2006-03-30 ココログ版でもなんか批判的に

ココログのほうでマンガの紹介に徹するブログを分けてみたのですが、たまたま雑誌の休刊が相次いだのでその話題を書いたら結局クリエでMac対応しなかったソニーとか(DynaBookの理想に近かったPalmをソニーがつぶした気がしてならないんです)日本のメーカーへの愚痴になっております。要するにアフィリエイト目当てなんですが(こちらでは有料登録していないので)、でもInternet Magazineの終刊号はなかなか有終の美を飾っていて良かったですね。あと新学期で「子供の科学」を買ってみたらこれがなかなかすばらしくハイレベルなので感心しました。
いやはてなダイアリーだとキーワードリンクするのでちょっと書いてみたかっただけなんですが。
前回の話題の続きを書こうと思いつつ時間がないのでまた後日。
少しだけ書くと、かつて有志による講座で面白かったものに戦前の満鉄ツアーの話があって、日本から海を渡り超特急あじあ号に乗ってハルピンまで観光ツアーを組んだりしていたらしいんですよ。修学旅行なんかもあったらしくていまのJTBの前身となるのでしょうジャパン・ツーリスト・ビューロー(いやそのままやけど)が旅行代理店として発足したりと、満州というのはなかなか日本の歴史を考えるうえで興味深いところなのです。
マンガ論関連では「マンガ学」の著者のマクラウドの三角形に関して(手塚治虫のまんが記号説の主張と近いんですねこれ)ちょっと違うんじゃないかと思っていて、その辺から展開してみたりしていますが、個人的な研究テーマなのでいまのところここでは特に書かないかも。
2006-03-27 ご無沙汰しています
前に書いたのが3月の初めで気付いたらもう4月ですか。
3月の中旬に大学時代の漫研のOB有志数名で不定期に趣味的に開催している休日講座の講師をするために、資料を整理したりまだ頭の中にしかないものを書き出したりしていたら日記の更新をする余裕がなくなって、終わった後もちょっと自分の蔵書の整理と基本データの抽出をしようと思うようになって、そうしてみると書く暇が無くなったというか、いままで書いてきたのは現実逃避だったのかとか思うようになってきました。自分なりに構想していたマンガ論が短期間でかなり前に進んだ感じがするので、ちょっとそちらの方に力を入れたいなあと思います。ただ前進したといってもほとんどが仮説で検証するのがものすごく大変というかかなり本を読まないといけないし、あと先行研究で紀要などに載っているのと激しくかぶるんじゃないかという感じもするので、その辺も確認しないといけないし、ちょっと苦しいかも。これまで出ているマンガ表現論がどうしても手塚と真っ向勝負になるところをわざと迂回して少女マンガ方面からたどってみることで隣接領域との関連にもっと目を向けた形で日本マンガの表現史を書いてみたいという気分なんですが、なかなか出ないでみんな待っている宮本論文ときっとかなりの部分がかぶるんじゃないかと思われますし、仮説として現時点でもストーリーは描けるのだけど検証まできちんとやろうとしたら相当かかってしまいそうな代物になっています。
さきに述べた有志の集まりで大枠を語ってみたのですが(レジュメが完成しなかったのでアドリブ)、マンガをテーマにした発表なんてこれまでなくてだいたい自分の仕事とからむトピックの紹介だったりしたのですが、皆それなりに名うてのマンガ読みで、しかもアール・ヌーボーやアール・デコ、草双紙や日本の近代文学に関して、大学で学んだり職場で仕事の絡みでプロとして知っている人も参加しているところでマンガ論を披露するというのはけっこう無謀なものなので、準備は大変でした。とりあえず大城のぼるの「愉快な鉄工所」とクリス・ウェアの「ジミー・コリガン」を持参して、そのへんの実物を持っていって解説したのが好評だったので助かりましたが。
少女マンガに限りませんが、マンガはやはり時代によってファッションと同様にモードの変遷があるので、たとえば研究のための基礎データの抽出をしようと思うと、そのへんのおおまかな知識を知っておかないと難しいなと最近とみに感じております。なんとなく一応は知っているつもりなんですけど。
コミック紹介のブログはココログで展開しようかなと思っています。忙しくて今のマンガをきちんと読んでいないという弱点があって古いものの紹介が主になりそうですが。
http://comiclab.cocolog-nifty.com/blog/
ゲーム業界でゲームを作っていてちゃんと現役でまんがを読んでいる、私にとっては師匠とも言える先輩に、「よつばと!」読んでないの、だめじゃん、といわれてしまいましたが、あずまんが大王を全巻買ったもののまだ積ん読なんですよ。大学の頃伊藤重夫(もし彼を知らなかったらもぐりですよ!湊谷夢吉は知っていますよね)を紹介してもらって以来読み手としてはもう信頼しているのですが「のだめカンタービレ」、「ラブ・コン」、いくえみ綾の最近作はいいということで、この辺は私の趣味に合わせてくれたっぽいですけど(ところがまだ「のだめ」読んでないんですよね)、あと石子順(順造ではない)がつげ忠男の大ファンで「夜行」(「跋沙羅」?「さ」の字が怪しい)に文章を書いていて(私は全然覚えていない)何を書いてもつげ忠男と比較してひどい評論だったとか昔話に花が咲きました。
もう一人の発表が司馬遼太郎がテーマで、これも小説家としての彼の特異性(ライトノベルの元祖的な見方)とか、歴史小説家は小説家としては例外的に仲間で群れないとか、やはり参加者はみんな詳しいので司馬にのめり込めなかった私にとってもめちゃめちゃ面白い話になりました。
■「のらくろ」と「マウス」

2月6日のエントリにid:umetenさんがトラックバックしてくれたのを前に読ませてもらっていて、その答えにはなっていないのですが、「のらくろ」が引かれていたのにはなるほどと思いました。小林秀雄の「考えるヒント」のなかに収録されている「漫画」のなかで、彼の義弟にあたる田河水泡の話を書いています。田河水泡はのらくろを除隊させておでん屋にでもするしかあるまいと考えながら連載から11年でしぶしぶ大尉に昇進させ、悶々としながら満州にわたったのだけれども、大東亜共栄圏をぶちあげた政府は「五族協和」を満州の憲法としていたこともあって、作品の構成上人間を出すわけにいかず、ロシア人を熊、朝鮮人を羊、中国人を豚の姿にしたところ、情報局に呼び出されて、最友好国の中国人を豚に描くとは何ごとか、国策を侮辱するものだと言われ、紙の配給が止められたなどと書いてあります(文春文庫、p56あたり)。
もっとも私が子供の頃に復刻されていた「のらくろ」の現物を私はきちんと読んでいないので、ここで小林秀雄が田河から聞いたとして書いたことがどこまで本当なのかよくわかりません。Wikipediaでの記載とは違っていますね。ちゃんと実物を読んでおかないとなあとは思います。
スピーゲルマンが「のらくろ」を読んでいた可能性は結構あるんじゃないかとも思うのですが、誰か聞いた人いませんかね。とりあえず時間がないので今回はここまでにしておきます。
■夜行と電車旅行

先週の週末は青春18きっぷで大阪まで行って一泊して帰ってきました。ムーンライトながらが全席指定席で臨時号も含めて埋まっていて、臨時でないほうが小田原から自由席になるのですが浜松から各駅に停ってだいたい9時間かかります。私は運良く途中で座れたのですがやはり寝不足が翌日にたたりました。帰りは通天閣と大坂城を眺めたあと、東京にたどり着くように昼間ずっと乗り継いでいったのですが、浜名湖までは見えたのですが、富士山は日が暮れてしまい夜になって見ることができないのでした。途中下車してぶらぶらする暇も無く、なるべく座れるように静岡で乗り継ぐか熱海で乗り継ぐか迷ったりしましたが、混んでたら茅ケ崎から相模線に乗り換えようと思って熱海まで行って乗り継いでも、最終に近いと伊豆方面から帰りの観光客なんてほとんど乗っていないのでした。
2006-03-05 たまには日本人の責任と関連してのITの話題を
前回までとは打って変わって話が変わりますが、勝ち組とか負け組とかそういう話題にからめ捕られるのは得策ではないので、国策を超えた国の責任みたいな話をしてみましょう。
これまでの私のエントリではITに関しては揶揄している印象が強いのかもしれませんが、一応ソフトウェア開発関連の仕事をしていることもあるし、ITの重要性が増すことは間違いないと思っています。それで日本の企業はどうかというとあんまりよくわかっていないんじゃないかと思うのですが、ここでは本業と関係なく書きたいので積極的にどうこう言うつもりはないのです。
しかしながら先週のイベントはちょっと面白かったので、このエントリではちょっと触れたいと思います。
先週の水曜日から金曜日の3日間、Oracle Openworld Tokyo 2006が開かれました。そのテーマが、「TURNAROUND JAPAN 〜事業再生とITの役割〜」というもので、カンファレンスでは日本の企業再生をテーマにしたセッションが今回の目玉といってもよいのでしょう。
ソフトウェア関連のカンファレンスでは昨年の後半頃から単に技術の紹介をするのではなく、ビジネスをいかに改革するかという話題へのシフトに向かっていて、今回のイベントはその方向が明確に打ち出されました。技術者がただ技術を追い求めるだけでなく経営者の視点やグローバルな変化を意識しなければならない時代が始まったということになりましょうか。
■ラリー・エリソンとホリエモン

OracleのCEOであるLarry Ellisonが8年ぶりに基調講演に登壇しました。日本ではライブドアによって一般にもM&A(企業買収、合併)が知れ渡りましたが、米国では日常茶飯事であり、特に昨年のOracleはIBMと張り合うほどの大規模買収で事業を拡大させ、データベース企業から総合IT企業へと大きく足を踏み出しています。
エリソンCEOの基調公演がすでにサイトからWindows Media Playerでビデオ配信されていますが、残念ながら現時点で日本語の通訳を聞くことができません。
http://www.oracleopenworld.jp/
講演の内容の要約がこちらに出ています。
日本オラクル、“Oracle OpenWorld Tokyo 2006”で米オラクルCEOのラリー・エリソン氏の基調講演を開催-ASCII24
目標達成に向けた同社の取り組みの方向性は「イノベーションと買収」によるビジネス/製品/技術の強化と拡大だといい、今後も技術開発や企業買収に対して積極的な投資を行なっていくという。同社は、米ピープルソフト社や米シーベル・システムズ社などの買収を経て、エンタープライズ向けソフトウェア企業として世界トップ規模の企業となり、またデータベースやCRMなど多数の分野において、トップシェアを獲得しているという。
Oracle Ellison CEO語る-No.1の理由 買収 SOA 日本のIT投資 オープンソース-MYCOM PC WEB
ナンバーワンになるための要件は「技術革新と企業の買収、合併が成長戦略」だが「ただ、すべての領域でナンバーワンになるのは難しい」とも認める。同社は、米ピープルソフト、米シーベル・システムズなどを買収、自社だけでは不十分な領域の技術を補ってきた。一方、ソフト業界は「再編がまだ終わったわけではなく、終わりの始まり、というところだろうか。自動車会社より、ソフトメーカーの方が今は多い。ソフト業界も成熟すれば、企業数は減っていく」。
ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズと並び称される野心家のエリソンは健在ですが、ちょっと話を横にそらすと、ホリエモンのキャラクターが彼らのスタイルを踏襲していることは言うまでもありません。ここ日本においてホリエモンがトリックスターとして果たした役割はけっこう大きいと思っていて、まず球団買収でM&Aを世に知らしめ、ライブドアショックではネットバブル崩壊に続くエンロン事件の再演までやってくれました。ただ違うのは、日本には高度な特殊な技術力を持った新興ベンチャー企業を育てる土壌がなく多業種買収という今の時世ではあまりにムチャな道へと迷走したことと、選挙に立候補してメディア政治との馴れ合いという茶番に加担したことです。彼を過去の人として片づけるのはちょっと違うでしょうね。
■国際競争力ってなんだろう

一方で、あるセッションでは、80年代にはトップだった日本の国際競争力はネットバブル後の2002年には30位にまで下がったと示されました。ちょっと検索したところグラフがあったのでリンクを貼りましょう。
http://chizai.nikkeibp.co.jp/chizai/gov/komiya20040323.html
これはIMDの発表したもので、世界経済フォーラム(WEF)によると2001年には21位であり、国際競争力の評価方法というものがよくわからないので、これは評価のしかたによってずいぶん変わってしまうようなので目安になるのかどうかもよくわかりませんが、1位と20位とでは明らかに差があることは確かでしょう。その参考としたページが以下のもの。
http://markets.nikkei.co.jp/column/rashin/personal.cfm?genre=q5&id=r678b001_11&date=20040811
話がさらに本題からそれていきますが、このページを見て思わず笑ったのが、
というもの。なぜ笑ったかといえば、この話題の元となるセッションではITインフラに関してブロードバンド料金の価格は日本がぶっちぎりでトップと紹介されたから。
はてな界隈ではついちょっと前にこんな人気記事がありましたが、
はてなブックマーク>音極道茶室: 日本のインターネット、マジやばくね?
この内容はともかくとして、とにかくインフラを徹底して整備して速くして安くする、というコンビニエンスに価値を求める傾向が日本にはあるのでしょうか。ある種の強迫観念なのか本当に求めているものがなんなのかはよくわからないんですが。
IMDもWEFもスイスにあるそうでそれはどうでもいいんですが、WEFのランキングだと2年連続でフィンランドが1位、米国が2位、日本は2004年に9位まで返り咲いたのが2005年では12位。これは政府債務と財政赤字が最悪レベルで足を引っ張っているせいのようですね。
■21世紀型企業への再生とは?

ちょっと余談が長すぎましたが、今回のイベントの背景には2008年に施行予定という日本版SOX法へ企業が対応をしなくてはならないという問題もあります。エンロン事件によって米国で制定、実施された企業改革法、通称SOX法が日本企業の海外法人にも適用されそして日本でも同様の法律が適用されることになるわけで、ライブドアショックも日本版SOX法に向けた企業へのアピールとしては妙にタイムリーだったわけですが、Oracle社をはじめITベンダ各社が対策用のパッケージやサービスの売り込みをすでに始めています。うがった見方をすれば法律によりIT特需を促す面もあるのですが、企業再生というテーマからすればいかに金と手間をかけないでITを上手に使うかということが問題なので、SOX法関連ではこれ以上特に書くことはありません。
企業再生のセッションで他に面白かったのは、ITにかける予算をまずは見直して減らせ、というのが面白いものでした。選択と集中というのは今流行りではありますが、存続を引き伸ばすことが最重要であり、事業規模を縮小すればITもスリム化され、その活用方法も明確になる、Small is Beautifulは真理だ、という提言です。別のセッションでは、IT時代にはもはや安定成長はありえないと言い切っていました。ハゲタカファンドなどと言われているが世界のファンドをもっと積極的に利用せよ、とのこと。以前にどこかのブログで、ハゲタカファンドなどと言うけれども海外のファンドはけっこう健全な投資を行っていてそれに比べて日本はバブル景気の時に海外のビルや土地、美術品などの資産をただ自分の利益と欲望のためだけに買いまくったのを忘れたのか、という指摘があって、ここ数年のライブドア関連の事件について道徳とか品位とかを振りかざす老いぼれ共は醜悪ではないかといつも思うのですが。
■東大総長の特別講演があった

特別講演では東大の小宮山宏総長が講演を行いました。実は私の学生時代に小宮山先生の講義を受講したりしていましたので、これが楽しみだったというか、実はこれからが本題でここまで書いてきたのは前置きだったのでした。
専門が化学システム工学ということで、元をたどれば化学プロセスのエンジニアリングなどをやるところなので自分が学生の頃はコンピュータとの接点はほとんどなく情報系であればとにかく定員越えで狭き門だった頃に、工学部の化学系は成績が悪くても楽に入れた学科で、現状は総長を輩出するくらいなのできっと人気があるのでしょうが、実際はよくわからないので、どういう話題になるのだろうと興味津々でした(でも考えてみればエンジニアリング系のシステムインテグレータってけっこうありますね)。
実際の講演内容はエネルギー問題と環境問題という、コンピュータとはやはり一見縁遠い話題を中心に進められたのですが、そこから20世紀が知の爆発的な膨張の世紀であったという話に移ります。あまりにも知識量が膨大になってしまったため知の全体像が見渡せなくなっていて、専門化がものすごく複雑多様なものになっているので、掘り下げるのはこれからも必要だがそれをいかに構造化して活用するための方法論や人材育成が大切といいます。
そこで21世紀の最重要課題はエネルギー問題と環境問題をどう克服するかであり、資源の有限性を考慮しても、人類が21世紀を生き延びるにはエネルギー効率を可能な限り高くして省エネ化し、石油、火力に依存しない自然由来のエネルギーを可能な限り利用してリサイクルも最適化する以外に方向はない、しかし現状ではコストが高くつきすぎるという理由で思うように進まないが、それを克服するための技術と知の集積こそが必要と説きます。ITの究極的意義とは、コストの低減も含め、その実現に貢献することにある、ということになるわけですね。そして社会システムや大学のシステムも自律分散協調系こそがあるべき姿だということです。そういえばエコロジーというのは本来的にマネー以前に経済の本質にかかわるような気がします。
そこで東大総長が強調するのは、日本はこうした世界的な問題に関しては課題先進国であり、資源エネルギー問題および環境問題への対応が世界でもっとも進んでいるところが誇れるところなのだといい、そしていま日本が抱えている問題もまた将来世界的に抱える問題を真っ先に引き受けているのだと説きます。それゆえに外国に範を仰ぐのは方向がちょっと間違っていて、日本の中で起きている問題をいかに自ら解決するか、そして解決してきた問題をいかにこれからの国際社会に提言していくかがもっとも大切なのだ、と言います。もちろんそのためには外国との協力関係をさらに深めていく必要と知の構造化を担う人材の育成が必要で、大学の重要性も考えて下さい(笑)とのことでした。
今回の講演の内容はすでに本で出したものが元となっているようです。とりあえず紹介しておきましょう。昔と変わらず明るくポジティブな性格で話しっぷりは面白いものでした。
■そして私の感想-小さな政府より小さな日本という道もあるのでは

内容紹介というよりも私自身の共感するところや考えが混じってしまったので正確な内容とは保証しかねますが、でもやるべきことややりがいのあることっていうのは実は山のように生活の周囲に転がっているのだということで、私が今の日本に意気阻喪するのはそういった責務感とかが表に出てきにくいメディア的環境に覆われている感じがすることが多いんですね。よくゆとり教育の弊害とかいわれますが、理系文系という区別は最近学問の世界では崩れてきていて、多様な知の交流を推進しようとしているし、それだけ知識の種類と量が爆発的に膨張すると、少子化と比較しても教育の質を上げるために必要な人材がむしろどんどん足りなくなっていっているのが現状なのだと思います。少子化の流れに対して子どもを増やそうとする政策というのは生産性の向上みたいな発想で、インターネットの発達した高度情報社会ではいくら生産性を向上しても買い手がいなければ余るだけ、ということになります。恐ろしいのはこういう社会では人も余っていくという考え方へと加速されていくかもしれず、人間の尊厳にかかわる問題があらわになる可能性も出てくるかもしれません。平均寿命が伸びている限り少子化はバランスになっているかもしれないようにも思えます。予想しなかった難題はこれから先もいろいろと出てくると思われます。今はそういう感じでこれまでとは違う21世紀型社会への転換期ではないかと思っていて、いろいろ考えなければならないことが出てきているのだと思うのです。それはポジティブに考えればやりがいがあることがいくらでも出てくるということです。そしていまはたぶん企業人がまず変わらなくてはならないのでしょう。学問はまず自分で考えそして他者と共有するという営みの源泉として、表面的な役に立つ立たないということ以上に大切だということなんですけどね。
最後に話は変わりますが、私がマンガにこだわるのも自分がマンガによって救われてきたことが多いからで、外国に輸出して簡単に売れるなんてとても思えないわけですが、マンガを通じて日本に興味を持った外国人により深く日本を理解してもらう入り口としてはすでに成熟したメディアになっていて、外国語の苦手な自分にとってはマンガを介することってとても心強いわけで、戦後平和と繁栄を享受できた経験の良いところも悪いところも発信していくのは日本人の責任じゃないかと思います。そこで一国平和主義で精神的鎖国や自画自賛というのはやはり悪いほうだろうと思うのですが、自分も現実にはひきこもりの傾向があって、やはりそれは一番の課題だと思うし、たぶんマンガはその問題をもっともよく扱っていると思っているのでした。
2006-03-04 国会への違和感は続く

前回のエントリは後半はネタ半分で書いたのだけど、素朴な疑問としてああいう特別な場合の株主救済とかってどうなるのだろうと思って誰かつっこみしてくれないかなというつもりで書いたら、昨日の夕刊フジに「永田メール 捜査当局立件視野」などという見出しがついていたのでつい買ってしまった。
まず面白いのは、「永田メール」となっていること。ネットで見た限り、朝日は「送金メール」と呼んでいるようだが、産経系は「堀江メール」と書いてきた。ところがこの見出しは「永田メール」と書かれている。これからは「永田メール」とするのかなと思ったが、いずれにせよ、検察が強制捜査を行ったのはメールなどの隠滅しやすい証拠を押さえるためだったのだとすれば、今回の「偽物」メールについて関心を持たないのかな、と思うのだ。
歌田氏の最新のエントリ「ブログによって事件が解説されてしまう時代が本格的に始まった」では、「「説明責任」を意識し始めた検察」と言う小見出しで、次のように書いている。
http://blog.a-utada.com/chikyu/2006/03/post_e0a1.html
また、こんどの摘発は、ライブドアという上場会社の存続を一挙に危うくし、東証のシステムを止め、世界中の株価を大きく下げた。「このような逮捕劇をやった以上、検察には説明責任があるのではないか」と弁護士たちがブログで主張しているのをまるで意識しているかのように、検察は、こんどの事件にかぎって異例の情報発信をやっている。
東京地検の次席検事は、起訴にあたって、証券取引の不正によってライブドアグループが急成長を遂げたことを明らかにする一端がこんどの起訴で、さらに徹底的に捜査すると、異例の声明を出している。また、自民党幹事長の息子への資金送付を堀江氏がメールで指示したという疑惑を民主党が提起すると、すかさず「そうしたメールについて把握していない」と異例のコメントを出す、といった対応をしている。
こうした素早い反応が「説明責任」を意識し始めたものだとすると、ではこの偽造メールの出所はどこか、ということが疑問になるはずで、「徹底的に捜査」しないで放っておいていいのかな、と思えてくる。
そこで今回の記事では、元最高検察庁検事の談話として、「あれだけ世間や国会を騒がせた。(偽造したメールを国会議員に手渡したという)犯罪がそこに存在する嫌疑がある以上、捜査機関は動くべきではないか」と記されている。さらに鳩山幹事長が「何らかの法的措置をとらないといけない」と述べて平沢議員がその発言に怒るという記事も載っている。ところがまたサンスポの最新の記事では、「鳩山幹事長が強気一転あれ弱気」とトーンダウンしたという。
http://www.sanspo.com/shakai/top/sha200603/sha2006030401.html
スポーツ紙ではどうするのかが話題になっているが、自民党の永田議員への糾弾もちょっと調子こいてないか?という感じで、民主党も自民党も偽造メールの出どころを明らかにしたくない感じが匂ってくる。結局「世間や国会を騒がせた」人たちはみな「説明責任」を回避しようとしている感じ。こういうのはいつものことで政治家に期待できないということなら、マスメディアはどうかといえばこの方向に突っ込みを入れているのはスポーツ紙ばかりで及び腰にみえるし、そこでやはり国民の疑問をうやむやにしないために捜査はすべきなんじゃないの?と思うんだけどいかがなものか。
気のせいじゃないって(怒)。ワシも困ってるんですよ。
私はとりあえずまだ電池がいかれてないVisor PrismがMacOSXにつながればいいかな。PEG-NZ90というどうにも困ったマシンも買ってしまった手前復活させたいんですが。(クレードルがひどい作りでしてね、接触が悪くてシンクロしないんです。ただもし内蔵のBlootoothでつなげたらあっさり復活するかも)
不定期刊のPalm Magazineが久々に出て(vol.25)創刊以来の過去記事がPDFの永久保存版になってるんで、2000円しますが、最近の動向はとりあえずこれ一冊でわかりますよ。