ラグビーを愛すればこそ

2008年08月26日

ラグビーの特殊な一面・・・

英国で始まったラグビーは庶民のスポーツであるサッカーとは違い、エリートのスポーツであると聞いたことがある。英国圏とその他の一部の地域で育ったラグビーは、今でも特別な意識を持つ人々のスポーツなのだろうか。特に日本では、大学の伝統校の中で独特の文化を育んでいる。
我々取材者を、観戦者と同様に事務的に規制する傲慢な学生スタッフに出会うことがある。規制の理由を問うと「上の者からそう言われている」と答える。「上の者」とはその場には居ない上級生である。

かつて、この伝統校の指導者から「ラグビーはプレーする我々自身のためのスポーツであり、他人に見せるためのものではない」と伺ったことがある。同じ内容をOBからも聞いた。数えられる程の人数しかいない取材者への高圧的な態度は、学生とはいえ、不遜の一語に尽きる。
この特定の名門大学以外には、幸い、そのような風潮が見られないのが、我々の救いである。

ルールは、まるで生き物のように変貌を続けている。対応するレフリングも常に試行錯誤の連続だ。ラグビーが一般的なファンの理解を得にくい原因は、このあたりにある。
今年は試験的なルール変更がいくつかある。ラグビーのルールはワールドカップの翌年に大幅に変更される。これだけルールが大きく変わる競技は他にないだろう。

ルールの変更とは別に、「チェイシング」という言葉を、この夏合宿の取材で初めて知った。スクラムを組んだら、すぐに押す「チェイシング」こそ、世界のラグビーの主流なのだそうだ。あるトップレフリーは、この夏合宿で初めて聞いたという。主な強豪校の指導者に尋ねてみたが、例外なく全員が「何それ?」という反応。レフリーの指導者に聞くと、「あくまで、ルールを順守すべし」との答え。ところが、かの伝統校では、すでにこの「チェイシング」に対応した練習をしてきたという。何故、この段階で、特定の伝統校だけが、このような練習を既に始めていたのか、疑問が残る。

スクラムを組むと同時に押し合うことを「チェイシング」と言うそうだ。ラグビー競技規則20条スクラムの項に、『スクラムはボールがスクラムハーフの手を離れるまでは静止していなければならない。ボールが投入される前に、スクラムを押してはならない』とある。競技規則に則らないプレーが、世界の主流ならば、「アーリー・プッシュ」という概念は無くなることになる。

高校ラグビー部の減少・・・

この20年間の高校ラグビーのチーム数の激減は、すさまじい。かつての3分の1になった。底辺が狭くなれば、やがてトップレベルにもその影響が出てくる。現在の日本代表は、すでに高校のチーム数が激減し始めた時代の選手たちだ。確かに子供の数は減っているが、他の競技はラグビーほど極端なチーム数の減少は見られない。Jリーグとプロ野球の発展は、高校サッカーと高校野球の興隆を抜きには語れない。高校ラグビーをどうしたら盛んに出来るのか。少年ラグビーの次の段階での受け皿を充実しないと、ピラミッドの頂点は先細りとなる。失われた20年を取り戻すには、気の遠くなるような努力と時間が必要だろう。


大学ラグビーのこれから・・・

対抗戦とリーグ戦の分裂の歴史に幕を下ろすべし。対抗戦グループも、今となっては、対抗戦という名のリーグ戦。関東に2つのリーグを持つほど、ラグビーは裾野が広くはない。かつてのように、「関東大学ラグビーリーグ」として再出発すべきだ。
早稲田の対抗戦における真剣勝負は何試合あるのか。拮抗した戦力のぶつかり合いの中でこそ、技術が磨かれる。対抗戦とリーグ戦は、元の鞘に納まるのが最善の策。「関東大学ラグビーリーグ」として日本のラグビーを牽引して欲しい。1部リーグの活性化とともに、2部リーグも、より熾烈な戦いとなる。何故この決断が、出来ないのだろうか・・・。

かつて大学選手権の決勝が早明戦になることを願う関係者が多かった。何故なら、他の大学では客が入らないからだという。10年連続で関東学院大学が決勝に進出したことによって、大学ラグビーの歴史にクサビが打たれた。大学ラグビーは、早慶明と同志社だけの歴史ではなくなったのだ。明治と法政の復活が待たれる。帝京と東海の躍進に期待したい。関東大学リーグでの凌ぎ合いが、レベルの向上と人気回復につながっていく。大学選手権はプレーオフのつもりで楽しみたい。


トップリーグの魅力・・・

その競技において、日本最高レベルのリーグが最も観客を集めるリーグでありたい。
特定の大学の人気をラグビーの人気と勘違いしてはならない。慶明戦、早慶戦、早明戦は年に一度の伝統の一戦として認識すべきである。愛校精神の発露、イコール・ラグビー人気としてとらえるべきではない。日本で最もレベルの高いラグビーを、もっと多くのファンに見て欲しい。各チームの努力に比べると、トップリーグ自体のPR活動や、将来への戦略が乏しいように感じる。トップリーグが大学の伝統校の集客力を超えたとき、ようやく日本のラグビーは、国内でのメジャースポーツとなる。


日本代表とは・・・

規定に則れば、全員が外国人でも「ジャパン」なのだ。たぶん、それが最強の「ジャパン」になるのだろう。他の国で代表歴がない外国人で、3年以上、その国に居住してプレーした実績があれば「代表」の資格を得る事ができる。これがラグビーにおけるナショナルチームの世界基準だ。
日本人の居ない「ジャパン」こそ、最強の「ジャパン」だとしたら、それは「日本代表」と呼べるのだろうか。

外国人選手の割合をどの程度にするのが良いかの議論がある。ラグビーにおける「ジャパン」とは、いったい何なのだろう。私はいまだに「ジャパン」という言葉と、外国籍選手を多く配したチーム構成には馴染めない。日本国籍を持つものだけで「日本代表」を作ることが、私の理想である。
勿論、監督も日本人。そのチームは「ジャパン」ではなく「日本」と呼びたい。


ラグビーの人気・・・

新日鉄釜石が活躍した時代。それは、日本のラグビーの最盛期だった。国内のラグビーが日本人の心を鷲づかみにした。冬場のスポーツ新聞の一面をラグビーが彩ることは珍しくなかった。かつてラグビーが日本人に愛された時代は、間違いなくあったのだ。

ラグビー関係者が世界を意識し始めた頃から、日本のラグビーは日本人の心から離れ始めた。それはTBS系列の地上波が、高校ラグビーの全国中継から撤退した時期と重なる。神奈川と東京のエリアで大学ラグビーとトップリーグを毎年30試合ほど放送しているテレビ神奈川が、現在の放送を維持出来なくなる時代が来るかも知れない。その時は、日本のラグビーが、限られた人々のスポーツとして割り切られる分岐点になるだろう。


競技人口は減っても、ラグビーはプレーする人々にとって、愛すべきスポーツとして生き残るに違いない。競技人口の多さがスポーツの価値ではない。しかし、忘れてはならないのは、スポーツを観て心を揺さぶられる人々の存在が、スポーツを育てるという側面だ。
新たなヒーローは、彼に憧れたファンの中から生まれることが多い。スポーツはプレーする人々だけのものではない。感動を貰った人々が、そのスポーツの将来を支えて行く。私は、これからも、ラグビー中継を通じて、ラグビーというスポーツの魅力を伝えて行きたい。

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