オバマ米新大統領の演説集は日本でも異例のベストセラーだそうだ。先の就任式での演説も日本各地で話題になったろう。オバマ氏の登場は政治における「言葉の力」の大きさを再認識させてくれたのは確かだ。
一方、就任式の前日、日本の国会では麻生太郎首相の「漢字力」問題が時に嘲笑(ちょうしょう)を誘いながら取り上げられていた。「米国に比べて日本は……」と嘆きたくなる光景だった。
だが、うらやましがってばかりもいられない。大切なのは現実を見すえることだ。
就任演説でオバマ氏は米国再建のため国民にも責任を求めた。これを今、麻生首相が言ったらどうか。恐らく「まず、政治家が顔を洗って出直せ」となるだろう。両者の違いは明白だ。オバマ氏には大統領選で大きな国民の支持を得た自信がある。一方の麻生首相は国民の信を問おうとさえしないのだから。
ただ、それは政治家だけの責任だろうか。1955年の結党以来、日本ではほとんどの時期、自民党が政権を担ってきた。93年の衆院選で一度、野党に転落したが、これは自民党の分裂が要因だ。野党各党が選挙中に「こんな連立政権をつくる」と訴えていたのでも、「日本新党(当時)の細川護熙氏を首相に」と言っていたわけでもない。
つまり私たちは有権者が明確に選択するという形で、政権党と首相を交代させた経験はなく、自民党が勝手に首相を交代させるのを結果的に許してきたのだ。それが、自民・公明か、民主か、政権交代が現実味を帯びる時代になった。この変化はもっと前向きにとらえていい。
オバマ氏の登場で「なぜ、日本では清新で強いリーダーが出てこないか」との不満もよく聞く。だが、オバマ氏も大統領候補者選びに名乗りを上げてから長い間、メディアや国民の前にさらされて鍛えられた面が大きい。リーダーは突然、降ってわいたように現れるのではなく、国民がつくるものでもある。
「米国の民主党と共和党のように対立軸を明確にした政界再編を」との声もあるが、そもそも米国の2大政党も実は違いはそんなに大きくない。「いつかは再編してくれるだろう」と政治家任せにするより、「政権党が行きづまれば別の党に代わる」という民主主義の当たり前の仕組みが日常的になることの方が先ではなかろうか。
今ある枠組みの中で、各党の政策の中身や優先順位、実現可能性を判断し、政権、そして首相を選ぶ。それが私たちの責任であり、「チェンジ」につながるのだと思う。
毎日新聞 2009年1月25日 東京朝刊