21.02.01 パソコンができる
自分が使っていることと教えられることの別、碁盤の例
21.01.31 湯河原の七不思議
高橋延行議員の発案、議会でミニコミ誌が配られて、みんなで読んで、意見を戦わす、これは利敵行為ではないか、試しに赤旗だったらどうか、出身大学の名前
21.01.30 湯河原の七不思議 長のリーダーシップの欠如
地方自治における長と議会の関係、職員曰く「外部監査役」、中学校問題の特別委員会、それにしても時間の掛け過ぎ、やっと本音の結論が出てきた
21.01.29 各種委員の報酬 月額制は違法の判決
21.01.28 第二回公判の報告
21.01.27 中学校移転問題 特別委員会 保護者配布文書
21.01.26 中学校移転問題 財源の話
21.01.25 プリンターの買い換え カメラの買い換え
パソコンを初めて買ってから、これで10年になるのだが、ここのところプリンターが次々と不調になって、買うのも馬鹿らしくて、その都度印刷屋に持って行って有料で印刷していた。最近になって、トナー式のモノクロレーザーにしたらどうかと助言してくれる人がいて、ネットやノジマで探してみたところ、手頃なのがあったので、1台購入してみた。
今まで買ったプリンターというと、ヒューレットパッカードは、1年したところで何も反応しなくなって、サービスに電話したところ、送らなければ一切何も教えられないというので、バラしてゴミに出してしまった。次がノジマで多機能で安いのがあったので、ブラザーを買ってみた。印刷の他に、スキャナーとコピーの機能があるので、便利だと思ったのだが、インクがあるのにインクがないと表示が出て、使えなくなってしまった。今ではスキャナー単機能として使っている。他にキャノンとメーカー不明もあったのだが、引っ越す時に人にあげてしまった。
今回買ったプリンターは、これで5台目になる。セイコーエプソンも検討したのだが、安いのでキャノンにしておいた。デジカメも6台目でキャノンイオスfになったのは、前日に書いた通りである。どうした訳か、両方キャノンになった。
デジカメにしろプリンターにしろ、おかしな壊れ方をした場合は、別のメーカーに切り替えることにしている。勿論調子が良ければ、同じメーカーを買い継ぐことにしている。だからデジカメではフジが三台になっている。
フイルム式の普通のカメラは、結局ニコンFにまで到達したところで、辞めてしまったので、今ではカメラケースの中で朽ち果てつつある。デジカメはキャノンで長く使えるのかどうか、楽しみだ。レンズは良い物を無理して買ったので、壊れない限り買い換える必要はないだろう。
21.01.24 デジカメ5台
湯河原に来てからデジカメというものを始めたのだが、5年で5台を経過している。毎日のように持ち歩いていることもあるし、安物ばかり買っているせいなのかどうか、今時のデジカメは消耗品のように壊れるようだ。
1台目は、フジの箱形300万画素で、スイッチを入れるとレンズの前のふたが開く方式だった。これはもう少しスペックの良いカメラが欲しくなって、人にあげてしまったが、まだ健在のようだ。
2台目は、コニカミノルタの外見だけ1眼レフで、値段が安いのに、レンズその他のスペックが高く、軽量でもあって、ずいぶん重宝したのだが、オートフォーカスの性能が悪いくらいならともかく、ファインダーに丸いケラレが出て、しかもそれが左右に移動するようになった。どうも受光部にガタが出たようだ。
3台目は、フジの外見だけ1眼レフで型番が6000、ズームもフォーカスも手動なので、電池も消耗せず、丈夫だったのだが、あまりにも重くて、毎日のようにもって歩くのには辛かったので、息子にあげてしまった。
4台目が、フジの外見だけ1眼レフで型番が8000、前回の機種以上のスペックがあって、軽量小型だったので、ずいぶんと持ち歩いたのだが、歩道で手に持った荷物を下ろそうとしゃがんだ時に、肩から滑り落ちて、一切動かなくなってしまった。
5台目が、ニコンの外見だけ1眼レフで、型番がP80、スペックは良かったのだが、2日しかもたなかった。コニカミノルタと同様にケラレが出て、それが移動する。購入店に返品して終わった。
6台目が今使っているもので、キャノンのイオスf、レンズはシグマのズームを別途購入した。昔は1眼レフを使っていたので、液晶をファインダーで見るのではなく、レンズから入った光を直接見る方式は、やはり鮮明に見えるので、体になじむ。電源を入れなくても覗けるところも良い。重たくて大きいのだが、その分最近は1日あたりの歩く時間が減っているので、大して苦になっては居ない。
色々と面白い仕掛けがあって、なかなか良くできたレンズとカメラだ。ズームロックのボタンは何に使うのか当初は分からなかったが、持ち歩いているとレンズが伸びてくるのを防ぐためだと言うことが分かった。オートフォーカスも凄く素早い。マニュアルでも可能である。ズームが手動でピントはオートという役割分担が良くできている。
それにしても、政務調査費がある議員だと、こういうカメラも経費として認められるのであろうか。活動の少ない議員の方が結果として得をするという実態も如何なものか。
21.01.23 二本目 委員会視察の欠席届
所属している委員会の宿泊視察について、前々から公言しているように、視察不参加としていたところ、事務局から欠席届を出すように言われて、別紙のように出してきました。その後、事務局から電話が来て、「理由が不適切なので、出し直すように」と言われました。当然のこと私の回答は、「他の理由にして出すつもりはない」ということでした。行政行為論で言うところの、「受理」と言うところですが、今後どういう事になるのか、興味津々です。
なお、本日の特別委員会で、私のミニコミ誌が高橋議員によって問題にされて、現物のコピーが全員に配られました。議員になって2年足らず、よそ者の新人泡沫議員が、ミニコミ誌を議員全員に配られて、みんなで議題にしてくれるようになるとは、名誉なことです。
「問題にするのであれば、懲罰委員会を開くか、裁判に訴えて出よ」とお返ししたところ、そこまで度胸のあるというか、自己の主張に自信のある議員は居なかったようです。何しろ、会期独立の原則を無視して、終わってしまった会期の発言を、次の会期の本会議で訂正させて平気な人たちですから、あれこれ言ってもしょうがないのでしょう。
21.01.23 学校給食の残飯から堆肥
ニュースを見ると、NTTが給食の残飯から堆肥を作っていて、地元では好評だという。こういう取り組みは、資源の少ない日本では、大いに歓迎すべき取り組みであるが、残念ながら湯河原では難しいだろう。なぜならば、湯河原ちゃんねるによると、「湯河原の人間の排泄物には、重金属が高い濃度で存在しているから、堆肥(コンポスト)には不適である」、というのだ。
そもそも重金属というのは、あたかも常温核融合のように、人間の体の中で合成されてできるものではない。だから、食べるものか飲むものに重金属が存在していると言うことになる。つまり、湯河原の水か食べ物に重金属が濃度高く含まれていて、そこからから重金属が湯河原の人間の体内に入る、ということになるではないか。これがたとえ本当でなくても、こういう書き込みがネットによって全国に明らかにされると、
風評被害というものが出てくるのでは無かろうか。
もしこれが嘘・間違いであるならば、根拠無く湯河原の評判を悪くする書き込みなので、掲示板の設置者・管理人は、すぐにでも書き込みを削除すべきであるが、これは難しいだろう。
掲示板の管理人は削除したくても、できないだろう。なぜならば、湯河原の人たちから、「削除した、改ざんした」と非難されるからである。
ただし、
管理人が書き込みしている連中とグルならば話は別である。管理人がどんな書き込みを削除・改ざんしても攻撃されない。なぜなら、「仲間内ならば事前運動しても良いが、よそ者新人の泡沫候補の事前運動は許さない」、という土地柄だからである。
さて、湯河原の三校の給食の残飯でどれだけの堆肥ができるか(調理ゴミも含める)、使ってくれる奇特な人はいるか、重金属が入っていると言われても使う人がいるだろうか。(それにしても馬鹿げた議論だ、下水汚泥や残飯の検査をしてみればすぐに判明することなのに、これも湯河原方式であろうか)
21.01.22 湯中の湯高跡地への移転と津波との関係
1月のミニコミ誌の中学校問題について、支持者から一つ指摘されたことがある。湯高跡地が良くないという理由に、津波のことを入れた方が良い、ということであった。確かに、町内では、津波の心配する声が結構あって、耳にすることも多い。あの立地では、もし大きな津波が来れば、避難せざるを得ないだろう。(関東大震災の時には、城堀の信号まで潮が来たという)
それを知っていて、何故ミニコミ誌に書かなかったのかというと、こういう理由があるのだ。委員会でも質問が出たことがあるのだが、県の報告書では、高潮による被害の想定はあるのだが、津波被害の想定はないのだ。高潮では、新崎川から国道西側を門川方向に浸水被害が想定されている。湯高跡地には浸水被害は想定されていない。こういう報告書の存在を知っていると、そう安易には否定できない(県の報告書にはないのに、津波が来るという想定をすること)ので、とりあえずミニコミ誌で入れないでおいたのだ。
という訳で、もう少し私に対する追求が緩いのであれば、津波問題も一つの要件として入れておけば、湯高跡地に中学校をもっていかない方が良いという論拠になるだろう。それも強力な論拠になるだろう。(追求が緩い:一般町民であれば、津波問題を正面に上げて良いのだが、県の報告書を見ている議員の立場としては、正面から県の報告書を否定するには、それなりの論拠が必要だ、その論拠を追求されると、証明するのが難しい、ということ)
21.01.21 湯河原の七不思議
湯河原ガスの工事について、掘削許可とは別の場所を勝手に掘って、ハナミズキの街路樹を30本以上も傷つけたという話は、新聞にも載ったので、みんなが知るところとなった。不思議なのは、それから以降の湯河原ガスと施工業者の動きである。
町役場の関係には頭を下げにいったという。だがN島の所には何も来ていない。湯河原にはまだ引っ越してきてから5年なので、どんなところかよく分からないのだが、今までの知識経験から推測すると、こういう場合は菓子折の一つも下げて議員の所に行くものだと思っていたのだが、湯河原はさすがである。潔癖というか、法律遵守というか(といっても菓子折くらいでは社会通念上のお付き合いであろうが、それ以上になると法律違反になる可能性がある)、たとえ町役場の偉いさんの所に挨拶に行っても、議員の所には行かないという土地柄のようだ。
湯河原では、何かと潔癖でない話を良く耳にするのだが、今回は潔癖なところもあるのだと、妙に納得がいってしまった。これも湯河原の不思議であろう。全ての政治家に対して、全ての件について、潔癖であって欲しい物だ。
(こういう事を書くと、湯河原ちゃんねるあたりでは、必ず、「あいつは菓子折が欲しいんだ」という書き込みが現れるだろう。湯河原ちゃんねるにはそれだけ、物もらいの習性が染みついている人がいると言うことだ)
21.01.20 二本目 決定文書とは?
情報公開で、職員の処分に関する決定文書を請求したところ、当事者に交付した処分書だけが出てきた。これはきっと、処分の理由等の詳細を出したくないので、わざとやったのでは無かろうか。処分の決定文書であるから、その理由とか根拠法規とかのっているはずである。例を挙げれば、
請求対象を契約の決定文書としたら、契約書だけが出てくるのか、ということである。
これは推測だが、きっと最初はこちらの要求の通り決定文書を用意したのだが、途中で誰かが横やりを入れて、ワル知恵を付けたのでは無かろうか。いわば、ラスプーチンスがいるということだろう。
21.01.20 湯河原の七不思議
今から丁度1年前のことだが、
警察の取り締まり情報が地元に漏洩しているというお話。
去年の1月のミニコミ誌のことなのだが、警察から注意処分を受けた。理由は、「ミニコミ誌が事前運動に当たる」というのだ。そのことは後で書くとして、湯河原の七不思議というのは、その直後に城堀を歩いている時に、軽トラに乗っている土屋誠一議員にばったり出会ったのだが、
土屋議員(今は議長)は車を止めて話しかけてきて、開口一番こういったのだ。
「1回目は警告で済むから」
つまり、土屋議員は、私が小田原警察署から注意処分を受けたことを知っているのだ。もちろん、私は誰にも喋っていない。土屋議員が知って居るとなると、同じ会派の議員も知っていたのかも知れない。ひょっとして、警察に取り締まるよう迫った議員が居るのかも知れない。
これはまさに湯河原の七不思議ではないか。
ところで、去年の本選では、選挙事務所を二カ所同時に設置した候補者が居て、警察に証拠写真を撮られたという話なのだが、もしそうならば、あれはちゃんと取り締まったのだろうか。警察にコネのない私としては、情報収集のしようもないのだが、もし取り締まっていないとしたら、もしくは取り締まり情報を土屋議員に提供していないとしたら、これも七不思議であろうか。将来もし県議になれたら、警察情報も耳にはいるような立場になるのだろうか。
さて、私の違反というのは、どういう事かというとこういう事であった。
「1月のミニコミ誌の内容が、事前運動に該当する」というのが小田原警察署の言い分であった。
このミニコミ誌については、まず最初に、小田原警察署警備課巡査部長に直接事前運動の要件を聞いた上で、違反にならないように書いたものである。さらに、印刷の上がったミニコミ誌を、配布前に湯河原交番に提供して、「小田原警察署警備課巡査部長に事前に指導を受けて書いたものである。配布前に小田原警察署に提出するので、もし不都合があれば新聞折り込みの前に指導していただきたい」といってお願いしておいた。
それなのに、小田原警察署刑事担当次長の岩田氏と、課長補佐、巡査部長の三人が私の自宅を訪ねてきて、「ミニコミ誌の全体の主旨から、事前運動の疑いがあるから注意処分」といってきた、ということである。
21.01.19 定額給付は幾らか
ニュースに出ていた世論調査によると、圧倒的多数の国民が、定額給付は無駄で他に使った方が良いという。また、所得制限を設けて、差額を自治体で使うという話があって、そういうことが法的に可能かどうか、議論があるようだ。手続きとしては、一番簡単なのは、自主的寄付を承認してもらうことだ。
だが手続き論は別として、さて湯河原ではどのくらい寄付が集まるだろうか。もちろん使途を明確にする必要がある。中学校の新築のためにという目的だったらどうだろうか。湯河原ちゃんねるで、匿名悪口に励んでいる皆さんは、どうで出るだろうか。普段叩いている大口に見合う寄付ができるだろうか。
ところで金額だが、湯河原の人口から推測すると、このくらいの金額になるだろう。人口が約2.8万。一人あたりの金額は、一般1.2万、子供高齢者は2万。これが6対4だとして、4.256億円。歩留まり(寄付に同意しない人)が何割居るか。生活保護とか低所得とか関係なく、町民全員に寄付をお願いするとして、同意しない人が、2割ぐらいだとして、約3.5億円である。
さて、町民からの寄付がこれだけあるとして、冨田町長は中学校の新築に踏み切るかどうか。もちろん町民にやる気があるかどうかである。
さらに、さてさて、このアイデアはN島が言い出してしまったので、たとえ良いアイデアだと思う人がたくさんいても、実現不可能になるだろう。
21.01.18 言い出したのは誰か
良い提案であれ、悪い提案であれ、誰が言い出したかによって、その扱いを決めると言うことは、湯河原でも良くあることなのだが、これは湯河原方式ではない、どこに行ってもそんなモンだということである。議会でも、与党会派が言い出せば、どんな案でも賛成し、N島が言い出すと、どんな案でも反対する、ということだ。
それで、面白いことを思いついたのだが、わざとどんどん良い案を先回りして提起してしまうのだ。となると、抵抗勢力はどうしたらいいか。どんな良い案でも、発案者の属人性に従って反対しなければならなくなるではないか。それとも、やむを得ずメンツを捨てて、どれかは賛成してしまうのだろうか。
姑息な手段では、いかにも自分が言い出したような顔をして、N島のアイデアを実現してしまうという手がある。だが残念ながら、私の提案は、ミニコミ誌で配るか、ネットで公開するので、誰が言い出しっぺなのか、多くの人が知っているのだ。つまり、ネタの盗用と言うことは、すぐにばれてしまうのだ。
となると、恥さらしで自分の案として実現するのか、諦めて採用しないのか、というジレンマに陥ることになる。そんなことしていないで、さっさと冨田町長はN島を味方にしてしまえばいいと思うのだが。それだけの度量はないということか。
21.01.17 二本目 幕山公園 梅林
梅林まで見に行ってきました。今年は日当たりが良いせいか、大分花が咲いています。お客さんも結構来ていました。売店だけでも先に開いても良いのではないでしょうか。剪定した枝で、花が付いているものをお客さんが拾って帰っていました。いっそ道ばたに置いて置いて、持って行ってもらうようにすると良いかもしれません。花がかわいそうですから。
21.01.17 書いているのは女か?
湯河原ちゃんねるの分析の続きを少々。
以前読んだ本で、2ちゃんねる分析の本がある。あたかも犯罪心理学のように、書き込みの攻撃対象からプロファイリングをやって、書き込みした人間像を探るというものであった。それによると、2ちゃんねるで何かと人を誹謗中傷して楽しんでいる輩とは、性別男、所得非高所得、学歴非高学歴、年代30代から40代といったところだそうだ。つまりフリーターや派遣などの男性の欲求不満の発散として機能しているそうだ。
では、湯河原ちゃんねるはどうなのだろうか。最近気がついたのだが、女性議員に対する書き込みが見られないのだ。下位当選から上位当選まで、3人女性議員が居るのだが、だれも書かれていない。地元では、素晴らしい議員だという噂以外は出ていない訳ではないし、日本全国では、所属する党派がネットで攻撃の対象になっていない訳でもない。ということは、湯河原ちゃんねるで攻撃している輩は、女性もしくは女性の味方と言うことになるのだろうか。
思い当たるのは、当該議員およびその応援団を別にして、以前匿名で、「大変不愉快な思いをしました」というものの言い方をする女性?がいたのだが、あの人は泉の住民の立場で書いていた。もちろん書く立場が泉であって、実際は湯河原に住民票を置いているのかも知れない。他に女性でこれといって思い当たるスジはないのだが、自分が女性に好かれないという自覚はある。
21.01.16 湯河原の七不思議
中学校問題が話題にならないのはなぜか。N島に関係ないところで話題になっているのか。それとも言い出したのがN島だから話題にしないようにしているのか。
例のスレにしても、「よそ者の新人泡沫議員であるN島が、湯河原中学校をバカにした」という思いこみで始まったものなのに、中学校の耐震化のスレが立たないのはなぜか。しかも、耐震化に絡めて、湯高跡地への移転と現中学校用地の売却の話が出ているのに、どうして湯河原では話題が盛り上がらないのだろうか。
湯河原の人間であれば、90%以上の確率で、子供や孫が湯河原中学に通うことになると思うのだが、関心は強くないのだろうか。
今の小学5、6年生は、場合によっては、小学校で耐震工事をやって、中学に行ったらまた耐震工事をやって、結局5年間くらい工事中の学校に通うことになる。それで誰もかわいそうを思わないのだろうか。
私の政策が新築に至った論理構成というと、
・耐震化すると環境が悪くなる
・工事ばかりで子供がかわいそう
・プレハブも環境が悪い
・だからといって、湯高跡は中学としてふさわしくない
・それに、耐震工事やっても10年くらいで建て直しになる
・新築が一番良いが、金が問題だ
・それでは、金は何とか考えよう。一度建てれば、50年以上もつではないか。まさに湯河原100年の計ではないか。
21.01.15 湯河原の七不思議
町長は、税金を使って湯河原に金が入らないように裁判で戦っている。
N島は、自腹を切って湯河原に金が入るように裁判で戦っている。
それを見て、N島を支援するために文昭堂で自費出版を買ってくれた人が、10人くらいしかいない。
ところが、「税金を使って湯河原に金が入らないように裁判で戦っている」冨田町長には、たくさんの支持者がいる。
湯河原の人たちは、お金はいらないのだろうか。
真鶴に4億3700万円を負けてやる冨田町長の方が良いのだろうか。
裁判やるだけ余計なお世話だったのだろうか。
湯河原と言うところは、よく分からないところだ。
言うまでもないが、私はお金ほしさでやっている訳ではない。個人として金が欲しい訳でもなく、真鶴から金を取りたい訳でもない。14日で言うところの、「正論を実行」したいだけだ。
21.01.14 二本目 実名が判明、犬の放し飼い
以前何度か書いたことのある犬の放し飼い、今日ついに実名が判明しました。城堀で、○○○◎を営む、○○○(実名がフルネーム)。犬をトラックの荷台で飼っていて、ツナを付けていないという。
今日、城堀を歩いていて、被害者から呼び止められたのだが、その人の飼い犬ばかりか、その人自身も噛まれたという。直接飼い主の所に持ち込んだのだが、取り合ってもらえなかったという。他の人に聞いた話では、「金を払えば良いんだろう」と言われたとか。
管轄は、神奈川県になるので(昔保健所、その後犬管理事務所、今では動物愛護センターと名称が変わったのでは無かろうか)、今度は県会議員に頼むことにしよう。それでもだめなら、自分で県の出先に乗り込むしかないだろう。とりあえず、同僚の町議に仲介を頼んでおいたので、しばらくして改善されないようならば、私が動くことにしよう。
犬の放し飼いによる被害もあれば、イノシシや猿の被害もあれば、暴走車・改造車・騒音車が跋扈するという、ノーヘルバイクで交番の前を走っても平気という、本当に湯河原と言うところは、興味深い町だ。それに、湯河原ちゃんねるでは、放し飼いの犬による被害を防ごうとする行動を、犬に暴力を振るうといって、非難するところなのだ。
なお、町役場で聞いたところでは、住民に被害が出そうな場合、町が犬を確保して、保健所等に引き渡すと言うことでした。今度見つけた人は、町役場環境課に電話して下さい。
21.01.14 「匿名の正論は実行できない」
発言者
水島
精二(みずしま・せいじ)
東京都府中市出身、1966年1月28日生まれ。東京デザイナー学院卒。撮影、制作進行を経てアニメ演出家。『機動戦士ガンダムOO』のほか『ジェネレイターガウル』『鋼の錬金術師』『大江戸ロケット』などで監督を務めている
ソースはここ。
http://news.goo.ne.jp/article/nbonline/business/nbonline-181287-01.html
一部引用(下線は中島)
「批判することで良くなるかもしれない」という思いは、心の中にあるでしょう。
自分は憂さ晴らししているだけなのだと思ったら、寂しくなりますからね。自分の中で、どこかに正義を保てないと、俺、何をやっているんだろうというところにいってしまうと思うんですよ。人に批判の言葉を叩きつけるためには、そこになにがしかの「正義感」を持っていないと難しいんです。
でも、正論を言う人が、本当にそのように行動できているかというと、それはまったく別ですからね。正論はあくまでも論でしか無くて、実際に、その通りに行動してみろと言われたらできない人がほとんどですよね。
批判をする側は、自分の発言をいわゆる社会正義だと思って書き込むんですけど、その個人に対して
「あなたは失敗したことはないんですか?」と問うと、みんな、おっとって引いちゃうと思うんです。
それは言葉に、「自分の行動」というバックボーンがないからです。「その時、自分ならどうするか」という肝心なところがないと、机上の空論になってしまいますよね。頭の中のロジックだけで考えた正論というのは。
それが発言に責任を持つ態度だと思います。
ネットというのは、名前を伏せて発言ができるから、言いっぱなしになれるというのが「いい」んですよ。発言に相応しい行動をとっているかどうかが問われない、安全なところにいられる。だから叩かれない。自分の身に危険が及ぶというのは、名前をさらしているからこそじゃないですか。
匿名というのは、名前=「自分」がいなくていい状態なんですよ。
「人ごと」として発言できるから、その分、無責任になれる。
言ったことに、責任を取らなくてもいいという。責任を取らなくていいというのは、現実にはなかなかない場ですよね。
だから匿名はダメだ、発言は必ず実名にしろ、ということを言いたいんじゃないです。無責任に発言できるということには、もちろんメリットもある。そしてこうした怖さもある。両方を含めて、ネットが利便性だけでなく、欲望やモラル、社会の雰囲気に至るまで、すごく世の中を変え、動かしているのを感じますね。
ただ、批判を繰り返す人に言いたいのは、ネット上では「正論」は強力な武器になるとしても、
それが無記名な、名前を隠している発言である限り、世間での評価というのは、実際には低いんだよ、ということですね。
「何だあれ」とか、「かっこ悪い」とか、“脊髄反射”みたいな反応なんです。
―― 脊髄反射だなと思うのは、どんなところですか
なんと言いますか、
作品を見て批判をしているわけではないんです。フィルムを観て物語を追おうとしているのではなく、絵だけを追って、
見た目だけで批判をしてくるのですね。
特に今、ネットで評判が広がるのがすごく速いでしょう。叩くにしても褒めるにしても「こう言えばいいんだ」というポイントが提示されると、あっという間に広がっていく。
叩きたい人たちは、最初から「嫌い」というベクトルを持って入ってきて、ネットの中で自分と同調できる「嫌い」ポイントを探して、“叩きの流れ”に乗っかっててくるから、
もう仕方がないんです。
21.01.13 定額給付に所得制限して学校を耐震化
ニュースによると、今度実施されることになっている定額給付について、所得制限を課して、浮いた分を学校の耐震化に使おうという自治体があるそうだ。政府の方針として、所得制限をするしないは自治体に任せると言うことであるから、制限を設けるのも設けないのも、幾らに設定するのも、自治体の任意と言うことになる。
そこで、湯河原町で所得制限を設けることにして、幾らに設定すると、幾ら財源が浮くであろうか。そしてその財源を何に使うことにしようか。などと言うよりも、湯河原町ではそもそもそんな発想は誰も思いつかないだろう。たとえ思いついた人がいたとしても、町役場で現実化することはあり得ないだろう。
4億3800万円の住民訴訟をやってみて、湯河原中学校の耐震化をミニコミ誌で提起してみて、住民からの反応を見ていて、そういう思いを強くしている。
21.01.12 防災訓練の時のこと 総合防災訓練実施計画
議会の資料を整理していたら、面白い実施計画を見つけた。スキャナーで取って、掲載しておいた。これではまるで冨田町長の選挙運動ではないか。当日は、私は本部会場にいたので、計画通り防災無線で全町に流したのかどうか知らないが、どうだったのだろう。
それにしても、実施計画を作る職員は、何とかして覚えめでたくなろうと思って、ごますりが大変なのだろう。ご苦労様な事だ。
21.01.11 二本目 デジカメに見る運勢
年末、デジカメを肩から提げていて、しゃがんだ時に落としてしまった。全く動作しなくなったので、ヤフオクでニコンを買ったのだが、これが届いたのが8日、今日宮下公園でどんど焼きを写していて、画面にケラレが出るのを見つけた。やむを得ず購入元に連絡を取って、送り返しておいた。
どうも今年の運勢は良くないようだ。次は何だろう? やはり石か糞か暴走車か。
デジカメは、安物を買っているせいか、5年で5台目。内壊れたのが3台。重たいので人に譲ったのが1台、機能面で人に譲ったのが1台。毎日のように持ち歩いているので、全くの消耗品である。
21.01.11 年末年始の温泉場
年末年始は、観光立町がどんなものか、温泉場方面に何回か足を運んだ。まずバス通りですれ違う観光客が少ない。途中の著名な店でもあまりはいっていなそうだ。温泉場近辺でも姿を余り見ない。旅館でも満室にならなかったところもあるという。泊まっても、冷蔵庫を使わない、チップは無し、きれいどころやマッサージを呼ばない、という感じが多いという。
予約について言えば、前年は15人が予約を入れて内5人は満室で断ったとする。当年は10人が予約を入れて全員泊まれたとする。どっちも旅館は満室な訳だ。それが空き部屋がでるとなると、どういうことなのだろうか。
こごめの湯は、年末はお休みで、年始は開業していたと言うが、お客の入りはどうだったのだろうか。
いずれにしろ、影響が目に見えるように現れるのは、温泉料金の滞納とか、従業員の給与不払いとか、天引きの税金や保険料の減少とか、年末の決算か、来年度の歳入見積もりあたりからだろう。さて、冨田町長と総務部長の腕の見せ所である。同時に、町長総務部長に気に入られている職員の皆さんの力量次第でもあるだろう。
21.01.10 二本目 ミニコミ誌に見る運勢
ミニコミ誌1月号を発行したのだが、今回はどうも運勢が下がっているようだ。
一つ目が、前回書いた手持ちの枚数。いつも印刷会社から700か800部くらいはもらっていて、自分の足で歩いて配っているのだが、今回はどうしたわけか、250部しかもらえなかった。
二つ目が、渡した原稿と違うところがあること。USBメモリーで渡して、印刷会社のパソコンに写してもらって、一枚印刷したものをその場で校正して、校正の終わったものを再度印刷してもらって、最終確認をしている。その最終確認の試し刷りでは、ちゃんと小見出しが太字になっているのに、配布されたミニコミ誌では、太字になっていない。ということは、私が帰ってから原稿のファイルをいじっていると言うことになる。
この次は、道を歩いていると、石が飛んでくるかも知れない。それとも湯河原のことだから、犬の糞を踏んづけるか。暴走車・改造車・騒音車に轢かれるか。
21.01.10 今年は本当に景気が最悪になるのか
ネットのニュースをあれこれ見ていると、今年は経済が国内でも国外でも、凄く悪くなるという予測がある。これは本当なのかどうか、どうも実感が湧かない。議会でも、湯河原の経済をどうするかとか、税収の大幅減をどう予想するかとか、歳出の削減はどうするのかとか、さっぱり見えてきていない。本気になって観光立町を考えているとも思えない。
町内を歩いていても、あっちこっちで家を建てているのが見られる。新築の家が空き家になっている訳でもなさそうだし、ホテルも工事中だし。野外生活者が増えたようにも思えない。改造車は目立っても、修理しないで走っている車がたくさん見られる訳でもない。アイドリングストップなど関係ない車両も多い。古本屋に持ち込んでも、日焼けしたものは売り物にならないと拒否されるし。シケモクを拾っている人が見られる訳でもない。
国家レベルでも、為替も株も大した動きがない。却ってガソリンは値下がりしているくらいだ。国地方が抱える借金についても、これといって切迫感がないように感じられる。定額給付くらいで騒いでいるが、あれで日本経済がどうにかなるとも思えない。日比谷公園のテント村についても、何となくセレモニーの感じがする。リニア新幹線を作らなければならないほど、既存の新幹線が混んでいると言うし。
本当に経済が悪いのであろうか。特に悪いのは、一部の金融資産をたくさんもっている人たちだけでは無かろうか。一般の人は、せいぜい携帯の通話時間を節約するくらいなのでは無かろうか。
湯河原の議会や町長が本気になれば、経済が悪いという話も、真実みが持てるだろう。
21.01.09 バス停の設置
ミニコミ誌を配りに行こうと思って、吉浜経由の真鶴行きバスに乗ったのだが、目指す場所付近にバス停がないのに驚いた。長窪から立体交差の間にあるだろうと安易に乗ったのがいけなかった。長窪の先は、JRのガードを二度くぐって、国道の福浦入り口までバス停がないのだ。
手前は、舟付け、船岡、長窪と連続して短距離にバス停があるのに、その先は、切り通しから立体交差手前あたりでは、バスは降りれないのだ。しかも天保山経由の方には、川堀というバス停があるのにである。他の路線と同様にして、川堀のバス停が同じような位置にあるとばかり思っていたのだが、バス会社の感覚は違うようだ。
お陰で、福浦入り口から川堀まで歩いて戻ることになった。こんな事なら、20分待ってコミュニティバスに乗れば良かった。お金も30円だか40円だか安くて済むし。
バス会社の経営者の方、切り通しか川堀のあたりにバス停を設ける気はありませんか?
21.01.08 二本目 10日土曜日にミニコミ誌1月号が
真鶴配布地区は9日金曜日の夕刊、湯河原配布地区は10日朝刊に入ります。いつもは800部くらい自分で歩いてい配布していますが、今回は印刷会社から250部しかもらえなかったので、二日間配布して品切れになりました。体は楽ですが、人と会う機会が減ってしまうのが残念です。
21.01.08 職員処分
今回の職員の処分見ていると、「湯河原町役場はもう終わりだな」という感慨がしてくる。
マスコミが宛にならないのはいつものことで、今更あれこれ言ってもしょうがないのだが、こういう処分が出るようでは、町役場の職員はうんざりしてしまうのでは無かろうか。勿論人によって立場が違うので、一部の人にとっては、「これからもせっせと忠勤に励もう」ということになるのであろうが。
そもそも官僚制度というものは、国王や政治家の如何に関わらず、公正で中立の仕事をするという建前があるのだが、これでは湯河原では官僚は育たないだろう。尻尾を振るのがお上手な忠臣ばかりが育つだろう。
役場職員だけではなく、処分者の顔ぶれを見ていると、一般町民もうんざりしてくるのでは無かろうか。私には確認のしようがないのだが、ウワサでは重要人物の血縁者がいるという話なのだが。
なお、不品行の職員の処分については、ナカムラ小隊長は肝を冷やしたのでは無かろうか。同時に、処分を免れるなんてチョロイモンだと思ったであろうか。
議事録で公開と回答(懲戒処分に関する資料)
◯委員長【北村礒江君】 中島委員。
◯2番【中島 寛君】 読売新聞の記者に情報公開したところの、警告した文書というのはいただけるんでしょうか。
◯委員長【北村礒江君】 露木総務部長。
◯総務部長【露木高信君】 いつでもどうぞ。
◯委員長【北村礒江君】 中島委員。
◯2番【中島 寛君】 委員会に配布ということではなくて、私が取りにいくということでよろしいですか。
◯委員長【北村礒江君】 露木総務部長。
◯総務部長【露木高信君】 同じように情報公開請求していただければ、資料は情報公開いたします。
この後に私と冨田町長のやりとりがあったのだが、議事録では削除されている。私が「資料をもらうと、個人が特定できるのだが」と質問したところ、冨田町長は、「本人には家族もいることなので、そっとしておいて欲しい」と回答している。
21.01.07 議会基本条例の欠陥が欠陥でない議員とは
湯河原町の議会基本条例には、大きな欠陥があると、常々主張している。だがこのことが議会で問題にならないのはなぜかというと、それなりの理由があるのだ。多くの議員にとっては、この欠陥は欠陥ではないのだ。
欠陥が欠陥でない人とは、第一に、情報収集を熱心にやっていない議員である。説明するまでもなく、幾ら条例に欠陥があっても、その規定を利用しない人、つまり情報収集を熱心にやらない議員にとっては、欠陥は欠陥ではないのだ。
第二に、たとえ条例に欠陥があっても、条例に関係なく職員から便宜を図ってもらえる議員である。つまり、条例なんかあってもなくても、いつでも一声掛ければ資料をもらえる議員にとっては、条例なんか無くても良いのだ、ということになる。
湯河原ちゃんねるにおける議員の評価と同じで、黙っていると(議員として情報収集しないでいると)、議員として良い評価をもらうということだ。それとも、湯河原ちゃんねるの住人は、電話一つで何でも手に入る議員の仲間なのだろうか。
それにしても、条例の欠陥に関係なく情報が手にはいると言うことは、本来議会制度に反する慣例だと思うのだが、湯河原ではそうは思われていないようだ。
21.01.06 二本目 賀詞交換会と情報公開(職員処分)
賀詞交換会
今日は賀詞交換会ですが、私は不参加です。何しろ、去年の海開きの件で、「ただ食いしている」といわれましたから、こういう類の席には参加しないことにしています。他の議員が、「ただ酒、タダ飯」をもらっても何も言わない湯河原の人たちが、N島がおでんを食べただけで、「あいつはタダ飯を食らっている」とネット上で全国に向かって公言するのですから。
あの時、熱い炎天下だったので、行事終了の後、冷たいお茶だけもらって帰ろうとしたら、同僚議員が気を利かして、皿に盛ってしまったので、そのまま置いたら捨てられてしまって、もったいないと思って、無理して食べたのですが、それをもって、「あいつはタダ飯を食らっている」と言われたのでは叶いません。湯河原はそういうせせこましいところ、嫌みっぽいところだと言うことが分かってきたので、一切不参加としています。何しろ他の議員は何も言われないので、湯河原と言うところは嫌みなところです。
そんな事情があって、賀詞交換は不参加です。関係各位のみんなさん、失礼申し上げます。
情報公開
1月1日付で職員の処分が公表されました。それで決定文書を公開請求しておきました。今年の仕事始めですね。確か2年近く前ですが、仕事をしないで異動した職員がいて、文書注意となって、新聞にも載った事例がありました。
その時、委員会で実名が報告されなかったので、町長に「情報公開請求したら実名が明らかになるのか」と質問したところ、「明らかになる」という主旨の回答があったと記憶するので、今回は実名を求めて公開請求を出してきました。早速2年前の議事録を確認しないといけませんね。
21.01.06 第二回公判は1月27日10時半
第1回公判が10月8日で、第二回が今月の27日10時半となっています。私の考えでは、第二回で少し先が見えるのではないでしょうか。いずれにしろ、早く結論が出ないものでしょうか。係争中であると、何かと落ち着かなくていけません。
なお。、被告側の弁護士がここを見ていて、法廷で使っていると言うことなので、詳細は書かないことにします。それにしても、くだらない法廷技術を使う弁護士ですね。私が町長だったら、顧問契約を破棄するところですが。
21.01.05 暴走車・改造車・騒音車
湯河原には、暴走車・改造車・騒音車について、擁護論があるのが不思議だ。ネットによって全国全世界に向かって、暴走車・改造車・騒音車の擁護論を堂々と展開しているのである。その度胸というか感覚には恐れ入る。まさに「子供が万引きしてどこが悪い」である。
いわく
「そんなにうるさいか?」とか、
「よその町でもあるじゃないか」とか、
「マフラーのアフターパーツに交換して何が悪い」
といったところであろうか。
この擁護論をN島に当てはめてみると、どうなるだろうか。
「ブログでもミニコミ誌でも議会発言でも、そんなにうるさいか?」とか、
「あのくらいのうるさいのは、よその町にもいるじゃないか」とか、
「誤字脱字くらいあっても何が悪い」とか
といったところであろうか。
純正部品ではないアフターマーケットの部品については、規則が改正されて、保安基準を満たさなければならなくなったそうだ。これからは、まさか法律違反を堂々と正当化するのだろうか。
そもそもノーヘルでもナンバープレート折り曲げでも爆音でも信号無視でもナンバーを読めなくするようなカバーでも運転席のスモ−クでも、堂々と通用するのが湯河原と言うところなのだろう。それゆえ、そろそろこのテーマは、取り上げても無駄だという境地であろうか。なお、ナンバーのカバーは、その内逃走車両が増えれば、放っておいても警察が取り締まるだろう。
21.01.04 住民訴訟に見る湯河原人の感覚
今回の住民訴訟を簡単に説明すると、こうなっている。
被告:町長は、「湯河原町は4億3800万円は要らない、もらわない」と決定している。
原告:中島は、「湯河原町が4億3800万円を放棄したのはおかしい」と主張している。
さて、この原告と被告の主張を見比べて、なぜ湯河原の人たちは原告を応援しないのだろうか。なにゆえ4億3800万円を不要とする冨田町長を支持するのだろうか。これがどうしても私には理解できない。
冨田町長の支援者などは別である。なぜならば、たとえ湯河原町に4億3800万円が入らなくても、支援者には、冨田町長を支持していれば、それなりの利益があるからである。つまり冨田町長を支援することによって得られる利益の方が、湯河原町に4億3800万円が入る利益よりも大きいという判断だろう。
だが支援者以外の一般の町民はどうなのだろうか。
1.4億3800万円はもらわなくて当然だ、という判断なのか。
2.たとえ湯河原町にお金が入らなくても、N島にエッカッコシーをやらせたくはない、という判断なのか。
3.それとも、どうせ裁判で勝てはしないのだから、迂闊に支援しない方が安全だ、という判断なのか。
4.さもなくば、支援なんかしなくてもN島は自分一人で戦うだろう、一人でやらせておいて、うまくして勝訴すれば、
もっけの幸いではないか、たとえ敗訴しても、自分たちが損する訳でもないし、ここは傍観が一番だ、という判断なのだろうか。
それにしても、湯河原と言うところはよく分からないところだ。
21.01.03 政策体系の売り上げに見る湯河原人の感覚
裁判費用のカンパの代わりに自費出版を買って欲しいとお願いしている。駅前の文昭堂に頼んで店頭に置いてもらっているのだが、年末での販売数が、政策体系が10冊、小説が4冊であった。これで所得税の申告をしておこう。
裁判費用のカンパ代わりとしてお願いしているのだが、これで私が勝訴すれば、湯河原に4億3800万円という金が入ることになり、私が敗訴すれば、金は入らないことになる。だが、たとえ勝っても、決して私の懐にお金が入る訳ではない。逆に、裁判所の印紙代から弁護士費用から、1回5千円の交通費も含めて、全て私の自腹と言うことになる。つまり、個人的負担で湯河原町に4億3800万円を儲けさせたと言うことになる。
それでお願いした湯河原人からのカンパがこの金額では、湯河原人の自治意識がこんなものだと言うことだ。逆に、自費出版を捉えて、「立場を使って金儲けをしている」というのが、湯河原の人の平均的感覚と言うことか。
仮に、私が地裁で勝ったとしても、これでは資金面で高裁・最高裁まで維持するのは難しいだろう。つまり冨田町長は、たとえ地裁で負けても、町民の税金で裁判費用を払って、高裁・最高裁に持ち込めば、私の方が資金不足で裁判を続けられなくなるので、冨田町長は勝てると言うことだ。これが湯河原町民が望んでいる結末なのかも知れない。
21.01.02 麻生総理大臣並み
漢字が読めないとあしざまに言われる麻生総理だが、マスコミ自身の報道によると、世論調査の結果、こういう報道は79%が揚げ足取りと評価されているそうだ。さらに、麻生さんの話題を契機として、漢字読み方の本が売れているという。では、湯河原ではどうだろうか。事この点に関する限り(揚げ足取りという点に関する限り)、湯河原も国政並みということができるだろう。
湯河原ちゃんねるを見てみればよく分かる。今までの投書でも同様である。例えば、こんな投書はどうだろうか。
投書の例 こういう言いがかりに反論するのは簡単である。その人に書かせてみればよいのである。どれだけの文字量が書けるのか、どれだけ内容のあるものが書けるのか、そのレベルは、テーマは、・・・・その上で、誤字脱字表現の不備を採点することにしよう。
事実、この投書の例でも、文章になっていなくて、単語の羅列しか書けていないではないか。しかも、具体的にどの部分が語彙不足なのか、稚拙な文体なのか、陳腐な提案なのか、曖昧な主旨なのか、指摘していないではないか。いないのではなく、できないのである。やれるというのなら、やってみよ。文書に印刷して、湯河原じゅうに配ってみよ。
かの四人の会派が1年前に配った「マニフェスト」でさえ、第二号を出すと言いながら、どうなったというのであろうか。まして他の議員はどうなったのだろうか。まさか赤旗の号外や公明新聞をもって、議員個人の広報活動というのであろうか。
最後によく分からないのが、上記の世論調査にある79%という数値が、湯河原ではどうなのかということである。湯河原では、79%が揚げ足取りと評価している沈黙の大衆であろうか。もっと低いのでは無かろうか。
21.01.01 湯河原って、どんなとこ?、湯河原って、こんなとこ
ネットの掲示板からのコピー
そればかりじゃないな
自己PRにあった娘の事について当初は妻に責任があったと書いていた
ところがいつの間にか夫婦の責任と書き直されている
家族の事で一方的に自分は悪くない、悪いのは妻だと言い切れたのは何だったのか
そこまでネット(世界に)で主張した理由があるならしっかりポリシー持てよ
所詮、すべてを思いつきで行動するタチなんだろな
さて、さて、この話題で(娘の自殺という話題)インターネット上で公言する人がいるとは思わなかったが、さすがは匿名悪口社会湯河原である。
それでは湯河原の皆さんに聞いてみたい。夫婦間の問題って、そんなに簡単に割り切れる物であろうか。ああでもない、こうでもないと、その時その時であれこれ考える物では無かろうか。これは親子の間でも同じではないのか。愛したり、恨んだり、喧嘩したり、仲直りしたり、相手が悪いと思っていても、言い過ぎたと思って考え直したり、時間が経ったら別の考えが浮かんだり、自省の心が生まれたり・・・・・・そんな具合に揺れ動くのが家族・夫婦なのでは無かろうか。
それが理解できずに、「ポリシーがない」とネットによって多くの人に向かって公言する、これって、単に人間の未熟さを表しているのでは無かろうか。これが湯河原の平均的意識レベルだとは思わないが。
というより、本来的に人間そのものが、あれこれと考えが変わる・成長するものなのに、この書いた人自身は、一度言ったことは一生の間絶対に変更しない人なのだろうか。だとしたら、その人はただの石頭で、中学卒業以来何にも頭脳が進歩していない人間と言うことになるだろう。
動機は、単に「あのやろう、気にくわない、生意気だ」であろうが、その気持ちが学歴やら職歴やら誤字脱字に留まっている内はまだ健康的である。「いい大学出ているからって、お高くとまりやがって」とか、「よそ者のくせに自分の意見を言うなんて、生意気だ」とか、町長が議会本会議で間違って答弁して訂正していることには知らん顔しておきながら、「あいつはいい大学いい職歴を持っているくせに、誤字脱字ばかりしている」とか、自分じゃ匿名でないと何も発言できないくせに、「発言は正確に」とか、「非常に恥ずかしい」とか、その程度であれば、よくある悪口である。
だが、上記の話題を持ち出して、非難してくるとは、まさに非人間的だといわざるを得ない。さらに、非難の内容が、娘の自殺に関して夫婦のどちらに責任があるのかということにまで及んでいる。ここまで来ると、湯河原の人たちの人間性を疑わざるを得ない。書いたのは一人だが、はやし立てたのは複数であるし、黙認したのも多数である。
しかもこの人一人ではないのである。湯河原に引っ越してくる前は、ネットの世界であれ実世界であれ、この件で攻撃してくる人物はいなかったのだが、湯河原には引っ越してからわずかの間に、連続して3人もいたのだ。一人目がこの書き込みの人物、二人目が近所の若いストーカーで、「娘の死まで取り上げるのはひどいではないか」という私のメールに対して、「そんなことで動揺するのか、よくそれで選挙に出られたな」と嫌みを言ってきた。三人目が、メールで送信者名が「山根」となっていて、一見お悔やみを言っているようでいて、嫌み・嫌がらせ・攻撃をしてきた人物である。
そうか、湯河原って、そんなところだったのか。まさに湯河原方式である。湯河原と言うところは恐ろしいところだ。観光客が減るのも無理はない。