Print this Post Article Lists Back

世界に羽ばたくスノーボード姉弟

 「二人一緒なら怖いものなんてありません」

 21日、江原道横城で開催されたFIS(国際スキー連盟)スノーボード世界選手権大会のパラレル・スラローム部門に出場したシン・ダヘ(21)、シン・ボンシク(17)姉弟の表情は自信に満ちていた。オリンピックとならぶトップレベルの世界選手権大会本戦で30位以内に入れば、来年のバンクーバー冬季オリンピックへの出場が有力になる。パラレル・スラロームとは、同じコースを二つ並べて設け、二人の選手が同時にスタートしてタイムを競うレースだ。

 この姉弟にとってスノーボードはまさに生活のすべてだ。二人はウィンドサーフィンやスキーを好む父親の勧めで、姉は7歳、弟は6歳のときからスノーボードを始めた。スノーボードが今ほど一般的でなかった当時、人々は長い板に両足を固定し、スキー場を滑走する二人の子どもを驚きのまなざしで見つめていたという。しかし二人は「全然恥ずかしくなかった。そのときからスノーボードのスリルと自由さに魅了された」と話す。 

 スノーボードとともに成長した二人は、やがて選手としての道を歩き出した。二人とも小学2年生のときから大会に出場し、全国各地の大会で賞を総なめにした。時にはそろって負傷したこともある。2002年、シン・ダヘは左大腿部の骨を、弟のシン・ボンシクも2週間後に左足首を骨折し、心配した両親は、当時まだ幼かったシン・ボンシク(当時12歳)にスノーボードをやめさせた。しかしシン・ボンシクは大会に参加する姉がうらやましくてならなかった。姉も最高のスノーボード仲間がいなくなったことに耐えられず、二人は両親にもう一度一緒にスノーボードをやらせてほしいと頼んだ。

 2005年、二人はスノーボード選手として大きなターニングポイントを迎えた。副コーチとして二人を指導していた母親が肝臓がんで他界したのだ。それ以来、シン・ダヘは大会で手にした200-300万ウォン(約12万-19万円)程度の少ない賞金でも、全額がん患者のために寄付している。二人は「母親の闘病生活をそばで見守りながら、それまで知らなかった、病気に苦しむ人たちの様子を目の当たりにした」と話した。

 二人は20日に行われたパラレル・ジャイアント・スラロームの試合では本戦に進めなかった。しかし落胆はしていない。二人の夢は今大会の本戦ではなく、オリンピックに出場し金メダルを獲得することだからだ。二人は「一度失敗したからといって失望してはいけない。身体条件が有利な世界の選手たちとの差を縮めるため、テクニックを磨くことに専念したい」と意気込みを語った。

チョン・セヨン記者

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

このページのトップに戻る