ある日、会社の会議室で雑誌の取材を受けた。いずれも馴染みのある顔だが、若手の編集者が3人もやって来たことが少し珍しい。新年のあいさつだけを目的に来たのなら、随分丁寧なことだと思ったが、話の様子がぎこちない。
実は、彼ら3人のうち2人が、来月一杯で会社を辞めることになったのだという。
「優しいリストラ」に注意
「転職なら何はともあれ、『おめでとう』と言いたいところですが、次はどうされるのですか」と聞くと、2人とも「編集の仕事を続けていこうと思っています」と言う。「どこで? まだ決まっていないの?」と再度聞くと、一方が頷いた。一拍置いて、もう1人も首を縦に振る。彼らは、次の就職先を決めずに、会社を辞めることにしたらしい。今までの仕事は、残りの1人の編集者に引き継ぐのだという。
事情を聞くと、彼らが担当していた媒体(雑誌)が休刊になるらしい。雑誌の「休刊」は、実質的には「廃刊」に近い。復活するケースはごくまれだ。昨年はいくつもの雑誌が休刊のやむなきに至った。『月刊現代』『ダ・カーポ』といった、かつては多くの読者を持っていた有力誌も休刊に追い込まれた。
それにしても、彼らは2人とも、編集部に雇われたフリーのライター編集者ではなく、出版社の社員のはずだ。別の仕事をすればいいのではないかと聞くと、「それは難しい」と答える。
彼らはビジネス系の取材経験もあり、筆者は、転職について取材されたこともある。その時に「転職は、猿の枝渡りのようなものだ。次の枝をしっかりつかんでから、今の枝から手を離す。次をしっかり決めてからでなければ、退職手続きをしてはいけない」と説明したはずだった。
その理由を確認すると、以下の通りだ。
(1)次の仕事がすぐに決まらない場合、仕事のキャリアに空白ができて、人材価値が落ちる。これは、将来就職した場合の換算年次(人事的な扱い上の「年次」)や給料にも響くことがある。
(2)「自己都合」で辞めた場合、失業保険の受給が遅れるし(通常3カ月経ってから)受給期間も短い。また、会社の規定によるが、多くの場合、退職金が少ない(会社都合の場合の半分程度であることが多い)。
(3)無収入期間が長引くと、次回の就職時の給与交渉が不利になることがある。
(4)次がなかなか決まらないと精神的に焦る。面接もうまく行かなくなることが多い。
(5)何より、今のような不況下では、生活が心配だ。
彼らも、こうした事情が分からないわけではないらしい(当然だ。筆者は、説明した記憶がある)。しかし、退職に同意してしまったのだという。
会社と争わなかった2人
彼らの勤めていた出版社は、急速に業績が悪化した。実は大手も含めて、現在、出版社の業績は相当に悪い。だが、その中でも、彼らの会社の収益悪化は早かった。加えて、昨年も今年入社予定も含めて、相当の数の新入社員を雇ってしまった。これは、経営者側の読み違いでもある。だが、コストのカットは待ったなしの状況なのだろう。
しかし、結論から言うと、彼らの解雇は不当だ。今回のケースは正社員の整理解雇だから、解雇がやむを得ない業績の悪化、解雇回避の努力、解雇対象者の納得的選別基準の提示、解雇者の納得を得る努力、といった正社員解雇の法的条件を、彼らの会社は満たさなければならない。彼ら2人は、十分争う余地があるはずだし、簡単に引き下がらずに交渉すれば、解雇を撤回できないまでも、何らかの経済的なメリットを引き出せた可能性が大きい。
しかし、2人は争わなかった。
根掘り葉掘り細部を聞くことはできなかったが、1人が言うには、会社の状況が分かり、「辞めてもえると助かる」と上司に言われたときに、彼は「辞めてあげよう」と思ったのだという。もう1人も、そういうことらしい。
本当に会社に同情したのかもしれないし、「辞めてほしい」と自分が言われた事実に向き合いたくなかったのかもしれないし、別の理由があったのかもしれない。筆者は、当事者ではないから、そこまで立ち入って、あれこれ言う立場にはない。
一方、社員をリストラする会社の側としては、現在の法制では、前記のように会社が不利な争いになる可能性が大きいので、後の禍根を断つためにも、何とかして、社員が自発的に辞めた形を整えようとする。
そのために、解雇の対象者に優しく語りかけるケースもあれば、精神的なショックを意図的に与えるケースもあるし、「自分から円満に辞めた方が、君の経歴に傷が付かない」などといった半ば以上嘘を言うケースもある。
一見優しいだけのリストラ
出版業界に限らず、対象者を自己都合退社に誘導する「優しいリストラ」(より正確には「一見優しいだけのリストラ」)が、今後しばらく増えるだろう。
運悪く対象となった方は(今どきのリストラは、世間も「不名誉」ではなく「不運」と解するだろう)、最終的な意思決定は本人次第だが、損得と状況をよく理解して、ある程度先を読み、本当に納得した上で身の振り方を決めてほしい。もちろん本当に決めるまでは、「辞める」といった、同意とも取られるような言動は避けるべきだ。
何はともあれ、先の2人には、何とかして幸せな職業人生を歩んでほしい。