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命の誕生 お産の今2009年01月17日
県内では07年の1年間で、1万162人の赤ちゃんが産声を上げた。さて、では女性にとって、青森は赤ちゃんを産む環境が整っているのだろうか? 未熟児として生まれた子供を治療するNICU(新生児集中治療室)と、安全なお産を目指す助産院。二つの現場を訪ねた。(栗田有宏) 13日、青森市の県立中央病院(県病)のNICU。ここには県内で生まれた赤ちゃんの中で、おおむね千グラム未満の超未熟児など、最も重い症状を抱える子たちが集まる。 多くは各地域の病院から切迫早産などで県立中央病院へ救急搬送され、産婦人科に入院し、生まれた子どもだ。 NICUは9床を備えている。この日は6人が入院していた。保育器の中の赤ちゃんたちには酸素、水分、栄養を送る管がつながっている。 赤ちゃんたちは手足をさかんに動かしたり、すやすやと眠っていたり。照明を落とした室内では、心電図や呼吸の数値を映し出すモニターが光り、機械の電子音がかすかに響いている。 「今は、けっこうベッドが空いています」 この夜の当直に当たっていた県総合周産期母子医療センター新生児集中治療管理部長の網塚貴介医師(48)が説明してくれた。 当直は午後5時〜翌朝8時15分。同病院に新生児専門の医師は4人いて、4日に1回の当直勤務がある。このほか青い看護服姿の看護師が3人常駐している。 隣の部屋には、症状が落ち着いて、人工呼吸器や点滴の必要がなくなった赤ちゃんがNICUから移る「後方病床」(GCU)がある。 心電図を備えたベッドが15床ある。この日は赤ちゃん8人がいた。ベッドのわきで2人の看護師が抱っこしてミルクを飲ませていた。3時間おきに全員に飲ませている。 午後10時。 「血糖値を見なきゃ」。網塚医師は保育器の小窓から中に手を伸ばし、赤ちゃんの小さな左足から採血した。「人工呼吸器の酸素濃度を30%から25%にします」 医師の指示が映し出されたパソコン画面を見ながら、看護師が人工呼吸器を調節している。 生後72時間、未熟児にとって、血圧や呼吸を中心とした全身管理が重要だ。脳出血が起きたり、消化器に穴があいたりすることもある。その後も、未熟児網膜症や肺の病気などが起きる恐れもあり、気は抜けない。 超音波(エコー)による頭部や心臓の画像検査や、採血による血糖値チェックを続けて、保育器の中の赤ちゃんに対し、人工呼吸の酸素濃度や点滴の薬や水分を調整する。 赤ちゃんの腹部にたまったガスを出したりするのも看護師の仕事。「生まれてから最初の72時間は治療の判断を誤ることができない。緊張感が違います」と、網塚医師。 千グラム未満で生まれ、NICUに入って退院した子のうち、後遺症なく成長するのが全体の3分の2。残りの3分の1は、何らかの後遺症や障害が残るという。 さらに、そのうちの3分の1ほどは重度の後遺症や障害が残ってしまうことを家族にも説明する。「新生児の医療は質が問われるんです。ただ受け入れればいい、ということではない」。網塚医師の表情がキュッとなった。 日付が変わった。 午前2時。この日は何ごともなく、網塚医師は仮眠室で仮眠に入った。翌14日の午後には、小児科の外来の診察が待っている。 妊婦が元気に、元気な赤ちゃんを産むこと。青森市駒込の「ハローベビー助産院」のモットーだ。 溝江好恵院長(53)は、妊婦が正常なお産ができるようにいろいろなことを、時間をかけて試し、母体を最良の状態に近づける努力をする。 鍼灸(しん・きゅう)、漢方薬、つぼマッサージ、気功の体操、アロマテラピー……。「食生活も変えなきゃならない。生まれた赤ちゃんのアレルギーにも影響するんです」 妊婦や子育て中のお母さんの話を聞くことにも、時間をかける。「妊婦さんと話しながら、おなかをさすって、あっという間に1時間40分たってしまう。母親は、ひとにいっぱい話したいことがあるんですね」 溝江さんは妊娠期間の前後だけでなく、その女性と長い期間付き合い、心身のことを知って助言できるようにするよう心がける。 90年に開院。これまでに1177人の赤ちゃんを正常分娩(ぶん・べん)で取り上げてきた。 県内のお産の状況はこの19年の間に変わった。 「産婦人科のある病院や医院が減って、津軽半島の先の方から青森まで、陣痛が起きたら車を飛ばして来なきゃならない。地域格差ですよね」 青森市の主婦(32)は05年12月、溝江さんの助産院で長男を出産した。「陣痛ですごく痛い間、溝江先生がずっと背中をさすってくれて最高によかった」と彼女は言う。 分娩中、夫のほかに母と義母、義姉、めい3人の7人が枕元で応援してくれた。「アットホームな感じ。友達の話を聞くと、他の病院より診察にかけてくれる時間も長いと思う」。今妊娠中の2人目の子も、この助産院で産むことに決めている。 県内で今、分娩を取り扱う助産院はここと八戸市の2カ所だけだ。ここではかつて110人とり上げた年もあったが、昨年は30人だった。 赤字なのでやめようか、と思うこともある。だが、ここでお産した女性たちから「次もお願いしたいから、やめないで」と頼まれると、「必要とされるなら、やにゃあまいねべな、と思うんです」。 県内の新生児・乳児の死亡率は、00年まで他県と比べて高い傾向が続いてきた。 だが、県病にNICUが設置された01年以降、死亡率は減っている。04年には県の総合周産期母子医療センターが県病に開設され、NICUはその中の一施設となり、さらに状況が良くなった。 網塚医師と同センター長の佐藤秀平医師がまとめた資料によると、99年と00年は、乳児、新生児の死亡率ともに全国ワースト1だった。 それが01年には、いずれも下から7番目に改善。02、03年は後退したが、04年、乳児死亡率は全国で上から5番目の少なさになり、新生児死亡率も全国中位(21番目)まで改善された。07年は乳児は上から21番目、新生児は下から8番目となっている。 昨年10月、脳出血を起こした東京都内の妊婦が、大学病院を含む複数の病院に受け入れを断られ、出産後に死亡したケースがあった。都内の総合周産期母子医療センターのNICUが当時、満床だったことが指摘されている。 一方、県内ではセンター開設とともに「周産期医療システム」が構築された。 難しいお産や重い症状を抱える妊婦は各地域の病院・医院から、高度な医療を備える総合周産期母子医療センターが受け入れる。こうして「たらい回し」がほとんど起きない態勢がつくられた。 同センターの産婦人科分野をまとめる佐藤医師は「最重症の妊婦にとって、県内で最後のとりでだ」と例える。網塚医師も「県内で生まれた小さい子どもは、ここですべて治療する」と話す。 県内の各施設で手に負えず送られてくる重症患者は、同センターですべて受け入れるという意味合いだ。 佐藤医師をはじめ同センターの医師のもとには、県内の医療機関から電話がかかってくる。母体の容体を詳しく聞き、センターへの搬送が必要かどうか、センターの医師が判断する。県内の母体搬送の「コントロールセンター」的役割を果たす。 同センターでは夜間、産婦人科医と新生児専門小児科医が夜間の当直で1人が必ず入り、救急呼び出しに対して他の医師も待機し、24時間、365日対応をしている。 こうした充実ぶりの陰で、センター医師は過重労働を強いられている。同センターの新生児専門小児科医は4人。網塚医師によると、昨年3月は1人あたり180〜215時間の時間外勤務があった。当直明けもすべて通常勤務となる。大学からの医師の派遣も不安定で、先行きは見えない。 県医療薬務課の担当者は現状をこう話す。「周産期医療は、センターの医師の自己犠牲の上に成り立っているようなものだ」
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