昨日の師匠のラジオに
占い師が出て
今年1年を語っていた。
不愉快で
ラジオを消した。
(ま、念頭のラジオ番組の構成としては仕方ないんだけどね(^_^;))
ちらっと
朝の情報番組の片隅で
「星占い」、
「何月生まれの運勢」
あら?今日の俺はどうなの?なんて
その時間を「軽く」楽しむくらいならいい。
あら?今日のラッキープレイスは“校庭の水のみ場”だとさ……(笑)
でも
自分の歩む大切な道を
なんか偉そうに
決めつけたように
分かったように
断言されてたまるか!
喜びもあれば
哀しみもある。
どんなに辛く避けたい場面も状況が整えば
出会って行かなきゃならない。
そんな人生の途上にある
色んな場面を
どう受け止めていくか?
自分の人生が、色んな辛い出来事や哀しい場面によって妨げられたり邪魔されたり煩らわされたりするように感じる。スイスイ~~♪となんてなかなかうまくいかないのが人生。
そんな私たちの道をわずらわすものを「障(さわ)り」という。
作曲家の故・武満徹さんは「日本人はサワリというものを大事にしてきた」と言う。
例えば
芝居や歌舞伎やドラマや音楽など
一番盛り上がる部分を「サワリ」と呼んでいる。
「昨日のドラマを見逃した!サワリの部分を教えて!」
「お坊さん、お経が長すぎるから、サワリだけチラッとやってよ(笑)」
ま、
確かに
ドラマとかで「サワリ」とは、主人公がある意味一番の壁にぶつかり、苦しみ、あがきもがいている場面である。
そこを「サワリ」と言って、一番「オイシイ」部分として意味を見出すのはなぜか?
悩み・苦しみは消えない。
そこに「壁」にぶち当たり立ち止まらざるをえないとき、自分自身の「想い」という殻を点検し、自身の歩みを見直す大切な機会を与えられる。
「障り」が、そっくりそのまま、この私の人生の意味をより深く豊かに気づかせてくれる「キッカケ」へと転じられていく不思議・・・。
じゃ、そこで
どんな「意味」を見い出し
どう自分自身の「力」に変えていくのか?
きっと
答えは
無限だろう……
ただ、
「障(さわ)り」にぶち当たったとき、
それを
喰らって
噛みしめ
味わって
体勢をじっくり立て直す
そんな
スタンスをもっていれば、(これを南無阿弥陀仏というのですけど)
例えば
ラジオの占い師のほざく
「たわごと」
「戯れ言」
なぞ
俺の人生には必要なし!
♪過ちの数 消えていきはしないから
傷ついていく覚悟を決めたんじゃないのか!
涙を拭いて 遥かな道を
倒れても倒れても 唄があるから
みのや雅彦『唄があるから』より
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