映画「美少年」主演オーディション 映画「美少年」

今回、映画「美少年」主演オーディションにご応募頂き
誠にありがとうございました。

約1000通の応募の中より三池監督による書類審査を行いました。

第一次選考に通過された方には近日中に第二次選考の詳細を通知致します。

尚、今回ご応募頂きました皆様にはスタッフ一同心より御礼申し上げます。


                                      2007年3月1日
                               映画「美少年」製作委員会

舞台は昭和二十年代の関西。鬼才・三池崇史が日本の文化・伝統を背景に禁断の同性愛を描く問題作
 
三池崇史

監督 三池崇史

1960年8月24日生まれ。大阪府出身。
横浜放送専門学校を卒業後、今村昌平、恩地日出夫監督に師事。

98年米国『TIME』誌に、これから活躍が期待される監督として、ジョン・ウー等と並び10位に選出される。その後も怒涛の勢いで作品を発表し続け、海外映画祭で三池監督へのオマージュ上映会が行われるなど、日本のみならず、海外からの注目度も極めて高く、世界から最も注目を浴びる監督の一人。


三池監督からのメッセージ(動画) (WindowsMediaプレイヤー対応)
 
 
  原作 団鬼六
 

1931年4月16日生まれ。滋賀県出身。

1957年、『親子丼』で文藝春秋オール新人杯に入選し、執筆活動に入る。

その後も、『花と蛇』などの傑作を生み出し官能小説の第一人者と
呼ばれるようになる。
1990年断筆宣言するも、1995年に『真剣師・小池重明』で復筆。

1998年、団鬼六本人の私小説であり、本作品の原作となる
『美少年』を新潮社より刊行し、話題を呼ぶ。

 
映画「美少年」ストーリー


「私」が軽音楽部の部室でジャズバンドの練習をしている時、
一人の少年が部室に入ってきたのです。

彼を一目見て、「私」は絶世の美少年に心を狂わされる思いでした

その美少年の名は風間菊雄
日本舞踏「若松流」の御曹司とのことでした。

「私」には久美子という彼女がいましたし、男性に対して興味をもったことも
ありませんでした。しかし、文化祭で菊雄が演奏した箏曲(そうきょく)『春の海』を
聴き、ジャンルは違えど音楽をやる者として感動し、手紙を彼に出してしまったのです。

そして、その手紙は今思うとラブレターだったのかもしれません。

その手紙から「私」と菊雄の関係が始まりました。
歌舞伎に行ったり、お茶をしたり。その付き合いは傍から見たら、
男同士のデートだったのかもしれません。

そして菊雄が泊まりに来たある日、「私」と菊雄はごく自然に
関係を持ってしまったのです。

自分の気持ちとモラルの狭間で「私」は悩みました。
しかし、悩んでも「私」は菊雄を愛していましたし、
菊雄も「私」を愛していたのでした。

菊雄は久美子とは違い、大変に女らしい人でした。
なので、「私」の部屋が菊雄の愛で満たされるのに時間はかかりませんでした。

しばらくすると「私」と菊雄の関係が学内で噂されるようになりました。
そして、久美子も気づき始め、激しい嫉妬に駆られたのでした。

そんな噂が立ち始めた頃、ささいな揉め事から菊雄との関係を断ち切ろうと
思い、学生ヤクザ・幹雄に相談したのでした。

しかし、そのことが原因で幹雄とその彼女・マリ子、そして久美子によって
菊雄は緊縛、陵辱され、「私」はその光景を見て、
地獄のような責苦と恍惚を体験するのでした。

 
映画「美少年」募集要項

 映画「美少年」主人公 風間菊雄(若松菊香)役


●応募方法

【資格】
18〜25歳の男性。プロアマ不問。
自薦他薦問わず。
(他薦は本人の承諾のある場合に限ります。)

【方法】
市販の履歴書にプロフィールと身長、体重、3サイズ、未成年者は保護者の同意文を明記の上、3ヶ月以内に撮影した顔のアップ写真と全身写真の2枚を郵送。
※応募資料の返却は致しません。ご了承ください。

【宛先】
〒150-0031 
東京都渋谷区桜丘町16-3並木ビル3F 楽映舎内 美少年オーディション係り

【選考方法】
書類選考後、通過者には連絡のうえ面接。

【締め切り】
2006年12月31日消印有効。

【製作】
美少年製作委員会 
プロデューサー:古井戸香奈子(クロックワークス)/向井達矢(楽映舎

【お問い合わせ】
お問い合わせメールアドレス:cafe@rakufilm.com
お電話でのお問い合わせはご遠慮下さい。


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