情報源は決して明かさない。取材活動の原則であり、生命線でもある。それが崩れた。
奈良県の医師宅放火殺人の調書漏洩(ろうえい)事件の裁判だ。秘密漏示罪に問われた精神科医から供述調書を入手したとされ、事件を題材に本を書いたフリージャーナリストが出廷して、取材源がこの医師だったと証言した。
ジャーナリストはこれまで「命を差し出しても言えない」としてきた。それが一転して、有罪を立証する検察側の尋問に答えている。「被告の利益になると思った」と言うが、理解に苦しむ。
情報提供者は、ときには自らの不利益を覚悟しても情報を取材者に託す。その相手を守れないようでは、信頼関係が根底から揺らぐ。まして法廷で取材源を明かすなど、あってはならない。
事件の経緯を重く受け止め、情報源の秘匿の意味を報道に携わる一人一人があらためて、肝に銘じなくてはならない。
近年では、記者が取材源保護のために民事事件の証言を拒むことを認める司法判断も出ている。最高裁は3年前、米国健康食品会社の日本法人への課税処分報道をめぐる裁判で、取材源の秘匿を認める判断を示した。
自由な報道は、表現の自由と知る権利を守るための前提条件となる。取材活動が自由に行われるには、情報源の秘匿が欠かせない。取材する側には、責任感と倫理が求められる。
本の出版元の講談社は昨年、第三者による調査報告をまとめた。それによると、放火した少年の鑑定医だった医師は、事件の背景に少年の発達障害があることを社会に知らせたいとの思いから調書を見せた。その際、直接の引用やコピーをしないことを条件にした。
だが著者は無断で調書全文の写真を撮り、本に調書をほぼそのまま引き写した。取材源の秘匿にも、少年のプライバシーにも、あまりに無頓着だ。
このところ、情報提供者への捜査当局や官公庁の締め付けが強まっていることを見過ごせない。昨年10月、新聞記者への情報提供によって自衛隊法違反の疑いで書類送検された自衛隊の1等空佐が、懲戒免職となった。
今回の事件で、医師は地検の任意聴取の段階で調書を見せたことを認めていたのに、逮捕された。取材対象者への強制捜査や重い処分は、情報提供の萎縮(いしゅく)を生む。結果として国民の知る権利が危うくなる。表現活動にかかわる事柄に公権力の介入はなじまない。