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キャラクターデザインに大切なのは自己分析。自分は、何のどこが好きなのか?それをよく知って、描き続けてほしい。
 副島成記
 

個性的な作品をつくり出す注目のゲームクリエイターに“あなたができるまで”を訊くロングインタビュー企画「THE EARLY DAYS」。今月のゲストは、PS2『ペルソナ』シリーズの感性あふれるキャラクターデザインでおなじみの、アトラス・副島成記さんだ。人気RPGシリーズのキャラクター作りの原点は、なんとあの有名漫画作品にあった! 幼い頃から、大好きな漫画作品にオマージュを捧げ続け、ゲームに夢中になっていた副島さんは、趣味の範疇で終わらせようと思っていた“キャラクターを描く”ことを、いつしか職業にしていた。アトラスの先輩デザイナー・金子一馬氏との出会い、代表作である『ペルソナ3』、そして最新作『4』での斬新なアイデア作り、キャラクターデザインにまつわる秘話を交え、副島さんの半生を振り返ってもらった。

取材・文/阿部美香(ライター)
 

幼稚園時代〜ルーツは藤子不二雄作品

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 7月10日に、キャラクターデザインとアートディレクションを手がけたPS2『ペルソナ4』を発売したばかりの副島成記さんは、金子一馬氏と並んで、個性的な“アトラスRPG”には欠かせないキャラクターデザイナーだ。最新作でもその力量をいかんなく発揮する、副島さんが生まれたのは、神奈川県横浜市だそうだが……。

「えー、そうらしいんですが、生まれて1ヵ月後には、東京に引っ越してしまったらしく、横浜の記憶はさすがに一切ないです(笑)。というか、子供時代は東京の町田市から、福岡県に行って、また町田に帰ってきて、都内で杉並区に移ってと、こまごま引っ越しをしてるんですよね。ですから、いちばん印象に残っている古い記憶は……福岡の幼稚園時代ですかね? 4歳くらいでした」

 九州は、福岡県福岡市。副島さんは、サラリーマンの父親の転勤について、東京から福岡市内に移り住んだ。「普通の少年でしたよ」と、子供時代を語る副島さんだが、あるキャラクター作品には、特別思い入れが強かった。それは?

「『ドラえもん』ですね。藤子不二雄が大好きで。いちばん最初に一生懸命描いた絵も、ドラえもんでした。今でも、上手に描けますよ(笑)。
 子供心に好きが高じて、福岡から東京に引っ越してから、藤子スタジオを訪ねてみようとしましたからね。当時、小学館の雑誌だったと思うんですが、藤子スタジオが新宿にあると書いてあったんです。新宿のどことは明言されてないんですが、“高層ビルを斜めに見下ろす”ところにあるという記述があって。それだけを頼りに、友達と一緒に探しに行きましたね。もちろん、見つかりませんでした(笑)。それくらい、好きだったんですよ」

 印象的な『ドラえもん』の映像作品は、80年に公開された映画『ドラえもん のび太の恐竜』。

「確か、『モスラ対ゴジラ』と同時上映だったんですよね。そのあたりから、藤子不二雄作品を立て続けに読むようになりました。『ドラえもん』以外で好きな作品は、『パーマン』。『T・Pぼん』(タイムパトロールぼん)という作品も大好きでしたね」

 さて、話を戻そう。幼稚園時代の副島さんは、『ドラえもん』の絵を描く以外は、どんな遊びに興じていたのだろうか。

「だいたい、家の近所の一つの番地内で遊んでましたね。特に、幼稚園の頃は、自転車の補助輪を取るのに一生懸命でした。福岡時代は、海釣りにも行きましたね。博多湾に能古島という島がありまして、毎週末、両親と1歳上の兄と一緒に、家族全員で車で出掛けてました。父親が好きだったんですよ、釣りが。だから、うちの車は潮風で錆びちゃってましたね(笑)」

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小学校時代〜絵を描くのが好きと自覚する

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 家族で行った海釣りと、『ドラえもん』の漫画の記憶が印象的だった福岡市での生活。副島家はその後、副島さんが小学1年生の半ばに、東京都町田市へと引っ越す。福岡から、首都圏へ。副島さんを取り巻く環境もガラリと変わった。

「最初に苦労したのは、言葉ですね。それまでベタベタの福岡弁を喋ってましたから、町田に越してきたばかりのときは、話が通じなくて困りました。ただ、子供の環境適応能力はたいしたもので、すぐに抜けましたけど」

 遊びのほうでは、この連載でも、たびたびクリエイター諸氏の口にのぼる“ガンプラ”ブームに遭遇する。

「最初に買ったガンプラは“シャアザク”ですね。いいもの手に入れてますよね?(笑)駅があって栄えてる街じゃなくて、建て売り住宅の集合と公園と商店街をパッケージにして建築会社が売り出した、箱庭みたいな街なんです。どの家も同じ形だから、遊びに行ってトイレの場所をわざわざ聞かなくてもわかるのが取り柄(笑)。そんな街なので、他に比べてガンプラは手に入りやすかったんですよね」

 もちろん学校も、大規模な新興住宅地のために作られた学校。小学生の遊び場所も、住宅地のエリア内に限られていた。そんな環境の中で、小学生時代の副島さんがハマったものを挙げてもらうと?

「ガンプラのほかでは、『Dr.スランプ』のアラレちゃんがブームでしたね。“なめ猫”とか。基本的に、世間でブームだったことが好きでした。80年代を振り返る番組に出てきそうな、ベタベタなヤツばかりですね(笑)。
 テレビっ子だったので、アニメも『ガンダム』のほかは、『ゴールドライタン』が大好きでよく観てました。全然カッコよくないんですけどね(笑)。友達が持ってた、ゴールドライタンの超合金が羨ましかったですね。あとは……『ポールのミラクル大作戦』(笑)。他には、『スター・ウォーズ』。コーラのオマケを集めてました。映画のほうは、あまり記憶にないんですけど……(笑)」

 スーパーカー・ブームがやってきたのもこの時代。副島さんも、家にランボルギーニのポスターが貼られていたのを覚えている。もちろん外では、友達と一緒にスーパーカーのラジコンで遊びに興じていた。「この頃は、まだ外で遊ぶのも大好きでしたね」という副島さんは、住宅地に残された自然を相手に、冒険もした。

「友達と探検ごっこをするんですよね。といっても場所は町田なので、大人からすればたいしたことはないんですが、東京都と神奈川県の県境に小山というか……造成地がありまして、その山頂に誰かが置いたソファがあったんですよ(笑)。前は崖になってて、ソファの上には廃材を利用した屋根がついてて、ソファに座ると神奈川側の「こどもの国」とかが見下ろせる。とても景色のいい場所なんです。そこを秘密基地にして、野いちごを食べたり、森林でクワガタを追っかけ回したり、都会にいながら田舎遊びができたんです」

 当時、副島さんと探検ごっこをしていたのは、彼を含めた友達3人グループ。不思議なことに?

「この頃からそうなんですけど、その後、高校時代まで、何か友達とつるむときは、必ず3人グループを作っちゃうんですよね(笑)。きっと、3人というのが、自分にいちばん心地よい人数だったんでしょう。その中での役割分担としては、僕はリーダー格じゃない。どちらかというと、“何かやろうぜ”と言いだしっぺになる。それに人を付き合わせてしまう、やっかいなタイプなんですよね。だから、友達もそれに付き合ってくれる人が集まってくる。たくさんいれば、2人くらいは、そういう気のいい人がいるものなんです(笑)」

 転校が多かった副島さんは、町田から再び、小学3年生の半ばで引っ越しをする。引っ越した先は、同じ東京都内でさほど遠くへの引っ越しではなかったが、23区内だけあって、自然の中での探検ごっこはできなくなった。

「さすがに、短期間で引っ越しが続くと友達も少なくなり、次第に内向的になっていきました。そこで、本格的に? 絵を描くように。自分でも、絵を描くのが好きだと自覚するようになりました」

 描いていたのは……やはり『ドラえもん』!

「『ドラえもん』を描いていたというより、『ドラえもん』しか描かなかったというほうが正しいです(笑)。映画とか漫画を観ていいと思うと、自分で勝手なストーリーを作りたくなる。そして、勝手な『ドラえもん』漫画を描き出すわけです。しかも、最初はドラえもんしか描けないから、出てくるのが全員ドラえもん(笑)。帽子を被ってたり、着ているモノが違ったり。でも、さすがに他のキャラクターも描けないとお話にならないので、のび太やジャイアンも練習していきました」

 画材は、ボールペン。50円程度で買えるメモ帳サイズの小さなノートに、副島さんはコマ割りをしたオリジナル『ドラえもん』漫画を描き綴っていった。

「ボールペンですから、下書きもせずに。そんなノートが、家にたくさん貯まっていきました。小さな紙にコツコツ描くのが、性に合ってたんでしょうね。どこへでも持ち歩けるサイズなので、家だけじゃなく、学校や遊び場に持って行っては描き込んで、友達に見せてました。しょせんは子供なので、途中で話がぐちゃぐちゃになったら、また新しい話を始めてみたりして。
 今でもそのノートは、取ってありますよ。僕は、自分の絵を捨てられない人間なんですよ。例え、そのへんの紙に描いたものも、小学校以降の絵は、今でもほとんど残ってます。膨大な量を段ボールに詰めてあって、何年かに一度、懐かしみながら自分の描いたものを、掘り下げて見てしまいますね。え? 今その絵をユーザーに見せられないか、ですか? いやー、さすがにそれだけは勘弁してください(笑)」

 そんな小学生時代、副島さんが卒業文集に書いた将来の夢はもちろん、「漫画家になること」。中学生までは、その夢を持ち続けていたという。藤子・F・不二雄作品から受けた影響は、今でも続いているとか?

「ははは、そうなんですよ。未だに、自分のキャラクターラフを描くときに、耳の形を「6」って描きます(笑)。本番はちゃんと直しますけどね」

 とはいえ、家に籠もりきりで絵ばかり描いていたというわけでもなかった。引っ越してからも、新しい3人グループを形成していた副島さんは、友達と面白い遊びを発案して遊んでいた。

「といっても、新しい友達もやっぱり『ドラえもん』好き(笑)。オモチャをそれほどたくさん持っていなかった僕らは、勝手な道具を作って遊んでました。物作りのスタートですね(笑)。
 よく作っていたのは、乗り物。ローラースケートと段ボールを組み合わせたり。ローラースケート4つを並べて、その上に段ボールで運転席を作って、羽根を付けて、ハンドルを付けて、坂道を転がしてみたりしました。けっこう大層なものを作るのが面白かったんです。あとは、小さな家を作って秘密基地ごっこをしたり。原材料は、主に段ボールでしたが」

 その段ボールも、『ドラえもん』好きならではのアイテムだった。

「全くの偶然なんですが、通学路の途中に、丸美屋食品の本社があったんです。丸美屋食品といえば、藤子作品のふりかけ(笑)。パーマンふりかけとか、ドラえもんふりかけを入れておく、絵柄入りの段ボールが倉庫に転がっているんですよ。その前で物欲しそうな顔をしていると、親切な警備員のおじさんが、「これあげるから帰りなさい」って、段ボールをくれるんですよね。それを使って、僕らはオモチャを作ってました。」

 『ドラえもん』一色の小学生時代も高学年になると、好きな漫画に多少変化が。

「読む雑誌が、学年誌〜『コロコロコミック』から、『週刊少年ジャンプ』に変わっていきました。ジャンプの黄金期ですね。『北斗の拳』『シティーハンター』……中でも好きだったのは、『ハイスクール!奇面組』。ジャンプ作品はほとんど全てアニメ化されてましたから、その頃がいちばんテレビを観ていた時代かもしれませんね。学校に行って、放課後は夕方まで友達と遊んで、帰ってきて平日はアニメを観て、土曜日は『全員集合』を観て、ずっとテレビを観てから寝る毎日。
 いちおう、習い事もやってたんですけどね。塾と……ピアノと水泳。水泳は小学4年から6年くらいまで。バタフライができなくて、止めてしまいました。
 ピアノは小学2年くらいから、高校2年くらいまでやってました。でも、高2までやってたのに、全く弾けなかったんですよ! 理由はハッキリしていて、楽譜が読めなかった(笑)。勉強がイヤなので、楽譜の読み方を覚えようとしなかったんです。先生が弾く手の動きを覚えて、それをレッスンで真似していただけ。だから、何度も途中で習うのを止めてるんです。そのたびに、新しい先生のところで、手真似から始めるので、いちばん初心者が習う「バイエル」の教則本を、何回も繰り返してるんですよ。だから、全く曲を覚えないし……高校に入っても「バイエル」をやってました(笑)。
 ピアノを触ること自体は、好きなんですよ。大人になってからも、電子ピアノを買いましたからね。でも、相変わらず、全然弾けない。もったいないので、『ペルソナ3』のコンポーザーの目黒将司に、教えてくれと言ったら、金を取ると言われて断念しました(笑)」

 ピアノの逸話でわかるように、「勉強はとにかく嫌い」だったと副島さん。そんな彼の勉強嫌いを表わすエピソードもある。

「小学校のとき、担任の先生が、毎週月曜日に漢字テストをやってたんです。しかも親切に、前の週に10問出題されるテストの答えを、黒板に書いてくれてたんですよね。それさえ事前に覚えていれば、誰でも満点が取れる。ところが、僕は毎回、ほとんど点が取れませんでした。ハナから覚える気がないんです(笑)。そのぶん、兄貴が勉強できたので、僕の成績については、親は諦めてたかも知れませんね(苦笑)」

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中学生時代〜ゲーム人生、始まる

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 副島さんは、そのまま家の近所の公立中学に進学。「特に強くもなく弱くもない」バドミントン部に所属し、真面目に部活をしながら、「特別なエピソードもない」中学時代を過ごす。プライベートでは、残念ながら小学時代の友人達=“ドラえもん3人組”は、学区の違いや進学先の違いにより解散。さらなる3人組が結成されたのは?

「中学2年くらいのときには、新しい3人組ができていたと思います(笑)。繋がりは、漫画とアニメ……あとはゲームですね」

 副島さんが、ゲーム好きなったのは、小学校高学年の頃だとか。

「6年生ぐらいのときに、「セガ・マークIII」を買いました。当時、『アフターバーナー』(セガ)とか『スペースハリアー』(セガ)とかムービングシートのゲームが流行っていて、セガが大好きだったんです。でも、友達はみんなファミコンの話しかしてなくて……ちょっと羨ましかったですね(笑)。
 もともとは、『スーパーマリオブラザース』『アイスクライマー』(以上、任天堂)が面白くて、ゲーム好きになったんですが、その後はゲームセンターに通うようになったので、いざ買ってもらうときは「セガ・マークIII」を選んでしまった。『ファンタジーゾーン』(セガ)や『スペースハリアー』『アウトラン』(セガ)がやりたくて、買ったんだと思います。その前にも、家に「テレビテニス」(エポック社)がありましたね。それは、ねだった記憶がないので、父か祖父が気を利かせて買ってくれたんだと思いますが。
 そして、中学1年で、今度はMSXを買いました。コナミが、いちばんMSXに力を入れてて、『グラディウスII』『けっきょく南極大冒険』『魔城伝説』(以上、コナミ)など、面白いゲームがたくさんあったんです。親はゲームに厳しかったので、パソコンの勉強をするという言い訳も立ちましたしね。当然、ゲームソフトにしか使われなかったですけど(笑)」

 コンシューマハード、MSXは持ってはいたが、自宅ではそれほどゲームばかりやっていたわけではない。副島さんがゲームを遊ぶのは、もっぱら友達の家かゲームセンター。

「だからその後も、スーパーファミコンは買いませんでしたし、高校時代に『ストリートファイターII』(カプコン)にハマッたときも、もっぱら人の家で遊んでました。
 今は、RPGを作っているわけですが……当時はほとんどRPGを遊んだ記憶もないんです(笑)。「セガ・マークIII」で『ファンタシースター』(セガ)の『I』『II』とか、『破邪の封印』(セガ)とかをやったくらい。『ドラゴンクエスト』も、ファミコンがなかったのでプレイしなかったし……RPGが好きになったのは、高校時代からですね。
 みんなが持ってるハードは、イヤだったんですよ。今でも、そういうひねくれたところはあって、いざ手に入れるときは、なるべく人の選ばないものを買ってしまう。高校でPCを手に入れるんですが、それもみんながPC-9800シリーズ(NEC)を買っていたから、じゃあ僕は別のにしようと、FM TOWNS(富士通)を買いましたからね。だいたい後で後悔するんですが(笑)」

 さて、ゲーム好きが加速した中学校時代を、副島さんに一言で言い表してもらうと?

「マニア全盛期(笑)。それまでは、『ドラえもん』や世間で流行ってたメジャーなものを観たり読んだりしてたんですが、この頃から、『機動警察パトレイバー』とか『ロードス島戦記』とか、高橋留美子さん、士郎正宗さんの作品とか、ちょっと大人っぽい方向に。
 ハマったキッカケは、やっぱり絵ですね。中学に入ると、『ドラえもん』を描くだけでは満足できなくて、もっとシリアスな絵を描きたくなる。小学校高学年で観た『風の谷のナウシカ』……宮崎駿さんの絵も大きなキッカケでした。頭身の高い絵、ディテールの細かい絵に惹かれていったんです。友達の影響もありましたね。例の新しい3人組のひとりが、図書館を開けるくらい、漫画を持っていたんですよ」

 もうひとつ、その友人宅では出会いもあった。

「“メガテン”を初めて観たのも、そいつの家でしたね。彼はRPGが大好きでしたから。「メガテン、面白いんだよ!」と薦められて。確かスーパーファミコンの『真・女神転生II』だったと思います。……ここで、劇的な出会いがほしいところなんですけど、わりとスルーしてました(笑)。「メガテン、面白いんだよ!」「へぇー、暗いね」……で、終了(笑)。そもそも、スーパーファミコンを持ってないから、自分でプレイもできないですし」

 将来、自分がシリーズに関わることになるとは露とも思わず、あっさり“メガテン”との接近遭遇を終えた副島さん。いちばん夢中になっていた作品は?

「『パトレイバー』もかなり好きでしたが、『ロードス島戦記』が面白かったですね。今から振り返ると、和製ファンタジーですが、当時のファンタジー好きにとっては、世界観が新しかった。絵のほうも、ファンタジーな漫画をよく描いてました。オリジナルキャラの偽『ロードス島戦記』みたいなヤツで、国や大陸の名前が違うだけ(笑)。小学生のときはメモ帳サイズでしたが、この頃は、画材もキャンパスノートに進化しました。まぁ、物語を終わらせた覚えはなく、設定を考えるのが楽しかったんですよね。
 ちゃんとした漫画が描きたくて、専用の原稿用紙や安いスクリーントーンを買うようになったのもこの頃です。アニメも作ってみようといって、アニメックスカラーを買い込んで、セル画を描いてみたりもしてました。絵を描くのは大好きでしたが、基本的には美術的な絵ではなく、漫画絵ばかりでしたね。漫画誌の『コミックNORA』の読者コーナーに投稿して、2度ほど掲載されたことも。投稿した雑誌も、ちょっとマニアックでしたね(笑)」

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