2009-01-02 14:23:14 posted by tetsu2009

パチンコの歴史~2~

テーマ:●パチンコ・スロット雑学

皆々様


新年明けましておめでとうございます!!


今年も宜しくお願い致します☆


今は高校サッカーを見ながらの更新となりますw


見てるだけでウズウズします。大阪桐蔭頑張れ!ガンバ大阪に続いて全国制覇だ!!


そして阪神優勝で、2009年は大阪YEARにするべし( ̄▽+ ̄*)


では、前回の続きよりパチンコの歴史~2~を書かせて頂きます。


≫前回の続きより。


当時、パチンコ台の大きさ、規格などはメーカーによってまちまちだった。大きなガラスを新しく切って特注品を造るのは金がかかる。何か適当な既製品はないかと検討したところ、温室用のガラスがあった。

 温室用のガラスは大中小とあったが、横幅はすべて同じで高さだけが違っていた。その中の「中」が縦横とも手頃だろうと言うので、これになった。

厚さは2mmと3mmとあったが、鋼球が当たるから丈夫な方がいいというので、3mm厚の方が選ばれた。今日のパチンコガラスの規格は、ここで決まった。

 この中サイズ3mm厚のガラスは45枚セットで販売されていた(大サイズは38枚セット、小サイズは50枚セットの売り)。そこでパチンコ台職人の間ではこの45枚セットを「よんごぅ」と呼んだ。今日でもパチンコガラスのことを「よんごぅ」と通称するのはこの為である。

 この藤井氏との出会いが縁で、正村氏もパチンコ屋を開業した。しかしやがて第2次大戦のため、パチンコ産業も壊滅した。

 大戦中、名古屋の都心も空襲で焼け野原となった。しかし奇跡的に正村氏の店の回り5軒だけが焼け残った。そこでいちはやくパチンコ屋を再開したら大流行した。台が足りないので正村氏も自分で製造に乗り出した。


続きはパチンコの歴史~3~で≫


(文責:ツッコミ担当吉田)



ブログランキング・にほんブログ村へ にほんブログ村 パチンコブログ パチンコ情報へ にほんブログ村 スロットブログ スロット情報へ
同じテーマの最新記事
2009-01-01 15:38:18 posted by tetsu2009

新年おめでとうございます。(ムーパパ)

テーマ:●なんでもネタ

2009年、明けましておめでとうございます。


まずは自己紹介です。


通称 ムーパパ 何故そんな呼び名になったかは本人も不明、知らぬ間に定着。

趣味 ドライブ、犬との散歩(3匹飼ってます)、スポーツ観戦(ジャンル問わず)

    スノーボード、スキューバーダイビング、麻雀

性格 温厚らしい(自分では短気やと思ってますが)、食欲旺盛

    遠慮しい(今年はここが課題)

血液型 AB型

好きな食べ物 肉じゃが、カレー、焼肉などなど

嫌いな食べ物 納豆、牛乳


【昨年末からの今日までの動き」

12月29日にお客様の忘年会でどうやら風邪をGET。

おかげで12月30日、31日は完全に家でダウン(熱が38℃台を推移)

喉をやられ、声が殆ど出ず、気づいたら1月1日の朝・・・。

ようやく平熱に戻ったが、少し本調子には戻りきらず・・・。

紅白もダイナマイトも箱根駅伝も見れず・・・。


しかしこんな年末の忙しいときにも見舞いに来てくれる人がいるとホントありがたいですね。

人のやさしさに改めて感謝!感謝!です。

今回の件でも人の有り難味を十二分に感じました。

何があっても最終的にはやはり”人”ですね。

持ってきてくれる果物や食べ物、飲み物などもそうですが、かけてくれる声だけで十分。

ちなみに彼女も31日からダウンでただいま静養中。

家の片付けなど何も出来ずにようやく今から始める予定。


今年の風邪はかなり厄介。皆様気をつけてください。


さて今年のブログの私のテーマとしては「接客」や「人財」について書いていこうと思っています。

パチンコ業に限らず、身の回りで体験することをルール化するのをテーマとしてお届けします。


何かの参考になれば嬉しいです。


今日のルール化 『最終的に相手の心に刺さるかどうかはその人の気持ちが全て』


2008-12-31 14:08:10 posted by tetsu2009

パチンコの歴史~1~

テーマ:●パチンコ・スロット雑学

どーも、W吉田のツッコミ担当の吉田です。


2008年も残すところ本日のみとなりました~!!!


今はドラマ:ルーキーズの再放送を見ながら目をウルウルさせております・・w(T▽T;)


いいですね~あんな熱血教師


最初はうるさいと感じても、自分の信じる道を真っ直ぐに、ただ真っ直ぐに進むことでドンドン周囲を巻き込んでいけるんですね★


さてさて、タイトルにもありますが本日はパチンコの歴史~1~ということで書きたいと思います。


今から書く内容はパチンコの歴史の研究者(女性)の話をかいつまんで書きいております。


みなさんも聞いたことがあると思うけれど、近代パチンコ発祥の地は名古屋。その理由は、パチンコ台の規格が名古屋で誕生した事にある。 大正時代、イギリスからバガテルという縦型のスマートボールみたいなゲームが流入してきた。それが日本のパチンコの元。日本で改良されたこのゲーム機は、最初、ガチャンコとかパチンと呼ばれていたそうです。

 このバガテル、コインを入れると盤面内に玉が出てくる仕組みだった。そこで日本製のガチャンも、1銭銅貨を挿入する方式で造られた。ところが警察から「天皇陛下のお顔が刻印されているお金を、賭博まがいの遊戯機で使用するとはケシカラン」とお咎めがあった。そこでお金の代わりにメダルを使用することになった(これをメダル式という)。と、ここまでは、パチンコは名古屋にも麻雀にも関係ない。

 ところが昭和12年頃、名古屋の藤井文一という人が鋼球式という方法を考案した。これはメダルではなく球を入れる方式で、現在のパチンコは鋼球式が基本となっている。これは「規格」ではなく方式の問題であるが、現在のパチンコの基本方式が、まず名古屋で生まれたことに注目。

 で、藤井氏はこの新製品を造るために、ベニヤ板や盤面のガラスなどの材料を求めた。これが縁というものか、当時名古屋はベニヤ板の主産地だった。これも名古屋がパチンコの主産地になった一理由とか。いずれにしてもベニヤ板の入手はOK。次は盤面用のガラスがいる。そこであるガラス商のとこへ行った。


そのガラス屋の親父が、近代パチンコ生みの親、正村竹一(まさむらたけいち)氏。といっても、まだその時は、ただのガラス屋の親父である。                                  続きはまた後日≫


文責:吉田(ツッコミ担当)


powered by Ameba by CyberAgent