭し、それらが東方物産を直接に運ぶようになると、いやが上にも衰微せざるをえませんでした(引用おわり)
1190年のアッコン包囲時にリューベック、ブレーメンの商人が設立した病院が発端となり、1198年に騎士団となりました。その後、他の宗団を吸収して勢力を拡大。神聖ローマ帝国内でも多くの寄進地を得て、帝国の一勢力となりました。
1226年にポーランドのマゾフシェ公の招きを受けてプロイセン征服に着手。精力的な東方植民の結果、バルト海沿岸に騎士団国家を建設するに至りました。しかし、15世紀にポーランドとの戦いに敗れ、本拠地マリエンブルクと領土の西半分を失い、残りの領土もポーランドの宗主権下に置かれました。そして1525年に宗教改革を行い世俗のプロイセン公国に変わったため、騎士団本部は消滅しました。
しかし、南西ドイツにあった支部(バライ)はカトリックにとどまり、騎士団を存続させました。騎士団は1529年に帝国諸侯の地位を与えられ、バート・マーゲントハイムを拠点に活動しました。
1809年に騎士団領はヴュルテンベルク王国に併合され、君主としての騎士団の歴史は幕を閉じます。その後は設立当時の理念に立ち返り、慈善奉仕団体として今日も活動しています(本部はウィーン)。(管理人注:米国に留学する優れた頭脳は,殆どがローズ奨学金の名目の元,洗脳される。それはフルブライト留学生などである。ローズ奨学金が,受給者を決定する過程で,見込みのある学生に面接しているという話は嘘ではない。それはイルミナティの仲間になることでもある。この奨学金制度は,ワン・ワールドの必要性を教え込む。セシル・ローズは高位のフリーメイソンであり,昨年シェリダンの刑務所で面会したフリッツ・スプリングマイヤーによれば,ローズ奨学金の最初の受給者はエルサレムの聖ヨハネ団(マルタ騎士団)に属していた,エリス・ロビンズ卿であったことを考慮すると,この奨学金の意味がわかるであろう。
ローズ奨学金の日本版にロックフェラーの代理人『統一協会』のアジア平和婦人連合がある。下は元東大学長が文鮮明に賛辞を述べた言葉である。彼らがいかに莫迦で愚かであるか情けない限りです。明治天皇以来の天皇とガーター騎士団の関係などを知ることは一人の日本人として死ぬより辛いことなのです。幸せでいたいなら無智であり続けることです。731部隊って知ってるでしょ。731とはドアを7・3・1と二回繰り返し叩くフリーメーソンの合図なのです。731部隊は天皇の軍隊(郡司陽子「証言 731石井部隊」徳間書店)。昭和天皇の側近木戸幸一(内大臣)の著書「側近日記」東京大学出版会を読まれましたか?パールハーバー奇襲成功により日米開戦が伝えられると裕仁は小躍りして喜んだと♪ ヒットラー,ムッソリーニ,ヒロヒトのうちの一人は戦犯をまぬがれ『大嘗祭・おおにえのまつり』で神になった。(木戸幸一の側近日記は木下道雄侍従次長の『側近日記』とは異なります。
戦争と文学参照
この度、アジア平和婦人連合(会長・小山田統恵)の奨学金を受けられました46人の大学院の方々に心からお喜び申しあげます。(中略)大勢の留学生が日本にいるわけですが、その中で女性の数も増えています。そうしたたくさんの中から、限られた数の人を選ぶというのは非常に難しいのです。それぞれ小論文を提出してもらい、それで面接をしたのですが、甲乙つけがたく、選考に非常に苦労しました。(中略)学問・文化は世界の共通財産です。今アジアから多くの留学生が来日し、日本の文化や技術を学んでいますが、それはやがて、留学生たちの母国に繁栄をもたらすことになるでしょう。(中略)国費留学生には数に限りがあるので、日本の民間団体が留学生を援助することは非常に重要です。しかし、先進国としての役割は政府だけで果たせるものではありません。アジア平和婦人連合が、アジアの女子留学生を援助する制度を設置したのはすばらしいことです。どうかこの奨学金を受けられた皆様が存分に勉強され、そしておおいに成果を上げ、さらには世界の親善のために、りっぱな仕事をなさることを心から希望いたします。
▲林健太郎(元東大学長、元参議院議員、元国際留学生協会会長、勲一等瑞宝章)
こういう類の奨学金はローズ奨学金と同じで帰国後彼らは国会議員の秘書としてもぐりこみ議員を監視するのです。
その他,三つのイルミナティ学校がある。スコットランドのGordontown,ドイツのSalem,ギリシャのAnnavrightaである。クイーン・エリザベスのご主人フィリップ殿下も,Gordontownで学んだ。それはマウント・バッテン卿にそそのかされてのことであった。バッテン卿はフィリップの叔父であり,ロスチャイルドとは親戚である。バッテン卿は第二次大戦後,総督になっている。(このように姿を変えているのである)
ロスチャイルドのいた当時ドイツは300以上の小国があった。
Die Reichsstände im Jahre 1792(当時ドイツにあった小国リスト)
神聖ローマ帝国・ドイツ
上にヘッセン方伯領の地図がありますがロスチャイルドはヘッセン・カッセル伯爵の財産を騙し奪ることに成功しネイサン・ロスチャイルドのロンドンへ継承する。ネイサンは「ワーテルローの戦い」の偽情報で資産を2500倍に増やした。
ハザール王国の謎参照。
「ハザール王国」は7世紀にハザール人によってカスピ海から黒海沿岸にかけて築かれた巨大国家である。9世紀初めにユダヤ教に改宗して、世界史上、類を見ないユダヤ人以外のユダヤ教国家となった。
ロシア&ユダヤ闘争史参照
エドワード三世の宣戦布告
これぞ、エドワード三世が自らの正当性を主張してフランス王位を請求した、フランス王フィリップに対するの宣戦布告宣言だ!
エドワード、神の恩恵によりフランス、イギリスの王にしてアイルランドの支配者より、フランス王国の、その地所の全ての高位聖職者、貴族、公、伯、諸候、高貴なる者、庶民へ、これは誠の事実である。
よく知られた事実として、良き思い出たる我が主シャルル、以前のフランス王はフランス王国の領土内で合法的に亡くなり、私はここで述べた主シャルルの姉の息子であり、王の死後、ここで述べている王国たるフランスは、これもよく知られている通り、後継者の権利によって私に譲られるものである。更に、フィリップ・ヴァロア卿は我が主シャルルの叔父の息子であり、私の方が血筋が近いのに、私が若い頃に神と正義に反して力ずくで王国を奪い、不法にその地位を保っているのである。
私は今、善良に思慮深く成熟し、神と良き人々の中に我が信仰心を据え、前述の王国の政府の為にも我が義務として王位を奪還する。我々は彼が私に対する義務を実行することを望んで、丁寧かつ親切に接したが意志は確固としている。諸君が諸君の権利を否定することで私の意図を無に帰すことはない。なぜなら、我々は正義が行われることに、そして私の祖先たるフランスの聖王ルイの時代の良き法と慣習が再び取り戻されることに希望を持っているからだ。我々は貨幣の改悪や変更によって、強要によって、税の取り立てによって、我らが利益を追求して諸君の不利益になるようなことは望んでおらず、決して行わない。神に感謝するだけで我々の誠意を整え保つには十分である。我々も可能な限り、あらゆる特権や特許を緩和し、特に神聖なる教会を全ての力をあげて守護し、保持することを我が目標としたい。更に我々は、王国の経営に関わる活動を行う時、貴族や高位聖職者、高貴なる者、他の賢者などの良き助言に従い、前述の王国の良心に従い、不当な速度で、或いはわがままを満足させるためだけに、いかなる事も実行したり、着手しない。そして、私は再び言う。私の大いなる望みは私や良き人々を通して神が働きかけ、キリスト教徒、特に諸君の周囲に平和と愛がもたらされ、キリスト軍が急いで聖地へ行き、邪悪な者共から聖地を取り戻すことである。神の助けにより、我々はそれを熱望する。
そして、我々は前述のフィリップ卿に分別ある和平の提案を幾度がしたが、彼は嫌々我々へ同様の提案をし、我らの他の地で我らに対して戦争を始め、力でもって我々を撃ち破ろうとした。そこで、我々は我ら自身と我が権利を守る必要があった。我々は人々の死や貧困を求めない、むしろ我々は人々や人々の財産を保護することを望んでいる。
我らの善意と愛情ある希望と布告を理由に、我らへ最愛にして誠実な民として接する前述の王国のあらゆる状態の全ての人々は神と我らに正義があると考え、それによって私を正統な王と認め、そして現在から次に来るイースターの祭日の間に我らの和平を受け入れ、我らの特別な保護と守護を受け入れて我らに対する義務を果たし、以前我らに抵抗して様々な方法で失った物品や怪我を除いて、自身の動産や不動産を完全に享受できるだろう。我らは、我らが実行可能な分別をわきまえたあらゆる方法で諸君を保護し、守護することを望んでいる。
そして、上で言ったことは諸君達一人一人へ通達することは容易にはできないので、我らは布告を公開し、教会のドアや他の公共の場所にこれを表示する。それで全ての注目を集めさせ、我らに誠実な支援者を安心させ、我らに対して反乱を起こしている者に恐怖を与える。そこでこの事について知らぬ者が将来に渡って無きよう懇願するものである。
フランスにおける治世初年度、イギリスにおける治世14年目(1340年)の2月8日にヘントで布告するものなり。
「Clifford.J.Rogers編 The Wars of Edward III BOYDELL 1999」80から81頁より翻訳
ヘンリー五世の最後通知
1415年3月にイギリス王ヘンリー五世がフランス王シャルル六世に突きつけた最後通知である。早い話が宣戦布告のようなもんだ。
原本の破損が激しく全体の再現はできていないようだ。
この文にでてくる「親類」ちゅっうのがフランス王シャルル六世を指すようだ。使者が述べる形になっとるからヘンリー五世は「主」と記されている。
我々は、最初にフランスの従兄弟からフランスの王冠と王国を、それに付随するあらゆる権利と付属物と共に、我らが親愛なる主たる王へ確実に返却し、引き渡す事を求めた。そしてその直ぐ後、フランスの我らの親類の代行者や代理人が確実な抗議の下でうまい交渉して素早く結論を出し、全ての提案を拒否した事を本当だと思うので、我らは別の提案を差しのべた。我らは少なくても前述の親愛なる我らが主へフランスの王冠に加えて主に属する他の権利や相続分、主権を返し、主の親類に代わって以下を保留する事を求めた。
ノルマンディ公領の忠誠の誓いと優先権と主権。
トゥール公領と、アンジュー、メイン伯領の忠誠の誓いと優先権と主権。
ブルターニュ公領の忠誠の誓いと優先権。
フランドル伯領と領国の忠誠の誓いと優先権。
そして前述のフランスの親類と他が主に代わって現在留め置いているアキテーヌの一部の全て。
そして他の全ての公領、伯領、主権、町、地所等々、イギリスの以前の王エドワードと彼のフランスの兄弟ジョンの間で良き記念として結ばれた和平条約で前述のエドワードに帰属した物....そして更に....我々はソンムとグレーブライン川の間にある全ての城、町、拠点、主権等々を要求する。
そして我々の親愛なる主と主の相続人は前述の全ての自由を保ち、主や主の後継者からどのような方法であれフランスの親類やその後継者に代わる優先権の主張やアピールが行われることなく隣人の如く穏やかにいきたい....
我々は要求する....世襲権により主に帰属するプロバンス伯領の半分をボォーフォールとノジャンの城と主権と共に、我らが主たる王へ確実に委譲せよ。
我ら、前述の使者は百六十万クラウンを要求する。二人はイギリス貴族一人に匹敵する。前述の前王エドワードへ支払わなければならなかった素晴らしき記念たる前王のフランスの兄弟ジョンの身代金がまだ支払われていないので、我らが主たるヘンリー王へ確実に引き渡すべし....そして我々は我らが親愛なる主たる王と神の祝福により結婚し結びつくキャサリン嬢の持参金として二百万クラウンを要求する。
「David.C.Douglas編 English Historical Documents 1327-1485 Vol.4 EYRE&SPOTTISWOODE 1969年」209頁より翻訳<上の英仏の大喧嘩より>昔の人たちは面子が大切だったのかな?お後がよろしいようで。
ここにオルタ通信の記事の訂正をしておいた。読売新聞情報部の下請けではなく実際に英国公文書館に足を運ぶなり直接FEMA CAMPなども見なければ説得力はない。ありもしない天皇家の人身売買まで言及して彼が逮捕されないのはイルミナティは少数派でイルミナティ陰謀論は存在しないと偽装する「読売=JCIA」の構図のためでもある。上の訂正記事を読めば彼が読売からファックスされてくる程度の極めて低い原稿をそのままボロアパートの一室でブログに書いている姿がよく分かるであろう。わずかばかりの金をもらって。
拙稿:やくざとちんぴらが参照
『日本と300人委員会とについては興味深い関係が明らかになっている。デンマーク国王フレデリック9世(ノルウエー国王ハーコンの支援を受けた)とイギリス国王ジョージ6世,オランダのウイルヘルミナ女王,ルクセンブルグのシャルロッテ大公妃が,<昭和天皇を戦争犯罪人として逮捕あるいは裁判にかけないように要請した>というものだ。しかし,おそらくは戦争犯罪人として処刑されたであろう昭和天皇を救ったのは,ガーター騎士団の力だった。女王エリザベス2世は故昭和天皇と緊密な関係を維持していたし,現在もその家族と親しくしている』<ジョン・コールマン著300人委員会より453ページ>
その結果1972年に日米欧委員会(現三極委員会)が設立され日本はイルミナティ体制の一員となる。その代理人であるカルト団体「統一協会」によって日本はCIAの前身OSSによって指摘されたように「ヒステリー症状」はさらに悪化している。
H・Gウエルズは透明人間などSF小説も多く書いたが,トインビーの「歴史の研究」と並ぶOUTLINE of HISTORY(世界文化史)は素晴らしい。チャップリンの「MY AUTOBIOGRAPHY」を読むとH・Gウエルズとの交流の様子が書かれている。
ジョン・コールマンは元MI6のエージェントであるがウエブスター・タープレーが三極委員会の影の広報部長ならコールマンは300人委員会の影の広報部長である。かつてはH・Gウエルズがその役目を引き受けていた。コールマンの限界は300人委員会まででありその上の組織に触れることはない。それによって命がつながっているのであろう。300人委員会は会社で言えば「常務会」のような組織であり実際に機能しているのかははなはだ疑問である。しかし天皇家とガーター騎士団とのつながりが『日本四分割』を防いだ可能性もある。
ソ連の日本分割統治案参照
目標二万ポンドに対してまだ3000ポンドです。ぜひご支援にご協力ください。ポパーの言うように『他人に依存して幸福でありたいという誘惑に駆られず,われわれの十字架すなわち人間らしさと理性と責任の十字架を担うという課題にしりごみせず,,勇気を失わず圧迫にたじろがないならば,そのときにはわれわれは目の前にある単純な決定を明瞭に理解出来る』。あなたの勇気と愛と寛容さと厳しさを待っています。あまり時間がありません。なお,ご支援いただいてパス・ワードがまだの方はメール下さい。GOD BLESS YOU!
2009/1/12
"YOU ZIONIST ARE A DEN OF VIPERS AND THIEVES. I INTEND TO ROUT YOU OUT, AND BY THE ETERNAL GOD I WILL ROUT YOU OUT."A MAN OF THE YEAR 2009 WILL-BE .
Is this man pretending Andrew Jackson? Is he insane or not? However this man seems to save the World alliancing with Christopher Story.This man with Cisco Wheeler ex-ILLUMINATI a Mothers-of-Darkness cannnot be a DEAD MEAT WHATSOEVER,can he!「WOW」
シオニズムを批判するユダヤ人たち参照
リチャード・コシミズなる人物がかつてマラキ・コーエンを名のる「ユダヤの宣伝大臣」からYahooMailで「500万ユダヤドルで手を引け」という連絡があったそうだ。実は管理人も待っているのだがいっこうに来ない。ユダヤの最高意思決定機関「KEHILLA」を暴露したにもかかわらずだ。
アルバート・パイクは、1857年に秘密結社イルミナティの最高幹部(最高位33階級)にまで登り詰め、「黒い教皇」と呼ばれるようになった。(彼は「KKK」の創始者でもある)。彼が1871年に、イタリア建国の父であるジュゼッペ・マッチーニに送った書簡(手紙)には、予言ともいえる恐るべき「未来計画」が書かれていた。
それによると、まず、「世界を統一するために今後3回の世界大戦が必要だ」と書いてあり、「1回目はロシアを倒すために、2回目はドイツを倒すために。3回目はシオニストとイスラム教徒がお互いに滅し合い、いずれ世界の国々もこの戦争に巻き込まれ、それが最終戦争に結びつくだろう」と書かれていた。
「第一次世界大戦は、ツアーリズムのロシアを破壊し、広大な地をイルミナティのエージェントの直接の管理下に置くために仕組まれることになる。そして、ロシアはイルミナティの目的を世界に促進させるための“お化け役”として利用されるだろう。」
「第二次世界大戦は、『ドイツの国家主義者』と『政治的シオニスト』(パレスチナ地方にユダヤ人国家を建設しようとする人々)の間の圧倒的な意見の相違の操作の上に実現されることになる。その結果、ロシアの影響領域の拡張と、パレスチナに『イスラエル国家』の建設がなされるべきである。」
「第三次世界大戦は、シオニストとアラブ人とのあいだに、イルミナティ・エージェントが引き起こす、(管理人注:偽装された)意見の相違によって起こるべきである。世界的な紛争の拡大が計画されている……」
「キリストの教会と無神論の破壊の後、ルシファーの宇宙的顕示(注:=楽園喪失・セイタンの言葉参照)により、真の光が迎えられる……」
共産主義と新世界秩序
パイクの『MORAL AND DOGMA」の邦訳はありませんが読まない方がよいでしょう。
セイタンは、地獄に落とされてから次のように言います。
心は心がけ次第。それ自身の内で
地獄も天国となり、天国も地獄となる。
己が己である限り、何処にいようと
何者になろうとかまわない。俺と奴との差は
雷の分だけ奴が上回るにすぎない。ここなら
俺たちも自由だ。全能者がこんな所を、妬むために
建てるはずがないから、ここを追い出されることはなかろう。
ここなら俺たちが安全に支配できる。自分が選んで
支配するのは、地獄でもやりがいのある仕事。
地獄に君臨するほうが、天国で奉仕するよりはましだ,と。
(1巻254ー63行)
ミルトンの失楽園とルシファー
(管理人注:) W. Gray, The Hidden Civil War (1942); F. L. Klement, The Copperheads in the Middle West (1960)を読むとKnights of Goldden Circle は反リンカーンのCopperheadsの秘密結社であり1863年にはOrder of the American Knightに,1864年にはOrder of the Sons of Libertyになっているがどうもその裏には英国王室(とロスチャイルドファミリー)がいたようだ。その結社はCPUSA(米国共産党=Jesuit=DVD)と名を変えているのかもしれません。リンカーンが就任演説で使用した『リンカーンバイブル』がオバマの就任式で使われる意味は深い。気をつけた方がいいだろう。
DVD・German Black Intelligenceの関連団体
Divide and Conquer:The Anglo-American Imperial Project(Click Here)
上に出てきます「アメリカの防衛再建計画・PNAC全文・PDF参照」
U.S. President John F. Kennedy issued $2 United States Note NOT a Federal Reserve Note
リンカーン,ケネディを暗殺したのは同じ筋である。
Above - looking southwest at the southern end of the Dead Sea
ジョン・マーティン作「ソドムとゴモラ」ソドム(ヘブライ語 סדום、英語 Sodom)とゴモラ(עמורה、Gomorrah)は、旧約聖書の『創世記』に登場する、天からの硫黄と火によって滅ぼされたとされる都市。後代の預言者たちがソドムとゴモラに言及している部分では、例外なくヤハウェの裁きによる滅びの象徴として用いられている。
ソドムの罪については、『エゼキエル書』16章49-50節において、多くの点が指摘されている。古来、『創世記』19章前半、特に19章8節のロトの提案内容から推察して、甚だしい性の乱れが最大の原因であったとする見解が一般的である。ただし同性愛が罪でないと主張するリベラル派教会では「ソドムの罪」を男色だとする説は今日では全くの謬見であることが証明されたとされる。
(管理人注)お前の妹,ソドムの罪はこれである。彼女とその娘達は高慢で,食物に飽き安閑と暮らしていながら,貧しい者,乏しい者を助けようとしなかった。彼女達は傲慢にも,わたしの目の前で忌まわしいことを行った。そのために,わたしが彼女たちを滅ぼしたのは,お前の見た通りである。また,サマリアは,お前の過ちの半分も過ちを犯さなかった。お前は彼女たちよりも多くの忌まわしいことを行った。お前が行ったすべての忌まわしいことに比べれば,お前の姉妹は正しい者のようにさえ見えた。<エゼキエル書16:49〜50>
イルミナティ(ルシファーを崇拝する悪魔主義者)が人類の2/3を殺し1/3で世界統一政府をつくる話はゼカリア書13章からくる。「その日,ダビデの家とエルサレムの住民のために,罪と穢(けが)れを洗い清める一つの泉が開かれる...........剣よ,起きよ,わたしの羊飼いに立ち向かえ わたしの同僚であった男たちに立ち向かえと 万軍の主は言われる。羊飼いを撃て,羊の群れは散らされるがよい......。この地のどこでもこうなる,と主は言われる。三分の二は死に絶え,三分の一が残る。この三分の一を私は火に入れ 銀を精錬するように精錬し 金を試すように試す。彼がわが名を呼べば,わたしは彼に答え「彼こそわたしの民」と言い 彼は,「主(注:ロスチャイルド)こそわたしの神(注:ダヴィデ)」と答えるであろう,と。 イルミナティというオカルトの考えは「悪魔の狂気の論理」以外には全く論理的基盤を持っていない,とは元イルミナティ11位階の人の話です。今日残っているパリサイ・ファリサイ派の中でも敬虔主義者のエノク書,ソロモン詩篇,モーセ被昇天はいずれも旧約外典となったが特にエノク書が外典になったため聖書はダヴィデ崇拝となった。
これはヒットラーに誰が融資したかの解明図ですがこれは英国公文書館にある資料ですから公式な文書と思われる。
ヒットラーの祖父に関しては「もしもソロモン・ロスチャイルドが....」参照
上の図はここから。左下にあるBISの説明はここから。
H.G Wellsは1940年その著書「The New World Order」の中で,「世界の社会民主主義体制を築くには困難を伴い,それが実現するまで多くの遅れ,失望があるだろう。数え切れない多くの者たちにとってNWOを憎み,それに抗議して死ぬであろう。彼らの人間としての見込みを評価するに当たって,彼らは一見,婦人に対しては丁重であり,情けが深く見えるが,苦悩,現状の不満に満ち満ちていることを忘れてはならない」と。
では連邦準備制度理事会(FRB=Federal Reserve Board)とは一体なんであろうか。日本語で連邦と日本の新聞は書いているがFederal Express同様なんの意味もない。1913年12月の月曜日に米国議会は、下院282対60,上院43対23で「連邦準備法案」を可決した。いわゆる米国の中央銀行の設立である。チャールズ・オーガスタス・リンドバーグ・シニア下院議員ら真の愛国者たちの必死の努力にも拘らず,この法案は可決された。ドル発行の独占権を所有する民間銀行であり,利率と貨幣の流通量の管理権を握っている。政府・議会・大統領のコントロールは不可能であり,独立筋からの会計監査もない。
FRB株主は民間団体である。即ち,国民の声は全く届かない構造になっている。現在の貨幣制度の中で利率と貨幣流通量の決定権を持つということは,国の経済の基底を掌握するということである。貨幣流通量を増やすと株価は上昇し,その後急激に締め付けると大暴落する。1929年の大暴落はFRBの仕組んだものである。
「かの勢力」はFRBを使って早速米国の景気操作を始めた。1920年頃からの異常な株価上昇と,それに続く1929年の株価大暴落である。そしてこの大恐慌を通して,「かの勢力」はその金融基盤を一層確固たるものにした。すでに,英仏を手中にしていた彼らはこうして,米国をも手中に収めた。英仏といっても英国の盟主はロスチャイルドであり米国はこの英国に属する。この法案成立時の大統領はウッドロー・ウイルソンであるが,彼は「かの勢力」の完全な操り人形であった。
英国ピューリタン革命だってそうだったし,フランス革命だってそうだった。ロシア革命もヤコブ・シフによって資金援助された。米国は幻想の国なのだ。
連邦準備制度理事会(FRB)に対するコントロール
唯一,FRBの議長は大統領が任命することになっている。この任命権は,FRBが完全に独立した民間機関であることをカモフラージュする以上の実質的な意味はもっていない。
BIS:国際決済銀行(Bank for International settlement)
中央銀行の協調を促し,また国際金融操作に一層の便宜を与え,国際金融決済に関する実行機関ないし委託機関としての役割を果たすことを目的とする特殊な銀行組織。
1930年に第一次世界大戦後のドイツの賠償処理を主目的として設立。日本は1970年正式メンバーとなった。本部はスイスのバーゼル。
SWIFT:国際銀行間通信協会(Society for Worldwide Interbank Financial Telecommunication)
1973年5月欧米15カ国239機関が設立したブリュッセルに本部を置く非営利機関。現在は,日本の42銀行を含む44カ国,約1000の金融機関を結ぶ。コンピューター・ネットワーク を通じて,顧客送金,外貨資金売買,為替手形取引,信用状等の国際間のインター・バンク取引に関する指図を処理している。現在は決済機能はない。
SWIFTの本来の目的は,将来の「世界統一通貨制度」の下での地球規模的金融オンラインシステムである。いずれSWIFTは決済機能を持ち,その本当の姿をみせるであろう。
General Jackson said this about the 2nd Bank of the U.S. which was re-chartered in 1816:(BANK OF ROME参照)
"YOU ARE A DEN OF VIPERS AND THIEVES. I INTEND TO ROUT YOU OUT, AND BY THE ETERNAL GOD I WILL ROUT YOU OUT."
Andrew Jackson将軍は英雄であった。「お前達のような<たちの悪い野獣のような泥棒ども>は引きずり出し壊滅させてやる」と。
前の記事からの続きですがハマスの場合もアル・カイダ同様どこの誰が資金援助してさらにロンドン筋のMI6が絡んでいることは明白であるが知る人は少ない。それもそのはず諜報機関というのは『箱の中の箱,そのまた箱の中の箱......』というようにまず分からないような仕組みになっている。以下はごく当たり前なWikiによる解説である。PLOは本物であり当時のヤセール・アラファトはHamas Are Sharon's Childrenと言っている一言につきる。実際ハマスの戦闘部隊は傭兵やイスラエル兵がほとんどであるのも事実だろう。
その辺の詳しいことが写真入りで「四つの目で考える」にあったので参考にされるとよいでしょう。
(国際)テロ組織など存在しない参照
「9-11は嘘八百に基づいている。それは誤算だったのではなく、国家反逆罪だったのだ」("9-11 is based on a pack of lies. It wasn't misjudgment; it was treason." by Robert M. Bowman)
─ロバート・M・ボウマン 元アメリカ空軍中佐
「国際テロリズムは存在しない。9-11攻撃はでっち上げられたものだ。われわれが目にしているのは巨大な権力によるごまかしであり、それなしにこのテロリズムは存続しえない」("International terrorism does not exist and that the September 11 attacks were the result of a set-up. What we are seeing is a manipulation by the big powers; this terrorism would not exist without them." by General Leonid Ivashov)
例えば「プロパガンダ七つの情報操作のように.......」
─レオニード・イワショフ 元ロシア陸軍参謀総長
「実際には、イスラム軍もアルカイダと呼ばれたテロリスト・グループも存在しない。これは情報に精通した諜報部員なら誰でも知っている。しかし、対テロ戦争という名目で一丸となった国際的リーダーシップを受け入れるよう、テレビの視聴者を駆り立てるためにのみ象徴的に実在化させた“悪魔”を大衆に信じ込ませるプロバガンダ・キャンペーンは存在する。(管理人注:タヴィストックによる大衆扇動)このプロパガンダの背後にいる国こそアメリカ(管理人注:英国が正解)であり、米国の対テロ戦争におけるロビイストたちの関心事は金もうけだけだ」("The truth is, there is no Islamic army or terrorist group called Al Qaida. And any informed intelligence officer knows this. But there is a propaganda campaign to make the public believe in the presence of an identified entity representing the 'devil' only in order to drive the 'TV watcher' to accept a unified international leadership for a war against terrorism. The country behind this propaganda is the US and the lobbyists for the US war on terrorism are only interested in making money." by Pierre-Henri Bunel)
─ピエール=アンリ・ビュネル 元フランス軍諜報部将校
以上Gealous Gayより
America's War on TERRORISM
Black Water USA
Black Waterの創業者Erik Prince
“Blackwater is a company that began in 1996 as a private military training facility in — it was built near the Great Dismal Swamp of North Carolina. And visionary executives, all of them former Navy Seals or other Elite Special Forces people, envisioned it as a project that would take advantage of the anticipated government outsourcing.
Well, here we are a decade later, and it’s the most powerful mercenary firm in the world. It has 20,000 soldiers on the ready, the world’s largest private military base, a fleet of twenty aircraft, including helicopter gunships. It’s become nothing short of the Praetorian Guard for the Bush administration’s so-called global war on terror. And it’s headed by a very rightwing Christian activist, ex-Navy Seal named Erik Prince, whose family was one of the major bankrollers of the Republican Revolution of the 1990s. He, himself, is a significant funder of President Bush and his allies.”
Communism and NWO参照
CPUSA(米国共産党)からCatholicへ
Balkanizationとは?
Balkanization is a geopolitical term originally used to describe the process of fragmentation or division of a region or state into smaller regions or states that are often hostile or non-cooperative with each other。
戦争の影には常に......
イラクでのBlack Water VIDEO
レオ・サガミ(37)によると、イルミナティは、戦争、テロ、そして経済的崩壊にかこつけて、2012年までに西側をナチ化し、神を信仰する者たちをすべて迫害する計画をしている,と。
Nazification of AMERICA参照
窓の外はイスラエル市内。
ここの恐ろしい映像はガザ市民ですがなぜか兵隊は巻き込まれていません。なぜでしょう?それはイスラエル兵や英国からの傭兵がハマスになりすましているから標的をあらかじめ外しているのです。あるいは爆弾をガザで仕掛けているのかも知れません。ハマスからイスラエルへのロケット砲もそうです。イスラエルではわずか数人しか犠牲者が出ていない。
世界中を震撼させたあの「9.11」の出来事など、これから起こることに比べればまだ驚くに足りない。<ロックフェラーのアジェンダより>だってさ(爆)。
偽テロはPlagiarism(剽窃行為)と呼び『神の名の正義のもとで殺戮が行われる』。
写真のソースはここから。
イラク,アフガニスタン,ガザでも英国のMI6やBlack Waterの工作員が多数入っている。
英国のハート・セキュリティという傭兵派遣・訓練専門会社 (Mercenary-hired troop)はIDF(Israel Defence Force)とモサド,MI6と共にSAS(英国空挺部隊)などでも訓練を受けた傭兵をHAMASの一員として派遣しているのです。イラクなどでの残虐行為は米兵ではなく彼らの仕業です。フランス外人部隊(French Foreign legion)の傭兵もそこで訓練を受けております。
傭兵は高い契約金と給料のため今でも志願者が多いのですが任務が終わった帰りの道中で半分以上が殺されている(ここをクリック)という現実もあることを忘れないほうがいいでしょう。
英国の傭兵会社の傭兵がイラクで無差別に発砲するビデオ・ダウンロード約1分
Bush's Shadow Army・Blackwater
バルカン半島化の意味するものを考えよう
憎しみのバルカン・戦争を利用する人々
田中宇氏の論評
ツイッピー・リヴニはモサド出身?
コリン・パウエルはかつてこう言った
Mr. Powell said Mr. Qureia could help the situation by confronting militant groups like Hamas and Islamic Jihad.
Balkanizationの前後のユーゴスラビア
東西ローマ帝国の境界線は,旧ユーゴスラビアの真ん中を通っていた
ムンバイのテロもバルカン化であるとする主張
NHK解説委員による頓珍漢な解説。そういえば15日のBS1でビン・ラディンの声明文をやっていましたね。まだ生きているという前提で。
まだやっているCNNのビン・ラディン・ビデオ♪
ハマース(حماس、Ḥamās)は、パレスチナのイスラーム主義団体で、パレスチナ解放運動の諸派のうち、いわゆるイスラーム原理主義の代表的な組織、あるいは政党(野党)である。1987年12月14日、ムスリム同胞団とイスラム・ジハードのパレスチナ支部に基づき、アフマド・ヤースィーンによって創設された(文化・啓蒙組織として、イスラエルにより公式登録)。日本の報道などでは「ハマス」と呼ばれる事が多い。
正式名称はイスラーム抵抗運動(حركة المقاومة الاسلامية、Harakat al-Muqāwama al-Islāmīya)といい、各単語のアラビア文字の頭文字ح(Ḥ)、م(M)、ا(Ā)、س(S)を取ってحماس(ハマース、アラビア語で「熱情」という意味)と通称される。
アメリカ合衆国、欧州、サウジアラビア、ヨルダン(1999年にヨルダン当局により閉鎖。2008年再開)、シリア、レバノン、イラン等に支部や支持団体を有する。シリアとレバノンには、教育キャンプが存在する。
1980年代の第1次インティファーダ時代に、ヤーセル・アラファートのパレスチナ解放機構(PLO)と一線を画した民衆レベルでのイスラエル抵抗運動を組織、パレスチナ解放運動を広めた。
イスラエルは、当初はPLOに対抗する勢力となることを期待し、密かに援助したこともあった。PLOとハマースは敵対していたからである。ハマースは教育、医療、福祉などの地道な活動でパレスチナ人への支持を広げていった。
1990年代にはPLOが進める中東和平に反対した。和平がイスラエル側の推進者イツハク・ラビンの暗殺をきっかけに崩壊に向かった後、2000年、右傾化したイスラエルによってパレスチナへの圧力が強まるとその抵抗運動の中心組織となり(第2次インティファーダ)、自爆テロ(Suicide bombing,直訳すると「自爆攻撃」だが、日本の報道では「テロ」と訳されることが多い)を犯し、多数のイスラエルの兵士・入植者に加えて一般市民を多数殺傷してきている。
こうしてイスラエル当局側は、PLOに代わってハマースを抑えこむ政策を取り、2004年3月22日、創設者のアフマド・ヤースィーン師が、彼の暗殺を目的としたイスラエル軍ヘリの攻撃により殺害された。翌日最高幹部のひとりアブドゥルアズィーズ・アッ=ランティースィーが後継者を宣言したが、同年4月17日にイスラエル軍ヘリの攻撃を受け暗殺された。
イスラエルや欧米側からは、ハマースは自爆テロ(管理人注:これはCIA,タヴィストックによるマインド・コントロールによるもの)ばかりやる過激な連中であるという印象が広まっているが、パレスチナ住民にとっては、機能不全に陥っている自治政府にかわって、貧困層のために病院、孤児院、学校などの経営を行うといった医療・教育等福祉をおこなっている自助組織の意味合いが強い。 そういったこともあって、ハマースは、2004年12月から行われたパレスチナ地方議会選挙においては過半数の議席を獲得した。
また、2006年1月のパレスチナ評議会選挙でも貧困層を中心に支持を広げ、76議席と過半数の議席を占めるなど圧勝した。3月29日、ハマースのイスマイル・ハニーヤが首相となり、パレスチナの政権参加を果たした。これにより、中東和平プロセスは重大な局面を迎えた。
アメリカ合衆国やEUや日本などの先進国ではハマースが主権を握ったことについて中東和平の弊害になると思われている為、非難している。これらの各国はパレスチナへの援助を差し止めた(7月、日本は世界食糧計画などを介した形で再開)。
しかし、国際連帯運動(ISM)、パレスチナ・メディア・ウォッチ の活動家パトリック・オコナーによると、ハマースは政権参加後、おおむね停戦を守っていると指摘。2000年から2006年11月3日までの、パレスチナ側とイスラエル側の犠牲者数の比率は39:10である。しかし、2006年は258:10で、3月のハマースの政権参加後に限ると、762:10にまで差が広がったという。にもかかわらず、米国やそのマスコミは一方的にハマースを非難し続けていると批判した。
ハマースはヤースィーンとランティースィーが相次いでイスラエル軍に殺害されたため、次のリーダーを安全のために公表しなかった。 しかし、2005年9月3日に軍事部門の司令官達を公表した。このトップにいるのが、ムハンマド・ディーフである。
事実上の最高指導者は、ハマース政治局長のハーリド・マシャアル。1997年、イスラエル諜報特務局に毒殺されかけたことがあるが、ヨルダンが国交断絶をも視野に入れて解毒剤をイスラエルに要求したため、一命を取り留めた。その後ヨルダンを追われたが、パレスチナには入らず、シリアに逃れた。2007年5月21日、イスラエルのアビ・デヒテル警察長官(警察相)は、「見つけ次第、軍は彼を片づける」とマシャアルの暗殺実行を公言した。
また、デヒテルはハニーヤ首相についても、「(イスラエルに対する)攻撃命令を出している者の中にハニーヤが連なっているならば、彼も正当な(暗殺の)標的となる」と述べた。
2007年6月12日、ハマースはガザ地区の武力占拠に及び、ファタハとの挙国一致内閣は崩壊、事実上内戦状態に突入した。また、イスラエルはハマースの議員を40人以上拘束し、評議会での活動を事実上マヒさせた。
同年7月、ハマース配下にあるTV局がイスラエルに抵抗することを呼びかけるミッキーマウスに酷似したキャラクター「ファルフル」が登場する子供向け番組の最終回が放送され、その中で「ファルフル」がイスラエル当局者に扮した男に暴行される映像が流された。「視聴者の子供に悪影響を与える」としてイスラエルが抗議声明を出している。
政権の座から追われた現在も、評議会では依然過半数を握っている。そのためファタハ側は評議会を開会せず、非常事態宣言を根拠に組閣している。ハマース側は「ハニーヤ内閣こそ正当政府」として、ガザでは単独で自治政府を運営して、内閣を組織しているが、イランやシリア以外の国際社会が、いち早く西岸のファタハ単独内閣を承認したため、現在は孤立しているのが現状である。 また、連立政権時代は自制していたカッサーム・ロケット砲によるイスラエル領内への攻撃も再開したため、イスラエル軍によるガザ攻撃を招く口実を与えてしまっている。2008年にイスラエルとの休戦に合意した。
しかし、2008年末にイスラエルの侵攻により休戦協定は崩壊。2009年1月1日はハマース創設者の一人で、ガザのハマース指導部のメンバーでもあるニザール・ラヤーンがジャバリヤ難民キャンプにある自宅に居たところをイスラエル軍に空爆され、死亡した。こうしたハマースの強硬一辺倒の態度に対して、かつて連立政府の報道官を務めたガーズィー・ハマド氏は現在のハマース指導部の対応を批判する文書を発表している。
シャリーアに基づく統治を目指しているため、当然のことながら現代国際社会において要求される水準の人権のうち、いくつかに対して反対しており、とりわけ同性愛者には敵対的である[3]。このためイスラエルによるパレスチナ強占に反対している国際社会の知識人であっても、ハマースに対する危惧が存在している。
合法部門
ハマースは、当局の干渉を避けるために、4つの独立的な部門に分かれている。
ダヴァフ:インフラ拡張、メンバーの募集、宗教裁判、資金調達及び配分
街頭行動の組織・調整部門
アマン:イスラエルの協力者に関する情報の収集
ア=アリャム:プロパガンダ用のビラ、出版物の配布、テレビ・ラジオでの活動
ハマースの指導機関は、マジリス・アル=シューラ(評議会)である。政治局は、総合戦略を立案し、各部門の活動分野と機能を決定する。ラビタート・ウリャマ・フィラスティン(パレスチナ・ウラマー協会)は、イスラームの観点からハマースの活動に合法性を与える。
非合法部門
武装闘争のための非合法部門は、以下の2つのグループに統合されている。
アル=ムジャーヒディーン・アル=ファリスティニウン(パレスチナ聖戦士):1987年のインティファーダ以来勢力を拡張し、反イスラエル闘争のリーダー的存在となった。
ジェハズ・アマン(保安部門):配下に執行機関であるマジドを有し、イスラエルの協力者の暗殺に従事している。
ハマースの機構には、シャヒード(自爆テロ)部隊も存在する。隊員は、イスラエルから被害を受け、ユダヤ人を憎悪する18歳から27歳の住民から選抜される。ハマースの宗教指導者は、イスラエル撃滅という聖なる目的で死ねば、天国に行けると彼らを納得させている。
ハマースの軍事部門には、イッズッディーン・アル=カッサーム旅団が存在し、イスラエル人及びその協力者の誘拐・暗殺に従事している。1992年以降の大規模なテロ活動、ロケット弾攻撃の大部分は、同旅団の仕業とされている。ハマース内部でもっともサラフィー主義の影響が濃い部門で、アル=カーイダのシンパも多数いるとされ、ハマースの他部門との路線対立が存在するとされる。<Wikiより>
ガザ地区参照
【4月22日 AFP】パレスチナのイスラム原理主義組織ハマス(Hamas)の最高指導者、ハレド・メシャール(Khaled Meshaal)氏は21日、在住するシリアの首都ダマスカス(Damascus)で記者会見し、ハマスは1967年の第3次中東戦争の境界線内にパレスチナ国家を建設することを受け入れる用意があるとしたが、イスラエルの生存権については認めないと言明した。
メシャール氏によると、エルサレム(Jerusalem)を首都とした、入植地のないパレスチナの主権国家の建設と合わせ、パレスチナ難民が帰還する権利を受け入れるが、イスラエルは承認しないという。
メシャール氏は、中東歴訪中のジミー・カーター(Jimmy Carter)元米大統領との2度の会談を行ったが、コメントを発表したのは今回が初めて。
カーター氏は同日、メシャール氏の記者会見に先立ち、パレスチナの住民投票で平和条約締結が承認されれば、ハマスは隣国としてのイスラエルの生存権を認めると述べたと語っていた。(c)AFP
写真はカーター元大統領とブレジンスキー。なぜメシャール氏がジミー・カーター特使と会談をしたのかは勘のいい人はすぐわかるでしょう(笑)。ウエブスター・タープレーの著書「オバマ・危険な正体」に三極委員会のブレジンスキーとカーターのことはくどいように書いてあるので省略しますがハマスのハの字にも触れていない。
WASHINGTON EXPOSED AS SECRETLY FINANCING AL-QAEDA
PRESIDENT-ELECT OBAMA DEMANDS PAYMENT OF THE SETTLEMENTS
Wednesday 3 December 2008 02:30
BIGGEST TERRORISM SCANDAL IN WORLD HISTORY UNFOLDING BEFORE OUR EYES
SECRET ROOM INSIDE MORGAN STANLEY FUNDING AL-QAEDA AND GLOBAL TERRORISM
COVER-UP OPERATIONS 'BLOWN': WASHINGTON HAS BEEN FINANCING GLOBAL TERROR
NOW WE KNOW WHY THESE SNAKES HAVE BEEN WRIGGLING, SPITTING AND SQUIRMING
写真はエルサレム
エテメン・アン・キ参照。本来カナンの地(現パレスティナ)はイスラエルの民にとって故郷と呼ばれる類のものではなかった。
こういう見出しでホワイト・ハウスがアル・カイダに資金援助していたとスッパ抜いたのはクリストファー・ストーリー氏のみです。留守番電話には数発の拳銃の発射音が残されていたりひも付きでない本物と言えるでしょう。氏は71歳になりました。氏の活動はすべて寄付によって成り立っています。
ロンドンHorseferry Roadにある氏の事務所。
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Christopher E. H. Story FRSA, Managing and Operations Director, a former occasional adviser to Lady Thatcher, has over 37 years’ experience of specialist intelligence and financial publishing. Mr Story has testified on several occasions before US Congressional Committees on international affairs issues. He is a very well-known independent currency, economics, finance and current affairs specialist, and is also a conference speaker on dimensions of the World Revolution that are swamping and confusing the West.
Christopher Story is a veteran private investigative journalist and publisher. Although we use the word 'Intelligence' for marketing purposes on this website, this website (and all the publications that Mr Story edits and publishes) are private ventures and have nothing to do with any outside sponsorship, having no connection with any intelligence service. Mr Story is NOT an agent of a foreign power, and any allegations to the contrary are actionable for libel in the English Court.
PS:昨夜英国の友人クリストファー氏と電話で話しハマスに関して記事をアップしてくれることになりました。アルカイダ同様凄い内容になると思います。またご寄付の現在の状況も伝えましたが本人は『WOW』と言って感激しておりました。皆様ありがとうございます。オバマ演説後何が起き,何を計画しているのか彼も私も知っています。そのためにもハマスの名を語った米国での偽テロ(アル・カイダではもう不可能なため),報復,第三次世界大戦,そしてFEMAへの道を遮断する意味でも4900万人の読者を持つ彼の『World Report』でハマスの正体を暴くことが先決であると判断しました。記事が出たらすぐ紹介いたします。
電話で彼はこう言っています。『I agree and know that HAMAS was originally an Israeli Operation,but operation went wrong』だと,ね。
その後ドイツのメルケル首相はヒットラーの娘か,の質問に氏は「ノー」と答えメールで次のような第二次大戦中にイギリス兵(British Troop)が歌った(Jingle Sung)歌詞を送ってきた。
Hitler has only got one ball
Goering has two but rather small
Himmler is somewhat similar
And Goebels has no balls at all.
これが英国流ユーモア。
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