呼吸が止まる前に


歴史修正主義、全体主義、原理主義


西谷 修鵜飼 哲港 千尋

   

日時: 1997年1月30日

場所 :東京日仏学院(新宿区市ヶ谷船河原町)

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1 原理主義は我々の内面の問題である

 鵜飼 まず、ここにいる三人をご紹介します。ぼくの左隣が港千尋さん、皆さんから見ていちばん右端が西谷修さん、私が鵜飼です。

 『原理主義とは何か』という本は、世界の動きが見えにくくなった今日、アクチュアルな問題といわゆる思想と呼ばれる領域をつなげる試みが必要ではないかということで、ここの三人で行った鼎談をもとにしたものですが、三回終わったところで、ぼくはとうてい本になるような話にならなかったと思っていました。それを強引に一冊の本の形にしてしまったのはひとえにこの本の編集者である阿部さんの力量です。ですから我々三人以上に編集者の力によって、この鼎談は本になったといっていいと思います。

 実際、我々三人のうち誰も宗教学的あるいは社会学的な原理主義の研究をやっているわけではなく、この本には始まりも終わりもないという、いわばないない尽くしの本です。実際読んでみると「原理主義とは何か」という問いに対する答えもない。しかし、逆に言えば、おそらくいま原理主義と呼ばれる現象を考えていくためには、幾つもの既成のレッテルや考え方を一つ一つ吟味して否定していく必要があったのではないか、いままで起きたどんな政治、文化現象にも似ていない、原理主義の固有のありようを考えるためには、幾つもの補助線を引いてはそれを取り消すような作業が必要だったのではないかと思います。これは本ができてから気付いたことなんですけれども。

 個人的なことで恐縮ですが、ぼくはちょうど二年ほど前この席に座っていたことがあります。そのときは日仏学院の主催でクロード・ランズマン監督の『ショアー』という映画の上映にかかわったために、この場に呼んでいただいたのですが、この同じ場所で二年前には『ショアー』の話をさせてもらい、きょうまた原理主義の話をする。ぼくの頭の中ではこの二つのことは、どうしてもつながってしまうんです。それはどういうことかというと、港さんはつい先日『記憶』という名前の本を講談社から出されたばかりですが、『ショアー』の問題に触れて、いまどうしても考えておかなければいけないのは、人間の歴史と記憶の問題が、ここにきて非常に深刻な危機を迎えているということだと思います。別のとらえ方をすると、従来なされてきたような過去との関係のつくり方を、どうも人間がうまく管理できなくなっているのではないか。

 この問題は、大きく言って二つのあらわれ方をしてきたと思います。一つは、ヨーロッパでは、八〇年代から、とりわけナチスによるユダヤ人迫害の事実を否定しようとするいわゆる歴史修正主義というグループが出てきて、それに対抗するようなかたちで『ショアー』のような映画が−−実際つくられ始めたのはさらに十数年前ですけれども−−登場してくる。もう一つは、原理主義というと、日本も含むいわゆる西側の国ではついついイスラムという宗教と結び付けがちなんですけれども、たとえば旧ユーゴの内戦過程で、セルビアのキリスト教徒−−これも明らかに原理主義的現象の一部だと思います−−によって、サラエボにずっと存在してきたイスラムの図書館が爆撃されて書籍が灰塵に帰したという事実があります。これをフアン・ゴイティソーロというスペインの作家は「記憶殺し」と呼んだわけですけれども、一方で歴史修正主義者のグループは、ピエール・ヴィダル=ナケの言葉を使えば「紙の上のアイヒマン」というかたちで虐殺の記憶を抹殺しようとした。ヴィダル=ナケの書物は『記憶の暗殺者たち』というタイトルで翻訳も出ましたけれども、このような文書の操作による紙の上の抹殺とサラエボのムスリムの図書館の破壊という記憶殺しとの間には、現象形態は違うけれども、おそらく深い関係があるのではないか。

 そのような眼で我々の周りを見回すと、たとえば日本のアジア・太平洋戦争の記憶に対して、いまそれを否定しようとする人々が出てきたことに思い当たりますが、日本のいわゆる「自由主義」史観とヨーロッパの歴史修正主義の問題はぼくにとっては切り離せないし、実際に資料や文書を扱う彼らなりの技術、あるいは証言というものに対する態度は瓜二つなのです。ということは、ヨーロッパの歴史修正主義が、あるかたちの原理主義的な過去の抹殺ということと関係があるとすれば、原理主義は日本の現実とも明らかにつながりがあることになる。そのつながりがなければ、我々三人の日本人がここでこの問題を語る意味は半分以下になってしまうと思います。原理主義は我々の身の周りの、我々自身の内面の問題でもあるということを、まず最初に確認しておきたいと思います。

 では、まず港さんから。この本の最後の鼎談は十か月ほど前になされたもので、それ以来アルジェリアの情勢も動いていますし、世界的に「原理主義」と呼ばれる現象も新たな局面を迎えていますので、そうしたことを中心に少しお話しいただきます。そして、先ほども言ったように、専門家の方々が原理主義について書かれた書物との違いがこの本にあるとすれば、アクチュアルな問題と理論的な問題を往復しながら話を進めてきたということだと思いますので、港さんの報告の後に西谷修さんから、三回の討論を踏まえて思想的なオリエンテーションという趣旨で発言してもらいたいと思います。では、まず港さんから。

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2 悪化する事態bbアルジェリア、アフガニスタン

  いま鵜飼さんがうまくイントロダクションをつけてくれたと思うんですけれども、この本を皆さんすべてが読んでいらっしゃるわけではないと思うし、どんなことを話してきたのかなと、ぼく自身忘れている部分も多くて。

 まず、ちょっと個人的なことを話させてもらうと、ぼくは八五年から約十年間フランスに住みまして、だいたいパリを中心にして、写真家として、地球上のいろいろなところを旅しながら写真を撮ってきたのですけれども、九五年三月に日本の大学で教えるために帰国しました。着いた翌日に東京で大きなテロがありました。オウム真理教によるサリン事件です。それからの約二年間の中で行われた三回の討論が、ここに入っているわけです。その間も、なぜかぼくがあるところに到着すると、たいてい悪いことが起きる。エクアドルに行ったときは暴動が起きたし、ガボンでもそうでした。パリに着くと地下鉄で爆弾が爆発するし、八九年にチェコに行ったときはその日に革命が起きました。きょうもテーマがテーマなのでちょっと心配していたのですけれども、見る限り客席のほうから攻撃されるということはないんじゃないか(笑)。姿形では判断できないというのが原理主義ですからわからないですけれども、大丈夫じゃないかと思っています。

 三回の討論は、ちょうど半年ずつの期間をおいて行ってきました。最初の討論の日はオウム真理教の初公判の前日か、その日でした。その後も、たとえばラビン首相の暗殺とか、いろいろなことが起きました。イスラエルとパレスチナの問題、あるいはユーゴスラビアの戦争の一応の終結といったような、ここ二年間ぐらいの激しい動きの中で話を続けてきまして、いま鵜飼さんが言われたように、とにかく補助線を引いていくだけで精いっぱいのところもあったと思うんですけれども、いま改めて見てみると、ここで討論した内容、事件は、いまに至るまで何一つ解決されていない。いまぼくが一つの疑問をもっているのは、そうすると「解決」というのは何だろうかということです。解決されるかどうかよりも、解決ということの意味が、いまや変わってきているのではないか。その証拠に、たとえば〈ユーゴスラビア〉は何一つ解決されていない。

 前回の討論からちょうど六カ月がたっていますので、この本の延長線上で、二つほどお話ししてみたいと思います。

 一つはアルジェリアの問題です。日本でも新聞で報じられているように、イスラム教の断食月(ラマダン)が一月十日に始まってから首都のアルジェを中心にしてたくさんの死者が出て、一昨日(一月二十八日)の朝日新聞によれば、すでに二〇〇人以上の死者が出ている。ついに首都のアルジェのド真ん中で自動車に仕掛けられた爆弾が爆発して死者が出た。ぼくらが討論をしていたときと確実に局面が違ってきているという印象をもつのは、それまでは首都の周辺ですとか、あるいは爆破やテロの対象になっていたのが警察署といった公共の建物であったのが、去年、今年にかけて、ついに市民が集まる銀座通りのような、パリで言ったらサンミッシェル通りに当たるような通りでテロが起きた。ついに首都のセンターに来たというか、新しい局面を迎えたと思います。

 最初の自動車爆弾が爆発したのが一月七日だったと思うんですけれども、ぼくはたまたまフランスにいたんです。その翌日、新聞・テレビともに大きく報道しましたけれども、その中で小さくしか触れられていませんでしたが、一月七日というのは、ちょうど四〇年前の一九五七年にアルジェリア戦争が始まった日であり、フランス空軍のパラシュート部隊が首都に到達した日であったということがコメントされていました。鵜飼さんが言われたように、記憶の問題がいろいろなところに入ってきている。ですから、いま起きている原理主義を八〇年代以降の特殊な現象ととらえているだけでは、やはり見えてこない。そこかしこに第二次大戦、あるいはそれ以前の記憶が蜘蛛の糸のように入り込んできている。今回のアルジェリアに関しても、同じことが言えると思います。

 また一九九一年に始まって以来もう六年目に入ったアルジェリアで、どのくらいの犠牲者が出ているのかということを新聞や雑誌で見てみると、数字にかなりのバラツキがある。ある新聞は八万人、あるところでは五万人あるいは六万人と、倍以上の差があるわけです。本当の数字がどれだけなのかわからない。これがもう一つの、アルジェリアの問題の特徴ではないかと思います。これだけ長く続いて、しかもこれだけの死者が出ているにもかかわらず、犠牲者の数がメディアにより半分以上違ってくるというのは、やはり異常なことだと思います。特に情報時代と言われる今日において。まさしく情報時代を迎えたいま、ぼくらの社会が抱えるネガティブな性格が死者の数字にあらわれているのではないか。

一つの特徴は、写真家として指摘できるとすれば、このアルジェリアの市民戦争−−と言っていいと思います−−は「イメージなき戦争」と言われています。ぼくらが三人で討論を始めたときに、スイス人の写真家が一人単身で入って撮った写真がありましたけれども、あれ以降、全く一枚として写真がない。あったとしても爆破があった後の現場写真でしかない。八万人、あるいは四万人もの死者が出ているにもかかわらず、その現場の写真というのがほとんどないわけです。一つはジャーナリスト、特にイメージにかかわるジャーナリストがほとんど入って行けない。標的になって犠牲者がたくさん出ています。もう一つは、政府側によって完全にブラックアウトの状態にされている。政府側も部分的な数字しか出してこないわけです。推測で犠牲者の数を出すから、おそらくこれだけ数字が変わってくると思うんです。何万人になるにしろ、情報化時代でたとえばインターネットによって戦争のイメージは瞬時にして世界中を駆けめぐると言いますけれども、全くそんなことはなくて、むしろ情報社会のネガティブな、最もブラックホール的なものがアルジェリアに出てきているのではないかという気がします。

 もう一つ、地理的に日本に多少近いところで非常に心配なのが、アフガニスタンのタリバーンによる政権掌握ですけれども、これについても、ある意味ではアルジェリア以上に非常に厳しい、情報そして映像の統制が行われている。いまやカブールでは、映画どころか、テレビも見られない。ここまでやるのかというほど、カブールのタリバーンによる、あらゆる市民的な生活に対する禁止には厳しいものがあります。息をしてもいけない そこまではいかないと思いますけれども、しかし衣食住あらゆることにタブーがある。たとえば肉を高く売りすぎたというので、その場で指を切られたという肉屋の話があります。もちろん衣服も厳しくて、くるぶしを出してもいけない。音楽は全部だめです。停まっている車から兵士がカセットテープを全部取り出して、その場で破壊してしまう。とにかく日常生活のあらゆる局面で禁止事項が強制されている。歴史上こんなことが日常あったのかどうか、ぼくは知らないのですけれども、回帰的な現象ではなくて、きわめて今日的な現象であるということが言えると思います。

 アフガニスタンに関してはどうなっていくか全く見えないわけですけれども、来月初めにパキスタンで総選挙があると思うんですが、パキスタンの情勢によって大きく変わってくるのではないかと思います。

 ほかにもあると思いますけれども、こんなところがここ六カ月に起きたことです。一言で言えば、事態は悪化していると言っていいと思います。

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3 世界化した世界と浮遊する個人

 鵜飼 どうもありがとうございました。では続いて西谷さん、お話しください。

 西谷 鵜飼さんが最初に言われたように、我々三人のうち誰一人としていわゆる原理主義の専門家ではなくて、とりわけぼくの場合は、原理主義の専門家どころか、あまり世界の現場も知らない。本をお読みになるとわかると思うんですけれども、三人のベースがわりあいはっきりしていて、鵜飼さんは現実的に日本や世界で起こっている政治的なアクチュアルな問題に対するかかわりが大変深い立場から、そこで問題になってくる理論的な考察を含めて現実にアプローチしていく。港さんは実際に世界中いろいろなところを歩いていて、写真家−−この人はただの写真家じゃなくておかしな人なんですけれども−−の立場で、それこそ呼吸ができなくなるような状況だとか、あるいは音楽に関する禁止とか、ふつう原理主義を問題にするようなときにはあまり出てこない実際の具体的な現象に対する感覚からいろいろなテーマを出してくれる。こちらはそういう話を聞きながら、むしろ刺激されて、「そうか」というので考えるわけです。

 ぼくが原理主義に対して関心をもつのは、具体的にある地域で起こっていることに対処するというような発想ではないわけです。もちろん現実にそういう状況を生きている人に無関心だということではなく、我々がいまどういう世界を生きているのかということを考えるときに、いまの世界の困難というのがいちばん集約的に出てくるところで、いわゆる原理主義と呼ばれるような現象が起きているように思われる。そこでどうしても関心をもたざるを得ないということです。

 一般に原理主義が話題になるとき、ある特定の宗教だとか、ある特定の地域にあまりにも還元され過ぎるきらいがあります。たとえばイスラム地域ならイスラム地域に関して、その文化の歴史について学問的な研究というのはあります。けれどもそういう学問的研究にのっとって現代の現象が解釈されると、我々はそういう過去に関する資料の中に原因を見つけて「ああ、そうなのか」ということで納得してしまうということになるわけですが、原理主義というのはそれだけでは片づかないだろうと思うんです。たとえばアルジェリアの問題は日本にいる限り実際に遠いわけで、ぼくらは現実的にその状況を知っているわけではないのだけれども、いろいろな情報を得て、ここで生きているときに、実は遠いアルジェリアのことがある意味では全然無縁でないような、ここでも同じような問題に突き当たっているのではないかというような感覚をもつわけです。

 それから、いま原理主義が語られるときに必ず宗教が持ち出されますが、「宗教」という言葉で指される事態が、二〇世紀も終わろうとするとき、かつて我々が「宗教」という言葉で理解していたイメージにあわせて考えていたのではわからなくなってしまうというか、ちょっと違ってきているのではないかという気がする。宗教という従来の枠組みだけで、その枠組みの中に過去の文化だとか伝統だとかいうものがセットになってあるわけですけれども、それに基づいてこの現象を見ていたら、ちょっと足りないのではないかという気がします。それは単に宗教をどう解釈するかという問題だけではなくて、原理主義が宗教に関わる現象だとしても、この宗教的というのは別にテクノロジーを排除するわけでもない。この運動は、現代の世界がいろいろな面からどんどん進化しているということ自体に全面的に敵対しているわけではなく、むしろテクノロジーやそれと連動して起こる社会のオーガニゼーションの変化を宗教自体が被っていて、それとの組み合わせの中からいろいろな形で、いわゆる原理主義と言われる現象が出てきているのではないか。だから、科学とテクノロジーと市民社会と宗教復興集団の対立というふうな形でこの現象はまとめきれない。そうではなく、我々はなぜ宗教を必要とするのか、あるいは我々は宗教なしでやっていけるのかというようなところまで一たん下りてみて、そういうレベルで我々はいまどういう世界に生きているのかということを考えたときに、初めて原理主義と呼ばれる現象に別の角度からアプローチできるのではないかと考えたわけです。たとえばイスラム原理主義について言えば、イスラムの教義を知れば、あるいはイスラム社会の伝統を知ればこの現象はわかるかというとそうではなくて、むしろ現代だからこそ起こっている実際の現象のディテールを考えていったときに、ちょっと違った側面が出てくる。そういうアプローチとしては、とりわけぼくは港さんと鵜飼さんを相手に話したことによって、いろいろ刺激を受けて、いろいろなことを考えるようになりました。

 あまり長くなっても何なので、基本的な見方だけ出しておきます。

 これは最初に鵜飼さんが指摘されたことですけれども、「ファンダメンタリスム」という言葉は必ずしもイスラムに対してのみ使われるわけではなくて、むしろアメリカのプロテスタントの今世紀の初めの運動の中から自称として出てきた(註 『原理主義とは何か』10頁参照)。つまり自分たちはファンダメンタリストだ、原理に基づく信仰者集団なんだというふうにして打ち出された姿勢が、結局ここ二〇年ぐらいの世界で、いろいろなところでいろいろな形で出てきた宗教的な運動に対しても使われるようになった。これは無視できないというか、考察の出発点になることなんじゃないかと思います。

 大雑把に言ってしまうと、この二〇世紀の世界、特に後半の世界の状況を規定している主要なファクターを幾つか挙げてみますと、一つは、世界中のどこにいても同じ時代を生きているというか、同じ時間を生きているということがあります。これはぼくがバカの一つ憶えみたいによく言うことですけれども、いまはここにいても一九九七年だし、ヨーロッパにいてももちろんそうだし、イスラム諸国にいてもそうです。アマゾンの奥地に行っても、行政的には今年生まれた人は一九九七年生まれというわけで、同じ時間を共有している。要するに、世界の経験というものが、共時的なものとして生きられているということがあります。それは世界がひとつになる、つまり世界化ということの結果ですが、そういうふうに世界が一つになってしまうということは、個々の個別的な存在というもののあり様をあいまいにしてゆきます。

そしてあるときからこの社会の仕組みが、一九世紀以降世界を動かしてきた産業システム−−物を生産して人間世界が活動していくという状況−−から、消費を創出することによって動かしていくというサイクルに変わったと思うんですけれども、その消費のいちばんのファクターが情報になるわけです。あらゆるものが情報化される。そうすると情報の量は莫大なものになります。それが先ほど言った世界化によって成立した連携の中で、あらゆるところに一気に広まってゆく。だから、いままでの生活形態からすると、人は、過剰なほどの、当然処理しきれない情報の中に漬け込まれることになります。

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4 担ぎ出されたドグマ、政治化する原理主義

 西谷 もう一つは、この本の中でも最後のほうで話題になるんですけれども、テクノロジーが人間の生死というふうな問題をだんだん見えなくしてしまっている。境界がわからなくなってくるわけです。生死が見えなくなると、当然一人一人の人間が個であるということもやはり見えにくくなる。そうしてみると、いろいろなレベルで人のあり様が基本的な流動化bb浮動化・浮遊化と言ってもいいですけれどもbbにさらされるということがあると思うんです。ヨーロッパで近代社会ができるときに、人々が都会にエグソダスをするということが大きな流れになって、都会の生活者というのは都会に吹き溜まる砂粒のような根を失った存在だと言われたわけですけれども、そういう状況がさらに加速化されたというか、累乗化された形で今では地球上のほとんどの人の運命になっている。そういう意味では、あらゆる人に根がないとか、自分がどこにいるかわからないとか、あるいはこの社会がどこに行くのかわからないという不安が世界中で昂進されている。その不安に対して、たとえばテクノロジーが遺伝子操作の技術を開発して人間のステイタスを揺るがしたとしても、それに対して公共的な政治が、ある一つの方向をはっきり提示していければいいわけですけれども、実際にはそれがなされない。それどころか公共的政治そのものが空洞化している。これは日本だけではなくて世界中でそうですね。要するに人間社会の存立、あるいは個人の意識の存立を支えたり生み出したりする公共的な政治そのものが空洞化していっている。そうすると結局、個人のレベルでも、あるいは小さな集団のレベルでもネーションと言われるようなレベルでも、流動化にさらされたまま拠り所がなくなるわけです。そのときに「いや、こういう形で新しいオーガニゼーションができるんだよ」という意見が出ても、その意見はすべて相対化されてしまう。そうすると問われないものだけが、あるいはあらゆる根拠づけをほかに求めないものだけが根拠になり得るというような状況が出てくる。それが信仰です。

 信仰というのは何かというと、合理的に納得できることだったら誰も信仰しなくていいわけです。合理的に納得できるものは納得して受け入れればいい。信仰というのは何かというと、テルトゥリアヌスというキリスト教の初期の教主が言ったことですけれども、「不合理ゆえに、われ信ず」というわけです。イエスは神の子で処女懐胎で生まれた。死んで聖霊になる。こんな荒唐無稽な話はない。そんなことはない。神がどうやって子供を産むのか。神がマリアと性交したのか。もちろんそういう論議があるわけですけれども、合理的に考えれば処女懐胎とか神の子だとか、そんなことはあり得ない。けれども、まさしくそういうことがあり得ないからこそ、これを受け入れる。そこに信仰が成立するわけです。イエスの復活も、そういうことはあり得ない、それ自体も立証できない。けれども、信仰というものはその不合理を受け入れることから成立するわけです。ひとたび信仰が成立すると、その信仰の対象になる教義というのは、それ自身が真理であることを誰も証明する必要はない。逆に、そこから発していろいろなことを考えていけばいい根拠になるわけです。それ自身が真理であるかどうかは問われない。とにかくそれをのみ込むというところからドグマは始まる。そのドグマの最も中心的なものは神とか超越性ということですけれども、それを持ち出せば、それについては根拠を問われることはない。だから神とか超越性というものは、あらゆるものを否定することができる。だから、それに依存することを自分で合理化する必要はないわけです。いま様々なレベルで人間の存在が相対化されている状況の中で、これだけが自らを根拠づける必要はなく、担ぎ出すことのできるものだ。要するに原理として持ち出されて、そしてそれにすがる人間のあらゆる行為を正当化するとともに、この原理への憑依というか、原理の担ぎ出しを批判する人間の存在をすべて否定するという状況を生み出しているというようなことが、現代の原理主義の中にはあるような気がします。

 おそらく昔の宗教というのはそういうものではなかったはずです。短く考えても一九世紀以降、世界がだんだん一つになってきて、そこにはテクノロジーもあるし社会制度もあるし、もちろんそれをグローバルに推し進める現象としての戦争というものもあったわけですが、そういうものが人間同士のつながりというか、人間がどうやって社会をつくっていくか、あるいはどういう集団をつくっていくかということの仕組みをドラスティックに変えていったということの結果として、今言ったような状況が出てきていると言えるのではないかと思います。

 そうしてみると、なおさら原理主義というのは遠いところの問題ではなくて、実に我々の問題であるわけです。たとえばオウム真理教というのは現象としてみれば全然たいしたことない。だって、イスラム教徒(ムスリム)は何億といるし、カトリックも何億、プロテスタントも何億といる。ユダヤ教徒というか、ユダヤ人も何千万といる。それに比べたらオウム真理教は一万です。これは当然のことで、日本にはかつて社会をインテグレートして君臨した宗教はなかったわけですから、どうしても原理に基づく集団というのは少数にならざるを得ない。でも、メカニズムとしては全く同じようなメカニズムで生まれてきていて、まさしくそういう集団が政治化してゆくというのが現代の世界の問題だと思うんです。そこで、先ほど言いました世界化のことだとか情報のことだとか、テクノロジーの変化だとか、テクノロジーによる人間の状況の変化だとか、いろいろな問題をいちいち一つ一つ取り上げてみないといけないし、ある集団が原理を掲げるというとき、その集団がどういうレベルでできているかということもしっかり考えてみないといけない。

 とりわけ一九世紀以降の世界の場合、たとえばヨーロッパではキリスト教の宗教世界から抜けて世俗的な世界になったわけですけれども、なぜ国家自身は世俗的なもので宗教を掲げなくてもいいというふうにして成立し得るようになったかというと、そこにナショナリズムの問題がある。要するに「祖国のために死ぬ」という、ある種の信仰のかわりみたいな仕組みを近代国家がもっていったわけです。我々の常識的な集団のレベルというのは、広げてゆくと国民国家にどうしても行き着いてしまう。ところがその国民国家自体が実はもううまく機能していない。おそらくもう役割を終えているだろうという状況の中で、ではどういうふうにしていろいろなことに対応していけばいいかというふうに、問題はどんどん溢れてくるのですけれども、おそらくこの討論はそういう形の問題を引き出すことはできただろうと思っています。

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5 我々は日々ファシストの顔を目にしている

 鵜飼 どうもありがとうございました。お二人の話を踏まえた上で、もう一度この本の最初のところに戻ってみたいと思います。

 きょうぼくが司会をしているのは特に理由はなくて、第一回目の最初の発言者がぼくで、二回目が西谷さん、三回目が港さんと一巡したので、きょうはぼくが司会をする番だということです。

 最初のところでぼくが触れているのは、三〇年代との類比のリミットのことです。さっき補助線を引いては取り消すという形でしか現在のこの事態の絶対的に新しいものの輪郭はつかめないという話をしましたが、逆に言うと、補助線は飽くことなく引かなければいけないということも同時にあるわけです。三〇年代と九〇年代のアナロジーにはある一点でリミットがある。なぜなら、二〇年代から三〇年代にかけて、ヨーロッパではファシズム、日本では天皇制独裁国家という形で出てきたクライシスは、ロシアに社会主義の権力が成立していたということが大きな歴史的条件として派生してきた出来事だったと思うんですが、九〇年代のクライシスは、ロシアの社会主義が崩壊したということとかかわっている。七五年のベトナム戦争の終結と、原理主義と言われる現象が世界各地で確認されるようになった時期は一致するといわれています。これはいまのところ、おそらく専門家の間でも、なぜかということははっきり言われていないと思うのですが、これが一九一七年に始まったプロセスの一つの終点であったということは、仮説としてかなり有効なのではないかと思います。

 しかし同時に、やはり三〇年代とのアナロジーは大切だと思います。それは港さんのお話にもあったような大変厳しい現実があるのですけれども、実際にその規模や深さという意味で多くの違いはありながらも、いま原理主義と言われている現象の多くは、ある新しいタイプの全体主義であるとも言えるからです。全体主義が社会の支配的な傾向になると空気がなくなっていく。精神的に呼吸ができなくなる、その息苦しさですね。一言で言えば、ファシストの顔を見たときに我々の呼吸がどういう障碍に出会うのかという身体感覚の問題として、ヨーロッパについても日本についても、やはり三〇年代の経験を思い起こしておく必要があるだろうと思います。

 フランス人の書いたものでいえば、残念ながらいまはおそらく絶版で手に入らないと思うんですが、ぼくが学生時代に読んだ本にダニエル・ゲランの『褐色のペスト』があります。ゲランは有名なアナーキストで、この本は三〇年代に書かれたもので、「褐色」というのはナチ党員の制服の色です。この人々が出てきたときにいかに呼吸ができなくなったかということを、非常によく描いています。港さんのお話にあったように、我々は原理主義者がどういう顔をしているかということを、アルジェリアに関しては実際に知らない。しかしぼくは、おそらく現在日本のテレビでも、よく似た顔がたくさん出ていると思います。賭けてもいいですけれども、そんなに違わないと思う。アルジェリアから映像は送られてこなくても、その欠如している像を我々はおそらく、すでに日々目にしていると思います。大事なのは、そうした顔の前で平気で呼吸ができるようにならないことではないか。そのためにも三〇年代の記憶を呼び起こすことは大切だと思います。

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6 なにを、いかに、想起するのか

 鵜飼 それからもう一点、これもやはりぼくがこの本の最初で触れていることなんですが、西谷さんのお話にあったように、「原理主義」という言葉自体は最初は他称ではなく自称であった。少なくとも、「ファンダメンタリスム」という言葉については、たとえばムスリムのグループはそうは自称していないのであって、最初はアメリカのプロテスタンティズムのあるグループがそう名乗ったのですね。逆に言うとキリスト教の歴史の中のあるカテゴリーが宗教現象全体に、方法論的に言えば明らかに不当に一般化されていると言うことはできると思います。

 それと先ほどのぼくの発言と関連させると、歴史修正主義の「修正主義(レビジョニスム)」という言い方も自称なんですね。修正主義とは二つのことが思い出される。一つはマルクス主義における修正主義で、これは他称です。オーソドックスのグループが異端のグループに「修正主義」というレッテルを貼った。もう一つは、フランスの歴史の中でドレフュス裁判における再審請求派が自称して「レビジョニスト」と名乗りました。つい最近もフランスでは、ヴィシー時代の戦争犯罪人の最後の大物として裁かれているパーポンという人が、テレビのフランス2に出てきて「これは冤罪である。私はドレフュスのような存在なのだ」と言ったりしている。これと同じで、ガス室を否定する、あるいはナチによるホロコーストの被害を相対化するというグループは、自ら「レビジョニスト」と名乗ることで、いわばドレフュス事件の再審請求派に自分たちをなぞらえているわけです。ヴィダル=ナケ風に言えばこうした「記憶の暗殺者」たちは、自分たちの自己提示においてある記憶に依拠している。こうした事例から見ると、単純に一方に歴史の抹殺があって他方に単なる記憶の防衛があるということではなくて、原理主義も、それに対抗する側も、何をいかに想起するのかというレベルで、実は最もデリケートな闘いが繰り広げられているのではないかという気がするのです。

 さらに大きく言えば、原理主義の現象も含めて、さっき西谷さんからお話があったように、一九世紀以降徐々に実定的な宗教が公共空間から排除されていく。国教分離で宗教はいわゆる世俗国家においては私的な事柄とされるという歴史的な傾向を経て一世紀、一八世紀以来のそうした流れが一つの決着をみてから一世紀後に、いわば宗教の側も「再審請求」を始めたようなふしがある。あるいは、ナチスの場合はいま公然とナチスの名において語る人間は非常に稀なわけですけれども、日本の場合は東京裁判を見直せという要求として出てきている。これも明らかに再審請求ですね。そうした再審請求は、たとえばベンヤミンが「歴史哲学テーゼ」の中で語っているような、いままでのすべての犠牲者、死者たちが常に我々に呼びかけているという根源的な「再審請求」とはまったく異質です。一見それと見分けがつかないような形で出てきているところに非常に大きな問題があるのではないか。そこから、たとえば死者を分けて一定の死者を特権化するべきか否かといった本来些末な論争が派生的に出てきたりする。こうしたことはすべて、つながりがあるように思えます。

 アルジェリア、イラン、アフガニスタンやパキスタンの話が出ましたけれども、さらにいまの原理主義の問題の輪郭をもう少しはっきりさせるために、もう一つの論点をあげておきたいと思います。単純に三〇年代と結び付けられないのはさっき言ったように社会主義の問題があるわけですけれども、解決されていないという言い方をするなら第三世界におけるコロニアリスムの問題がある。植民地主義というものは人類史において何であったのか。いったいどういうことが起きたのかということが、おそらく第一次、第二次の世界大戦以上に、いまだにわかっていない。そして人類というレベルで共通の記憶になっていない。共有されると同時に全く非対称の形で経験された植民地主義の歴史、コロンブスのアメリカ「発見」以来ということで言えば五〇〇年の歴史をどう考えていいのかいまだにわからないということが一方にあるだろうと思います。スーダンのような例を見ると、明らかにこれは社会主義の経験を経ている。スーダンの場合もアルジェリアの場合も、アラブ型社会主義の廃墟に原理主義が出てきた。いわば社会主義的な動員方法を踏まえつつ、はっきり反社会主義的な、さらに社会主義と結び付いた近代的な諸価値−−女性の社会参加の問題を含めて−−を否定するような形で出てきている。コロニアリスムとソシアリスム、そしてさっきの西谷さんのお話にあったナショナリズム、この三つの経験と現在の原理主義のあり方の間には大変密接なかかわりがあるだろうと思います。

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7 根源性を破壊する原理主義

 鵜飼 もう一つ最後に、さっき言ったような、記憶の何をいかに想起するか、想起するということ自体どういうことなのか、我々はどういう記憶の仕方、想起の仕方を知っているのか、むしろある種の記憶のモードそのものを忘れてしまっているのではないかといったようなことも考えてみたい。ここに西谷さんが出された思想の問題もかかわってくるのだと思います。ここで少し思想の問題に話を引きつけて一人思想家の名前を挙げると、特に西谷さんとぼくの討論では、はっきり名前を出していない場合でも、ハイデガーの『存在の歴史』についての所説を踏まえた議論をしてきたわけです。ハイデガーはどういうことを言ったかというと、存在と存在者の差異が忘却されて以来、世界は本当の意味では存在ということを考えられなくなってしまった。したがって、すでにプラトンの段階でニヒリズムは始まっているわけですけれども、それが近代において、すべてが確実性という価値に従属させられるようになるに及んでニヒリズムが深化していく。そのニヒリズムの深化とテクノロジーの惑星規模の帝国主義が一体となって進行している。ハイデガー自身ナチズムの問題に非常に大きな思想的、政治的責任を負っていたわけですけれども、戦後の彼はナチズムも、農業の破壊も、第三世界の悲惨も、同じニヒリズムのあらわれであると考えたわけです。

 これ自体おおいに議論の余地のある考え方ですが、にもかかわらず、原理主義の問題を考えるときに、おそらくいちばん強調されるべき補助線の一つだろうと思います。

 この系を、信じるとか信仰という話につなげていくと、最も根源的な社会的絆、たとえば我々が誰の子かということ自体、我々はいわゆる科学的確実性において知っているわけではない。これは証言なのです。赤ん坊のときの写真を見て、これが私であるということは、親がそう言わなければ成り立たない。親の証言を我々が原信憑というレベルで信じているから、このような最低限の社会的絆が成り立っている。こうしたものをすべてなくして、すべて確実性で置き換えるということは、おそらく不可能だと思います。しかしそれが、さっき西谷さんの言われたような、かつてのような信仰のある種の形態を呼び戻すことによって、この根源的な信憑の問題はむしろ、防衛されるのではなくて、破壊されていくという非常に微妙な関係にある。たとえばアルジェリアの映画などを見ると、一家の中で、息子は原理主義者で、お父さんは独立戦争のときの非常に世俗的な自由主義者であるという設定が典型的ですが、本来あれだけ強固な共同体の中で、親子の絆をむしろ断ち切るような形で宗教的な信仰が介入してきている。そういうことの中にも、伝統的な宗教のあり方と原理主義との根本的な違いがあるんじゃないかという気もします。

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8 喉を掻き切ることによって神に近づく

 鵜飼 お二人の話に関連させてバラバラと幾つかぼくの考えを言ったのですけれども、一巡して港さん、いかがですか。

  西谷さんのお話の、理性で理解できない非合理的なものゆえに信仰するというのは、まさしくそうだと思うんです。おそらく信仰というのは、ぼくら日本人が考えようとするときにいちばんむずかしい対象の一つだと思いますね。おそらく、いまここに並んでいる三人はあまり信仰心がないと思うんだ。そうでもないですか?

 西谷 いや、意外と・・・・・・(笑)

  そうか(笑)。ぼくは、信仰を超えた理性があるとか理性は信仰を超えられるかとか、理性と信仰を二項対立として考えるつもりはなくて、むしろその考えは非常に不毛な結果に終わるのではないかと思うんですけれども、いま現実に起こっていることを見ていると、どうしても、「理性によって信仰を超えられるか」という問いを立ててしまう。なぜかというと、武装イスラム集団(GIA)に関するいろいろな取材やインタビューなどを見ていると、この状況の一つの特徴は想像を絶する暴力にあると思うんです。

 アムネスティ・インターナショナルが比較的最近アルジェリアの人権侵害についての短いレポートをまとめて、それがフランスで出ています。おそらく各国語で出ているとは思うんですけれども、英語でももちろん出ている。「恐怖と沈黙」とありますけれども、その実態をまとめているんですが、これを読むと、その暴力の激しさにまず圧倒されてしまう。たとえば、ただ単に命を奪うだけではなくて、首を切る、手足を切るといったような、まさしくテラー−−恐怖を与える−−の激しさが増している。付け加えておかなければいけないのは、アルジェリアではこの未曾有の暴力が一種の恐怖機械と言いますか、そのマシンが歯止めの効かない状態で暴走している。その暴力は政府側にも同様に見られる。しかし、そちらのほうは伝えられていない。アムネスティ・インターナショナルでは、政府側にも、逮捕直後に裁かないで無差別に処刑してしまうことが一般化していることや、拷問が日常化していることも報告されています。

 そういった状況の中で、特にいま女性、子供、老人を含む一般市民が爆弾によらないでどうやって殺されているかというと、たいてい喉を掻き切られているわけです。これについて神の戦士たる武装イスラム集団の彼らは、多くの人が、「喉を掻き切ることによって神に近づくのだ」と言う。これは冗談で言っているわけではなくて、本心だと思いますね。

 いまはアルジェリアに限ってお話ししているわけですけれども、この暴力の果て、上のほうに何があるのかというと、やはり神の恐怖じゃないかと思うんです。それを信仰する。さっき鵜飼さんが言われたように、これは新しい形の全体主義、しかも、かつてソ連やほかの全体主義国家が持っていたような精密な官僚機構をもたないで全体主義と同じ状態を生み出すことのできるものだと思います。この恐怖、あるいは「恐怖をまとった神」と言ったら言い過ぎかもしれないんですけれども、少なくともこれに対抗するものがあるのかと考えてしまう。果たしてそれは理性なのかどうか。どう考えますか?

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9 無根拠のなかに回帰する聖なるもの

 西谷 さっき信じるということを言ったのは、たとえばヨーロッパ社会ができたときには、言ってみれば世界そのものがキリスト教世界で、キリスト教徒であることが人間であるというような形でヨーロッパ世界ができていたわけです。だから「不合理ゆえに、われ信ず」ということが社会的に共有されることによって、あの社会は成立していたわけですよ。ところがキリスト教の教義の中には、まさしく神が人間である子を持つという人間と神が通底する仕組みがあって、神の国という信仰の最終目的が人間によってなされるという世俗化のプロセスがあらかじめプログラム化されていた。結局、一九世紀あたりから完全な世俗化社会になって、国家は東のほうだと皇帝教皇主義で世俗の権威というのは神聖な権威なんだけれども、カトリック圏では両者は別であって世俗の政治権力は完全に自立するわけでしょう。その一方で信仰そのものは「私」のほうに追いやっていく。それが一般に世俗化と言われているんだけれども、その世俗化のパターンが、植民地支配とか何かを通して、ほかの宗教圏の中に全部浸透している。そういう意味では、ほかの宗教圏で、そこでの宗教がつくっていた社会のシステムがキリスト教的な世俗化で壊されたあとに、その社会そのものが立ちようがないというか、再設定されようがないというとき、それぞれの人たちあるいは共同体が自分の形を持つことができないという状況で、どこにもレジティマシーを持ちようがない。「何が正しいか」と言われたら「合理性が正しい」と言われて、では合理性をとるとなるとどうなるかというと、結局キリスト教世俗に自分の身を委ねなければならない。そのジレンマの中で四の五の言わずに人が絶対的に頼れるものというのが、絶対的サンボリックとして、神としてもう一度持ち出される。それは、植民地支配という西欧的世俗化による破壊を経たあとの社会では、おそらくそのまま一つの社会を支える原理にはなり得ないにもかかわらず、とにかく持ち出される。持ち出されるということは、むしろ無根拠だから、その無根拠性というのはほとんど暴力として押しつけざるを得ないですね。そういうことで信仰のことを言ったんです。

 さっき鵜飼さんが三〇年代を想起するということを言われましたが、三〇年代に関して言えば、社会主義という重要なファクターがある。その社会主義の孕む問題でいちばん無視されているのが、社会主義がいかにしてロシア正教がかつて果たしていた役割を世俗的に代補したかということで、このことはまだ誰もまともなアプローチをしていないでしょう。おそらく三〇年代の問題も、ただ単にファシズムと社会主義と西欧的な自由主義、市民社会との対立というだけではなくて、その別バージョンとしてというか、別の側面として西欧世界は三〇年代に何を大きなテーマとして持ち出してきたかというと、芸術とか文学において「聖なるもの」をテーマとして持ち出してきたわけです。この「聖なるもの」がシュールレアリスムをインスピレーションとしたとしても、誰もこの「聖なるもの」は悪いとは言わない。けれども、その「聖なるもの」が政治的に回収されていってナチズムになると、これは巨大な悪になる。そういう関係があると思うんです。その「聖なるもの」とは何かというと、言ってみればキリスト教世俗によって何らかの形で圧倒的に抑圧されて処理し得なかったものの亡霊だと思うんです。一方社会主義が崩壊した後で何が問題になっているかというと、やはりいわゆる宗教がまた復帰してきている。だから三〇年代と現代は呼応するんだけれども、そこに、いままでの宗教学が扱ってこなかった、いわゆる宗教という概念では扱えないような宗教の問題があると思うんです。

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10 登場した原理主義bb歴史教科書の改変要求

 西谷 それともう一つ、国民国家の話と歴史の話をつなげてみると、さっきの話は細かいことは言えないから全部飛ばしてしまったわけですけれども、先ほど鵜飼さんが言ってくれた植民地主義、社会主義、それからナショナリズムの全経験というのを我々は踏まえて考えないといけないわけですが、いまの世界を世界性の時代だということで言ってみれば、この世界性の状況の中で、一人一人の人間も、いわゆるいままでのネーションも、唯我独尊的な「自分は偉い」とか「自分が自分で決めるんだ」という形では自立し得ないわけです。常に相互関連の中でしか自分はあり得ないし、自分が立つときは隣も立つ。そういう相互関連の中でしかあり得ないからこそ記憶の共有とか歴史の共有というのが必要なんだけれども、まさしくそれを切り捨てておいて、自分の無根拠さみたいなものを、絶対原理を持ち出すことであるいは捏造することで、根拠にしようとするわけです。一社会の原理という形で根拠を捏造することによって自分を立てると、それは当然ながら他者の否定につながるし、他者の記憶の否定にもつながる。否定というよりも目をつむることであって、本当に自閉的な一つの社会をつくることになる。それは当然ながら、ほかのものを受け入れないというゴーマニスムになるわけですね。まさしく傲慢な姿勢になるわけです。

 先ほどから話のはしばしで触れられていて何が問題になっているかというのは皆さんももうおわかりだと思うけれども、いま我々は、ひょっとするとたいへんな歴史的な瞬間に立ち会っているのかもしれないんですね。というのは、戦後四〇年間、文部省がずっと検閲して検閲して検閲して「これしか作ってはいけない」というふうにして作ってきた教科書、ほとんど唯一の批判組織だった日教組を右翼の大量動員で徹底的に潰してきて、その結果できた官許の教科書を、大衆レベル−−要するにマス・メディアで彼らが代弁しているのが大衆だとするなら−−から「こんなものではだめだ。もっと国家に恥じないものを作れ」、と公然と言う集団が出て来たわけです。それこそナチだって暴力で政権をとったわけではなく、三〇年代に選挙で登場するんだけれども、あるとき大衆が制度的な保守を乗り越える場面があって、それがまさにいま日本で起こりつつある。そういう意味では、ひょっとするとたいへんな歴史的瞬間に立ち会っているのかもしれない。原理主義が他人事ではないというのはこういうことがあるからです。

 歴史教科書は、宗教とはちがうと言われるかもしれません。しかし考えてみてください。宗教的な原理主義は、自分たちの宗教的テクスト(ドグマ)を絶対化します。ところが近代の世俗世界になってからは、宗教的ドグマは個人の内面に閉じこめられて、公共的な社会システムができるわけですけれども、そのシステムはテクストとしては、宗教の経典に基づいているのでも神話に基づいているのでもなく、客観的とされる歴史に基づくものです。つまり近代国家、国民国家は歴史を教典にするのです。神話で社会を説明するのではなくて歴史でこの社会の成り立ちを説明することによって、世俗世界は根拠づけられるわけです。それが国家の、国民のアイデンティティということですね。その意味では歴史というのは、世俗化の時代−−近代−−の社会を支えるテクストです。そういうふうに近代が神話ではなく歴史の時代だとすると、その歴史のテクストそのものを捏造して原理化するということ、それによってある一つの共同体をつくり直すというのは、まさしく無宗教の時代の原理主義以外のなにものでもない。とくにこの場合、他者との関係を抹消して自分たちだけに向けられた「誇れる」歴史を作れというのだから。その意味では、最もソフィスティケートされた万人向けの原理主義というのが、いま日本で登場しつつあるということだと思います。

 港  アクチュアルな共通の話題が最後に出てきたわけだけれども、いまの教科書問題を毎日テレビで見たり新聞で読んで思うのは、五年続いたユーゴスラビアの内戦がどうやって始まったかということ以外のなにものでもないわけです。あらゆる作家、あらゆるジャーナリストが何度も何度も繰り返しいま言うのは、「戦争は最初の銃弾が発せられる前に本の中で起こっていた」と。本屋のショーウインドーの中で、あるいは学校の教室で使われる本の中で、すでに戦争は始まっていた。何十万という死者を出した後ではまさしく後の祭りですけれども、作家たちは、大きな自責の念をいまも持っているわけです。つまり、書くことを職業とする自分たちが、なぜその段階でくい止めることができなかったのか。しかし、最初の民族主義的な本がセルビアで出てから、最初の銃弾が発せられるまでの期間は非常に短かった。当然、計画全体は何年もかけて準備されていたものだったわけですけれどもね。日本でいま起きている問題も、やはり突然始まったわけじゃないでしょう。何年かの間に醸成されてきた。

 鵜飼 教科書問題は八〇年からで、十数年の流れの中にある。

 港 出てきた時点ではもう相当準備ができていて、確固とした武器になっている。これは思考に対する武器なのです。二〇万人ぐらいは死んでしまうような思考の爆弾です。

 西谷 ぼくは初めはあまりたいしたことないと思っていたんだけれども、鵜飼さんから電話でその話の展開を聞いたときにワーッと思って、それからしばらく暗澹とした気持ちになりました。たとえば原理主義に関するこういうアプローチに関心を持つ人が日本に何千人いるか。それに対して彼らの本は、きょうの新聞の広告見たら上下あわせて七、八〇万部とか、圧倒的に勝負にならないんですよ(笑)。いや冗談じゃない。笑っていられないですね。

 鵜飼 客観的に言えば、衆人環視で裸踊りしているようなものだから笑うしかないんですけれども、数十万部という数字がその笑いを凍らせてしまう。その不快感。実際にこの問題は、とりわけユーゴの問題を見てきた人間にとっては、瓜二つですね。東アジアには、中国の体制の問題がありますし北朝鮮の存在もあって、要するに体制間矛盾が残っていますから、そのことによってポスト八九年型の民族紛争がもろに到来する事態がいわばくい止められている形になっていたわけです。それが数年遅れで、全く同じ形がでてきている。とりわけこの問題に関心をもってきた我々の目には、そうとしか見えないですね。

 港 もう一つ、状況だけじゃなくて、日本という国の全体の情報の均質化も非常に似ているし、政府の官僚主義的な硬直性が地震や原油事故というあらゆるところで露呈しているんですけれども、その硬直性も旧ユーゴがもっていたものと非常に似ていると思います。

 西谷 ええ。

 鵜飼 そうですね。このような現象がこう対処すればなくなるというものではないですから、自分たち自身の思想的な相対的「健康」をどう守りつつ、この状況に耐えて抵抗していくかということが、アルジェリアの人々にも、もちろんヨーロッパの人々にも、我々にもいま求められているんじゃないかと思います。

 最後に、これは『クーリエ・アンテル・ナショナル』というフランスで出ている新聞でみつけた言葉、この新聞のアルジェリア特集号に出ていた、アルジェリアのある知識人の言葉です。「原理主義は死のようなものだ。たった一回しか経験できない」。つまり、本当に出会ったら少なくとも精神的に死んでしまう。これと同じように、港さんの表現を使えば原理主義の毒ガスが、もちろんガスですから姿は見えないんですけれども、いま我々の周りに広がり始めているのではないか。ぼくたちの本について日本経済新聞で書評してくれた方が「いやな雰囲気が広がり始めたいま」という言い方をされているわけですけれども、この本を手にされた方は、そうした我々の身の回りの時代の空気を敏感に感じながら読んでいただきたいと思います。

 では、少し長くなりましたけれども、これできょうの討論を終わらせていただきます。どうもありがとうございました。                     (了) 


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