◆[番外お上り編]東京 芝・三田・白金・田町・丸の内(2008平成20年10月18・19日撮影)

●今回の撮影箇所は山形県内ではありません。
 大都会東京です。東京の街並みを、山形人の私がどう捉えたかご覧下さい。

「明日から東京だぁ。なんだがドギドギするぅ」
久しぶりの東京に、遠足へ行く子供のように目が冴えて眠れそうもない。
窓の外にはおぼろに霞む月。

キター!生き馬の目を抜く大都会東京。
カメラを縦に構えないとビル群がカメラに収まらない。山形なら横に構えれば大半が写るのに。

狭い通りの両脇に頭上に誘惑の看板が立ちふさがる。
スーパーマリオのように、ジャンプしたり逸れたり走ったりしないとなかなか前へ進めないよう。
慶應義塾大学へ向かう慶応仲通り。

きらびやかな通りの中に、埋没するように、でもさりげなく存在する昭和。

「塀さまで?広告なんだべが」
太古の昔から、どんな狭いスペースでも利用してしまうのが都会人ということか。

小道を抜け桜田通りに出る。「あいやー高っがいぃ!」
渦巻く車の騒音の向こうに悠然とそびえ立つ333メートルの東京タワーが現れた。
「333メートルていうごどは、霞城セントラルの三倍がぁ、かなわねなぁ」

慶応の森の中へ次々と人々が吸い込まれてゆく。

慶応大学の向こうで、
万年筆の先っぽのようなNEC本社ビルが空を突いている。

壁になびく蔦は秋風に揺れながら、多くの慶応ボーイを永い間眺めてきたのだろう。
壁の威圧感と伝統に、一見(いちげん)のお上り(のぼり)さんは萎縮してしまう。

「あの坂の向こうさは何あるんだべ」
森の茂みが誘惑するように、葉を揺らして手招きする。
ちなみにここは安全寺坂というらしい。

「乾いだがら、あど離せぇ。痛いったら」
「ぎっつぐ挟んでおがねど、どさ逃げていぐがわがんねべな」
雑巾と洗濯ばさみは、きっとこんな会話を共通語で話している。

突然馬見ヶ崎川が頭に浮かぶ。
この花(エンジェルス・トランペット)は、日本一の芋煮会場の土手、双月橋のたもとにも咲いている。
山形では河原沿いに咲き、東京では床屋さんの前に咲くんだな。

「目が潤んで、スクリーンが見えねぇ」
映画、三丁目の夕日を見て不覚にも涙を流したっけ。
今でも続いている三丁目の夕日のような世界。あの映画がなぜ生まれたのか少し分かったような気がする。

おそらく雨後の竹の子のようにビルが次々建ったのだろう。
小さな商店たちは、林立するビル群のように空を目指さず、地面深くへ根を張って生きているに違いない。

「まだ坂が現わっだぁ。なんだて坂がうがい町だなぁ」
「人生には上り坂、下り坂。そしてまさかと思うような坂があんのよ」
まさか幽霊坂とは!スクールゾーンに幽霊とは、なんと危険な。

都営三田線の白金高輪駅付近にたどり着いた。
エレベーター付きの歩道橋に、ガラス張りのビル。都会は古い街並みを突き破って、至るところで脱皮し続ける。

歩道橋に登りながら、車の巻き起こす風に吹かれてみる。
のほほんと歩道橋にすがりつく私を、車は見向きもせず走り去る。

共通語に堪能な私が、共通語を知らない山形人のために、山形弁で標識の会話を通訳してあげます。
「おまえはほっち向いでろ。おれはこっちば向いでっから」
「ちぇっと角度が違うんねがよ、修正すろぉ」
「ほう簡単に人生の角度ば変えらんねっだず」
山形では見慣れないカラフルな標識が、律儀に柱へしがみつく。

「なんだが首痛ぐなてきたぁ」
「んだっだなぁ、さっきから見上げでばりいらんなねんだもぉ」
聳えるビルは鋭角的に空へ切り込んで、ギラリと光を反射する。

東京人はとにかく歩く。歩道橋や地下鉄の階段。そして激しい生き残りのための街道。
山形人はとにかく歩かない。通勤もゴミ捨てもコンビニも畑仕事も車。車無しには生き残れない。

東京には土の付いた車など走っていない。
ぴかぴかに磨かれたボンネットにビルが反射する。

ビルの谷間に猫に額のような空き地。
あっという間に自転車の駐輪場と化す。

比較的東西南北に道が切られた山形と違い、東京はラビリンス。
小道に入っていくと無限の迷宮へ入ったように途方に暮れる。

ホッとする小さなスペースが点在する都会の街並み。
山形は盆地全体がホッとするスペース。

グラッときて身の安全を図る東京人。
東京の雑踏に酔い、クラッとくる山形人。

空にビルが突き出ていなければ、山形と変わることもない街並み。

どんな狭いスペースでも見つけ出して、とにかく緑を植える人々。
ボコボコ建つビルとビルの隙間には、情緒溢れる昭和がいつまでも残っている。

ビルに挟まれた路地から突然緑が押し寄せる。
殺伐としているようで、実は緑を希求する気持ちの一番強いのが東京か。

所用を終え田町駅近くのビジネスホテルに入る。
外の様子を見ようと窓を開ける。
ビルしか見えないのに、コオロギの鳴き声が、都会の生ぬるい風に混じって入り込んでくる。

明くる日は快晴。
空へ伸びるビルも、並木の葉っぱもまぶしい光の中にくるまれている。

田町駅の構内は日曜日だというのに、すでに活気づいている。

スカッと抜ける青空へ挑戦するように屹立する、東京駅前の丸ビルと新丸ビル。
その間をカラフルなバスがするりと抜けてゆく。

皇居外苑は秋の爽やかな大気と光に包まれている。
日曜日のゆるりと流れる時間を楽しむように、空を葉が揺れ踊る。

背中を日差しに押されながら、内堀通りを黙々と走る人々が引きも切らない。
やっぱり走る歩くは東京人に叶わない。
近い将来、東京人の足は力強く発達し、山形人の足は退化するのではないかと心配してしまう。
山形人は病的なほどの車依存症。それを交通の便が悪いからという言い訳でごまかしてる。

ストンストンと空から落ちてくるテトリスの四角が、地面に突き刺さっているようなビル群。

空にはふんわりとした雲。地上の皇居外苑には外国人の群れ群れ群れ。
二重橋付近では英語・中国語・???語。そしてたまに東北なまりの言葉が聞こえる。
東京の人は皇居外苑に用があるわけでもなく、わざわざ足を運ぶこともないよなぁ。

東京からつばさでまっすぐ山形へ帰らず、仙台経由で仙山線に乗り換え山形へ向かう。
次の停車駅は面白山高原駅とのアナウンスを聞いて、ゲラゲラ笑いながら作並温泉で降りていった若い三人組女性観光客。
作並を過ぎ三人のうるさい会話も無くなり、列車内も平静を取り戻したかに見えた。
しかし、面白山トンネルに突入するや、ガーゴーと耳を聾する振動と響き。
ああ、トンネルを抜ければ山形。東京へ行ったことは、すでにスピードを上げて遠い過去へ走り去ろうとしている。

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