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小児救急、夜は市外へ 点検・西都市/下

2009年01月17日

 西都市には、急患の子どもが夜間に診てもらえる病院がない。

 市中心部には2次救急医療施設の西都医師会病院(91床)がありながら、小児科の夜間救急はもう12年閉じられたまま。担当の医師がいないからだ。

 6年前の冬のことを市内で農業を営む長友栄子さん(41)は思い出す。

 午後11時ごろ、昼間から熱っぽかった当時1歳の長男の体温を測ると、39度を超えていた。夜中の高熱という初めての経験に戸惑い、急いで夫が運転する車で宮崎市内の病院へ向かった。

 約1時間。泣きやまない長男を抱いての道のりは不安で、長く感じたという。「近くに夜間もみてくれる病院があれば」と、痛感したという。

 西都医師会病院でも96年12月までは小児救急を受け入れていたが、宮崎大学が医局員の不足を理由に2人の派遣医を引き揚げ、医師の補充もないまま現在に至っている。同病院ではほかにも04年に外科医2人の派遣が中止に。07年5月末には内科の常勤医師の派遣もなくなり、内科病棟の閉鎖に追い込まれた。

 子どもが夜間に発病した場合には、車で片道40〜60分ほどかけて宮崎市郡医師会が運営する市夜間急病センター(同市新別府町)に行くしかない。

 地元の中核病院の苦境に行政も手をこまねいているだけではない。橋田和実市長と西都市西児湯医師会が防衛省に掛け合い、新富町の航空自衛隊新田原基地の内科医を派遣してもらったこともあった。その後も全国で医師の「スカウト」にあたり、昨年に2人の内科医が順次着任し同10月に病棟が再開。4月にはもう1人加わる予定だ。

 一方で、小児科医確保のめどは立っていない。さらに西都市には分娩(ぶん・べん)ができる産科医も3年前から不在で、出産のためには近隣の高鍋町や宮崎市の産科まで足を運ばなくてはいけない。

 長友さんは5年前、地元の病院で次男を出産することができた。陣痛が始まってすぐに生まれそうになり、「本当に近くの病院でよかった」と安堵(あん・ど)したという。

 少子高齢化や人口流出が進む地方都市にとって、子育てがしやすい環境整備は欠かせない。その最たるものが医療であり、橋田市長も小児救急や産科の問題について「市の重要な課題だ」と認めつつも、「医師確保は容易ではない」と話す。

 長友さんは願う。「まちの元気の源は子ども。親子がいきいきできるまちになって欲しい」。(この連載は高玉歩が担当しました)

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