だから、若い人に目的を見つけさせるのは、昔は、“おせっかいおやじ”のような、大人の役目だったんじゃないのかな、と思いますね。
今の時代は、ショートカットの欲望の増大に反比例するように、若い子に対しておせっかいな物言いをする大人が少なくなっている気がします。昔だったら、周囲の大人が若者に対して相談に乗っていたのかなと。
大人が相談に乗ってあげることで、若い人も、おのずと自分が何をするべきか、社会が自分に何を求めているかまでを含めて考えられたと思うんです。今は、周囲の大人にかまってもらえない子たちが自分の行き先を見つけられなくて、悶々としているというところはあると思います。
―― 今は、他人のことに口を出す人が、大人も若い人も少なくなった気がします。
若い人がやりたいことを見つけられるように、周りの大人がうまく接してあげればいいだけの話なんですけどね。今の時代でも、大人と若者は関わりを持とうと思えば持てるんですよ。若者の周囲には、今も昔も、アルバイト先の先輩のような気軽に話しかけられる年長者は大勢いるわけですから。
国まで重い腰を上げて「若者に目的を与えるには」とやっているけれども、本当は国策でどうこうするよりも、周囲の大人ひとりひとりが、若い子たちに夢を持たせてあげようとか、現実の厳しさを教えてあげようとか、すこし意識して接してあげればいい、それだけのことだという気がします。
―― 若者が社会参加をしていないぞと「社会問題」として憂うぐらいなら、自分の身近にいる若い子に声をかけてみようということですね。
そうですね。現状を変えていくためには、意識するだけでも違うと思うんです。僕も、若い人に対しては、メールでも何でも、何かを書いてきたら答えてあげるよというスタンスでいます。
―― 大人が、どうして「おせっかい」の役目から降りてしまったのだと思いますか。
嫌われたくないからじゃないですか。
それに、若い子たちは、徒党を組んでうるさい大人たちを弾こうとしますから。若者が大人を弾こうとするのは昔からなんですけれども、今の大人たちは、弾かれたときに、もう一度、彼らの中に強引に分け入っていくことをしないんですね。そこまでする度胸がなくなってしまったのではないかと。それは僕もそうなので気持ちがわかるんですよね。
お互いの顔を知っていてこその「関係性」
―― 今は、大人が若者と向き合わない、それはなぜだと考えますか。
他人に対する興味が薄れているというのが大きいと思います。下手に介入しないほうが楽でしょう。
そうして、個人と個人の関係が希薄になっている。
僕たちの仕事でもそうですけど、今はメールやブログ、SNSと、お互いの顔を見なくても情報のやりとりが可能になりましたよね。人の顔を見なくても情報を伝えるすべができたのは、便利である一方、相手の感情が読み切れなくなってしまったんじゃないかと。顔が見えないために、さまざまなすれ違いが起っている。今は、誰もがそれで失敗した経験を持っているし、弊害もわかっている。でも便利だから使っているというところなんじゃないかなと。
―― 「相手の顔が見えなくても、相手のことを知った気になる」というのも、今の時代の特徴なのかもしれませんね。
情報の多さゆえ「一方的に知っている」とか「気づかれずに知っている」ことがある程度可能になりましたよね。
でも、本当の関係性って、お互いがお互いを知っていることなんじゃないの、と僕は思うんです。良好な関係ですね。
―― その関係性というのは、基本的に、お互いが相手の顔を知っているところから始まる。自分の顔、知識、経験を見せずに、相手のそれを知っている(と思っている)ような、一方通行のものは「関係性」とは違うということですか。
だと僕は思います。
こういうロジックでお話しすると、たいてい「匿名」を否定するみたいに誤解されるんですが、匿名でなければ言えないこと、盛り上がらない議論だってもちろんあります。選択肢の一つとして「匿名」を持つことは全然ありだと思ってます。要は、そこは匿名でいくべき状況なのかどうかを考えてみようよ、ということです。
もし、「関係性を作る」、という目的の場合なら、匿名を使って誰かを“叩く”という行為では、一方通行にしかなり得ないよ、と。