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「ぼく、ドラえもんでした。」著者・大山のぶ代さんインタビュー

【夕刊フジ「ライブラリー」】
book20060627_01.jpg 昨年まで26年にわたって「ドラえもん」の声を務めた声優、女優の大山のぶ代さんが自伝「ぼく、ドラえもんでした。」を出版。声に悩んだ子供時代から、女優人生、ドラえもんとの一心同体ぶりなどを綴っている。後進への思いや、ドラえもんに代わって子供たちへのメッセージを聞いた。(2006.06.27紙面掲載)

――ドラえもんを終えて1年余…
 「26年間、一心同体で泣いたり笑ったり。(01年、直腸)がんで入院したとき、辞める決心をしたのですが、ドラえもんは『それがいいよ』とはいわなかった。何かに迷ったとき、そばにいて何か言ってくれる子なんです。(その存在が)いまだに残っていますね」

――26年の感慨は?
 「卒業で、(声優メンバーが)43歳若返る―と新聞に出ていて、実際、5人の平均年齢を出したら…結構な年だと、みんなで笑いましたね」

――ご自分の声について思うことは?
 「中学時代、声で人から笑われて無口になったことがありました。それに気づいた母から『声を出すようなクラブに入りなさい』といわれたのが、この世界に入るきっかけに。ドラマに出て、確かに『ひど~い声!!』と思ったこともありましたけどね(笑)」

――お母様の話は本にもあるが、ドラえもんもお母さん的存在では?
 「確かに、男の子だけど、母のように慈愛に満ちた眼差しだわね。ドラえもんに会うまでは、母の仏壇にいろいろ相談していましたからね」

――女優人生も51年…
 「『徹子の部屋』で黒柳さんから『ブーフーウー(NHKの人形劇)の声をやって50年、半世紀も一緒よ。すごいわよねぇ』って。自分では忘れていましたけどね。結婚生活も43年続き、おかげさまで幸せです」

――脚本執筆や料理、水の研究でも活躍
 「何でものめり込んじゃうの。脚本を書いたドラマ『太陽にほえろ!』もファンで、こんな役、シーンがあったらいい、とディレクターに言ったら、やろうって…。“こんなこといいな できたらいいな”と思うことが大事で、それが人間の進歩にもなるでしょ」

――改めて今の子供たちに伝えたいことは?
 「人は一人で生きていけないこと、支え合う気持ちを持ってもらいたい。携帯、メールと便利になりすぎてお互いの目を見て話をしないわね。何かの時、友達っていいなって。心が“一人の部屋”だったら年をとったら寂しいわよ」

――来春から、音響芸術専門学校の校長先生になるとか
 「(アナウンサーや声優、俳優ら育成の)芸術学部新設で、昔ながらの芸能人が必要とされましてね。今の乱れた言葉遣いのままでは俳優、声優は育ちません。絵に合わせるだけのしゃべりでもダメ。基本的な礼儀、最低常識から演技まで教えていきたい。これもドラえもんの心を伝えていくパイプの1つです」
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【おおやま・のぶよ】
1936年、東京生まれ。都立三田高校在学中に俳優座養成所入り。56年「この瞳」(NHK)でデビュー。女優、声優として「名犬ラッシー」「ブーフーウー」「ハリスの旋風」「江戸を斬る」など多数出演。79―05年、テレビアニメや映画で「ドラえもん」の声を担当。04年「放送ウーマン賞」受賞。料理本など著書多数。夫はタレントの砂川啓介さん。
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【内容】
 大家族に生まれ育った大山さんの自伝。16歳のとき亡くした母親の思い出、「一目ぼれ」だったドラえもんとの数々のエピソード、43年になる結婚生活を貴重な写真、資料とともに紹介している。

「ぼく、ドラえもんでした。」

投稿日: 2006年07月10日

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