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桜井淳所長が推進してきたモンテカルロ研究のパラダイム転換(5)-モンテカルロセミナー初級コースの歴史的快挙の影に歴史的失態-
原子力機構O先生からのメールに触発されて、桜井淳所長が昔を思い出すまま語ったところに拠ると、桜井所長は、今から10年以上前に、日本原子力学会を主催として、連続エネルギーモンテカルロコードMCNPを用いたモンテカルロセミナー初級コースを開催しましたが、この時は、参加者にノートPCを持参させ、それにMCNPをインストールするところから始まり、さらにMCNPをブラックボックスとして計算を実行するのみではなく、モンテカルロの基礎理論から体系的に教示する包括的なプログラムを構成しましたが、この時は、総勢120名もの参加者があり、桜井所長に拠れば、120台ものノートPCを一斉稼動させたセミナーなど、原子力界はおろか世界を見渡しても恐らくこのセミナーくらいではないかと自負しているそうで(もしそのような例があるのなら教えてほしいそうです)、これはまさしく歴史的快挙だそうで、モンテカルロの普及拡大と発展への桜井所長の貢献は計り知れないものらしく、120台ものノートPCの一斉稼動に備えて、参加者にノートPCの消費電力の報告を事前に義務付けるなど、電源容量の確認から念入りに周到な準備をしましたが、予想に反してブレーカーを落としてしまう事態が発生し、電力送電システムにも精通している桜井所長にとってもこれは不覚だったそうですが、ノートPCへのジョブ投入時の負荷増大の見積りが甘かったのか(電力消費が相対的に少ないノートPCを指定したのですが、参加者のうち数名は、指示に従わないか、あるいはノートPCを保有していなかったためか、デスクトップPCを持参したため、桜井所長は、それが原因とにらんでいました)、あるいは、参加者が消費電力を正確に報告しなかったのが原因なのかと反省しているそうですが、もうひとつの不覚は、当時モンテカルロ界の第一人者と目されていたK.U(当時は客集めにはK.Uの名前が必要だったそうですが、パラダイムが転換した今となっては、K.Uの名前を出すと逆に客は来なくなるそうです)にモンテカルロ理論とMCNP入力の説明を担当させたことで、K.Uは理論の説明の仕方が悪く、会場から、「全然分からない」との不平が上がり、それに続き、大部分の参加者から、「分からない」との声があり、K.Uは演壇から降りることを余儀なくされ(もしそのまま続けていたら日本社会党の浅沼委員長のようになっていたかもしれないそうです)、桜井所長が理論の説明と入力の説明をして何とかその場の混乱を収拾したそうですが、K.Uは初心者への教え方をまったく心得ておらず初級者に専門委員会で話すような話をしてしまったために、まったく通じなかったのですが(降壇したK.Uは、自衛官に決起を呼びかける演説をしても話の通じなかった三島由紀夫のように潔い態度をとるべきだったそうです)、桜井所長は、事前の準備もなく突然モンテカルロ基礎理論の説明をすることになったそうですが、通常そのようなことは不可能だそうで(桜井所長が、昔観た巨匠指揮者トスカニーニの映画では、トスカニーニがオーケストラでチェロを弾いていたところ、指揮者が満場の野次で退散し、代わりに突然指揮台に立ったトスカニーニは、2時間以上ものオペラ・アイーダを最後まで完璧に指揮したそうで、それに匹敵する離れ技だそうです)、このような回転の速さとフットワークの軽さは桜井所長の持ち前だそうで、突然のインタービュにも即座に適確なコメントができるのもそのためだそうですが、自分が理解していることと、他人に理解させることは、まったく別物で(K.U自身が正確に理解しているのかどうかも怪しいそうです)、K.Uの無能ぶりに深く失望したそうですが、歴史的快挙の影に実は途中降壇という歴史的失態もあったそうですが、これもパラダイムの転換過程でのやむを得ない過渡期の混乱のひとつだそうです(桜井所長はいつかUniversity of New Mexicoの准教授T.Uに日本でのモンテカルロセミナーの講師を依頼したいそうですが、K.UとT.Uの名前は小泉純一郎と小泉一郎のように非常によく似ているそうですが、まったく無関係だそうです)。
O先生
「朝日新聞」(2009.1.20付)に課程博士の就職難の特集記事が掲載されており、いくつかの事例が紹介されていました。それによると、30歳台や40歳台前半の条件のよいケースでさえ、30-40回も応募し、40歳台前半でやっと准教授として就職できれば、幸運な方とのことですが、それが現実であり、私は、還暦直前に、遅れて決意したために、年齢的に厳しい現実に直面しています。本気で大学に移りたいのならば、早ければ早いほどよいでしょう。私の経験からして、日米の一流大とも、難関であり、世の中、大変厳しいものがあります。
桜井淳