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古写真一枚が語るもの・・・ サブタイトル 江戸人とコンバイン |

最近韓国の人が盛んに紹介してくれる 江戸時代の農作業風景
基本的には現在の近代化された収穫調製作業と変りはない。
が、おそらく農民の暇な時期に道具を並べて記録写真を撮ったのだろう。
1枚の写真で秋の農作業を表現するには無理があり、作業の一部省略や不整合も見られる。
そこで、この写真を要素作業に分解し、各々について少し詳しくその内容を説明してみたい。

①千歯扱き(senba koki)
この時代の稲は半脱粒性の品種だった。 原始的な稲の籾は熟すと自然にポロポロ落ちてしまう性質があり 作業効率が悪かっため、徐々に品種改良され、稲刈り後の稲架 (ハサhasa)架け予備乾燥,千歯扱きによる脱穀が可能となった。
コンバインや脱穀機は動力化され大型化しているが、脱穀部の 基本構造は変らない。 |
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②箕(mi)
脱穀された籾と藁・ごみ等を風選(風のある日) したり、次の工程に移動するために用いる。 |
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②’唐箕(toumi)
箕を動力化し、連続作業を 可能にした農具。
①未選穀物を入れる『漏斗』 ②遠心送風機ハンドル ③風選量調整レバー ④1番口(良品) ⑤2番口(再選別・不良品) ⑥排風・ゴミ出口 |
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③筵(musiro)・1斗桶
脱穀した籾を乾燥し、籾摺りが可能な水分量(15%)にするため天日干しする。 また、水分量が14%以下になると胴割れ等の品質不良になるので注意を要す。
筵1枚に干せる籾の量は1斗(約15kg)なので、1俵(60Kg)の米を干すには4枚の筵が必要。 また、地面からの湿気を避けるため、粗莚と上莚の2枚敷くことが重要。
古い農家の庭先が広いのは、昔の筵干しスペースの名残り。
nouminn001が子供の頃の風景
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ここまでが一連の作業。
晴天が続けば1~2日で次の籾摺り作業になるが、実際には農作業の都合上、
籾のままで倉に貯え、充分な時間がある冬の間に少しづつ籾摺り作業をすることが多かった。
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④土摺臼(dozurusu)・木臼
籾摺りに使う臼は石製では駄目。 玄米を傷付けないよう、粒が砕けないように土臼や木臼を使った。
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④’以降の作業はこちらの写真が解りやすい。
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明治初期の農家
④’籾摺りした米は玄米と籾殻が混じっているので、再度唐箕にかけて選別する。
④’’さらに『千石通し』を通して未熟米・くず米を分離する。
⑤1斗升(正確に15Kg)4杯と5%のサービス分を入れて完了。
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| 丸い1斗升 ・ 1俵用竿秤 (nouminn家ではこれを使っていた) ・ 俵 |
それにしても、昔の人のパワーってすごいね。

1俵=60Kg・・・これは昔も今も変わらない米流通の単位なわけだが・・・
21世紀のnouminn001は担げない。
現在流通の主力である30Kg紙袋規格さえ、重いから20Kgに変えよう。という動きさえある。
それから・・・・

田股引(tamomohiki)
上の写真奥の赤丸の中にも写っている洗濯物。

農作業時に裸足にはなるが、田植えの時以外はふんどしにはならないから・・・。
稲の葉や籾にはガラス質の毛がいっぱい生えていて、裸では作業できないから。
経験者は知っているね。
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以上が、一枚の写真が語った江戸時代の農業だ。 だが、この時代の農業技術は近代化によって捨てられ、まったく新しい『近代農業』が始まったわけではない。 むしろ、この時代に基本技術は確立され、以後はその改良と効率化にたゆまず努力を傾け続けたと思って良い。 |
関連記事:田植えの百年史 http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&work=reply&page=6&nid=1651662&st=writer_id&sw=nouminn001
以下では、明治以降20世紀の100年をかけて進化した収穫.調製作業用農具を、
年代を追ってざっと紹介したい。
刈り取り、脱穀
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鋸鎌(ノコギリガマ)
稲の茎は表面に珪酸質の表皮を持ち 強靭なため、普通の平鎌ではすぐに 刃が磨耗してしまう。
幕末の頃鋸刃状の稲刈り専用鎌が 考案され、現在も使用されている。
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千歯扱き(センバコキ)
古代には穂先だけを収穫し、二本の棒『扱き箸』等を使って 脱穀 していたが、戦国時代の頃には 竹製の歯を多数 並べた『後家殺し』が発明され、元禄年間(1690)には歯を 鉄製にした『千歯扱き』として完成された。
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現在のコンバイン刈歯
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バリカン歯ともよばれ、コンバインや バインダー(刈り取り結束機)に使用 されている。
上下2枚の刃物台に多数の鋸歯を 並べ、高速で往復動させることにより 連続的に稲を刈り取る。
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福永式稲扱き機
明治43(1911)年、福永 章一氏によって発明された 足踏み脱穀機。
千歯を回転させることで脱穀の連続作業が可能となり、 女性でも可能な労働となった。
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その後間もなく、大正時代 には和田又吉氏により、 足踏み脱穀機に石油発動 機を搭載、動力脱穀機が 発明される。 |
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世界初の自脱型コンバイン ヰセキ HD50型 | |
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コンバインの千歯 |
2006年モデル コンバインの脱穀部構造図
現代の自脱型コンバインも機構的には、複数の唐箕・ドラム式の千歯と、それらを繋ぐ螺旋コンベア(オーガ) によって構成されています。
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まとめ
| + |
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= |
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乾燥・籾摺り
乾燥作業
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→ |
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むしろ
1枚当りの乾燥能力15Kg。
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遠赤外線式循環型縦型乾燥機
コンピュータ制御により水分量を管理。
容量10トンタイプ
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籾摺り作業

1920年ころまで
摺り臼のクランクを人力で回し、籾殻と玄米を分離する。
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1930年代
石油発動機・焼玉発動機が農村にも普及し、作業の動力化が始まる。
写真は石油発動機(2.5馬力)とゴム臼式籾摺り機、米選器(万石通し)。
この風景は1970年ごろまで見られた。
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最近の揺動式籾摺り機

臼・唐箕・千石通しがワンセットで自動運転。
そして
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| 全自動選別計量器 |
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色彩選別器 |
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韓国農業もまた、偶然にも日本と同じ寒冷型ジャポニカ稲を作り、これまた偶然にも移植式(田植え)栽培法を採用し、またまた偶然にも、ヨーロッパ・アメリカ型の汎用コンバインを使わず、自脱型コンバインを使っていると聞く。
クボタやヤンマーに感謝する必要も無いし、総督府の押し付けがましい農業指導も忘れてもらって結構。
ただ、美味しい米とその作り方を開発し、磨きをかけ、惜しまず技術公開してくれた江戸・明治期の農民を称えてあげてほしい |
全編読みたければ、ココ入り口→http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&page=9&nid=1795018&st=writer_id&sw=noumin