韓民族 最初の国家である 古朝鮮に対する中国側の記録
古朝鮮に関する中国側の最初の記録は B.C. 7世紀傾に 管仲が使った 管子という
本に現われる. この本は 斉国 桓公と 管仲 の間の対話として成り立ったのだ.
桓公が 官子に次のように問った. " 私は 諸候らにこの世の中に七箇所の
宝物のある所があるという話を聞きました. これに関して分かっていますか?"
管子が答えた. "一番目宝物は 陰山にある宝石であり, 二番目宝物は 燕の
紫山にある 銀であり, 三番目宝物は 発と 朝鮮の 斑点がめりこんだけだもの皮です."
桓公が問うのを "すべての蛮夷は扱いにくいです. 彼らは怒って 順理に
反抗して天下の領土を 流浪して私たちをいじめています. このような状況を
変えることができませんか? " 管子が答えるのを, "呉と 越が私たちに 朝貢を捧げて
ないのに, 真珠と 象牙に対する代価を打ってくれればどうですか? 発と 朝鮮も
朝貢を捧げていないのに, 斑点毛皮と 毛皮 衣類の代価を打ってくれれば
どうですか? すなわち一匹のヒョウ皮を彼に相当する金で張ってくれたら, 8千里位
落ちている 発と 朝鮮が私たちに 朝貢を捧げるでしょう.
中国歴史は 5000年だと言うが歴史記録は 3000年を越さない.
ところで 古朝鮮が 2700年前中国側 古代 史書に記録されている.
中国が領土を広げて周辺国々と国境を向い合うまでは幾多の時代が
必要となった. その以前までは周辺国に対する情報がほとんどなかったしあったと
していたってとても不正確な場合が多かった.だから中国人たちが古朝鮮に対するさまざまな情報を
分かるようになるまでは多くの歳月が必要となったはずであり, 歴史に記録されている
古朝鮮に対する記録は古朝鮮の成り立ったずっと 後代の物であることだ.
日本人たちが 三国遺事に記録された 古朝鮮に対して 高麗時代の記録だと言って
古朝鮮の存在に対して懐疑的視覚を持っているのに上のような中国側 古代史書の
古朝鮮に対する記録によってそんな視覚は変えられると信じる.