訃報 安らかなご永眠をお祈りいたします

「PRIDE」主催、DSEの森下社長が自殺

森下直人さん  総合格闘技「PRIDE」を主催するイベント会社ドリームステージエンターテインメント(DSE)社長の森下直人さん(42)が9日午前0時45分ごろ、東京・新宿区内のホテル客室内で、首をつって死亡しているのが見つかった。DSEは、交際中の女性と口論となり衝動的に自殺を図ったと説明した。同社長は前日8日、都内で記者懇親会を開き、03年PRIDEシリーズの計画を発表。「PRIDEを世界一の総合格闘イベントに」との宣言から、約8時間後の自殺だった。

 経営学博士の肩書を持つ森下社長の衝動的な自殺だった。DSEは9日夕方、警視庁新宿暑から事情説明を受けた遺族から伝え聞いた情報などをもとに、都内の事務所で会見を開いた。榊原信行常務取締役(39)は「経営も悪くなく、来年度のグランプリ開催に向けて情熱に燃えていた。動機に心当たりがなく、我々も右往左往した」と沈痛な表情で説明した。

 DSEの説明では自殺の原因は交際中の女性とのトラブルだったという。森下社長は「30歳前ぐらいの女性」と8日午後10時30分ごろにホテルにチェックイン。同社長が切り出した別れ話をめぐって客室内で口論となった。浴室に入った同社長が「10分、15分ほど出てこなかった」ことを不審に思った女性がドアを開けて発見したという。9日午前0時ごろ、その女性から連絡を受けたホテルが119番通報。救急隊が駆けつけたが、すでに死亡していた。新宿署は自殺の動機などを調べている。遺書はなかった。

 森下社長は8日に記者懇親会を開き、PRIDEシリーズの巻き返しを力強く宣言したばかり。PRIDEは日本の総合格闘技イベントの草分け的な存在。昨年は、同社が運営協力した夏のDynamite!と年末の猪木祭に押されたが「PRIDEがDynamite!や猪木祭のファーム(2軍)ではいけない。今年はPRIDEが世界一の総合格闘技イベント、というところを見せたい」と盟主の座を取り戻すと力を込めた。自殺は、それからわずか8時間後のまさかの出来事だった。

 約3年前に結婚した夫人と「2歳ぐらい」の娘を名古屋に残し、都内でホテル暮らし。8日夕方に食事をした関係者には「(夜には)名古屋に戻る」と話した、ともいう。午後10時すぎに携帯電話で会話した榊原常務取締役は「いつも通り明るく話した。名古屋から(の電話)と思っていた。情熱的で激情タイプ。突発的に死を選ばれたのでは。会社関係のトラブルはない」とうつむいた。

 記者懇親会では、3月16日にはPRIDE25(横浜アリーナ)、5月25日にはPRIDE26(大阪城ホール)、8、10月には3年ぶりのグランプリの開催も発表していた。榊原常務取締役は「森下が発表したスケジュールを、できる限りまっとうできるように頑張っていきたい」と故人の遺志を引き継ぐとの意思を示した。遺体は新宿署で両親と兄、娘を連れた夫人に引き渡され、自宅のある名古屋に運ばれた。

(写真=1月9日に自殺した森下直人さん)

◆森下直人(もりした・なおと)
 1960年(昭和35年)6月10日、名古屋市出身。大学卒業後、家電量販店に勤務。広告宣伝部門が子会社として独立したとき、その会社の代表取締役となる。スカイパーフェクTV!(当時パーフェクTV!)の設立にかかわり、格闘技イベントとしては日本初のPPV(ペイ・パー・ビュー)放送を実現させた。その後、98年12月にDSEを設立して、代表取締役に就任。PRIDE5(99年4月)から同大会の主催、運営を行ってきた。


吉田側も困惑

 吉田秀彦(吉田道場)の関係者も大きなショックを受けた。現在は昨年の疲労をいやすために海外で静養中だが、所属するJ−ROCKの國保尊弘社長は「非常に困惑している。温厚で頭のキレも鋭かった方で吉田も非常にお世話になった。これから、と燃えていらっしゃったのに信じられません。ごめい福をお祈りします」。森下社長は8日に「高田道場と吉田道場の2本柱で日本人の育成をしていきたい」とも話していた。


高山、約束果たせず

 高山善広(36)「PRIDE参戦から森下社長にはさまざまな面でよくしていただきました。細やかなお心遣いや誠意ある対応に感謝しております。1度、ゆっくりと食事しましょうと約束をさせていただいたまま、そのお誘いを実現する前にこのようなこととなり、とても残念です。心よりごめい福をお祈りします」。


◆03年PRIDE日程◆
大会名月日会場
PRIDE253・16横浜アリーナ
PRIDE265・25大阪城ホール
PRIDE GP開幕戦8月関東圏内
PRIDE GP決勝戦10月関東圏内
PRIDE2711月場所未定

 PRIDEアラカルト

 ◆誕生理由 「何物にも染まらない純白なリングの創造」を理念に掲げる。実質、高田−ヒクソンの対戦実現のために、97年10月11日、第1回大会PRIDE1が東京ドームで開催される。

 ◆何でもあり かみつきや目つぶし、急所攻撃を除く、ほぼ何でもありの「バーリ・トゥード」と呼ばれる総合格闘技の大会。柔術、空手、プロレス、K−1、キックボクシングなど、幅広い分野の格闘家が参戦する。

 ◆人気爆発 00年には初めてトーナメント方式のPRIDEグランプリを開催。そこで桜庭がヒクソンの実弟ホイスを下して、大ブレーク。昨年11月24日のPRIDE23では、観衆5万2228人を集めるなど驚異的な観客動員を誇る。

 ◆名選手輩出 昨年暮れに引退した高田、桜庭、ヒクソンを頂点とするブラジルの「グレイシー一族」に加え、最近もサップ、柔道家・吉田など、数々の強豪、スターを参戦させた。


家電販売→広告→98年DSE社長に

 森下社長が以前勤務していた家電販売会社エイデン(本社・名古屋市)では「とにかくビックリしている。ただすでに数年前に退職しているし、当時のプライベートなことなどは分かりかねます」と驚きを隠せない様子だった。同社関係者によると、同社で販促関係などの業務をしていた森下社長は、関連企業の広告会社に出向。しばらくしてこの広告会社の代表取締役になった。98年12月から並行して「PRIDE」を運営するDSEの社長を務めていたが、00年6月ごろ広告会社代表取締役のまま、エイデンを依願退職しているという。関係者は「当初、エイデンあるいはこの広告会社が『PRIDE』に出資していた時期があり、そのつながりもあって、DSEに移ったのではないか。退職は円満だった」などと話していた。


前日の森下社長“新たな決意表明”

 森下社長は8日、新宿区内のホテルで午後2時30分開会の記者懇親会を開いた。「PRIDEを社会的に認知されるイベントに」と決意を表明。3年ぶりのGP開催を発表し「さまざまな方面の王者、世界の強豪を集める」と意気込んでいた。「昨秋、3年がかりで米ネバダ州のアスレチックコミッションから米国の企業以外では初めてライセンスをもらった。会社としての信用をいただいた」などと今後の経営にも意欲を燃やしていた。

 昨年12月に法人税法違反(脱税)の疑いで東京地検特捜部に在宅起訴された、K−1を運営する興行会社「ケイ・ワン」の前代表取締役の石井和義被告についても触れ「あの方が与えた影響は大きい。ひとごとではなく身を引き締めていきたい。世の中の人をガッカリさせないように、という教訓」とも話すなど約2時間、格闘技関係の報道陣と接していた。


警察、詳細話さず

 森下社長が死亡した東京都新宿区のホテルではこの日「その件に関しては、すべてDSE社に話していただくことになっております」とし、詳しい事情については口を閉ざした。所轄の警視庁新宿署でも、死亡原因を自殺とみていることは認めたが、詳しい情報については一切答えず「『PRIDE』に聞いてください」と話すのみだった。


因縁の1月9日…円谷幸吉、中川代議士も

 1月9日には死に関するさまざまな因縁が昔から後を絶たない。1795年のこの日、第4代横綱の谷風が風邪で急逝。当時流行のこの風邪は同横綱の名を取って「谷風邪」と呼ばれたと伝えられている。1871年には広沢真臣参議が暗殺。1915年、北海道・奥尻島の硫黄鉱山での爆発事故では多数の死者が出た。

 自殺とも縁が深い。33年には女学生が三原山の火口に身を投げて自殺。その後、当地での自殺が続出した。68年には男子マラソン東京五輪銅メダリスト円谷幸吉が自殺した。「父上様、母上様、幸吉はもうすっかり疲れ切ってしまって走れません」という遺言を残して頚(けい)動脈を切った。最近では83年、自民党の中川一郎代議士が札幌のホテルで自らの命を絶っている。

 1月9日の因縁は歴史上の人物にも例外なく襲いかかっている。紀元前291年に孝安天皇が崩御。1533年後には四条天皇がわずか11歳で病死した。海外では1873年、ナポレオン3世が亡命先の英国で死去している。


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