「野球人の錯覚」 (東洋経済新報社) という本が出版されたらしい。
ヤフーのニュース記事 (産経新聞から引用) だけを読んでみると,首をかしげたくなる。 筆者が解析したものが本当に野球の流れや試合の流れというものを反映しているとは思えないからだ。 そういう部分的なデータ抽出で差がみられないからといって,それを野球全体の話にもっていこうとするのは大きな論理の飛躍であり,ちっとも科学的ではない。
このごろはこういうネガティブ・データに基づいた “似非科学議論” が目立つように思う。 この本の内容はまだ詳しく読んでいないけれど,ニュース記事を観るかぎりおそらく大半がそういう議論だろう。 こういうサイエンスを知らない人間が国立大学で教鞭をとっていること自体おかしい。
日本の科学番組や読み物でも部分的なネガティブ・データを引き合いにだして,何かを “科学的” に論じているのを時々見かける。 科学を知らないんだなと思うし,日本の理科教育や論理教育の問題の深刻さが,こういう部分に出てくるのだろう。 こんな似非科学分析モノを真に受けてるようだと,どんなデッチアゲ話でも 『科学的』 の一言をつけるだけで人々は容易に騙されてしまうだろう。 北朝鮮の遺骨DNA鑑定の話題を思い出す。
『日本側は, 「DNA鑑定の結果,横田さんの遺骨であるという証拠が得られなかった。 だからこれは横田さんの遺骨ではない」 と言っていた。 が,これは大きな間違いである。 証拠が出ないものは,わからない,としか言いようが無いのであって,そこから否定的な結論を下すことは出来ない。
日本側は北朝鮮に対して圧倒的な科学力の差を見せ付けることで交渉を有利に進めようという意図があったようだが,むしろ日本のマスコミも日本の政治関係者も,あるいは自称・世界最高水準の研究機関も,科学や論理的思考というものに疎いということを世界に宣伝しただけに終わったように思う。』
(by 八咫漫稿飛来太)
「四球で出塁させるなら、ヒットの方がましですね。試合の流れが悪くなる」
これは本当だ。 試合の流れというのは,べつにその回のことばかりではない。
投手の心の隅には 『自分がいつ乱調して思い通りのところに球が入らなくなるのではないか』 という不安が常にある。 それに球数の問題もある。 同じ一塁に出塁されるのなら,ヒットで出塁された方がはるかに体力的にも精神的にも楽だ。 もちろん,粘りに粘られた挙句にヒットされる場合もあるが,そうなるとまた話は違ってくる。 自分が何かで失敗したときは,相手がノッてくる場合もあれば,逆に気負って失敗してくれることもある。 そういう精神的なものが複雑に絡みあって,その効果は試合のずっと後になって出てくることもある。
そこらへんを全部一緒くたのごっちゃ混ぜにしておきながら,抽出データだけはその回の得点率だの裏の得点率だの,というふうに筆者が独断で選んだ一箇所に絞られている。 そんな解析方法による結果で差が出ないのは当然だと思うし,それを論じたところで,そこに何か意味のある傾向が出てくるとは思えない。 そしてそういう似非議論の結果から 『野球人の錯覚』 などという結論に導くのは大きな間違いだと思う。
この本の筆者は野球観戦が好きらしいけれど,自分自身が野球の試合というものを実際にやったことがないのではなかろうか。
時事ニュース
野球のセオリー、実は“錯覚” 名古屋大大学院・加藤教授らデータ分析
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081220-00000078-san-base