米国同時多発テロ事件、アフガニスタン空爆…思うこと

NIYONIYO

憎しみを超えて

元テロリスト(北アイルランド・アルスター義勇軍)

ヒュー・ブラウンさん 

基調講演
(2002年1月19日、仙台市 イズミティ21)

硝煙匂う冷たき指に少年は

    焚き火の中ゆ小鳥を拾う

(佐藤きよみ)

インタビュー・シンフォニーへ

ヒュー・ブラウンさんの写真です

 私は1957年、北アイルランド唯一の都会と言えるベルファストに、6人兄弟の一人として生まれました。北アイルランドは人口150万人で、タイタニック号はベルファストで造られました。今も、その造船所が町の真中にあります。牧草地がほとんどで、ドライブすると、とても紛争地と思えない、きれいな緑の風景が広がっています。

 北アイルランドの長い歴史の中で、約300年前からイギリスの支配が始まり、アイルランド系住民の虐殺など悲しい出来事がありました。特に過激的な考えを持つ人には、昔、イギリスにされたことを今でも許せないという気持ちを持っています。アイルランドは1921年にイギリスから独立しましたが、北アイルランドは独立しませんでした。大部分がイギリスからの移民だったので、独立したくない、イギリスに残りたかったのです。アイルランド人は「独立を認めてもらうため、仕方ない」と、北アイルランドがイギリスに残ることを認めましたが、心から認めたわけではなく、時期が来たらアイルランドを統一させようと、ずっと思ってきました。

【ヒュー・ブラウン氏】

 1957年生まれ。血みどろのテロが繰り広げられた北アイルランド・ベルファスト出身。カトリック系のテロ組織IRAと激しく対立した、プロテスタント系テロ組織「アルスター義勇軍」(UVF)に誘われ、銀行強盗で逮捕された。1985年、宣教師として兵庫県に来日。西播磨キリスト教会牧師。各地で講演会、不良少年の更正に奔走。著書に「なぜ、人を殺してはいけないのですか」(幻冬舎)


 1969年、北アイルランドのアイルランド系住民による公民権運動が起こり、「イギリスから色々な面で差別を受けている」と、デモを起こしたりしました。過激的な考えを持っている人の中で「北アイルランド独立の機会が与えられた」との思いが高まり、世界最大のテロ組織とも言われるIRAのテロ活動が活発になり、イギリス系住民をたくさん、無差別な爆弾テロで殺すようになりました。

 テロ活動は法律を無視します。軍隊や警察は法律にしばられるので、テロリストが拳銃を向けない限り、テロリストを撃つ事はできない。IRAは笑いながら、警察官や軍人、国家公務員などを標的にして殺してきました。それを見ていて、「テロと戦うには、同じテロで戦うしかない」と思うイギリス系住民が増え、長い間活動していなかったUVF(アルスター義勇軍)が復活しました。

 私はイギリス系住民の家庭に生まれました。1969年、12歳の頃から、毎日のようにテロ事件を見聞きするようになり、私たちのような十代の少年の心の中で、「自分たちの住民のために戦わねばならない」という気持ちが強くなりました。命を懸けてIRAと戦ってくれる人達は、住民のために戦う英雄として見ていました。「そこから誘われたら、これより光栄なことはない」と。15歳でUVFに誘われた時、全く喜んで入りました。テロリストになるという意識は全くなく、住民を守る英雄になるという気持ちでした。テレビで中東のイスラエルやパレスチナを見ると、テロ組織で戦っている多くは十代の若者です。北アイルランドも同じでした。残念ながら、組織に入って少しずつ分かってきましたが、組織内の男には、住民を守るために戦うだけでなく、アイルランド系住民なら無差別に誰でも殺して良いと、ひどい考えを持つ人がたくさんいました。結局、UVFはIRAより残酷なテロ組織と言われるようになりました。
 
 米国同時多発テロ事件が起きて、日本でもテロリズムに関心が高まっていますが、テロを正しく理解するには、イスラム原理主義と他のテロ組織を分けて考えなければなりません。IRAは三十数年間にわたり、北アイルランドやイギリス本土、ヨーロッパのほとんどの国で、イスラム原理主義の全組織を合わせたより多くの爆破テロを起こしました。しかし、一度も自爆テロを行ったことはありません。爆弾を運んでいる最中に暴発したり、爆弾を仕掛けていて誤爆してテロリストが死んだことは多いですが、わざと自殺して自爆することはありません。自爆テロはイスラム原理主義の特徴です。なぜなら、イスラム原理主義は宗教と結びついているからです。
★北アイルランド紛争★ 

 17世紀、英国によるアイルランド支配が始まり、アイルランドの大勢を占めるケルト民族・カトリックに対し、プロテスタント優位の体制が確立。アイルランドの独立、自治を求めるナショナリストの動きが高まりを受け、自治法審議中の1913年、英国との連合を主張するユニオニスト(プロテスタント中心)側がアルスター義勇軍(Ulster Volunteer Force)設立。ナショナリスト側のアイルランド共和軍(Irish Republican Army)と激しく対立し、テロが活発化する。

 '21年、アイルランド独立。しかし、アルスター9州のうち6州は英国に残留。'69年からIRAのテロが深刻化。以来、約30年間の紛争犠牲者は3000人以上。'72年、英軍の発砲による「血の日曜日事件」発生、英国が北アイルランド直接統治。'98年、包括和平合意、'99年、北アイルランド自治政府発足。和平交渉が危機に陥りながらも、米国同時多発テロ事件で米国アイルランド系のテロに対する姿勢が変化したことを受け、200110月、IRAが武装解除に踏み切った。ケルトとブリティッシュ、カトリックとプロテスタント、ナショナリストとユニオニスト…紛争には民族、文化、宗教、政治が複雑に絡んできた。


北アイルランド問題小史
北アイルランド問題について、より詳しくはこちら
 北アイルランド紛争について、多くの人は宗教と関係があると思っていますが、それは間違いです。IRAは宗教に全く関心がない。私の組織もそうです。テロ組織にいた周りの人間たちは、絶対に教会に行きませんでした。私も12歳まで教会に連れて行かれましたが、12歳で「二度と行きたくない」と教会に行くのをやめました。神・GODを口にするときは、神を冒とくするときだけで、無心論者ばかりでした。北アイルランドで「あなたは宗教のために戦っているのか」と聞くと、「あなたは何も分かっていない」と笑われてしまいます。イスラム原理主義は、その中で死んだら殉教者で、イスラムのために命を捨てたら、天国に優先的に入れると考えています。世界の他のテロ組織と分けて考えなければなりません。

 テロ組織同士はネットワークがあり、IRAはイスラム原理主義組織と結びつきがあります。世界一の爆弾技術を持ったIRAが技術を教え、その代り、リビアのカダフィが4船に爆発物やけん銃を乗せてIRAに送り、協力し合ってきたんですね。米国同時多発テロ事件後、ブッシュ大統領は、テロを解決するために世界中の国が協力して、テロ支援をやめさせなければならないと言いましたが、それは間違っていません。テロ組織の背後には支援国があります。テロ支援をやめさせないと、ビンラディン氏を殺しても、次々にビンラディン氏のような人物が出てきます。

憎しみを超えての講演会の写真です

1月19日 仙台市泉区のイズミティ21で

 アメリカも自分の都合の良いときにテロを支援してきました。IRAの支援のほとんどはアメリカからで、特にニューヨークのアイルランド系アメリカ人です。5年前から現在まで6億円がアメリカからIRAに送られました。ニューヨークの消防官や警察官の半分ぐらいはアイルランド系です。だから、北アイルランドのイギリス系住民には「ニューヨークは自分のまいた種を刈り取った」と見る人も多いです。資金もそうだが、武器調達や軍事訓練、テロリストをかくまう場所がないと、テロ活動はできません。

 しかし、アフガニスタン空爆でのブッシュ大統領の方法は賛成できません。無差別に子供まで巻き添えにすることは賛成できません。
 私も三年間活動していて、拉致され、拷問を受け、けん銃でひざを撃ち抜かれたこともあります。命を落としてもおかしくない所を通ってきて、18歳の時に捕まって政治犯として刑務所に入った時、やっと、夜、安心して眠れるようになりました。自分の家から拉致されたので、自宅でも安心できなかったのです。 

 20歳の時、刑務所をあと半年で出所する予定でしたが、テレビで映画「ベンハー」を観たとき、想像できないような体験をしました。私はテロリスト専用の刑務所に入っていました。敵対するテロリスト同士は、同じ刑務所に入れられないので、自分の組織の仲間だけの刑務所に入っていました。約90人の仲間と一緒にベン・ハーを見ていて、キリスト処刑の場面になりました。それは私にとって新しい話しではありません。12歳まで教会に、毎週日曜に行っていたとき、何万回も聞かされた話です。12歳で教会に行くのをやめ、自分には全く関係のない話しと思っていましたが、キリストが十字架にかけられた場面を見て、神の啓示を受けたような不思議な思いをしました。数え切れないほど罪を犯してきた、自分の本当の姿を見せられました。半年後に出所するのを楽しみにしていときでしたが、罪という意識、自分の罪がどういうものか、生まれて初めて分かりました。

 それは不良、テロリストとして犯した罪だけではない。愛情ある恵まれた家庭に育ったのに、たくさんの罪を犯した。人を傷つけたり、ものを盗んだり、銀行強盗など、自分が人に対して罪を犯しているのは分かっていましたが、それだけではテロ活動をやめられなかった。私は、目に見えない天地創造の神に対して罪を犯していることが、生まれて初めて分かったのです。「二度とこのような、神を無視した自己中心的な生き方を繰り返さず、神を信じ、神に従って生きていこう」という気持ちが突然湧いてきました。

 私はテロ組織をやめなければならないと考え始めました。テロ組織は「やめたい」と思っても、簡単にやめることは許されません。重い犯罪に関わり、情報を持った人間が組織を離れることは、組織からみて、これほど危険なことはありません。しかし、私は「殺されても組織を離れなければならない」と決心しました。生まれて初めて、自分からキリスト教を信じ、受け入れてクリスチャンになり、私の価値観は全く変わりました。人の命の尊さが初めて分かるようになった。

 それまでは、人の命の大切さというのは、親子や兄弟など、誰かにとって大切な人という程度に考えていました。私はテロリストだったら仕方ない、殺しても良いと思っていました。テロリストを殺すことで、「たくさんの人が救われる」と正当化していました。しかし、神との出会いで、「命は神から与えられたもの」だと、全く価値観が変わりました。 刑務所に入っていたテロ組織のボスはむちゃくちゃ怒って、「裏切り者」と、絶対に私の決心をやめさせようとしました。しかし、私の改心が本物と分かって、私が明日出所するという最後の夜に、仲間90人の前に呼び、「これからも頑張ってください」と認めてくれました。無事出所して、一回も「戻りなさい」と言われたことはありません。

スコットランドのエディンバラ市内の風景写真です

スコットランド エディンバラ市内。北アイルランドへは、スコットランドはじめイギリス北部からの移民が多かった。

 刑務所を出て1年半ほど経ったとき、普通の仕事をしながら教会に行き、神様の計画が示されるよう祈り続けていました。そのとき、夜中熟睡していたら、突然、深夜3時に目が覚め、ベッドから出た途端に神が部屋に入ってきたような感覚にとらわれました。神が語ろうとしていることが分かりました。祈って、聖書を開くと「平和の福音を伝える者の足はなんと立派でしょう」という言葉が出てきました。「私が祈り続けていたことへの答えが出た」と思いました。平和の福音を伝える使命を与えられたことが分かりました。神学校で4年間勉強し、日本に行くことが示されました。

 宣教師として日本に渡るため、元テロリストで、銀行強盗で逮捕され、6年の実刑判決を受けた経歴を正直に書いて、ロンドンの日本大使館にビザを申請しました。誰の目から見ても、元テロリストの経歴で、入国は許されないと思うでしょう。だけど、私は自分が導かれたという、ただそれだけを信じて、正直に何も隠さずに申請しました。その結果、数カ月後に許可が下り、1985年1月13日に日本に来ました。今、私は刑務所の受刑者や、少年の更正施設でも仕事をさせていただいています。

アイルランド西部の町クリフデンの写真です

アイルランド西部の町 クリフデン

 北アイルランドでの体験を踏まえて言いますと、最初の紛争や戦争は、南アフリカや旧ユーゴなどを見てもそうですが、差別、それに対して、差別を受けた民族が反発して始まることが多いです。しかし、始まって、なぜ続くかというと、肉親や大切な人が殺されたり、ひどく傷つけられる人が出てくる。それで、許せない」「復讐したい」「仕返ししたい」と憎しみが心の中に宿ってしまう。みなさん、お分かりのように、悪循環です。仕返しをして、人を傷つければ、また復讐してくる。何十年もキリがない、仕返しの連続です。

 憎しみを超える唯一の方法は、許し合う大切さを分かることです。

 私も肉体だけでなく、心も傷ついて、絶対許せないと思っていた。私にひどいことをした人間を殺してやろうと思っていました。でも許せることが分かった。「忘れなさい」と言われても、記憶がある限り「忘れる」ことは不可能です。16歳で拉致されたとき、双子の弟も一緒に拉致され、拷問を加えられ、拳銃で撃たれました。私はその時そばに立たされて、弟の叫び声を聞かされた。心に深い傷が残り、許せないと思っていた。

 キリスト教の基本は、「無条件に許さなければならない」ことです。私は真剣に考え始め、忘れることはできないが、許せることが分かった。紛争地で自分の前で子どもを殺されても、許したという人はいます。人間にとって、許せないことは一つもありません。絶対許せるのです。そのためには、わざと自分から思い出し、考えることはしない。私も何十年経った今でも、思い出すと、自分にひどいことをした人に対する感情が湧いてきます。だから自分からは思い出して考えない。何かのきっかけで思い出したときは、考え続けない。相手に会っても、何もなかったように受け入れます。許すことで、憎しみから解放されるのです。

 ある人は「とても不公平ではないか。相手が簡単に許されてよいのか。許すべきではない」と言うかも知れません。しかし、許し合うことの大切さが分かったら、それは言えません。日本で、子供を殺された両親から相談を受けたりしますが、その人も「相手を許せる」と言っていました。紛争を体験したことのない日本人にとっても大切なことだと思います。憎しみや恨み、復讐心から解放される、唯一の方法です。許さないとすると、被害者は永遠に被害者のままです。憎しみや恨みに支配され、逆に被害が大きくなり、精神的な負担も大きくなる。私は「なぜ、人を殺してはいけないのですか」という本に、「自分のために相手を許さなければならない」と書きました。

 数ヶ月前、神奈川県の男性から電話をもらいました。職場で人間関係でうらまれていると、相手を殺すか、自分が死ぬしかないと思いつめていたそうです。本屋でたまたま、私の本を見つけ、「『自分のために相手を許す』という言葉に救われた」とお礼を言うため、電話をくれたのです。私はとても嬉しかった。一人の人が許しあうことの大切さを分かってくれたと。多くの人に、許し合うことの大切さを知っていただきたい。それが「憎しみを超える」唯一の方法です。




英国議会パーラメントの写真です

英国議会・パーラメント


インタビューシンフォニーのロゴです
尊び、分かち合うこと            
   互いを尊重し、認めあい、分ち合う心を持っていたい。
   和やかで豊かに生きて行きたい。だから今、平和のために考えたい。  
 (高橋理麻)

他人を許すことは自分のため

  愛する家族を殺されても許せますか?             (相原厚子)

テロリストの転機
  人が変わる瞬間、そして神の存在               
(豊田百合枝)

光を求めて
  子供の心とどう向き合うか?                 
(佐藤きよみ)


  幸せを求める筈の宗教が戦いを生むのですか?         
(飛田裕子)
Will

  祈りと祈りは交わされるのだろうか?             
(会田正宣)


【質疑応答】

−テロは絶対悪なのでしょうか?

「テロは絶対悪だとはっきりしないと、今のような世の中で、「自分が正しい」と思い、テロで問題を解決しようとする人が出てきます。

21世紀で、世界の多くの人が差別などに敏感になり、大きな人権団体もある。政治家が間違った方向に進むときは、民主主義国家なら選挙やデモなど、色々な方法で取り戻すことができます。テロは絶対的な悪だとしないと、テロは消えないですね。私は自分のやったテロを正しいと思っていません。たくさんの人を傷つけました。テロを認めたら、世の中に平和をつくることはできません。」

−双子の弟さんはどうなったのですか?

「弟は20歳にならないうちに、アルコール依存症になりました。今は立ち直って、妻と二人で親から虐待を受けた子どもたちの世話をしています。昔、敵と思っていた、アイルランド系の子ども4人を、里親として育てています。完全に立ち直ったと言えます。悲しいことはあったけど、ひどい体験を通して大切なことを学ぶことができたと思います。」

−90人のテロリストと一緒にベンハーを見ていて、なぜ一人だけ啓示を受け、立ち直れたのか?違いは

「私と同じように立ち直った人も多くいます。しかし、全く立ち直っていない人も多くいるんです。自分でもなぜかよく考えました。大きな要因は、家族の絆です。私は恵まれた家庭で、親の愛情を十分受けました。特別な家庭ではなく、貧しく、苦労しながらも絆を太くできた。今も立ち直っていない仲間を見ると、子どものとき放っておかれた人は少なくない。組織の部下にも、無差別に、遊ぶような気持ちで人を殺せる人がいたが、私は遊び、平気で人を殺すことはできなかった。母は熱心な信仰を持っていて、子どもがテロに巻き込まれた時も、子どものために祈ってくれました。爆弾運んでいる最中に死んだ組織の仲間も多く、葬式にも何度も出席しました。私は同じような状況の中で、奇跡的に助かったことが何度もあります。母に守られたのではないかと思っています。」

−日本で言うと、シャバに戻るという感じ。回りはどうブラウンさんと接したのか?色眼鏡、偏見で受け入れないということが、あり得ないと限らないので。回りの様子を

「私は全く別人のように、完全に生まれ変わったようになりました。テロリストとは見えないように。だれよりも私を知っている双子の弟、刑務所に入るまでは離れたことがなかったぐらいですが、弟も「どうして、そこまで変わることができたのか」と聞きました。人は変わることができると信じて、その人が十分にその姿を見せていれば、そのうち偏見とかなくなると思います。罪を犯した人は、いつまでも犯罪者という思い込みをしないで。過去は過去として、自分の目の前にいるその人を、そのままで受け入れれば、自然に偏見などがなくなります。人間は生まれ変わること、完全に立ち直ることができる。そのことを知ってほしいです。」


【感想から】

「相手を許すということが、自分が憎しみから救われることになるという話にはっとさせられた」

「許し合うことは、これからの時代のキーワードだと思った。憎しみの悪循環を断ち切るには、どこかにこの寛容の心がなければならない」

「人格障害など他者性の理解欠如に基づく問題が頻出する中で最適なテーマだったと考える」

「『自分のために相手を許す』ことが確かに大切ですが、憎しみを持ったときに思い出すことができるかな?」

「宗教の力(明暗双方の力)について考えさせられました」

「悲しい体験は忘れることはできないけれど、許すことはできるというお言葉を聞いて目の前が明るくなりました」

「今まで、テロリストの人達は皆、宗教が根底にあるものだと勝手に思っていたのですが、実際は、関係がないテロリストの人達の方が多いというのを知りました」

「憎しみ合っている対立者の周辺に存在する第三者が無関心でいるのではなく、仲介者的な役割を果たすことも、許し合うためには必要かなと思います」

「人として特に異質な感情で動いていたからテロリストになった訳ではなく、普通の人間感情の人がそうなるんだという事が分かり、偏見が一つ減って良かった」

「許せる心って難しいですねえ。少しずつ考えていきたいです」

★憎しみを超えてについて、ある北アイルランドに関係の深い方から、「記事がきわめてイギリスサイドの意見だ」との趣旨の建設的なご批判をいただきました。これをもとに、NIYONIYOのコンセプト、スタンスについて、ご説明することに致しました。

メール座談会「NIYONIYOって何?」 
〜憎しみを超えてに寄せられた、あるメールから…〜

※「憎しみを超えて」の一部が、「図解i読本 一気にわかる民族と紛争」(池田書店、江波戸昭監修)に引用されました!


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