成宗実録の三峯島の解釈(韓国国史編纂委員会の歪曲) | 344|共感1
1612808| JAPANoppekepe7 | 2007.04.23 17:24:36
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関連スレッド
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韓国では、成宗実録にある三峯島が竹島だと主張している。

成宗実録72巻7年(1476年10月27日)
西距島七八里許到泊 望見則 於島北 有三石列立 次小島 次巌石列立 次中島 中島之西又有小島 皆海水通流 (原文→Click)

しかし、どこをどう読んでも鬱稜島周辺のchukdo等の島々を描写したものとしか解釈できない。





この解釈に対して、韓国の国史編纂委員会&韓国の権威ある機関が「島の東ではなく、西から望み見た記録nida」と言っているらしい。


<私の解釈>
西の方、島を距たること7,8里あまりに停泊し、望み見る。
西の方に鬱陵島を距てること7,8里=停泊して望み見た場所は、鬱陵島の東)

<韓国の国史編纂委員会&韓国の権威ある機関の解釈>
島の西の方 7, 8里(里) 余りな距離(通り)に停泊して眺めたら,
鬱陵島の西のほうに7,8里=停泊して望み見た場所は、鬱陵島の西)
※私の能力では、読み下し不可能。「距」は、名詞(距離)????


ということで、世宗実録地理誌の用例で検証してみます。
門山。【在郡東, 跨砥平西界。】 四境, 東距砥平二十里, 西距楊州三十五里, 南距川寧十七里, 北距加平四十里。
原文→click
※現在、川寧は「驪州郡」とのこと。
http://www.yeoju.gyeonggi.kr/jan/intro/history.asp

<私の解釈を適用>
門山は、砥平の西20里のところにある。(東に砥平を距たること20里)
門山は、楊州の東35里のところにある。(西に楊州を距たること35里)
門山は、驪州(川寧)の北17里のところにある。(南に川寧を距たること17里)
門山は、加平の南40里のところにある。(北に加平を距たること40里)

<韓国の国史編纂委員会&韓国の権威ある機関の解釈を適用>
龍門山は、砥平の東20里のところにある。
龍門山は、楊州の西35里のところにある。
門山は、驪州(川寧)南の17里のところにある。
門山は、加平の北40里のところにある。

ということで、実際の位置関係↓




※砥平は地図上では探せませんでしたが、中央線で龍門山を東に向かった最初の駅が砥平駅です。

韓国の国史編纂委員会の解釈を適用すると、龍門山は異次元の空間に存在することになります。

あと面白いのは、同じ成宗実録で
安骨浦, 西距薺浦水路七八里, 北距熊川水路五里′陸路二十余里, 東距金丹串鎭二十余里
原文→Click

国史編纂委員会?の訳文を翻訳してみると、、、、

「アンゴ-ルポ(安骨浦)は西の方にゼポ(薺浦)まで水路(水路)で 7, 8里で, 北に熊川(熊川)まで水路で 5里で, 陸路(陸路)で 20余里であり, 東に禁断岬では[金丹串鎭]まで 20余里なのに」

と正しく解釈してるんですね。


韓国の国史編纂委員会&韓国の権威ある機関とは、歪曲・捏造機関なのですか?
IP xxx.251.xxx.2
chaos|04-23 17:34
そだよ
oppekepe7|04-23 17:39
東から望み見たところで、竹島の北に列立する三石は存在しない。鬱稜島にはあるけどね。
momota|04-23 17:41
地理誌等を書く場合、規式があるんじゃないの?
 → oppekepe7|04-23 17:46
規式以前に「西距島七八里許到泊」を「島の西」と解釈できん。動詞(距)を挟んで修飾してるのですかね。
 → momota|04-23 18:01
以前は「江原道道中」【行く行程の途中】を勝手に【江原道の中(江原道領)】と読んだくらいですから。w 何でもありですね。w
cms1530|04-23 21:04
まだ恥が分からなくて続いている. お前の無識を万方にふるいなさい ... 蟹に ¥"此道中 竹島,松島有之¥"をまだ ¥"行く途中¥"で解釈するあざ.充耳まで一緒に付いて.... 面白いね. 馬鹿たちの合唱. 放置.
まだ時期尚早みたいだが.. [3]
- 成宗実録の三峯島の解釈(韓国国史編纂委員会の歪曲) [6]
--韓国人と日本人は別個の他の人種....世界的雑誌が発表.............. [3]