消費税や住民税などを合算したスウェーデンの租税負担率は約50%。社会保障負担率を合わせた国民負担率では70%を超えている(2005年度のデータ)。日本の国民負担率が40%であることを考えれば(OECD=経済協力開発機構=諸国の中では米国に次ぐ低さ)、その負担率の高さが理解できるだろう。
だが、サムハルの人々は当たり前のように納税している。福音ルーテル派が国教のスウェーデンは日本と同様、勤労を美徳と捉える文化がある。労働と納税は自立した社会人の証し――。これは、働くことができる障害者であれば、誰もが持っている意識だろう。
サムハルが業務を請け負っている民営郵便会社の配送所で出会ったパトリック・レアンデル。待遇について尋ねると、こう言葉をつないだ。
「もっと給料がよければいいけれど、まあ満足しているよ。だって、働いていないということはつらいことだからね」
郵便物の仕分け作業に従事していたパトリック。サムハルに入る前は1年ほど失業状態にあった。就労は社会との接点である。「たとえ障害を持っていても、可能な限り働きたい」。そう考えるのは、人間であれば当たり前の感情だろう。
「ここで働く人々は、ビジネスの世界で競争しているという意識をみなが持っている。企業の一員として、普通の企業と戦っていると思っている」
パトリックが働く配送所の責任者、ロニー・ヘンリクソンはこう語る。企業の一員として競争している―--。頭ではわかっていても、なかなか実感できるなことではない。
働く意志のある人間に対しては、サムハルはできる限りの努力を払って職を与えていく。ふさわしい職業がなければ、その人に合う仕事を作り出すこともある。障害者を弱者として保護するのではなく、労働と納税を通じて社会に組み込む。そんな役割を、サムハルは担っている。
そして、この会社は転職支援企業という側面も持つ。サムハルでは毎年、1000人以上が一般労働市場に転職している。2007年には全従業員の5.3%に相当する1017人がサムハルを巣立った。これまでの転職者数は2万5000人を数える。
転職者数が多いのは、一般労働市場で問題なく働くことができる人材に対して、積極的に転職を働きかけているためだ。転職先が合わなければ、1回までは出戻りが可能。この制度も、障害者の背中を押す要因になっている。
障害者の就労を支援する組織は日本にも存在する。だが、従業員の9割が障害者。しかも、年1000人以上が転職していく――。世界広しといえども、このような会社はほかに例がない。「働く意志を持つ者には等しく機会を与える」。これは、スウェーデンという国の底流を流れる哲学である。この哲学を実践するために、サムハルは存在していると言っていいだろう。
国民負担を削減するために不断の努力を続ける「国営企業」
驚愕の企業、サムハル。種を明かせば、政府が100%の株式を持つ国営企業である。事実、収入の58%に当たる506億円の補助金が投入されている。スウェーデンの高い国民負担率。その一部がサムハルの運営に充てられている。
だが、「国営企業」と侮ると見誤る。国営企業であるがゆえに、どこよりも厳しい経営の縛りをかけられている。その制約の中で企業を経営する姿は日本の特殊法人とは似て非なるもの。国民の負担を削減し、障害者を社会化するために、不断の努力を続けている。そして、その存在を国民も理解している。
グローバル資本主義が隅々にまで浸透しているこの時代。なぜほとんどが障害者の企業が存在できるのか。その疑問を解くために、ストックホルムにあるサムハルの本社を訪ねた。そこで出会ったのは同社のCEO(最高経営責任者)、ビルギッタ・ボーリン。笑顔が可愛らしい白髪の女性だった。
(次回につづく。掲載は明日、1月16日金曜日の予定です)