「資源の呪い」という経済用語がある。天然資源に恵まれた国は、逆に経済発展が遅れる傾向にあることを表している。モルカルチャー化された植民地経済が典型だが、輸出で儲かる資源産業が肥大化して他産業の成長の芽を摘んでしまうため、国全体でのバランスの取れた成長が困難になってしまうのである。
ヨーロッパ人入植後のアメリカで、欧州向け輸出商品のたばこや綿花のモノカルチャーが広がった南部よりも、特産品のなかった北部で商工業が発展したのもこのメカニズムで説明できる(この経済力の差が南北戦争の勝敗を決した)。
ところで、大阪の地盤沈下が叫ばれて久しい。セントレア開港、万博開催など元気な名古屋とは対照的に、大阪発のポジティブなニュースは少ない。深刻なのは、過去30年の間に大阪のイメージが変質し、都市の経済力の根源である「人を引き付ける力」が弱くなったことである(※1)。今、大阪といえば、騒々しい、コテコテ、ケバケバしい、信号無視、違法駐車等々、ネガティブイメージのオンパレードである。大阪には食文化があると反論するむきもあるかもしれないが、紹介されるのは、たこ焼き、お好み焼き、イカ焼き、ねぎ焼きなどのB級料理ばかりである。これで食い倒れ(食に贅沢しすぎて破産すること)を名乗ることには無理がある。
もっとも、昔の大阪は、京都とともに日本の文化・経済の中心であり、「活気溢れる面白い街」のイメージが強かった。1970年の大阪万博では日本中の人が大阪を訪れたが、当時の印象は今とは大違いだったはずである。その大阪に取り付いたのが「お笑いの呪い」である。
江戸時代から続いた日本経済の東京・大阪二極構造は、戦後の交通・通信手段の発達によって70年代には東京一極構造に移行した。大阪を「商都」たらしめていた、経済の中枢機能が東京に移転してしまったのである。大阪経済を企業にたとえれば、創業来の看板商品が失われるに等しい衝撃であり、新たな看板商品の投入が急がれた。その看板商品が、大阪では豊富だが、東京では不足していた「お笑い」だったわけである。80年代以降の大阪芸人の東京大量進出を見れば、大阪がお笑いという文化資源に恵まれていたことに疑う余地はない。大阪は「商都」から「お笑いの街」へと転業したのである。
しかし、資源に恵まれることには呪いが付きまとう。お笑い「輸出」の急拡大は、輸出先=東京で商品価値の高い「ヘン・アホ・おふざけ」といった奇矯・露悪的な部分のみを極端に肥大させた。これが大阪側のアンチ東京意識と結合したことで、「東京の基準(常識)から外れているほど『大阪的』」「普通でないことが大阪の個性」という倒錯的観念が大阪の内外に定着した。新しい「大阪ブランド」の誕生である。2年前に、天王寺公園で不法営業するカラオケ小屋を市が撤去する騒動があったが、東京のあるニュースキャスターは「大阪なのだから大目に見れば」という趣旨のコメントをしていた。大阪では違法行為OKという価値観の転倒であり、これこそが東京が大阪に期待する姿である。
東京志向の結果として生まれたお笑いモノカルチャーは、「いわゆる大阪的」ではない理知的な大阪人の居場所を狭め、東京に流出させていく。その結果、大阪の都市の魅力=人を引き付ける力はどんどん失われ、代わりに東京の魅力は増していく。大阪は、東京の需要に応じてせっせと「ヘンな姿」を供給するうちに、「笑われる街」「常識外れの街」へと変貌する呪いにかかっていたのである。明治維新で千年以上続いた都の座を東京に奪われ、一時は没落の危機に瀕した京都が、「伝統と文化・学究の街」に活路を見出したのとは好対照である(京都はノーベル賞受賞者も多い)。
大阪の停滞と名古屋の興隆は、前述の「欧州―米南部―米北部」の関係を「東京―大阪―名古屋」に重ねると理解しやすい。東海道新幹線開通によって「通過駅」に転落したと思われていた名古屋がいつのまにか昇り竜に大化けしていたのは、東京ウケを狙わなかったからである。大阪復活のカギは、お笑いモノカルチャーの背後にある東京志向から、地元重視に転換できるかにかかっている(輸出主導経済を内需主導に転換するようなもの)。
かつての大阪は、関西の中心に位置するという好立地条件に、自由で多様性を尊重する、いい意味での「何でもあり」のカルチャーが重なったことで発展した。進取の気風に富んだ大阪のダイナミズムの復活を期待したい。
(※1)大阪府もこのことを懸念しており、ブランド復権に向けた「大阪ブランド戦略」を実施している。詳しくは大阪府HPの「大阪ブランド情報局」を参照。
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