今回は、日本最大の鉄鋼会社新日本製鉄の北九州市の事業所である八幡製鉄所の守り神高見神社に行って来ました。
神功皇后ゆかりの神社で、代々県主熊鰐(あがたぬしくまわに)の子孫が祭っていた神社だったそうです。
もともとは、現在のスペースワールドの西側にあったようですが、明治29年官営八幡製鉄所の建設で、神社を移さなくてはいけなくなって、今の地にご鎮座されたとの事。
その由縁から、新日本製鉄八幡製鉄所の守護神となり、新日本製鉄八幡製鉄所の人々によって現在も崇敬されているようです。
ご祭神は別天神五柱、天神七代の二柱、地神へ5代の五柱他。
(以上パンフレットを参考にしました)
すぐお隣の公園は桜が満開でした。
最後に訪れたのがここ、天岩戸神社です。すごい怪力の神様手力男の神がお出迎え。
もちろん御祭神は天照大御神。世界平和を祈りましたが、後々「夢が叶いますように」とお願いするのを忘れてた事に気づく。このあと天安河原に参拝しての帰りも、夕方遅くお騒がせしましたという事で、もう1度こちらに参拝。
ここでは、なんか小学生の時に感じた25年ぶりに思い出すなつかしい匂いがしました。説明できない匂いですが、小学生の時の懐かしい家での思い出を思い出しました。
さて、ここから5分ほど歩いて、天安河原に行きました。もう結構日が落ちて薄暗い中行ったのですが、なんとも澄んだ空気と清涼感。丹生都姫降臨の滝などがある、地元の谷間と同じ空気を感じました。各地で多くの神様がおられますが、神々がおられた場所と言うのは、そういった清浄な雰囲気が漂う、澄んだ気持ちになれる場所と言う事なのでしょうね。
天安河原にいるだけで、なんか穢れが洗い流され、心が綺麗になるようでした。
いや~ 黄砂がすごいですね。昨日出張で家出るとき、目がかすんでるのかなって思いましたよ。
さて、先週はお仕事で、九州を2/3周してきました。福岡県北九州市から国道10号線を南下し、宇佐、別府、大分を通り過ぎ、宮崎県延岡まで行き、仕事を終えた後は、西に高千穂を越え、九州のウエストコースト(西海岸)八代市まで走りました。
さて、延岡へ行く途中、別府湾サービスエリアで一休み。そこから撮った別府湾です↓。
あ~温泉につかりたい。別府温泉は勇水量日本1だったかな??
サービスエリアで、大分名物「やせうま」も食べました。実は食べるのは2回目。以前九州ローカルで山本かよが出ているTVで、「やせうま」が出ていたので是非食べたかったのです。
きしめん状に延ばしただんごにきな粉をまぶしています。見た目はきな粉餅。食べた感じはきな粉餅よりあっさり。ちなみに、どうしてもきな粉餅のイメージがあったので、付いてきたお漬物は食べられませんでした(^^;)
確か、名前の所縁は、お付の婆やがの「やせ」が、若殿にこれを作ったところ、若殿が「やせ、うま!」と言ったとか言わないとか。
嬉野の夜は街に食べに出かけました。
街には湯豆腐の文字を良く見かけました。つまり嬉野は湯豆腐が名物なんだ!という事で、「茶房うれしの」と言うお店に入ってみました。
店内はおしゃれで、応対のいいマスターで、コースにない私の無理な料理の組み合わせにも、いやな顔一つせず、お出し下さいました。価格も良心的。
嬉野の温泉水を使った湯豆腐は、温泉成分が豆腐のたんぱく質を分解し、豆腐をとろけさせるのだそうです。確かに、私が食べたことのある湯豆腐の中ではやわらかい。
湯豆腐と一緒に頼んだのが豆乳お茶粥。塩と醤油での味付けとの事だったが、豆乳がいい味出してるのか、なんとも奥深さのあるおいしさだった。
そして、デザートの抹茶アイスの前に出してくれたのが、写真の「すすり茶」。これは、右のお湯指しで、まずお湯を40度程度にさまし、それを左の茶器に注ぎます。待つこと1分。茶器の中に入っている茶葉が出てこない程度に上蓋をずらし、そこから出てくるお茶をすするのです。次に、お湯指しにまたお湯をいれ、今度は70度程度まで冷まし、また茶器に注ぎます。また待つこと1分。先ほどと同じように味わいます。で、最後は90度。
3種の温度で、3通りの味が楽しめるという事だそうです。40度ではお茶の甘みを、90度ではお茶の苦味を楽しむのだそうです。
この茶器のセットがほしくて探したのですが、あまり時間もなかった事もあって、見つけることができませんでした。今度行ったときは、絶対購入しようと誓いました。
肥後一の宮は阿蘇神社へやってきました。↑写真は楼門。
で楼門に入ると。
なんとも大きなご神木。由来は読めるかなあ~。読めないね(笑)。江戸時代、健磐龍命が雷雲となって出陣された時に、落雷により焼けた杉の木との事。
阿蘇神社のパンフレットより。御祭神は、
健磐龍命(たけいわたつのみこと;神武天皇様の孫神と伝えられています)
阿蘇都媛命(あそつひめのみこと;健磐龍命の妃神)
国造速瓶玉命(くにのみやつこはやみたまのみこと;阿蘇初代の国造)
です。
で続いてまたまたパンフレットより。
「古い昔のことですが、この阿蘇谷は満々と水をたたえ湖水でありました。阿蘇大神健磐龍命は湖水の水を切って落して美田を開き、農耕の道を教え国土の開拓に尽くされました。」
なんとも神秘的な伝承ですね。神代よりもっともっと前のこの地の変化を表した伝承のように感じてなんとも興味そそられました。
ちなみに銅板に名前書いてきましたよ~。ちょっとはりこんでしまいました。これってそのまま社殿に使うんだろうか、それとも一度溶かして板にし直すのだろうか?
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