今話題の「ゴリラの孤独を表現した短歌」レビュー

山武市出身の歌人で小説家の伊藤左千夫(1864~1913)をしのび、短歌に親しむことを目的にした第57回左千夫短歌大会(同市主催)が18日、同市殿台の成東文化会館のぎくプラザで開かれた。小中高校生と一般の各部で作品を募集し、今回は過去最多の2987の応募があった。高校生の部ではゴリラの孤独を表現した県立成東高校2年菱木俊輔君(17)の作品が市長賞に輝いた。

「ぼくゴリラ ウホホイウッホ ウホホホホ ウッホホウッホ ウホホホホーイ」…ゴリラの孤独を表現した短歌で17歳高校生、市長賞に輝く

昨年春、千葉市内の動物園でゴリラを見て、「ゴリラも人と同じように孤独なのでは
ないかと感じた」そうで、その孤独感を表現したかったという。ゴリラのイメージを
文字で表すなら「ウ」と「ホ」だったので、そのふたつでまとめるようにした。
書き始めて30分ほどで完成したという。選者の田井安曇さん(78)は
「素手でつかんだ本音を歌っているユニークないい歌だ」と評価する。

この今話題の短歌をレビューしてみたいと思います。

ゴリラは意味を感じさせない言葉と特有のリズムで捨て泣き叫びます。「ウホホイウッホ ウホホホホ ウッホホウッホ ウホホホホーイ 」と。

初句について

「ぼくゴリラ」ですが、ゴリラは一人称で自分のことを「ゴリラ」と呼んでいます。その光景が受け手に幾許の対話への期待を感じさせる句です。また、自分という存在を認識するには他者の存在が必要不可欠です、つまり個としての自分を認識する必要があります。

そんな知能があるゴリラが自分をゴリラと紹介しながら二句へと続きます。

二句ついて

「ウホホイウッホ」

この句の「ウホホイ」からはどこか浮かれていて軽やかな、だけど自分の存在を強調する擬音に感じます、それに続く「ウッホ」が「ウホホイ」をさらに強調する形になっています。

三句について

「ウホホホホ」

この句からは完全に浮かれてる気持ちと興奮した気持ちが書かれています。具体的に説明しますと、自分の非現実的で絶望的なまでの状況を把握してしまい、急激な尿意をもよおし股間を押さえつつも、漏らさずとして自尊心を感じつつ、もしこの場で尿を漏らしたら背徳感からくる快感と開放感がどれがけ訪れるのだろうかという期待に負けてしまったときの心情を思い浮かべて頂ければ分かりやすいかと。

四句について

「ウッホホウッホ」

これは もうどうでもいいやという諦めと快感、脱力感に浸っている場面の句です。ゴリラの絶望感と快感が窺い取れます。ここにもでている、「ウッホ」ですが先ほども説明したとおり、それに続く「ウッホホウッホ」をさらに強調する形になっています。

結句について

「ウホホホホーイ」

これまでの経緯により完全に心が折れ、目が死に自暴自棄になりつつも軽やかなステップを踏んでいる情景を彷彿とさせる句です。あたまのなかは一面のお花畑。 自分の存在と孤独を認知したがゆえに心が極度のストレスを受け、精神が崩壊している様子が書かれています。こんな思いをするなら知らなければよかったと、聞こえてきます。

総評

この短歌はゴリラがゴリラと人間の違い、そしてでることのできない不自由な檻の中で一生を過ごすことを知ってしまった時、絶望の淵への 急転直下の孤独感を歌ったものです。

人が突然「ウホホイウッホ ウホホホホ ウッホホウッホ ウホホホホーイ 」なんて話初めたらあたまがおかしくなったんじゃないかと心配したり、疑ったりしてしまいます。それは上記にある通りなので察してあげてください。

あとがき

阿部高和 ちなみに「うっほ」は阿部さんの決まり文句。

そして人類の集合的無意識的が今好んでいる言葉のリズムなのかもしれません。

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