疋田智の「週刊 自転車ツーキニスト」 |
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「Lサイン」やってみない?の346号
■「メルマガ・オブ・ザ・イヤー」三度目の受賞
ややややや?
嬉しい誤算というか、今年もまたカテゴリー賞(スポーツ部門)をいただいてしまいました。
http://melma.com/contents/moy2008/
投票していただいた方、まことにありがとうございます。こんなに発行頻度が少ないにもかかわらず、申し訳ありません。いやー、しかし、今回は特に期待していたわけでもなかっただけに、嬉しいっす。例の特殊事情の06年の時と違って「投票してー」とか言ってたわけじゃなかったんで……、ありがとうございます。すまんこってす。感謝感激です。ますます頑張ります(←ホントーだな? 俺)。
って、なんだかしつこい御礼ですね。失礼しました。
ということで、だから、という話じゃないんですけど、これに乗じて(?)今回はちょっとした提案があるんですよ。
■「Lサイン」は有効だろうか
実は、先日、このメルマガの読者Hさん(個人的には知らない人です。ありがとうございます)から次のようなメールをいただいた。
車道右側通行の自転車は、ヒキタさんもご指摘の通り、本当に迷惑で困る。迷惑なだけでなくリアルに危険だ。
ヒキタさんは『すれ違いざまに罵倒せよ』とか言うけど、そんな恐いことはできない。
ついては、そういう人々に何らかのメッセージを穏便に送れないものだろうか。
私が提案したいのは『Lサイン』というものだ。
すれ違いざまに右手の親指と人差し指でL字型を作り、ビシッと相手に見せつける。
LはもちろんLeftのLだ。『自転車は左』というメッセージである。これがサイクリストの間に定着すれば、一大ムーブメントになるのではないだろうか。
というような話。これ、けっこうグッドアイディアのような気がするのだよ。
車道右側通行の危険きわまりないヤカラは、まことに迷惑至極で、何とかしたい。でも、何とかしたいのは山々なんだけど、なかなかどうにもならん。実のことをいうと、私としても『罵倒作戦』には限界を感じていたところだった。
その場限りで終わってしまうし、要らん軋轢を生むし、そもそも通じない。通じないのに怒りばかりをかう(←これがタマラン)。
特に昨今は、忘年会シーズンということもあって、車道右側通行なんてしている連中は、酔っぱらっていることが多く、その場合、罵倒でもされようものなら、逆上して、大音声をあげつつ追っかけてくることがあるのだ。
■君子危うきに……
逆上するのはたいていの場合「切れやすい若者たち」というヤツだ。それっぽい顔つきから、事前にも何となく分かる。
通常なら、こっちの自転車の方がはるかに速いんだし、そんなヤカラなど、簡単に置いてきぼりにすることができるんだけど、彼らは酔っぱらっていることで力のセーブがきかないこと(たぶん)、もとよりアタマがあまりよろしくないこと(たぶん)、遵法精神などなきに等しいことなどから、赤信号をぶっちぎり、全速力で追いかけてきたりするんで、追いつかれそうになって、少々ヒヤヒヤすることがあるのだ。ちょっと恐い。彼らには失うものが何もないからね。実は先日、似たようなことがリアルにあったりした。
【この話はここにも↓】
http://eco.nikkeibp.co.jp/style/eco/column/hikita/081212_nenmatsu/
ということで、罵倒作戦は、昨今、危険になり始めている。
だからして「L」である。「Lサイン」。
私個人としては、もう今日からでも、このサインをビシッと逆走野郎に送ることにしようと思ってるんだが、これに賛同する人、誰か広めてはくれないだろうか。
こういうのはいわゆる「分かりやすい話」「形にしやすい話」であるからして、マスメディアも乗ってくるような気がするのだ。となると、それをきっかけとして「左側通行の厳守」をアピールすることができる。
これは自転車文化にとっては非常にいい話になり得るはずで、H氏も(たぶん)私も(もちろん)大歓迎である。
というか、本メルマガを読んでいただいているメディアの方々、ここはいっちょ、いかがすか?
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【ヒキタ解釈のオススメ本(たまに非オススメあり)】
「貧民の帝都」塩見鮮一郎著 文春新書
明治の新政府ができてからというもの、花のお江戸は一種の混乱状態となった。その混乱の結果、生まれたのが、維新の負の側面のひとつである「スラム街」の出現であった。
中でも4大スラム(今となっては信じがたい地区です)と呼ばれた地区には、孤児、売春婦、二種類の寡(やもめ)、乞食、ほか、数々の貧民があふれたという。本書は、そのスラムの様子を、つぶさに、即物的に、そして、あまり思想的な背景はなく(あえて悪くいうなら少々興味本位に)追っていくのだが、その経過の中で浮かび上がってくるものがある。
それは、当時にして、そのいちいちに、まがりなりにも「救済」のスポットを当てようとの試みがなされているという事実だ。救済の主役は、ある場合には、渋沢栄一(本当に、この人のために“ノーブレスオブリージュ”という言葉はあるよなぁ)をはじめとする民間の素封家であるし、またある場合には、行政だったりする。そして、それらの救済が「貧民街」または「貧民同士」という名のコミュニティがあることで、成り立っているという事実が大きい。
今よりはるかに貧しかった時代、貧しい人々が、貧しい人々同士で結託していた。それは「助け合い」という名で呼んでも間違いないだろう。そもそも一般の市民にとっても「貧しさ」が、より身近で、リアルだったから、そういう人々に対して思い入れを致すことができた。著者(昭和13年生)の父母も、そうした貧しい人々に、花を買う、庭の掃除をしてもらって金銭を与える、などの「施し」をする人だったという。それが当たり前だった。
そうした社会。
どうしても大不況の入り口にいる現在と比較してしまうんだが、はたしてどちらの方が幸せな社会なんだろうか。絶対的な貧しさはもちろん前者だろう。だが、精神的なつらさを含めた貧しさは後者のような気すらしてくる。
これは、地域のコミュニティが崩壊したこと、プアな人々が常に孤独に陥ってしまいがちなこと、ノーブレスオブリージュなどなきに等しくなったこと、未来の社会への希望が見えにくいこと、など、要因は様々に考えられるんだけれど、一番大きいのは「自分だけじゃなければ、みんなが貧しければ、貧しさは必ずしも苦しくない」というところにつながってくるのかもしれないとも思う。
イヤな話ではあるんだけれど、これも人間のひとつの側面なのだろう。
我々はそういったイヤな「業」を背負って、世間を生きている。
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http://japgun.infoseek.ne.jp
バックナンバーはこちら。
http://www.melma.com/mag/03/m00016703/
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