京都市の夜間中学で、不登校の中学生を受け入れ、年配の生徒とともに学ぶ試みが行われている。しかし一度中学を卒業した元不登校の人は、公立夜間中に通えない。不登校の人たちの「学び直したい」意欲にどう応えるか、夜間中の現状と課題を探った。【山本紀子】
◆京都・洛友中の試み
「これ食べなよ」。70代のおばあちゃんがアメを差し出す。時には野菜や手作りのチヂミ(韓国風お好み焼き)が教室に持ち込まれることもある。
「いいです」。少年は表情を硬くしたまま、最初はしり込みしていたが、「ありがとうございます」と受け取るようになった。教員にも友達にもほとんど口を開かなかった少年は、文化祭にも積極参加し、昨春の卒業式では、卒業生代表として答辞を述べるまでになった。
京都市立洛友中は京都府内唯一の夜間中学だ。廃校となった学校を利用しているため昼間は校舎が空いており、市教委が07年度から、不登校を理由に別の学校から転籍した中学生を受け入れる昼間部を開設した。定員10人で、現在は8人が通う。午後1時半から昼間部だけで授業を行い、5、6時間目は夜間部の生徒と一緒に、体育や家庭科などの実技を学ぶ。
夜間部に通うのは、60~70代の在日韓国・朝鮮人が多い。口数の少ない中学生にも気さくに話しかけ、ペースに巻き込んだ。「変な気遣いもなく接するので、子どもの表情も和らぎ、会話が成立するようになった」。夜間部で国語を教える古川三枝子教諭(57)は、卒業生代表になった少年を思い起こす。
◆異年代で一緒に体育
小林美貴子さん(25)は常勤講師として、年代の異なる生徒たちに体育を教える。物静かな中学生たちの意欲を引き出すのは一苦労だが、思わぬ展開になることもある。「卓球の授業で『まだやりたい』というお年寄りの押しに負けて、いつの間にか一生懸命にラケットを振る中学生もいる。夜間部の人たちの生き生きとした表情を見るのが、子どもたちも楽しいのでしょう」と話す。
もちろん、夜間部の雰囲気になじめず、夜の教室に入ることを渋る中学生もいる。西寺正校長(59)は「毎日学校に来られない昼間部の生徒もおり、まだ手探りの日々。不登校の背景もなかなかつかみにくいが、昼と夜の生徒が一緒に笑える時間が増えれば」と願う。
◆孫に接するように
洛友中はこぢんまりとした雰囲気が特徴だ。ある女子生徒(14)は前の中学で、陰口が飛び交い本音と建前が食い違う友人関係に嫌気がさして学校に通えなくなった。「本当は別の子と遊びたいのに、リーダー格の子についていき、いつもオドオドしていた。ここでは人間関係に気を使う必要もなく、1人でいても楽」と話す。
夜間部の先輩については、「教室に入ると『こんばんは』と笑いかけてくれる。クリスマス会で人形劇をした時も励まされ、孫のように接してくれて温かさを感じる」と話した。
京都市には約860人の不登校の中学生がいる。洛友中のほか、不登校の生徒だけを対象にした定員70人の洛風中も04年度に開校した。現在の学校に籍を置いたまま通う適応指導教室(市内5カ所)もあり、多様な受け皿がある。
公立夜間中は、戦争や貧困で学校に通えなかった人のために1947年に誕生した。54年の87校をピークに減少が続き、今は東京や大阪、兵庫など8都府県に35校あるだけだ。
夜間中の対象者は「義務教育未修了者」。ところが不登校生徒は、大半が教育的配慮で卒業証書を授与されているため、義務教育修了とみなされ公立夜間中に通えない。
東京都世田谷区立三宿中の関本保孝教諭は「年に十数件、不登校だった若者たちから登校したいという打診がある。学ぶ意思のある人に門を閉ざすのは歯がゆい思いだ」と話す。三宿中は毎年、区内の中学を回り公立夜間中をアピール、不登校の生徒に進路として検討するよう呼びかけている。
「形式卒業者」の受け皿が、ボランティアらによる自主夜間中や勉強サークルだ。昨年12月に東京都内で開かれた「全国夜間中学校研究大会」では、勉強サークル「えんぴつの会」(墨田区)が「各地から問い合わせがあり、公立夜間中から元不登校の若者が紹介されてくる。小中学校の就学率は100%とされるが、実際には学びの機会を与えられない多くの教育棄民が生まれている」と訴えた。
東京都では80年代、都教委の柔軟対応により年100人を超える元不登校生徒を、8校の公立夜間中が受け入れていた。夜間中の教員らでつくる全国夜間中学研究会は「形式卒業者にも入学を保障してほしい」と文部科学省に要望している。
不登校の末、卒業証書をもらわない道を選び、公立夜間中で学んだ女性がいる。さいたま市の土屋裕子さん(29)。6年前に卒業、今は昼働き、夜は青山学院大文学部第2部に通う。挫折を乗り越えた夜間中での体験を尋ねた。
小学校から不登校で、中学には一度も通わなかった。卒業前、「全く行かなかった学校を将来、母校として履歴書に書くのはいやだ。人生にうそをつきたくない」と、卒業証書を受け取らなかった。
ずっと家にひきこもっていた。成人式の案内が来た時「勉強し直したい」と思った。独学で中学卒業認定試験を受けることも考えたが、英語はゼロからのスタートで、好きな理科も難しい。先生がいないとだめだと思った。
フリースクールはお金がかかるため、公立夜間中の東京都荒川区立第九中に入学した。不登校とひきこもりのレッテルは重く、最初は「死にたい」の思いでいっぱいだった。通学中の電車に飛び込むことを考えたり、教室に入れず泣いてしまったりした。自分に自信がなく、生きる意味を感じていなかった。
家はゴタゴタしていた。昔から大人への不信感があったが、夜間中で年代の異なる大人に触れ合い、癒やされた。
クラスメートの70代のおじいさんと、ある時、学校でもらったプリントの話になった。「うちでは妻が『お棺に入れる』と大事に保存している」と言われて、目がさめた。私は自殺したいと思っているのに、いや応なく死が迫る人もいる。死とは求めるものではないとわかり、死にたいと思う自分を恥じた。
私は幼稚園から休みがちだった。ドロップアウトする時期が早いほど、自分の気持ちを表現できず、自己の確立もできなかった。不登校の烙印(らくいん)を押され、片隅で生きることを余儀なくされた。
小中の9年間は義務教育と呼ばれるが、通学の義務があると誤解されがち。本来は大人が子どもに教育を受けさせる義務のことで、私は権利教育と呼ぶことを提案したい。憲法で、子どもには教育を受ける権利があるからだ。
いつでも学び直せるような教育機会の保障を、国には求めたい。既存の中学に、お年寄りも外国人の生徒も、ひきこもりだった人も来られるクラスを作ったらどうだろうか。午前、午後、夜の3部制にすれば、働く人も通える。今ある学校を利用して多様な学びの場を作ることは可能だと思う。
毎日新聞 2009年1月26日 東京朝刊