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2009年1月16日(金)吉田正樹大壮行会

今日、去る1月1日付けで退職した吉田正樹さんを送る会の「吉田正樹大壮行会」が開かれました。吉田さんの後輩の仕切りで、X5スタジオに「笑う犬」のセットを建てて盛大に行われました。吉田さんの功績をまとめたVTRが、タレントさんからの送別メッセージも交えて上映されました。送別のスピーチも何人かしたのですが、みんなおもしろかったです。とても温かい送別会でした。

吉田正樹さんは僕より1年早く入社した先輩で、スポット営業から異動してきた第二制作部時代に何年か一緒にADとして仕事していました。横澤班の時で、「笑っていいとも「テレビくん、どうも」「オレたちひょうきん族」などで一緒でした。「笑っていいとも」では、いいともスタッフ隊として同じ舞台にも立っていました。ちなみに僕は山縣慎司ディレクターが仕事の時だけの出演でしたが、吉田さんは毎日出演でした。

吉田さんの第一印象は、東大卒なのでとても賢い人という感じでした。お笑い好きだとは見えなかったのですが、一緒に仕事をしているうちにそのイメージは崩れていきました。僕が「よくミスをするAD」として「いいとも」でも有名でしたが、吉田さんは何でも卒なくこなしている「できるAD」でした。

横澤班内異動でアルタから「ひょうきん族」に移った時は、吉田さんが「タケちゃんマン」担当のチーフADで、僕は「ひょうきんベストテン」のセカンドADでした。「ひょうきん族」では、三宅恵介ディレクターが作家さんと「タケちゃんマン」の台本を毎週日曜日に上げると、それと「ベストテン」の台本とその他のコーナーの台本を見ながら各コーナーのADが日曜日の夜に集まって水曜日の収録スケジュールを立てていました。追加の美術発注などもします。吉田さんはそのまとめ役だったのです。台本を読みながら「このシーンの撮影に何分かかる」とかを計算して出演者のダブリを調整しながらスケジューリングするので結構大変な仕事です。吉田さんの頃はビートたけしさんも休みがちで結構大変な時期でしたが、これまた卒なくこなしていました。

その後1987年7月の人事異動で横澤彪さんが専任局長に昇格し、横澤班が「のれん分け」されて3つに解体(このことは後日また…)されました。やがて吉田さんは三宅班の「ひょうきん族」を掛け持ちしながら佐藤班の「いいとも」のディレクターとなりました。「ひょうきん族」「いきなりフライデーナイト」の掛け持ちをしていた僕は、「ひょうきん族」終了時に小畑班という第4の選択をして吉田さんとは別々の道を歩むことになりました。そして2007年、僕が「フジテレビZOO」「美術Pは見た!」というブログを開設することになり、間接的ではありますが再び吉田さんと一緒に仕事することになったのです。「フジテレビZOO」の編集長の吉田さんがたびたび「君のブログおもしろいねえ」と声をかけて下さったのはうれしかったです。

そんな吉田正樹さんですが、現在は「吉田正樹事務所」を開設したそうです。ワタナベエンターテイメントの会長にも就任したそうです。フジテレビジョンをやめてもテレビ界で活躍すること間違いなしです。今後ともよろしくお願いします。

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プロフィール

       清水 淳司
1984年4月1日、フジテレビジョン入社。以来第二制作部12年、FCC7年と主にバラエティ畑を歩む。「いただきます」「笑っていいとも!」「邦ちゃんのやまだかつてないテレビ」「うれしたのし大好き」「ポンキッキーズ〜爆チュー問題」などを担当。現在は美術制作局美術センター勤務で「ミュージックフェア21」「あっぱれさんま大教授」などの美術プロデューサー。大分県出身

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