桜井淳所長の"神との遭遇"-これまでの人生について思い出すままに記した備忘録としてのノート-
テーマ:ブログ人類の知恵は、実にすばらしく、その最高の表現は、哲学としての仏教や神学のような宗教への最高の敬意と継承に表れており、たとえば、神学において、地域共同体の中には、必ず、鎮守の森に包まれた神社があり、そこには神が舞い降りており、人々は、そこで神をまつり上げる行事を行い、一体化し、いっぽう、仏教において、お葬式や迎え盆・送り盆等の行事をとおし、霊をろうそくの光等の形に可視化して、先祖代々と生存しているひとたちの間の意思疎通・会話を可能にしており(桜井淳所長は、物理学者であって、自然の構成については、"場の理論"(Field Theory)と"素粒子論"(The Theory of Elementary Particle)を基としているため、それ以外の概念は導入せずに議論していますが、ただ、人間の心や愛等の形や目に見えない概念を尊重する立場です)、人間は死して単に土になるだけではなく、その意思は永遠に生き続け、生存者に語り続けることができ、それだからこそ、生存者は、その事を受け止め、最高の倫理観をもって人生をまっとうしようとの意思が持て、生きると言うよりも、生かされていると言った方が適切であり、桜井所長は、これまでの人生において、何度か"神との遭遇"に成功しており(五木寛之・森一弘『神の発見』平凡社(2005)において、カトリック司教の森氏は、神を見たと証言(pp.253-254)しています)、そのことは、いま生存していることが直接的な証明になっているのであって、今後、ひとつ、ひとつ、具体的な例を挙げて、そのことを証明して行かなければなりません。