◆[山形市]八日町・六椹八幡神社 例大祭(2008平成20年9月15日撮影)


六椹八幡の森で濾過された光が降り注ぎ、頑なに壁を造る塀に柔らかく問いかける。

「・・・なんだどぉ」
「はえずぁ、しゃねがったなぁ」
門の奥ではサルスベリがピンクの耳をそばだてて、そーっと聞き耳を立てている。

「やんだぐなたなてやねで、最後まで歩がんなねぞ」
「鼻の頭さ白粉塗んのは、やんだぐならねおまじないが?」
子供神輿が陽光の中ゆっくり歩む。

新しい通りが出来ても高校生たちの通学路は旧道。
家並みの影を踏みながら自転車が行く。

「あれ?だいまる無ぐなたのがぁ」
「ほろげだんねがぁ、何十年前の話してんのや」
子供の頃の光景は、頭の隅に残るばかり。

「ほだい急いで走らんたてぇ」
「お神輿見っだいんだもぉ」
神輿の行列は子供の心に火を付ける。

子供神輿の晴れ姿を見ようと、紅白幕が身をよじってはためく。

子供たちの熱気が八日町の通りをゆっくり進む。
いいぞいいぞと紅白幕が道路脇で囃し立てる。

「ワンころもなんだべど思て、首かしげっだなぁこりゃ」
静かな路地が笑顔に包まれる。

新しい道路が出来てすっかり様相が変わってしまった八日町。
走り抜ける車に例大祭を黙って告げる。

恒例の歌謡ショーは今年も健在。
街中の商店街が廃れていく中、
六椹八幡神社例大祭は隆盛を極める。

奉納弓道射会が今年も始まる。
六椹の森が青々と茂りながら見下ろしている。

奉納弓道射会のすぐ脇で、神輿担ぎの準備に余念がない。
午前の部は奉納弓道射会を神妙に見て、昼の部で神輿の迫力に感動し、夜の部で歌謡ショーを堪能する。
祭礼中は息つく暇もなく楽しい事だらけ。

担ぎ手たちの緊張が高まってくる中、神輿は年一回吸う外の空気を泰然自若として味わっている。

ご神木は身じろぎもせず、奉納弓道射会の成り行きを見守る。

「体、堅っだくてよぅ」
「常日頃運動すねがらっだな」
ずらっと並んだ弓なりの体が、緊張しながらヒソヒソと会話する。

ズックでもない、サンダルでもない。かといってこの頃見かけない草鞋(わらじ)でもない。
久しぶりに変わった靴に踏みしめられたと、土たちは踏まれる感触をじっと確かめる。

見物客は後頭部を太陽が直に触っているのも忘れて、奉納弓道射会を見守る。

「ハイ構えてぇ」
弓が構えられると同時に、一斉にカメラも構えられる。

「ちゃんとたがげよぅ」
「言ってる意味わがんね」
「たがげてゆうのは、古来から伝わる由緒正しい山形弁たなぁ」

奉納弓道射会のすぐ脇でどんどん焼きが出来上がる。
精神統一する弓道の人々は、鼻腔をくすぐられ邪念が混じる?

奉納弓道射会のすぐ後ろにはキンキンに冷えたビール。
神輿会の人々がこれ見よがしに置いているのかも。

「あいやー、なんだてめんごいごどー」
弓を射る人々の緊張と、乳母車の赤ちゃんを褒める和やかさが同居する境内。
その両方を包み込んでしまう懐深い六椹八幡神社。

「ほれほごのカメラ下げっだおんつぁん、邪魔だがらどげでろ」
的があったら射たいのは弓道の真理。
穴があったら入りたいのは恥を掻いた私の心理。

この時ばかりは水虫も押し黙る。

そのとき時間が止まった。

「たしなみとはなんでございましょうか?」
「現代人が忘れた心にござる」
「しからば今、六椹八幡神社にはたしなみが充満しておるのではありませぬか?」
「よくぞ気づかれたな、その朽ち果てた心で」
雑念とよく分からない禅問答を心の中で繰り返し弓を見つめる。

シュッと空気を切り裂き的を目指す矢には微塵の雑念もない。

すっと立つ姿は、ざわざわした周りの空気を鎮めてしまう力がある。

弓と同化する一瞬を捉えようと、カメラのグリップをキツく握る。
どこにピントを合わせようかと指先があたふたする。

一ミリのぶれも許されない緊張の一瞬。
狙いを定めるカメラの手はプルプル震える。

祭りのざわめきが境内を右往左往して、絵馬をクルクル揺らし回転させる。

「鐘突堂さ登て食う焼きそば、サイコー!」
「あたしさも早ぐ焼きそば買ってけろー」
鐘突堂の上で友達と下界を眺めながら食べる焼きそばのなんとうまいことか。

積み上げられた石は、鐘突堂を攻略するために二小と六小の子供たちが壮絶な戦いを演じたことを覚えているか。

緑のフィルターは境内からトゲトゲしい空気を取り払ってくれる。

「弱ったのば狙わねで、元気いいやづばさぐえ」
「世の中なんでも弱いものばり狙われっからねぇ」

「空気足んねくて、なんも言えねぇパクパク」
金魚たちが盛んに顔を出し、九月の日差しは水面をいつまでもゆらゆら揺れ続ける。

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