2008-03-07 職場トラブルでもっとも大事なこと

マッチョな話をここ数日追いかけています。
労働組合というのは、実はかなりマッチョなところで、日本の労働環境(もちろん職場や経営者なども含めて)でもっとも前時代的な封建的空気がまかり通っている組織でもあります。
事実、みなさんの職場の労働組合を見てください。
女性の組合長(執行委員長)や書記長がどれほどいるかを。
そのあたりをとりかかりに、今の今まで頓挫しているフェミズム考の結論篇も書いてみたくなっているのですが、さて。
さておいて、とあるエントリーの中で「職場のイジメの被害者を助けようとしたら、そいつにも充分落ち度があってひどい目にあった」という話を読みました。*1
相談を受けた人も含めて、典型的な職場ハラスメントになっていた類型なので、ここでその考えられる処方について書いておくことにします。
■Aさんは職場において孤立している。
Aさんは真面目で、仕事は細やかにやる方です。ただし、人付き合いは常識程度で、あまり深い付き合いは苦手です。
ある日、Aさんは自分がやる仕事について、職場の誰もが協力的でないことに気付きます。
例えば、
○コピーを回していると、いつのまにか他の人が割り込んで使って、そのまま放っておかれる。
○自分が席を外したときにかかった社内電話は、「不在です」と断られ、要件をメモにしてくれていない。
○自分が残業していると「電気消しますよー」と言われ、時には本当に消される。
○自分になにかミスがあると、いち早く部長がそれを知っていて、呼び出される。
○有休を取った次の日行ってみると、自分の机の上が物置になっている。
○それを指摘すると、「誰かさんが休んで忙しかったからせめて場所だけ使わせてもらった」と嫌味が。
○飲み会は最初から人数に入っていない。だから、課の飲み会はまったくなく、いつも有志。
○仕事の上で「言った言わない」があると、ほとんどの場合自分が嘘つきにされる。
○課として成果が上がったとき、自分がいないときに皆で喜んで、自分が戻ると忙しそうにしている。
○自分が成果を挙げても、誰もそれを認めない。
などなど、ノートまる一冊分の分量があったとします。
■Aさんはあなたに相談を持ちかける。
あなたは同情してそれを聞いて、そして力になろうと思い立ちます。
そこで、Aさんをイジメている(とAさんが主張している)職場の皆を訪ねて、それとなく聞いてみることにします。
■調べると、やはりAさんは職場において孤立している。
話を聞くと、Aさんは孤立していました。
仕事のやり方が細かく、どうもきっちりとした性格が災いして、かなりうるさい人と思われているようです。
■職場にもそれなりの言い分はある。
課長や同僚にヒアリングしてみると、彼らはイジめているつもりはないと言います。
Aさんの被害感情については、被害妄想と言外に仄めかしたり、甘えていると言う同僚もいました。
もちろん、Aさんが挙げた具体例についても、それぞれ理由があるようです。
○Aさんはコピーをとる必要がなさそうなものでもいつもコピーしている。
だからコピー機を占有して他の人が仕事にならない。
○Aさんは自分から電話に出ない。それに自分はわからないことはわからないと言って他の人の
電話のフォローをしない。それにトイレが長いので、いつ帰ってくるかわからず困っている。
○Aさんはいつも職場が忙しくても帰ってしまう。そのくせ、奥さんが家にいないときは会社に
残っていつまでもどうでもいい仕事をしている。経費の無駄だと思う。
○Aさんは他の人の失敗をフォローするとき、なんで失敗したのかとネチっこく聞く。
フォローしながらも「部長には報告したの?」などと嫌味だ。
○Aさんは職場の仕事量なんて関係なく有休を取る。他の人が有休を取ったとき、「○○は休みです」
と言って代わりにやってくれたりはしない。
○自分も他人の休みのとき何もしない。でも職場のみんなはAさんの仕事でもわかることはフォロー
している。その調べた資料くらい自分で片付けろと言いたくなる。
○Aさんは飲み会が好きではないらしく、よく断る。だから最初から呼ばない。
○Aさんは常日頃から「言った言わないになるから証拠を残せ」とやかましい。そのAさんが証拠を
残していないんだから、それはAさんが悪い。
○Aさんは細かいことばかり気にして、仕事の本筋には貢献していないと思う。
お客さん相手でも細かいところにこだわって意地をはるし、正直足を引っ張っていると思う。
○Aさんは無能だと思う。なぜなら、同じ職場ですら彼を庇う人間がいないのだから。
それにノート一冊分の不満を書くなんてどこかおかしい。そんなヒマあったら仕事すべきだ。
と、これまた容赦がありません。
■このトラブルへの処方を考える前に、お互いの言い分が食い違う理由を考える。
「Aさんが、自分に都合の悪いことを隠して、自分を悲劇の主人公に仕立てようとしている」と考えてしまいそうになるところですが、それは労働相談を受けたひとが一番陥ってはいけないことです。
労働相談を受けた人は、そのトラブルを裁く必要も、権限もないのですから。
Aさんはイジメがあると主張している。
職場のみんなは、それはAさんに原因があって、しかもむしろ職場の方が迷惑していると主張している。
真っ向から食い違う内容ですが、実はどちらも正しい内容です。
お互いに、正しい主張をしているので、そのまま話し合いを進めても、平行線をたどるしかありません。
■「なぜ、イジメがおきたか」ではなく、「なぜ、イジメられていると感じるのか」を考える。
原因を探ることが解決の端著であり確実な方法です。
しかし、原因というのは、観測者によっては正反対の理屈を導くものです。
例えば野球です。
あるイニングで危険球があった。受けた方のチームはいきり立ちます。
チームメイトが投手に駆け寄って、罵詈雑言を投げつけます。
しかし、投手としては、野球というゲームでおこったミスなのに、なんで自分の資質まで貶されなくてはいけないのかと傷つきます。
一見危険球というひとつの原因ですが、立場によって理屈が違い、双方で傷つけ傷ついていることに気付くはずです。
だから、ひとつの原因は、ひとりの観測者の問題しか解決できないのです。
その相手の問題を解決するには、その次の原因を探らなくてはならなくなる。
だから、「なぜイジメが起きるのか」は一挙に解決はできません。
「なぜ、イジメられてると思うのか」と、「なぜ相手がいじめられてると感じることをするのか」と、観測者ごとに分けてその両方に処方を考えなくてはいけません。
繰り返しますが、労働相談はジャッジメントはできません。相談者が審判になれない理由は、この観測者の問題があるからです。
■でも、事象はひとつ。
さあ、ややこしくなってきます。
しかし、起きていることはひとつです。
電話を取り次いでもらえない、電気を消される、飲み会に呼ばれない、それはお互いに認めていることです。
■双方の主張をレイヤーに乗せてみる。
適当な日本語が思いつかないので、レイヤー*2という言葉を使います。
Aさんと職場のみんなの主張がどちらももっともだと言う立場に立つには、日和見主義を導入するか、レイヤー*3の概念を持ち込むしかないと思います。
つまり、Aさんの主張も職場のみんなの主張も、どちらももっともであるのは、お互いに主張するレイヤーが違うからだと気付くわけです。
■被害感情は、かなり濃密な個人的レイヤーで語られることが多い。
例えば、課長に怒られたとします。
「この失敗は大きいよ。みんなでフォローするんだから、ひとことみんなに謝りなさい」と言われたとして、
怒られた方は「仕事上でのことだからな。失敗した俺が悪いんだすいません」と割り切る人もいますが、
往々にして「課長は俺に恥をかかせた。失敗したのは悪いけど、俺だって課長の失敗の尻拭いをしてるんだ」と、自分の極めて個人的な人格にまでそれを投影して、ときには個人的貸し借りにまで及んでしまうケースがままあります。
つまり、Aさんは、個人的なレイヤーで職場での仕打ちを受け止め、その結果「これはイジメとしか思えない」との結論を導き出したのです。
■加害者の論理は、組織的レイヤー*4で語られることが多い。
例えば、上記の課長が怒ったことを考えます。
その失敗はとてもクリティカルで、リカバリーするのに多大な手間がかかってしまうのは間違いない。
しかし、それをリカバーするにしても、他のみんなも自分の仕事をもっていて、どうしても影響が出てしまう。
仕事ができないなら、それをちゃんとわからせないと、他のみんなの士気にも関わる。
そして、課長は衆目の面前でこう言います。
「この失敗は大きいよ。みんなでフォローするんだから、ひとことみんなに謝りなさい」
つまり、職場のみんなは、組織的なレイヤーでAさんの言動を受け止め、その結果「Aさんの態度を許していたら、組織はめちゃめちゃになる」と結論を導き出したのです。
■異なるレイヤーに解がふたつあるひとつの事象に処方は出せるか。
出せます。
アプローチは、もちろんそれぞれのレイヤーに異なるレイヤーの存在を気付かせることから始めます。
ここでその相談者の立つレイヤーを壊してしまわないようにするのが、大きな留意です。
個人的レイヤーでイジメを語るAさんには、仕事上Aさんに向けられた不満が職場にあることを気付かせます。
組織的レイヤーでAさんの問題を語る職場のみんなには、仕事上の問題を是正すべきが、個人攻撃になっていることを気付かせます。
Aさんには、このように投げかけます。
「職場のみんなは、どうもAさんじゃなくて課のことを一番に心配しているみたいですね。人間関係がギスギスした職場になるより、仲間ではない異分子が紛れていると理解した方が楽なのかもしれません」
そして、処方へとつなげます。
「Aさんは、職場のみんなを仲間だと思っていますか?」
そこからAさんの仲間観へと対話をつなげていけば、個人的レイヤーと仲間という組織的レイヤーとの交差が見えてきます。
もちろん、答えがNOの場合は、処方はより副作用の強いものへとなっていきます。
一方で職場には、このように投げかけます。
「Aさんは、みなさんにイジめられていると感じています。理由はどうあれ、Aさんはみなさんの行為で傷ついていると言ってます。組織として看過できない理由があるのでしょうが、ここはひとつ、理由も言われずに自分がそうなったときのことを考えてみるといいかもしれません」
そして、処方へとつなげます。
まず職場のみんなには。
「みなさんは、Aさんを排除したいのですか?それとも、変わってもらいたいのですか?」
そこから職場の人間関係修復の可能性を探ります。職場という組織的レイヤーと、人間関係という個人的レイヤーの交差を職場に投げかけるわけです。
もちろん、ここでも答えがネガティブなるほど、処方は副作用が強まります。
■「無能な人間は、シカトされても当然」はレイヤーの混乱。
問題は、上長である課長職です。
上長は監督者でもあるので、Aさんへの仕打ちの大義名分を持っているからです。
そこで、こう投げかけます。
「課長、Aさんに問題があるとして、今のやり方ではAさんは腐るばかりで変われません。課長はAさんに対して処断を下す権限をお持ちですが、それは組織としての力で、個人の力にしてしまうと暴力になります」
そして、こう処方します。
「しっかりとした組織マネジメントはされてますか?Aさんに問題があるならば、Aさんとよく話し合って、具体的な問題点を認識させてはどうでしょう。」
つまり、このAさんの職場のイジメ問題の原因のひとつには、課長職がやっているマネージメントのレイヤーの取り違えという問題点があるのです。
「職場の統制が乱れていて、どうもその中心にAさんがいるらしい」という組織的なレイヤーで解決すべき問題を、いつのまにか「Aさんがああなら、自業自得で孤立しとけばいい。」という個人的なレイヤーで解決してしまっているのですから。
もっとも、Aさんに問題点があると言うのであれば、○飲み会には出ないといけないのか ○有休はいつでも好きなときに取ってはいけないのか ○つきあい残業はしなくてはいけないのか という、別の労働問題を惹起してしまうのですが。
■職場トラブルの相談で、やってはいけないこと。
最初に書いたエントリーの人は、相談者として双方のレイヤーの違いに気付かず、勝手に自分の中で「どっちが正しい」というジャッジメントをしてしまっています。
職場トラブルの相談を受ける人は、ジャッジメントだけは下してはいけません。
相談者を糾弾したり、課長を糾弾したり、それだけは避けなくては、問題は解決しません。
なぜなら、労働相談を受ける人もまたどちらかに感情移入してしまいがちだからです。
「職場のイジメの被害者を助けようとしたら、そいつにも充分落ち度があってひどい目にあった」というからには、この人は職場の人と同じレイヤーで相談者を糾弾する側に回ってしまって、結局相談者の孤立を深めることしか産んでいません。
その結果が退職であっても、おそらく職場もこの人も「自業自得だよ」としか思わないことでしょう。
では、自殺なら?
職場トラブルの大半は、人間関係です。
つまり、極めて個人的なトラブルなんです。
その原因がもっともらしく仕事や組織に繋がってはいますが、結局は「あいつが気に食わないから意趣返ししたれ」という想いの集積です。
どちらの言い分の立場がもっともらしいか、それとも納得が行くかをジャッジメントしても意味はありません。
もしもジャッジメントで解決できるというならば、以前にも書きましたが、公正で絶対的な評価システムを以って行うしかない。「みんながそう思う」や「みんなそうやってきた」では裁けない。
■最良の処方は、双方の立場を理解すること。
お互いの心、つまりお互いの感じ方に正邪はありません。お互いに正義で、お互いを悪と見ているのです。
ならば、採るべき処方はひとつではないはずです。
双方の立場を理解し、できることなら双方に双方の立場を理解させることが、職場トラブルを解決する上でもっとも大切なことだと私は思います。
ですから、けして、マッチョ*5を気取って一刀両断に乗り切るような処方ばかりではないのです。
そんな組織、いまどき日本でも労働組合くらいしか・・・