パチンコの歴史~2~
テーマ:●パチンコ・スロット雑学皆々様
新年明けましておめでとうございます!!
今年も宜しくお願い致します☆
今は高校サッカーを見ながらの更新となりますw
見てるだけでウズウズします。大阪桐蔭頑張れ!ガンバ大阪に続いて全国制覇だ!!
そして阪神優勝で、2009年は大阪YEARにするべし( ̄▽+ ̄*)
では、前回の続きよりパチンコの歴史~2~を書かせて頂きます。
≫前回の続きより。
当時、パチンコ台の大きさ、規格などはメーカーによってまちまちだった。大きなガラスを新しく切って特注品を造るのは金がかかる。何か適当な既製品はないかと検討したところ、温室用のガラスがあった。
温室用のガラスは大中小とあったが、横幅はすべて同じで高さだけが違っていた。その中の「中」が縦横とも手頃だろうと言うので、これになった。
厚さは2mmと3mmとあったが、鋼球が当たるから丈夫な方がいいというので、3mm厚の方が選ばれた。今日のパチンコガラスの規格は、ここで決まった。
この中サイズ3mm厚のガラスは45枚セットで販売されていた(大サイズは38枚セット、小サイズは50枚セットの売り)。そこでパチンコ台職人の間ではこの45枚セットを「よんごぅ」と呼んだ。今日でもパチンコガラスのことを「よんごぅ」と通称するのはこの為である。
この藤井氏との出会いが縁で、正村氏もパチンコ屋を開業した。しかしやがて第2次大戦のため、パチンコ産業も壊滅した。
大戦中、名古屋の都心も空襲で焼け野原となった。しかし奇跡的に正村氏の店の回り5軒だけが焼け残った。そこでいちはやくパチンコ屋を再開したら大流行した。台が足りないので正村氏も自分で製造に乗り出した。
続きはパチンコの歴史~3~で≫
(文責:ツッコミ担当吉田)
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