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こんな世の中だからこそ、笑わないと、癒されないと……1月17日〜1月23日

【01月19日】人:輝き人を迎えて

 医師不足、故郷で奮闘 公立おがた総合病院産婦人科医 山上健さん69

 

 産婦人科診療を休止していた大分県豊後大野市の公立おがた総合病院に赴任して1年。産科医不足が深刻化するなか、県外で大学医局長や開業医として積んだ経験を生かし、故郷の地域医療に尽くす。

 竹田市で医院を営んでいた祖父、父を見て育った。幅広い知識と技術を求められた父が妊産婦の診療で特に苦労していたのを見て、逆に「奥深い分野だ」と思って産婦人科医に。福岡県の国立病院産婦人科医長や大学医学部付属病院産婦人科医局長などを経て、同県筑後市で産婦人科医院を開院した。

 取り上げた赤ちゃんは約8500人。開業医時代は1日7〜8人の出産を扱い、過労とストレスから過食症や糖尿病に。閉院し、勤務医として老人科の診療などをしながら、望郷の思いを募らせた。妻を説得し、2006年秋、母の介護のために帰郷したが、母はわずか1か月半で亡くなった。

 竹田高同級生の紹介で竹田市の大久保病院に勤務、妊娠健診と老年科の診療にあたることに。故郷の拠点病院が軒並み医師不足に陥っている現実を目の当たりにし、「赤ちゃんが生まれない地域は社会的モラルを引き継げず、医療と精神の荒廃を招く」と危機感が募った。

 公立おがた総合病院には市内の助産師7人のうち5人が在籍、外科、麻酔科、小児科が連携し、医療機器の設備も整っている。大久保病院院長の勧めもあり、「より自分が生かせる」と同総合病院に移った。産科休診に伴う信頼失墜は大きく、1年間で扱ったお産はわずか14人。しかし、子宮外妊娠などの急患に対応、難しい外科手術も施し、徐々に信頼回復への手応えを感じている。

 過酷な開業医時代を振り返り、母と子の二つの命を預かる産婦人科医の労働環境改善や、地域で医療を完結するための病院の機能分担や住民の協力を訴える。看護師や助産師の育成にも力を注ぐ。助産師雑誌を読みあさり、助産師の妊娠・出産をモデルにした実践学習にも取り組んだ。

 診察室の白板の片隅に「私は最善をつくす。それを神が治す」と記したシールを張っている。「一番幸せな今を規則正しく生きたい。そして次の世代のために努力したい」。夢は出産1万件達成で、あと約1500件。「人口比率からいくと無理かなぁ」と笑った。(堀米千恵)

 1939年12月7日、竹田市生まれ。久留米大大学院医学部(現医学研究科)修了後、国立小倉病院(現国立病院機構小倉医療センター)産婦人科医長、久留米大医学部付属病院(現久留米大学病院)産婦人科医局長を歴任。78年から19年間、福岡県筑後市で産婦人科医院を開業。「性とこころの健康読本」(医歯薬出版)など著書多数。囲碁5段、無双直伝英信流居合5段。絵画など趣味も多い。妻と2人暮らし。息子2人も医師。

2009年01月24日  読売新聞)

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