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2007-12-03

[]希望テラ豚丼 03:51

吉野家、「テラ豚丼」動画騒動で謝罪 - ITmedia News

こういう騒動をみていて思うのは、「ああ、そうか、みんな吉野家とか松屋を利用していて、そして信頼をよせているんだな」ということだった。そして、よく判らないのは、「あれ?安いものを食べるってことはそういうことじゃなかったのか?」ということでもある。まさか、あなた吉野家にいってゴキブリが這いまわっていたり入っていたり蝿が入っていたり蝿は入っていないけれども虫とか入っていたり、あるいはオナニーしたあとの手で器とか触っていたりとかしてないと思っているの?とか俺は思ってしまう。そして、俺は貧しいということは、そういう「不潔だ!」とか言われてもそういうのと付き合わざるをえないことだと思っている。そして、そういう貧しいことが「不潔だ!」とか「汚い!」ということと付き合うということの悲惨さがあるからこそ、女性は貧しいのは嫌とか言うのではないでしょうか。嫌だと言わない人は俺のところにきなさい。以上。それはちょっとした冗談だとしても、俺は下の文章に感動した。

テラ豚丼祭りと「自由への恐怖」 - (元)登校拒否系

この文章は、完璧テラ豚丼を《抵抗》として擁護している。なぜ完璧に擁護してしまっているのか?こういうことだ。つまり、フリーターが「あなたたちは自由ではない、弱いものであり、力がないものである」と教え込まれている。というよりそうでないと困るからだ。だって、そうじゃないとちゃんと働いてくれないでしょ?でも、実際は違う。あなたがちゃんと働いてくれなかったら困るのは吉野家側も同じなのだ。だけれども、そこは少し微妙な感じで抑圧されている。本当はあなたやぼくは吉野家に制裁することはできる。たとえば、吉野家フリーターの仲間達がいっせいにテラ豚丼を作ったとしたらどうだろう?そして、それをいっせいにご飯ごと戻したらどうだろう?少しワクワクしないだろうか?そういう想像力こそが自由なのではないだろうか?だから、はっきり言ってしまうならば「希望テラ豚丼」なのだ。「希望戦争」なんかじゃない。現実的に戦争なんだもの。そして、吉野家労働者がいっせいにテラ豚丼を作っては鍋に戻したりする行為を昔で言うならば「スト」と呼んだ。少し違うか*1。でもきっとそうだ。

 それはズバリ、そういう人々の存在が、私たち自身もまた自由であることを暴露しているからである。僕らはいつも、「○○ がしたい」とか、「もうここにはいたくない」とか、「逃げ出したい」とか思っている。しかし「奴や彼女や誰かのせい」、あるいは社会のせい、制度のせいで、やりたいことをやったり いたくないところから逃げ出したりしたらとんでもないことになるということもまた知っている。だからまるで自由ではないかのように振舞おうとする。「賢明」とか「現実主義的」とか「合理的」とかいうのはたぶんそういうことだ。

 なのにあのアイドルは、商品としての自覚ももたずに、タバコを吸ったという。喫煙するアイドルは、私もまたいつか私のやりたいことをやってしまいかねないという不安をかきたてる。私のやりたい「とんでもないこと」をやるのは自己利益に反する。だからそんなことを私はやらないはずだ。そういう合理的計算によって封印した私の自由が漏れ出してくる。蓋をしたつもりが、実はメッシュ状になってて意味なかったように思えてくる。何ものも、「自己利益」さえも、私を私の自由から守ってはくれない。

そして、驚くのは、僕も同じように加護氏の喫煙を擁護したことがあったのだ。

本来、経営者にとって労働者たちは売り物である。それは分かっていると思いたい。しかし呆れたもので、経営者労働者たちの断罪人としてしか働こうとしていない。無職者を管理することができない自分たちを棚に上げるために、無職者に全責任を負わせているのだ。それは間違っている。無職者とは虚像であり実際のところ人間なので、その枠からはみ出した行動を取ろうともするのが当たり前である。それが華やかな舞台の上に漏れ聞こえないようにするのが会社の役割である。無職者として恥ずべき様をとった者を首にするのが仕事ではないのである。

グッバイ連帯 - 失踪ヒッチハイクガイド

きっと、あの吉野家の子は「テラ豚丼」を作ることによって「俺はこんなに自由だ」ということを証明してしまったし、「俺は吉野家を少し騒がせてしまうことくらいできてしまうよ」ということを証明してしまった。僕はそれを誇りにも思うし、うらやましくも思う。

*1:Hayashida氏から「"それはサボタージュなのではないか?"」という指摘を頂きました。ありがとうございます。

fuku33fuku33 2007/12/05 10:47 それは「山猫スト」にもちょっと通じる気がするが、あれは雇用者に対して誰だかはわからないが労働者が威嚇をするという結果がありますが、テラ豚丼は単なる憂さ晴らしですよね、今回明るみに出たのは単なるアクシデントなんだから。「弱者の抵抗」でさえないと思いますよ、ばれなければなにも変わらずに時間が過ぎていったはずですし。

そしてこの文章で、似非原氏の倫理観もたかが知れたけれども、それはまあなんとなく予想していたのだが、つまりあなたはあかねでもこういうことをされていると思って良いですか?そしてそうならば、あるいはそうでないかと思われるようなことを粋がってこのように嘯いているのであるならば、それはなによりあなたの周囲の人、作業者としてのあなたの技能向上を願って一生懸命苦慮している、例えばキヨスケさんのような人に対する背徳のように読めます。あなたにとって「仕事」とは、この程度のものなんですね。多くのフリーターというのはあなたのように考えているのですか?

nisemono_sannisemono_san 2007/12/06 20:13 どうも、こんばんは。コメントありがとうございます。ただ若干の反論をば。少々感情的になっている部分があることを先にお詫びしておきます。
僕が一番腹立たしいのは何故上の文脈であなたがあかねやキヨスケ氏を持ち出してそのようなものいいをするのか解らない。キヨスケ氏やあかねに対して僕は具体的な信頼があります。そのような具体的信頼をあたかも他の「都合の良いときに捨てられる立場にいるような労働条件」と一緒にするのか解りません。それは私やキヨスケ氏の関係およびあかねとの関係に対する屈辱です。
私の説明不足もあり誤解が生じている部分がありますが、このエントリで言いたいのはそのような関係性が消滅して「単なる仕事」として働かせてもそんなの逸脱する奴が出てきて当然だし、そのような逸脱を防ぐような《何か》がわき出て来るわけでもないでしょう。俺は少なくとも不潔なのは嫌いだけどそういう逸脱があっても俺は仕方ないと思うから付き合うよ、ってことですよ。個々人が倫理を守ることは素晴らしいことですが、それをさも当たり前の如く要求するのは違う。
本当に何の権限があって、あかねやキヨスケ氏を持ち出すのか解りません。まだ知らない人から皮肉を言われるならばまだしもです。本当に腹立たしいです。

fuku33fuku33 2007/12/07 01:24 >具体的な信頼があろうがなかろうが、やっちゃいけないことはやっちゃいけないのです。それをあたかも場合によってやってもしようがないかのような言い分の人を、どうやったら信頼できますか。具体的な信頼があるから自ずと自律するというような主張も、あなたがこういう突っ込まれ方をしたら、それはそういわざるを得ないでしょう、それはあかねの信用もかかってきますから。しかしあなたがあかねを信頼しているからというのはあなたの主観であって、失礼ながら客観的には、私があかねを訪問して見聞するのは、あなたの厨房作業従事者としてのルーズさでしかこれまではなかったので、今回のエントリーもさもあらんと思いますがね。
そして「そのような関係性が消滅して「単なる仕事」として働かせてもそんなの逸脱する奴が出てきて当然」というところもどうかと思います。世間には、あかねのような少人数でメンバーの安定した組織で、各成員が情として周囲に迷惑がかからないように自律する、ということが成り立ちやすい小組織ももちろんありますが、そういう親近感が十分に成員間に醸成されていない組織もたくさんあり、膨大な労働者がそこで地道に自分に求められた職務を果たしています。雇用者との契約を、そしてなにより消費者を、社会を影でこそこそ裏切るような人はもちろんごく少数しかいません。だから社会は何とか動いて成り立っているのです。さほどの報酬も、賞賛も、権限も、与えられているとは限らないかもしれないそれら多くの職業人たちが、誠実にそれぞれの一隅を照らしていて、だからこそ、あなたのような、自分の言説に人目を惹きたいばかりに小賢しい極論をこねていきがるそういう言説は、世間の多くの人々へのこの上ない侮辱だと思います。個々人に倫理を当たり前のように要求した覚えはありません。他者から要求されるのはルールであって、倫理とは自らの内心で自らを律するものです。そして多くの労働者、その多くは必ずしも本意でない処遇を受けながらも、自らを律してこそ、社会が成立することを知っているし、そうやって社会と関わっているのです。テラ豚丼やそれをやむをえないとみなす言説は、多くの、自らは声を上げないが地道に社会を支え、構成している多くの人々へのこの上ない侮辱です。
あなたがあかねで時折厨房にも立っていて、そこで食材を扱っていることは、僕のみならず多くの人、あなたの告知文を読むおおくのはてなダイアラーにも周知のことでしょう。そこで自ら信用を毀損することを無防備に書いて、その時点で既に深い傷をあかねとその関係者にあなたは与えたのですよ。僕はたまにあかねに伺う一利用者としてこそ、あなたを問い質すべきと感じました。ちょっとばかしとがった言説で人目を惹きたいからといって、実生活でお世話になっている人に迷惑をかけるようなことをするのは控えられた方がよろしいのではないですか?

nisemono_sannisemono_san 2007/12/07 03:41 お返事ありがとうございます。

>失礼ながら客観的には、私があかねを訪問して見聞するのは、あなたの厨房作業従事者としてのルーズさでしかこれまではなかったので、今回のエントリーもさもあらんと思いますがね。

これは私の不手際であり、大変申し訳なく思います。これに関しては今後とも善慮していきます。ただ、次の点が問題です。

トラックバックでもご指摘された通り、多くの労働者が真面目であり、またその中で頑張って自らの義務を果たしていることは事実であり、上記エントリがそのような労働者方々に対して失礼にあたる言説であることも理解できます。そして、その中でかのような逸脱者を弁護することも問題があるのではないか、もまた理解できます。要するに正当性が存在しないということです。彼は「悪ふざけ」以上にもうすこしまともな形で社会告発なりすることができたわけですね。また、「社会」というものが、多くの人々の善意で支えられているのも事実であることは理解できます。例えばコンビニにおいて多くの人々が万引きすればコンビニという機能は無くなります。そのようにして社会が成り立っているのも理解できます。また、倫理が自らを律するということも理解できます。問題はこの先です。

僕は上記同意した上で、「そして多くの労働者、その多くは必ずしも本意でない処遇を受けながらも、自らを律してこそ、社会が成立することを知っているし、そうやって社会と関わっているのです。テラ豚丼やそれをやむをえないとみなす言説は、多くの、自らは声を上げないが地道に社会を支え、構成している多くの人々へのこの上ない侮辱です。」と仰っておりますが、その《本意でない処遇》という内容がよくわかりません。《本意でない処遇》といっても、様々なレベルあると思うのですが。あともうひとつはそのように仰っておきながら最初のコメントにて「ばれなければなにも変わらずに時間が過ぎていったはずですし」というのは、それこそfukuさんの基準に照らし合わせてfukuさんの仰る市民社会に対する屈辱ではありませんか?

答えはよく理解しています。僕と貴方がサウンドデモの件で議論したとき、あなたは「騒音を出して子供が泣き叫ぶのはどうなのか?」ということを言っていました。僕はそのとき「それは謝るしかない」といいました。あなたはそれでも納得しませんでした。僕にはそれ以上の打開策はよくわかりません。これは貴方と僕との相違点です。つまり、僕は「騒いででもいいし、それは誰かに迷惑をかけてでもいいから、社会化されて問うべきだ」と思います。貴方は「騒ぐな。誰にも迷惑かけるな。それが社会の条件だから」という部分があります。それは今後とも変わることはないかもしれません。

あと、もうひとつ。「そこで自ら信用を毀損することを無防備に書いて、その時点で既に深い傷をあかねとその関係者にあなたは与えたのですよ。」もしよろしければ、mixiメッセージか何かでその深い傷を負った関係者というのを教えて頂ければ幸いです。僕はその人に頭を下げにいきます。よろしくお願いします。

あなたの節々に出てくる僕への見下した発言には悔しさしか覚えません。僕はあなたが仰るような知的な青年などではなく、貴方が行き来していた大学でうろついていた「サヨクゴロツキ」に過ぎません。それを理解して頂ければ、もう「似非原」などというタグを付けて「文才ここにあり」などと言わず、凡庸な単なるルサンチマンの塊でしかない人文ブロガーとして処遇していただければ幸いです。

fuku33fuku33 2007/12/07 08:05 「本意でない処遇」のレベルについて。まず報酬や勤務形態、時間などの全ての条件で「本意な」労働者など滅多にいないでしょうが、せめて単なる怠業に走ったり、あるいはストライキなどの交渉手段を選ぶに至らしめるような労働環境が一方にあるとするならば、ひいてはテラ豚丼をつくって顧客の健康リスクを増してでもいいような状況までありえるのか、そんなものはないのです。仮に戦争直後の焼け跡闇市時代のような絶対的貧困下で外食産業に従事する作業者が餓死を免れるために食材を私したらそれは違法な窃盗でありつつ生存権の行使かもしれませんが、テラ豚丼は単に「食い物を粗末にした」稚拙なテロでしょう。それを正当化するほどの不本意な処遇など、僕はないと思いますが。そして「ばれなければなにも変わらずに時間が過ぎていったはず」というのは、穏便にことが運べばよかったはずなんていうことじゃなく(そんなことを言うはずがない)、テラ豚丼がせめてなんのメッセージ性さえも本来持っていないのなら、不毛と呼ぶにも値しないということです。
サウンドデモの件も合わせて言うなら、僕は「騒ぐな、誰にも迷惑かけるな」という意味の主張をするわけではありません。社会が変革を必要としていると思うなら、それを社会に働きかけるためにアピールすることも手段のうちでしょう。しかしそれは最適の手法を模索しなければ、単に目立ちたがりのおぼっちゃまたちの息抜きに地域が社会的コストを払ってお付き合いさせて頂くというだけのことで、かえって問題の社会化を妨げ、「やっぱりフリーターってろくに仕事も出来ず悪戯はするモラルに欠けた奴らだから自業自得だよ」と、一部の事例を拡大して一般化させることで問題を感情的にやりすごすことに実に効果的に手を貸しているだけと思います。ある種のデモの目的って、対社会のアピールではなく、自分たちの属するコミュニティのガス抜きになっているなら、私的なレジャーに過ぎないし、私的なレジャーなら社会にコストを転嫁すべきではないのは当たり前のことです。

あなたの言説が傷を負わせた対象については、それがまだわかりませんかとかしか言いようがないです。あなたも昨日今日ブログをはじめたわけじゃあるまいし、あなたの文章がどういう存在のプレステージにどう響くか、僕が言うまでもないでしょう。

僕はあなたという人格を見下しているとは思いません(見下しているならばコメントをしないと思いますが)。このエントリーの文章については、パフォーマンス過剰で論理性より優先されている点に危うさは覚えますが。あなたが見下されているとお感じなら、それはあなた自身があなたを見下しているからではないですか?あなたはご自身のことを「凡庸な単なるルサンチマンの塊でしかない」とお書きですが、そういう自己イメージがあるならば、意見が異なる他者からの言葉は「見下した発言」と取ってしまうのかも知れませんが。
僕は、ある人格が「ルサンチマンの塊」であることは得てしてあることと思いますし、その人格が同時に知的な青年でもある場合もあると思います。ルサンチマンと文才を併せ持つ人というのは、昔からたまにいるのではないでしょうか。いつか僕があなたを太宰に擬えた所以です。ただ、あなたが悔しさを覚えていらっしゃるとしたら、その対象はあなた自身の中の自己嫌悪感なのではないですか?

fuku33fuku33 2007/12/07 08:10 いろいろご無礼申し上げましたが、出来ましたら今後ともよろしく。

お客さんお客さん 2007/12/17 01:19 非常に興味深い議論ですね。といっても、議論の内容について興味深いというよりも、この議論が「行われていること」に対しての、興味深さといった方がいいかもしれません。何というか、fuku33さんにとって、あなたは許すことが出来ない存在だったのでしょう。あなたの何かが、fuku33さんには許すことができなかった。それはもしかしたら論理的に説明できる要因ではないかもしれない。でも、fuku33さんの心の琴線の深い所が、あなたという存在にひっかかってしまった。だからこそ、あなたが書いた記事とは直接関係がない部分で、あなたのことを責め立てたのでしょう。私は「あかね」というのが一体何なのか知りませんが、事情をよく知らない私が読んでも、fuku33さんが「あかね」という所に話をもっていったのは、明らかにおかしいと感じました。もしかするとfuku33さんも無理矢理に話を持って行ったことを承知しているのかもしれない。でも、そんなの認めるわけにはいかないわけです。で、fuku33さんという人があなたという存在に対して持っている屈折した感情とか、そういうのをコメントの節々から感じとれますね。非常に面白いです。実際に批判されているあなたにとっては迷惑千万な話かもしれませんが。

こういうのを見ていると、ネットという場においても、生々しい人間のいがみ合いというか、感情の発露が見られるものなのだなあ、と思った次第です。

fuku33fuku33 2007/12/17 10:08 >お客さん いや、あなたが文脈をご存じないだけですよ。
似非原氏は、「あかね」という飲食物をお金と引き換えに提供する場で、厨房に立っている立場ですよ。僕はそのあかねでご飯を頂いたこともあります。それを一部調理したのは似非原氏です。その人が「希望はテラ豚丼」とか食品衛生について物騒なことを書いていたら当然実体験と合わせて突っ込みます。文脈を知らない人の妄想は止めて下さい。

あかねの客あかねの客 2007/12/30 01:14 亀レスですまん。似非原くんは、まず手をよく洗ってから厨房作業にとりかかってほしい。いつも爪がよごれてるのが、ちょっと…

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