「いまだ一度も、お目にかかったこともないのに、なぜ……」と、日蓮大聖人は仰せになられた。
「皆、日蓮を憎んでいる」「それなのに、なぜこのように、私をご信用になるのであろうか」(御書1379n、通解)。
この御手紙が宛てられた門下は、大聖人にお会いしたことがなかった。しかも世間では、大聖人を中傷する声が絶えない。
だが、彼の信心は微動だにしなかった。大聖人は、讃嘆に、讃嘆を重ね、喜ばれた。
「頼もしく思えます」「必ず仏になられます」(同n)と。
家族を大聖人のもとに送り出し、留守を守ってきた門下には、大聖人はこう伝言された。
「あなたの心は、私のもとにあります」「太陽や月を拝まれるがよい。
私の身は、いつも、太陽や月に影を浮かべています」(同1325n)。
近くにいる人と同じく、むしろ会えない人、遠くにいる人を大事にする、それが日蓮仏法の心。
池田名誉会長も、会合ではいつも「地元の同志によろしく」「ご家族によろしく」と必ず声をかけている。
「たとえ、遠くにいたとしても、たとえ、会わなかったとしても、広布に戦う師と弟子の心は、常に一体」――
今月の本部幹部会でのスピーチ。師弟とは、空間を越え、時を越える、永遠不滅の勝利の絆だ。(09.01.16) (鉄)
|
|