最新7回分

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2009年1月14日(水) 二十世紀文庫 「スーパー源氏」

タマには「二十世紀文庫」の商売のことを書こう。

「スーパー源氏」が、今年「ネット古書店になろう!」(仮題)という本を出版する。
二十世紀文庫は、古書店サイト「スーパー源氏」があったから開店した。
ネット古書店「二十世紀文庫」は、「スーパー源氏」に参加して2001年9月に開店した。

二十世紀文庫は、単独で開店する気はなかった。
理由はいくつかある。

パソコンに弱い。
ホームページを維持できない。
一店では集客力がない。

現在、世界同時不況だが、二十世紀文庫の成績は逆に良くなった。
今年はこの好成績を維持して行って、不況だからネット古書店が強いことを証明したいと思っている。

それには、もう少しネット古書店としてプロ意識が必要となる。
今までのように個人的に好きなことばかりやっているわけにはいかない。
基本にもどること。

1.仕入を増やし、登録数を増やす。
2.時代の動向に敏感になること。
3.迅速な発送。
4.お客様への丁寧な対応。
5.節約意識。

2009年1月13日(火) 成人式 新年会 「雨ニモマケズ」 「パルムの僧院」 「日本語が亡びるとき」

先週は風邪気味のため意識的に早く寝たので、寝すぎ。
これはよくないと思って、今朝は早く起きた。
お蔭で、「パルムの僧院」を読了できた。

昨日は成人式だった。
それに気がつかずに新年会のために新横浜へ向ったのはうかつだった。
電車内から振袖が目立つ。新横浜駅で降りたら、駅構内も道路もホテル内も振袖がうじゃうじゃ。横浜アリーナで成人式だった。

新横浜プリンスホテルの中華飯店で「川和文学」の新年会。
その前に「宮沢賢治」の初講義。

「雨ニモマケズ」

< 雨ニモマケズ 
  風ニモマケズ
  雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
  丈夫ナカラダヲモチ
  欲ハナク
  決シテ瞋(イカ)ラズ
  イツモシヅカニワラツテヰル >

読書会 酣(たけなわ)の「パルムの僧院」を読了したので余裕ができた。
次は何を読むか。
「アンリ・ブリュラールの生涯」(岩波文庫)か。
「赤と黒」(新潮文庫)か。

「パルムの僧院」は途中まで読むのに相当難儀したが、下巻になって「パルムの城塞」(「ファルネーゼ塔」)からのファブリスの脱獄が決行されると、後は一気に大団円へ。
フランス小説の最後の言葉は英語だった。

「幸福なる少数へ
(TO THE HAPPY FEW)」

「訳注」に「スタンダールはこの献辞を『赤と黒』『ローマ漫歩』でも用いた」とあるから、「貴重な読者諸君、ほとんど読む人のいないこの小説を読んでくれてありがとう」ということだろう。

水村美苗「日本語が亡びるとき 英語の世紀の中で」(2008年 筑摩書房)を読みはじめる。
水村美苗の「私小説」と「続明暗」(新潮文庫)が、二十世紀文庫で売れた。在庫がなく、他に探しても手に入らない。

カバーコピーから。
< 「西洋の衝撃」を全身に浴び、豊かな近代文学を生み出した日本語が、いま「英語の世紀」の中で「亡びる」とはどういうことか? >

本文から。

< 英語が<普遍語>となるとは、どういうことか。
 それは、英語圏をのぞいたすべての言語圏において<母語>と英語という、二つの言葉を必要とする機会が増える、すなわち、<母語>と英語という二つの言語を使う人が増えていくことにほかならない>。

2009年1月12日(月) 「内閣不支持72%」 「今こそ褒めたい「鈍牛」宰相」 「池田勇人とその時代」

「内閣不支持72% 給付金「他の目的に」78% 「支持」横ばい20% 本社世論調査」(読売新聞)

この数字では麻生内閣はおしまいだ。
同じ読売新聞に政治学者の北岡伸一が「大平正芳」元首相のことを書いている。
この記事「牛のごとく 6」の見出しは「今こそ褒めたい「鈍牛」宰相」。

(大平正芳は)
< 総裁選挙に出馬するまでに、重要な権力闘争と権力の演出と政策の実現を豊富に経験したのである。大平以後の政治家で、これほどの経験を経て首相になったのは、中曽根首相くらいなものであろう>。

最後に北岡伸一はこう書く。
< 少し大平のことを褒めすぎただろうか。そうだとすれば近年の政治の貧困のせいだろう>。

大平正芳と同じ宏池会の伊藤昌哉「池田勇人とその時代 生と死のドラマ」(1985年 朝日文庫)を丁度再読している。
池田内閣の時代は、今の麻生内閣とは政治ドラマの深さが違うのだ。

< 池田には、ものごとを関連させてみせる(アソシエート)力があった。自分のよく知らないこと、理論的な理解が不充分なことでも、他のものと関連させて理解する力があった。局長、次官、大臣と、上にいくにしたがって、自分の知らないことを掌握し、管理しなければならない。危ぶまれながらもその任をはたしていったことは、彼のこのアソシエートする力を示している。

< 池田はすぐれた勘をもっていた。自分でも、「俺は、じつは勘の男なんだ」とよく言った。論理を組み合わせて結論をだしていくというのは、あまり得意ではなかった。その意味では、池田は経験主義者だった。そして経験主義者のつねとして、ものごとを抽象的ではなく、具体的につかんでいく>。

故高坂正尭(京都大学教授)は「解説」の最後にこう書いている。

< 実際、池田勇人が不幸にしてガンに倒れなかったなら、三期目の内閣は何を中心課題としていたであろうか。彼はどのような形で、経済成長に経済成長以上の意義づけを与えたであろうか。その意味で池田内閣は未完の内閣であった。そして、経済を中心として生きるという戦後の日本自体が、そのときだけでなく、今日もまだ未完の物語であるのかもしれない>。

21世紀の現在、高坂正尭の言う「戦後の日本」の「未完の物語」は、日本独自の「物語」を完成させなければならない。
その大事なときに、日本の政治は何とお粗末なことをやっているのだろうか。

2009年1月11日(日) 「毎日更新」 「パルムの僧院」 「スタンダールの復活」 「情の資本主義」

休日。

何の因果か、「晴耕雨読」を「毎日更新」することになっている。
「毎日更新」は、誰かに頼まれたわけでなく、何かへの義務があるわけではない。勝手に自分で決めただけのこと。
お蔭で毎日四苦八苦している。

文章というものは、書く前に大体は頭の中で構想ができている。ただ、その通りに行くわけではなく、書いているうちに思わぬ方向へ向かうときもある。

今日はまず困っていることを先に書く。
読書会 酣(たけなわ)の「パルムの僧院」のことだ。
下巻の半ばまで来ているのに、まだ作品世界に入り込めていない。面白くなったと思ったら、次につまらなくなる。このくりかえし。

読書会 酣(たけなわ)でなければ、とうに放り出しているだろう。いや、読もうとしていたかもわからない。
ともかく、読書会の課題書だから最後まで読まなくてはならない。
とはいっても、まったく読む気がないわけではない。気にはなっている。
主人公のファブリスになりきれていないだけだ。

ここで、以前読みはじめた岡田直次「スタンダールの復活 革命・社会・文学」(1988年 NHKブックス)を開いてみる。この本は、残念ながら、「パルムの僧院」ではなく、「赤と黒」の解説書だ。
「プロローグ《予言》」にこう書いてある。以前、ニーチェの『善悪の彼岸』を引用した次の個所である。

< 一八三〇年スタンダールの『赤と黒』が出版されたとき、フランスの社会はロマン主義の時代を迎えていた。ロマン主義文学は愛や情熱や孤独をうたいあげる。おなじ主題は『赤と黒』にも描かれているのだが、この「偉大な心理家」の作品は当時の読者にも批評家にも認められなかった。(一八)三九年刊の傑作『パルムの僧院』もおなじように黙殺された。スタンダールは同時代人から理解されなかった小説家である>。

< 彼は一八八〇年に大々的に復活するが、そのときフランスの青年たちの心をつかむのは『パルムの僧院』ではなく『赤と黒』である。
(中略)
スタンダールの「復活」につれて、十九世紀の全般におよぶ(フランス)大革命とナポレオンの影の大いさが明らかになるであろう>。

読書会 酣(たけなわ)まで、後1ヶ月しかない。ここで、さてどうするかと迷うことになる。
「パルムの僧院」の他に何を読むか、ということだ。
読むべきと思っていることは三つある。

「アンリ・ブリュラールの生涯」
「赤と黒」
フランス革命とナポレオン関係

「パルムの僧院」も読みきれないで何を言っているのやら。

「米一極主義の挫折 中曽根康弘」(読売新聞「大波乱に立ち向かう」の最終回)は読むに値する。
「情の資本主義 めざせ」「日本、大局見据え行動を」

< 米国の経済政策での自由放任主義は人間性が伴っていない。言い換えれば、「情のない資本主義」というものだった。今回の危機でこの限界が分かった。だから、日本は日本の、中国は中国の、それぞれ固有の歴史、文化、伝統に基づく政策、対応が取られていくだろう>。

< 今の自民党と民主党の議席差を考えると、自民党が比較第1党を維持する可能性はあるが、おそらく両党が並立する形になる。その場合、経済危機への対応や外交・安全保障案件などで協力し合う、協調的な体制が取られる可能性が出てくると思う>。

中曽根康弘は政界の大長老、90歳だが頭はさえている。
映画界の大長老、96歳の新藤兼人と同様にいつまでも頑張ってほしいと思う。

2009年1月10日(土) ラグビー決勝 「日本は悪くない」 「日本人とは何か」

大学ラグビー選手権・決勝「帝京大×早大」が午後にあるから早めに帰宅したい。

下村治「日本は悪くない 悪いのはアメリカだ」(1987年単行本 2009年文春文庫)が文庫になった。20年前の本である。
下村治のことは、神谷秀樹(みたに・ひでき)が「強欲資本主義 ウォール街の自爆」(2009年 文春新書)で推薦していたから、読もうと思った。
しかし、下村治の著作は少なくて高価すぎるので諦めていた。だから、今回の企画を大歓迎する。

「著者紹介」から。
< 下村治 (前半省略)国民所得倍増計画を唱えた池田勇人内閣(1960年)では経済ブレーンとして高度経済成長の理論的支柱となり、また、48年(1973年)の第一次石油ショック後はいち早くゼロ成長論を唱える>。

カバーコピーから。
< 戦後を代表するエコノミスト、下村治が1987年に上梓した本書は、日本がバブルの絶頂期へ向け驀進していた中、「日米は縮小均衡から再出発せよ」と異端の警鐘を鳴らした。これは米国の金融バブルが崩壊し、恐慌の縁に立つ世界に、何と切実に響くことか! >

「まえがき」から。
< どうして(アメリカの)内需が活発なのに(日本等の)輸入が伸びすぎるのか。それは、国内に内需を満たすだけの生産力がないからだ。消費ばかりが伸びて、消費が伸びたとたんに輸入が増える経済になっているからだ。ここに根本的な問題がある>。

そうか、今回の金融危機に始まった世界同時不況は、数十年にわたって根本的解決策を講じなかったツケが回ってきたのだ。
この本を読んだら、下村治を描いている沢木耕太郎「危機の宰相」(2006年 魁星出版)を読もう。

加藤周一「日本人とは何か」(1976年 講談社学術文庫)が、二十世紀文庫で売れている。

「日本人とは何か」から。

< とにかく造形的な感覚の鋭さと、ものの考え方の日常生活に則して経験的であるという著しい傾向と、その二つの条件のもとに、たとえば日本人と「自然」との独特の関係が生じたといえるだろう>。

「近代日本の文明史的位置」から。

< 美のために何ごとでも忍ぶことができた国民は、同時に観念のためには、何事も忍ばない国民であった。殉教も、宗教戦争もおこりようがない。超越的な神が考えられなかったように、すべての価値も人生を超越しなかった。価値の意識は常に日常生活の直接の経験から生みだされたものであり、本来感覚的な美的価値でさえも容易に生活を離れようとはしなかったことである>。

加藤周一の本は勉強になるからもっと読もう。
次は「雑種文化 日本の小さな希望」(1974年 講談社文庫)。

2009年1月9日(金) 「アンリ・ブリュラールの生涯」

寒い。雨と雪の天気予報。
さぼりたいが、注文が多くて休めない。
ここのところ、風邪薬のせいか毎日ぐっすり寝すぎている。
出勤前に内科と歯科に寄る。

読書会 酣(たけなわ)のスタンダール「パルムの僧院」はまだ下巻の途中だ。
同じ作者の自伝「アンリ・ブリュラールの生涯 全2冊」(1974年 桑原武夫・生島遼一訳 岩波文庫)に眼を通す。

桑原武夫「アンリ・ブリュラールの魅力」から。

< 読者は『アンリ・ブリュラールの生涯』のなかで、ジュリアン、ファブリス、リュシアンに幾度も出会い、ハッとするにちがいない。スタンダールのパーソナリティについての最上の参考書は、いつまでもこの『アンリ・ブリュラールの生涯』であることは変わらないのである>。

生島遼一「『アンリ・ブリュラールの生涯』について」から。

< スタンダール小説では「彼」「彼女」といった三人称をもちいる話法であっても、そこにはいつの間にか作者の自己がじつに巧みに浸透しうる秘密があるし、それぞれの人物の主体的観点がかならずまもられている。現代の一人称小説派の主張する主観性・主体性とすこしも変わらぬ感覚を読者につたえうる。そういう書きかた(傍点)なのである。十九世紀に稀有な作家である>。

さて、評論はこれくらいにして、先に「パルムの僧院」を読み上げることにしよう。
億劫だが、楽しい作業なのだ。

2009年1月8日(木) 「帝国なき時代」 「第三次世界大戦」 「貧乏物語」

寝坊する。風邪のせいか、ぐっすり眠る。いびきに抗議の声。

「帝国なき時代 塩野七生(しおの・ななみ)」(読売新聞「大波乱に立ち向かう 6」)
「正義のため 行動の時」「「大連立」で国の軌道修正」

< 覇者たる帝国なき時代。それは世界を律する政治意志なき時代であり、中世のような無秩序への逆行を意味する>。

< 「人間は食と安全が保障されれば、略奪せず何とか自立できる存在だ」とだけは言っておきたい。
 人間の意志と実行力こそ、帝国なき時代の平和という奇跡を生む。正義なき宗教への妄信が、それを生むのではない>。

「人間の意志と実行力」か。こういう大転換のときこそ、歴史の本を読むべきときだ。
塩野七生の「ローマ人の物語」(新潮文庫)は長すぎるから、「海の都の物語 全2冊」(中公文庫)でも読もうか。「海洋国家ベネチアの歴史」だ。

田原総一朗・佐藤優対談「第三次世界大戦 世界恐慌でこうなる!」(2009年 アスコム)を読了した。
といっても、「晴耕雨読」に書く材料があるか探して読むから、必ずしも順番どおり読んでいない。

佐藤優の「まえがき」から。
< 対外的に主要国は帝国主義的傾向を強める。その中で、日本は品格のある帝国主義として生き残ることが求められるようになる。帝国主義の国家関係は食うか食われるかだ。日本が他国を食う必要はない。しかし、他国から日本が食われないようにすることは不可欠だ。そのためにも外交に従事する政治家、職業外交官(外務官僚)の交渉力を高めなくてはならない。交渉力は教養、人間的魅力、そして胆力によって作られる>。

佐藤優の勧めで河上肇「貧乏物語」(1947年 岩波文庫)を読むことにする。
日本が「豊かな社会」だった頃は「貧乏物語」を読む気がしなかったが、最近、急に「貧困」が問題になってきたから、読むチャンスの到来である。

「序」から。

< 人はパンのみにて生くるものにあらず、されどまたパンなくして人は生くるにあらずというが、この物語の全体を貫く著者の精神の一である。思うに経済問題が真に人生問題の一部となり、また経済学が真に学に足るの学問となるも、全くこれがためであろう>。

書き出しはこうなっている。

< 驚くべきは現時の文明国における多数人の貧乏である>。

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