満を持してオバマ米新大統領が就任した。地球規模の危機にある国際状況であればこそ、分断から対話の時代へ、歴史的転換の機を逸してはならない。
尊敬するリンカーン大統領が使った聖書に左手を置いて宣誓を始めたオバマ大統領の言葉が、一瞬詰まった。
先導するロバーツ最高裁長官の宣誓文の読み間違いが原因だったことが分かったが、初の黒人大統領の誕生、という歴史の重圧が仮にあったとしても不思議ではない。
◆祖国再生への責任
百五十年前、奴隷制は合憲とされ、黒人は白人の所有財でもあった。半世紀ほど前に至ってもキング牧師が訴えた人種平等の実現は「夢」だった。
「六十年ほど前、食堂に入ることすら許されなかったかもしれない者の息子が、今、こうして最も神聖な宣誓式に臨んでいられるのはなぜか」
自らの体験を通して「アメリカの自由と信条」の理念を語ったオバマ大統領の言葉に、歓喜と裏腹の苦難の建国史を想起した人も多かろう。
選挙戦で織りなしてきた数々の名演説に比べ、就任演説は国民に祖国再生への責任と忍耐を求める冷静なトーンに終始した。
自国のみならず世界の期待を一身に担ったかのような立場に置かれた言葉の重さが伝わる。
新大統領は、アメリカ社会の現状について「われわれは危機のただ中にいる」と単刀直入に語りかけ、「一部の人の強欲と無責任さ、困難な決断を回避したわれわれ全体の失敗が原因で、経済は極めて弱体化し、国が自信を喪失している」「米国の衰退は不可避だとの不安が離れない」と、端的に指摘した。
◆「機能する政府」とは
未曾有の金融危機について、「市場の是非が問題なのではない。市場が富を生み自由を広げる力は比類ない」と強調しながら、今回の危機は「監視の目を欠いた市場は制御を失うことを示した」との教訓を導き出した。政府が果たすべき役割については、「問うべきは小さな政府、大きな政府という問題ではなく、機能する政府か否かだ」と強調した。
「機能する政府」は、ハーバード大学のジョゼフ・ナイ教授らが説く「スマートパワー」の概念を用いてオバマ大統領がこれまで使っていた「スマートな政府」に通じる考え方だ。
同教授が説くのは、三つのソフトパワー(感情を加味した知能、ビジョン、対話力)と、二つのハードパワー(組織力、権謀術数)を「全体の文脈を踏まえて融合する力」を意味するという。
スマートパワーの考え方は、演説での外交問題についても見られる。就任を前に悪化した中東情勢を懸念してのことだろう、大統領はとくにイスラム社会に対して言葉を割き、「私たちは相互の利益と尊敬に基づいて新たな前進の道を探る」と呼び掛けたが、一方で、その前提として「無辜(むこ)の命を奪うテロ行為を続けるのであれば、これを打ち負かす」と強い姿勢も示した。
テロには屈しないが、対話の用意はある。ブッシュ前政権とは一線を画すメッセージだ。イスラム諸国、テロ組織に限らず、北朝鮮、キューバなど各国も新しい米政権との関係改善を模索している。対話の糸口を探る好機とすべきだ。
日本については具体的言及はなかったが、就任式に元大統領夫人として参列したクリントン次期国務長官も、上院外交委員会でやはりスマートパワーに言及している。「日本はアジア外交上の礎石」と述べ、同時に、アフガニスタンの増派計画について、「さらなる増加(モア・フォア・モア)戦略」をとる、と明言している。欧州はじめ世界主要各国がほぼ一斉にオバマ政権歓迎の姿勢を示す中、日本の早急の対応が問われる。
オバマ大統領には、常に「未知」「謎」の要素が指摘されてきた。二年間の選挙戦を経ても、国政経験が上院議員の一期しかない事実は否定しがたい。
柔軟で現実主義的な判断には反面としての「変節」との非難が伴いがちだ。
◆多様性体現した求心力
イスラム教徒の黒人を父に、カンザス州出身の白人を母に生まれ、アジアで育ったオバマ大統領。これだけ多様な民族、文化、歴史を一身に体現した大統領はアメリカ史上例がない。対話を促進し得る多様性は、一旦(いったん)求心力を失うとそのまま分離、拡散にも転じかねない。
温かいまなざしが注がれるのは通常のハネムーン期間の百日か、次の中間選挙までの二年間か。スタートの成否が鍵を握っている。
この記事を印刷する