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Chikirinの日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

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2009 | 01 |

2009-01-14 非生産的な議論例3つ このエントリーを含むブックマーク

Aさん「何回も契約更新を繰り返して結果として同じ職場で5年も働いているのに、正社員になれず、有給休暇もボーナスももらえず不安定なままに置かれている人がいるのはおかしい!」


Bさん「でも、契約社員として自由な時間だけ働きたい人もたくさんいるんですよ。全員が全員、正社員になりたいわけでもないんです。働き方の多様性ということも考慮しないと。」


これってテレビ討論とかでよく聞く問答ですが、明らかにBさんって変でしょ。

Aさんが言っていることはステップごとに分けて理解すると下記です。

(1)世の中には契約社員などの非正規の社員と、正社員がいる。

(2)契約社員などの中には、自分で望んでそうしている人と、本当は正社員として働きたいのに仕方なく、って人がいる。

(3)正社員を望んでる人の中には、何回も同じ会社で契約を更新しながら契約社員のまま働いてる人がいる。

(4)そして、その中には何年たっても正社員になれず不公正な労働条件を強いられている人がいる。

→それはおかしいこと=間違ったことである。

これがAさんの主張です。


で、Bさんの主張は上記のうちの(2)と全く同じ意味です。つまり、Aさんの主張の前提の一部を言い直しているに過ぎません。それをあたかも有効な反論であるかのように“でも”とか“だけど”でつなぐって変ですよね。


絵で描くとこんな感じ↓


f:id:Chikirin:20090107030244j:image


なんで今Aさんが話している点からずうっと以前の、前提の一部に話を戻すのさ?

しかも前提の一部なんだから相反する話でもなんでもないのに、なんで“でも”でつなぐのさ??


変だしょ。


★★★

Aさん「学歴なんて重要じゃない。」


Bさん「いや〜、でもやっぱり学歴は大事だよ。」


Cさん「学歴なんて全然意味ないよ!」


これは議論自体が成り立っていない例。

「大事か大事でないか」「重要か重要でないか」というのは、ある要素(x)が、何かの結果(y)にたいして影響を与えているかどうか、という話です。xによってyが決まってしまうなら“重要”“大事”と呼べる。つまり、yが何なのか?によって話は全然違ってくる。

当然ですよね。ここではxは「学歴」ですが、yが「年収」なのか「体重」なのかで話は違ってくるでしょ。


それに、「学歴」によって「年収」が影響を受ける、と言いたいならデータを収集して検証することが可能なはず。別に「俺はこー思う」「そうは思わない!」などという水掛け議論をする必要はない。

もちろん「体重」との関係だって一定規模の調査をすればデータで検証できる。つまりね、yを明確にすれば議論は水掛け論にならない。ちゃんとデータを探してこよう、という話になる。yを明確にしないからいつまでも「俺はこー思う」「あたしの経験ではこうだ」みたいな話に終始してしまう。

なにかが「重要だ」「いや重要じゃない。大事じゃない。」っていう議論をしたいなら、まずは、「何に関して重要だと主張しているのか」「何に大きく影響するという話をしているのか?」というyを明確にしないと、議論自体が意味をなさないってこと。

そして多くのケースで、yを明確にすると「検証可能性」が高くなる。そうすると議論が水掛け論にならなくなる。きちんとデータに基づいて議論しよーぜ、という話になり、議論が結論に向けて進み始めるわけ。


とかいうと、「じゃあ、yを明確にすればいいんだろ」と言って、「yは“幸せ度”だ!」とか「yは人生の成功度だ!」とか言う人がいる。これも意味不明。全然明確になってないんですけど・・

定義できないもの、人によって定義が違うものをyに持ってくるのはやめてください。(まずは幸せ度ってなにさ?ってのを定義してください。)


★★★

最後の一つは、結論に関係ないことにこだわる人。

Aさん「この前、買うって決めた商品ね、Aデパートで買うと2000円、Bスーパーで買うと980円だったよ。だからスーパーで買おうね!」


Bさん「えっちがうよ。間違ってるよ。デパートで買うと2100円だよ!」


Cさん「おまえら、なんもしらねーんだな。デパートは今1800円になってんだよ。ちゃんと勉強してからモノ言えよな」


Bさん「なに言ってんだよ。おまえこそわけわかんーよ。じゃあ一回調べに行こうぜ!」


Cさん「おお、望むところだ。調査してから決めよう!」


BさんとCさんの言ってることも意味不明。Aさんの主張は「スーパーで買おう」という結論にある。文章の前段はそのための理由に過ぎない。

Bさんの意見が正しくてもCさんの意見が正しくても、Aさんの結論、主張部分には全くなんの影響もない。

こういう「最終的な結論」になんら影響を与えないのに、その前段階の細かいことにやたらとこだわって時間を空費する人ってホント意味不明。いわゆる「議論のための議論」になってしまう。


議論をするのが目的なら(会議をするのが目的なら)いつまでも議論していればいい。しかし、結論を出すのが目的なら、BさんやCさんの言っていることは「正しいかもしれないが、全く意味のない話」なのだ。あなたがしたいのは「議論」なの?それとも「結論をだすこと」なの?


★★★


というわけで今日のエントリは、「生産的な議論を心がけましょうの会」会長のちきりんがお送りいたしました。


そんじゃーね〜。