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婚活前に知っておきたい結婚制度とは?【独女通信】

婚活前に知っておきたい結婚制度とは?【独女通信】
なげきつつ ひとり寝る夜の 明(あ)くる間は いかに久しき ものとかは知る【右大将道綱母】

百人一首でおなじみの歌だが、意味はといえば、あなたがおいでにならないのを嘆きながら、一人で寝ている夜が明けるまでの時間がどんなに長いものか、あなたはご存じでしょうか。

当時の結婚は、男が女のもとに通う通い婚であり一夫多妻制。「どうしてこの頃逢いにきて下さらないの?」メールも電話もないから夫に気持ちを伝える手段は手紙(歌)しかなかった。和歌が発達したのは通い婚だったからという説もあるが、まずは通い婚から始まった日本の結婚制度について紹介したい。

通い婚が一般的だった平安時代。妻はひたすら夫を待つだけで、結婚しても安心などしていられなかった。一日中夫のことを考え、外出している間に夫が訪ねてくるかもしれないから家も空けられない。それほどまでして夫を待っているというのに、夫に新しい女が出来て夫はその家に通っているとの噂が耳に入る。
「ああ、悔しい! 許せない! あれほど愛しているのはお前だけと言ったくせに」などと恨み辛みも歌にして夫に送りつける。とはいえ、苦しい胸の内を相手に伝えられたのだから、夫婦間での男女関係は対等だったといえる。

平安から鎌倉へ、武士の時代になると結婚は妻が夫の家に出入りする嫁入り婚となる。妻は夫の所有物であり、夫を自分の意志では選べず、政略結婚の道具に使われた。無論、容姿や人柄が好きなタイプだという好みで相手を選ぶことなどできず、結婚しても妻の不倫は夫への反逆として厳しく罰せられた。通い婚と嫁入り婚へ変わると、女の地位は低下するのだ。

そして江戸時代になっても女の地位は低いまま。「女は三界に家なし」という諺通り、娘の頃は父に従い、結婚してからは夫に従い、老いては息子に従わなければならなかった。子供を産まない女は「嫁して三年 子なきは去る」。離婚されても文句が言えず、他の女が産んだ子を自分の子として育てることもあった。離婚は夫からで「三行半」という離婚状を夫から手渡されることで離婚が成立。決定権はすべて男が握っていた。

女にとって悲惨な時代も明治になると、外国人との結婚の自由も認められるようになり、一夫一婦制となったが、夫の同意がなければ大きな買い物も借金もできず、結婚も離婚も自分の意思で決められなかった。
今こそ女たちよ立ち上がれ! 男女不平等な世の中を変えようと女たちの気運は高まったが、戦争により女たちの熱い思いはかき消されていく。

さて戦後の日本は大きく変わり、昭和、平成と恋愛や結婚の自由には加速度が増した。事実婚あり、夫婦別姓あり、できちゃった婚オッケー。バツ一だ不倫だと聞いても珍しいことではなくなった。今やどんな形態でも新しい結婚として認知されつつある。

なのになぜ結婚ができない男女が増えているのだろうか?

恋愛下手になったのは、いつでも会える状況が恋愛のもどかしさをなくしたせいかもしれない。楽しみが多様化して恋愛より他のことに生きがいを感じているからかもしれない。
しかし動かなければ出会いもないし、結婚もいつまで経ってもできない。
彼がいるのに結婚に踏み切れないとか、自分で行動してまで結婚したくないと臆病になっているなら下記の万葉集の歌をお読み頂きたい。

君が行き 日(け)長くなりぬ 山たづの 迎へを行かむ 待つには待たじ【衣通王(そとほしのおほきみ)】
(あなたが出掛けてから、たくさん日が経ちました。迎えに行きましょう。待つには恋しすぎる、もう待ってなんかいません)

待つことしかできなかった古き万葉の時代に、待ってなんかいられないと行動した女たちもいたのです。平成の時代の独女たち、今年こそ待っている女から行動する女へ。彼が迷っているなら決断するのはあなたです。今年こそ脱独女の年になりますように!(オフィスエムツー/佐枝せつこ)

■参考資料
ソーレ啓発誌『ぐーちょきぱー』こうち男女共同参画センター「ソーレ」
関連ワード:
独女  結婚  離婚  メール  手紙  
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