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ソース元
→二日市保養所
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E6%97%A5%E5%B8%82%E4%BF%9D%E9%A4%8A%E6%89%80
引用
二日市保養所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
二日市保養所(ふつかいちほようじょ)は、福岡県筑紫郡二日市町(現筑紫野市)にあった厚生省引揚援護庁の医療施設。ここでは、レイプ被害に遭った日本人女性に堕胎手術や性病の治療を行った。当時堕胎は違法行為(堕胎罪)であったが、厚生省は超法規的措置として黙認した。
終戦直後より在満・在朝日本人は塗炭の苦しみを味わうことになった。追放や財産の略奪に止まらず、強制連行や虐殺などで、祖国の地を踏むこ
となく無念のうちに斃れた者も少なくなかった。これに加えて女性は戦勝国人、特に「コリア」やソ連兵[2]
等による度重なる陵辱を受けた末、心ならずも妊娠したり、性病に罹ったりしたにもかかわらず、何ら医療的治療が施されずにいた。そして陵辱により妊娠・性
病罹患した女性の中には、これを苦にして自殺する者が少なからず出た。
釜山日本人世話会の調査によると、調査対象者885人のうち、レイプ被害者70人、性病罹患患者19人、約1割が性犯罪の被害に遭っているという数字が示された。
在外同胞援護会救療部では、引揚船に医師を派遣し、引揚者の治療に当たったが、殊のほか女性の性的被害が多いことに愕然し、早急に専門の治療施設を
作る必要があると上部に掛け合った。こういう経緯で、1946年3月25日に「二日市保養所」が開設されることになった。医師は在外同胞援護会救療部員
(旧京城帝国大学医学部医局員によって構成)が担当した。
患者の収容
当該女性に対して、この施設の存在をどのようにして知らせるかが大きな問題であった。内容が内容だけに、慎重な対処が求められた。
そこで採られたのが、引揚船の医師を通じてのパンフレット配布であった。そこには「不法な暴力と脅迫で体に異常を感じつつある方は、診療所へ収容し健全なる体にする」旨が記されていた。婉曲的表現になっているのは、被害に遭った女性に対する配慮である。
その後、引揚港に婦人相談所が設置され、15歳から55歳までの女性に相談所への相談が義務付けられるようになった。
また、既に引揚が完了し全国に散っていった女性に対しては、有力紙に前述のパンフレットと同様の「本人には解るような」婉曲的表現の広告を出し、施設の存在を知らせていた。
麻酔薬が不足していたため、麻酔無しの堕胎手術が行われ、死者も少なからず出た。当時の医師の証言によると、閉鎖まで約500人に堕胎手術を施したという。梅毒や淋病などの性病患者も約500人いたという。
↑水子の譜 ドキュメント引揚孤児と女たち
http://www.ebookjapan.jp/shop/title.asp?titleid=4300
※妊娠もせず、性病にもならなかった被害者は、この何倍もいたことでしょう。
これは血に狂った軍人ではなく、普通の朝鮮の男たちによって犯された事件です。
「洋子の話」などよりずっとひどいことがあったのです。