2006-01-25 This Heat再発と中坊の頃
最近とみに文章力がないなというかちょっと疲れていますかね。
果たしていつ出るのかと思っていたThis Heatですが、ようやく入手しました。どこから耳に入ってきたのかすでに覚えていませんが、運がよかったということでしょうか。
もともとアナログ盤は持っているのですが、マンガの雑誌をレコードプレイヤーの上に積んでしまってもう十年以上使っていないのでした。リアルタイムで聴いて異形というか特別なアルバムには違いありませんが、昔一度出た?CDをオークションで大金払って購入する意味はあまりないというか(アナログはエンドレスなんでプレミアはあるにはあるのですが)、まあ有名なアルバムなのに入手できない状況が続いていたのがもどかしいということでした。
それにしても中高生のころのパンクからニューウェーヴ時代のリアルな体験というのは私の場合NHK-FMを聴いて夜10時からの渋谷陽一のヤング・ジョッキーが終わると11時からは現代の音楽という1時間枠で現代音楽を流す番組がありました。あとFMラジオが手に入るまでは父親が元自衛官だったことから在日米軍放送のFEN(現AFN)を聴いていて、これはアメリカのFMラジオのプログラムをレコードに録音してこれを軍用機で空輸して日本でかけるということをやっていましたが(時々針飛びすることがありました)、小学生の頃はウルフマン・ジャックやチャーリー・ツナ、あとアメリカン・トップ40(これはラジオ関東(現ラジオ日本でしたか?)で日本語版でも放送されていました)を聴いて育っていたのですが、深夜0時(これって死語ですね!)から1時間ほど日本オリジナルのプログラムがあって、これがけっこう趣味に走っていて、ザッパのいたち野郎(全部ノイズの曲とかも)がかかったこともありました。このプログラムをやっていた人はザッパが好きだったようで特にMontanaは何度も聴きました。
セックス・ピストルズが流行ったのが間違いなく中1の頃で、当時女きょうだいのいる男の子の間で陸奥A子が確かに流行っていたという(当時は関心がなかった)奇妙な時代であったのですね。それからロック・マガジンという京都で出版されていた音楽誌の影響もあって、ジャーマンロックとかヴァージンレコードの初期作品などもアルバムがけっこう出ていましたので、ロックはザッパの人脈とカンタベリー人脈の2大人脈に小学校の頃から聴いてきたアメリカン・トップ・40経由の知識を加えておさえとけばいいかなと思って聴いてきたので、ブリティッシュの王道はあまり興味を持たなかったのでした。ロッキング・オンはブリティッシュロック寄りの雑誌で読む気はあまり起こらなかったのですね。渋谷さんというのはマンガ評論で言えば大塚さんみたいな感じでしたかね。大塚さんが論壇に行かないで商売人に徹してロッキング・オンみたいな雑誌を作ってライターを大量に養成したらよかったのにと思います。彼のマンガ論は私は正直あまり評価しませんので。
今回の再発についてはあまり前評判は聞こえないというか、もうずいぶん前ですし、ラフ・トレードが日本上陸したときも怒れる若者たちのアングラみたいなイメージで伝わってきたものでしたが(要するにインディーズですが当時の日本の暴走族と微妙にニアミスするというかスプレーで落書きするような感じというか)あの当時の感覚を伝えるのはエアチェックが死語となったデジタル時代の今となってはなかなか難しいなあと思います(ここでのエアチェックとはFM放送のアルバム全曲演奏をテレコで録音すること。いわゆるラジカセ(パイオニアの商標だったかな)が登場するまではモノラルで録音せざるを得なかったんです)。そういえば突然思い出したのですがSwell Mapsとか聴いたことないままですね。
■マンガばかり読んでると馬鹿になるぞ

寝ようと思っていたら注目のURLに「子供の名付け(命名)DQN度ランキング」というのがあって見てみましたが、
実在するのか?ネタではと驚くような名前がずらりと並んでおりますが、マンガやアニメの悪影響なんですかねえ。
まあ最近話題にしているフランク・ザッパは子供に変わった名前をつけるのが好きで、彼は日本の怪獣映画が好きでセカンドネームですが怪獣ラドンの名前をつけたりしてました。院生時代に生物科学をしていた方がミューテーション(突然変異)から未有人という名前をつけていましたね。結構親の趣味でつけるのって予想以上に多いということなのでしょうが、マンガの読みすぎとか思っちゃいますね。ちなみに私も自分の名前は生まれた当時のある有名人にちなんだものであまり好きではありません。
reds_akaki
2009/01/10 15:06
漫画ブリッコ85年4〜7月号のねこまたぎ対談や編集記で大塚は雑草社のぱふを徹底批判し、自分がブリッコを止めてやる事の一つに「ぱふ(雑草社)」みたいなのじゃない、ちゃんとしたまんが批評誌を出す事を、挙げています。叶いませんでしたが
2006-01-23 古本の穴場

会社からの帰途中途中下車してMDA関連の書籍を探してみるが、UMLの本もなかなか読めないくらいだからMDAの本はみな結構値が張る。ついでにブックオフに行ってみたが文庫や新書はメモを取っていないので経済ビジネス書くらいしか掘り出し物はない。洋書で非ネイティブ向けのドキュメンテーション作法の本があったがちょっと高かった。
昔ながらの古書店に行ってみたらサイモン・フリスの「サウンドの力」が2000円。定価3900円だから掘り出し物だった。フリスの本はほかに持っていたと思ったのだけどAmazonで検索してもこれ一冊しか見つからず。クリス・カトラーの「ファイル・アンダー・ポピュラー」とごっちゃになっていたのだろうか。サイモンとフレッドは兄弟だと思ったのだけどちょっとぐぐっただけでは確認できなかった(ピーター・バラカンが言っていたような記憶が)。古本の穴場というのはなかなか人には教えられないものだ。
2006-01-21 Shinjuku New Year Jazz Festival 2006 開催中
今日と明日の二日にわたり新宿ピットイン40周年記念のShinjuku New Year Jazz Festival 2006が開催されますが私は断念しました。一日目はもう終わっていて、明日も錚々たるメンバーなのですが、本代使い過ぎちゃったさ。
でもこれだけのメンバーで総演奏時間も6-7時間でS席6,500円A席6,000円なら本来めちゃめちゃ安くないですか?ああ、もっと早く情報仕入れておくんだったなあ。
ちなみに会場はピットインじゃなくて(これだけのイベントだと箱狭すぎるわな)東京厚生年金会館ウェルシティ東京で午後すぐに始まるので、こうやって書いていると行きたくなってしまいますがああぁ...
http://www.pit-inn.com/topics_j11.html
すでにCDの注文をしたりしていて、三上寛の1972高知大学ライブのほうは届きました。レコード店では軒なみ売り切れだったのでPSF Recordsの直販で入手。
駒場に通っていた頃はレコードショップといえばもっぱら下北沢や吉祥寺に見に行ったものである(めったに買えるお金がなかったので見るばかりであったが)。最初に買ったのがFrank ZappaのHot Ratsで、これは国内盤未発売であった。私にとって手塚は大きな存在ではないが、Zappaを揃えることが第一目標であった。手塚とZappaはワーカホリックなところも含めよく似ていると思うが、そういうことを言った人を私は知らない。
大学の教養に入ってさっそく落ちこぼれたのだけど、1983年頃、駒場で真っ先にその名を覚えたのが見田宗介、それから蓮實重彦の名前であった。この二人がとても人気があったのである。ちなみに西部邁の講義もあった。学問に縁のない家で育ったため当時は文系の点が取れそうにない講義とかゼミを受けようとはとても思わずマスプロ講義ばかり受けていたので、もし文転していたらどうだったろうと思ったりもする(早稲田の一文だけ受けた。全部マークシートだったから)。いまは大澤真幸から見田宗介のほうに関心が向かっているところ。
■もう一度キャラとキャラクターについてのメモ

いま手元に本がない。「コマからフィルムへ」も見つからないと来た。今日は一日部屋の片づけから。
- キャラの現前性が隠蔽されることによってキャラクターとなる。隠蔽の効果としてに主にかかわるのはキャラの内面をまとう物語である。
- 線自体の現前性が隠蔽されて記号となる?それではことばについてはどうか?
- アニメはアニメーションから区別される。絵を映画のように動かそうとするリアリティを断念することによってアニメ独特の動きはマンガ性を帯びる。これは「マンガ・アニメ的リアリズム」と呼ばれている。
私は少女マンガを読み始めた頃、ついにマンガは19世紀を超えて20世紀に突入したと思ったが、それは24年組ではなく80年代のマンガを指していた。私のマンガ論の起点はそこにあるのだが、過去の作品に遡るにつれてかえってわからなくなってしまっている。二上洋一氏が重要な作家としてとりあげた西谷祥子や里中満智子をまだあまり読めない状況なので棚上げとなっている。
2006-01-18 世の中目まぐるしく動いているようですが

時々自分とまったく縁のない世間が自分を中心にまわるという妄想にとらわれることがある。
もっともあらゆる人にとって世界は自分を中心に動かざるを得ないのは当然のことで、さらには自分が妄想するように世の中が動くということではなく、世の中に振り回されるのは普通の感覚であるだろう。
ここで自分を中心に世界がまわるというのは、自分と直接かかわりのない世の中がまったく偶然にシンクロするようなことについて言っているのだけど、その偶然というのは気のせいかもしれない。
大澤真幸氏の「美はなぜ乱調にあるのか―社会学的考察」を結局購入した。「テヅカ・イズ・デッド」を読み解く上で役に立ちそうな論考がまとまっている。以前先程出たばかりの文庫の解説について書いたが、難しすぎてついていけないかと思ったのは杞憂で予想を超えて面白い。こういう論考を書けるのはある種の天才だと思う。
2006-01-17 追悼−加藤芳郎氏

今日の毎日新聞夕刊に6日に80歳で亡くなった加藤芳郎氏への鶴見俊輔氏による追悼文が載っています。呉智英氏のコメントも載っていました。先に亡くなった長新太氏さんとだいたい同年代でもちろん戦後を代表する漫画家で、「まっぴら君」は毎日夕刊で昭和29年に始まり世紀を超えて47年にわたり連載されました。鶴見俊輔氏によれば「思想の科学」の付録に「現代思想の系譜」という漫画を依頼したということ。
さて、漫画は線の芸術であるというのは呉智英氏の世代まではあまりにも自明なことであったのだろうけど。かの戦後は遠くなりにけり。(以前にも言いましたがヤマトやガンダム嫌いなんですよ私は)
それにしてもググったら997件しかヒットしないってどういうことよ、と思ってYahooで検索かけたら10万超えて、そのあともう一度googleを使うと17500件に増えましたが、これはどういうアルゴリズムなんでしょうね。はまぞうも不発?
2006-01-15 負ける時もあるだろう
ひさびさにディスクユニオンに行ってみたら、三上寛の再発とMassacreのKilling Time紙ジャケの再発を見つける。Massacreの紙ジャケはディスクユニオンだけの発売だろうか。日本語のライナーノーツが菊池成孔なのはティポグラフィカに大きく影響を与えたからのようだけど、ビル・ラズウェルが活躍し始めた頃のニューヨーク・シーンでもこの一枚は象徴的な名盤としてリアルタイムに衝撃を受けたものだ。80年代の初めになるのか、ニュー・ウェーブのまっただ中でまだCDはなく日本盤も出なかったように記憶するが、フレッド・フリスはヘンリー・カウやギター・ソロでその名を聞き覚えていた。ドラムはFred Maharだが、後にたぶんFM東京で聞いた日本公演ではアントン・フィアーが担当していたと思う。最近チャールズ・ヘイワードを迎えて再結成されたが、ヘイワードのドラムだと別のグループのような感じを受ける。そのヘイワードがかつて結成していたThis Heatの再発も近いようだ。自分の中でパンクからニュー・ウェーヴへ向かう歴史的名盤の筆頭に挙げられるアルバムがついにCDで揃うことになる。
三上寛の再発はビクター時代のもの、またファンクラブ三上考務店の自主制作による音源も出ている。私が長らく聴きたかったのが「三上工務店が歩く」、これは昔渋谷陽一の番組でかかって衝撃を受けたものだったが収録されているアルバムがずっと見つからなかった。ベストアルバムに収録されていたのを聞いたのだがラジオで聴いたのと違う気がして、今回の再発でようやく聞くことができた。昔聞いたのと少し違うようなきもするが、これでなければちょっとわからない。「オートバイの失恋」もかかっていたはずなので今回の再発でいいのかもしれない。しかしアルバムとしては「負ける時もあるだろう」のほうがよかった。というか日本語で唄われたアルバムの中でも最高傑作に挙げられるように思う。これだけいろいろと出るとカード払いで借金が増えるが、負ける時もあるだろう。
■三上工務店の国立

「三上工務店が歩く」には歌詞の中に国立市の住所が出てくるのがはじめ聴いた時の衝撃の大きな部分であったが、実際一時は国立に住んでいたらしい。吉祥寺のパルコブックセンターに三上寛の自伝的な本があり、最初に演歌歌手として中村八大氏が作曲した曲でデビューしたが、八大氏の勧めでNHKの歌謡番組に出るためにオーディションに出たらなぜか落選し、NHKに出られる資格を持っていないそうだ。
この最初のデビューのときのプロデューサーは、ばばこういち氏。ばばこういち氏は後にエッソからA*haというマンガ雑誌を出したのを知っているが、どういう人なのだろうか。
A*haという雑誌は私は全冊持っているのでブログとは別にページを開設したいと思っている。もしその際には図版の許諾はとれるだろうか。
学生時代は国立に通っていたが、滝田ゆうを見たことがあった。篠田昌巳も住んでいたようだが生活向上委員会大管弦楽団が現れた頃は多摩を中心に活動していることも知らなかった。私は音楽の聞き手としてはさほど特殊ではないが、それでも微妙にいろいろなムーブメントを眺められる位置にあったのは不思議なものである。
吉祥寺に行った時に今日江口寿史のサイン会があることを知ったが、出たのはマンガではないので興味なし。大島弓子だったら見に行ったかもしれなかった。
■雨下がりの昼上がり

吉祥寺の本屋でいろいろ本を物色。大澤真幸氏の「美はなぜ乱調にあるのか―社会学的考察」をめくって最後の「イチローの三振する技術」を読み始めたら面白くて止められなくなった。かつて『資本主義のパラドックス―楕円幻想』に載っていたディズニーランド論はマーケティングの研修を受けた時に聞いた内容の元ネタであったが(手元に本がないので大澤氏が参照したディズニーランド研究の論文の筆者が思いつかないがその論文が本になる前に大澤氏が出したものだったのでは)、イチロー論は「三振をする技術」への考察から江夏の「三振させない技術」を指摘し、さらに「巨人の星」の三つの大リーグボールを必然性、偶然性、不可能性といった様相に結びつけて論じていくというもので、思わず買いたくなるのを閉店時間によって何とかこらえた。
ディスクユニオンで売っていたImprovised Music Japanという雑誌を眺めていたら、Carl Stoneはいま日本の中京大学情報科学部で教授を務めているらしい。もともと長く日本にいたのだったかな。
2006-01-09 遅ればせながら書き初め
お正月くらいはゆっくりしていようと思っていたら年初めから風邪気味で体調が悪く、ずいぶん日が経ってしまいました。
あるエントリにポイントが送られてきたのにも気づかずちゃんとメール読んでませんでしたがありがとうございます。メールでご意見いただいた方もありがとうございました。なんかメールを書くのがおっくうという困った状況でなんでブログに書いているのかよくわからないと言うか単に書いたものを垂れ流している感じでどうもすみません。
昨年は「萌え」が本格的に流行してマンガ関係の本が例年よりもかなりたくさん出まして、年末にまたまとまって出たのでとても全部買えないと頭を抱えています。まだ入手していない本の中には昨年最後の大物だった元少年マガジン副編集長宮原照夫氏の「実録!少年マガジン編集奮闘記」と小野耕世さんの「アメリカン・コミックス大全」の2冊ででノックダウン、大泉実成氏の「萌えの研究」、水木しげる+大泉実成「本日の水木サン」、それから復刻ものが多数出てきて、楳図かずおさんの初期作品などは目をつむって買いたいくらいです。
昨年一番の目玉だったのはやはり「テヅカ・イズ・デッド」になるでしょう。ふたを開けてみたら好評に迎えられ増刷もされたので、ある意味ほっとしました。マンガ論への関心が高まっている中で、大塚英志氏や東浩紀氏の著作や、宮本大人氏の研究を踏まえて夏目表現論から一歩進めようとする意欲的な労作で、決して読みやすい本ではないし個人的には異論もあるのですが、ユリイカ1月号の特集によってよくフォローされており、これも必読でしょう。
■昨年のベストは「汽車旅行」の復刻

もう一冊これは必読というか、昨年出た本の中でもっとも重要な一冊は、大城のぼる「汽車旅行」だと思います。これはすでに三一書房の少年小説大系別巻1に収められてはいましたが、今回同じ著者の「愉快な鉄工所」も出版されるという快挙となりました。「火星探検」もカラー版が出て、初期の「愉快な探検隊」は三一書房の少年小説大系に収められているので、できれば戦後の「少女白菊」まで出して欲しいところ。
もともと「火星探検」が世評高く、「愉快な鉄工所」が今の読者が普通に読んで一番面白いと思いますが、表現論的関心で読むならば「汽車旅行」は群を抜いていると思います。これを読んで古いとか単調とか思うとしたらマンガ論にはあんまり向いていないかもしれないです。マンガファンの多くは現実の生活から離れた異世界のファンタジーを志向してその物語世界を楽しみたいのでしょうが、「汽車旅行」はそこからもっとも遠く離れたところにあります。東京から京都へ汽車に乗って、その折々の通過点で主人公の少年に父親や大人たちがその地にちなんだエピソードを話すシンプルな展開の中に、今のマンガではほとんど見ることのできないような手法を含めたさまざまな趣向が凝らされ(たとえば車内に登場する数多くの端役の描き方において、時に合の手を打つがごとく台詞を話すほど巧妙です)、絶妙な緻密さで細心の注意を払って構成されています。後に石森章太郎が少女クラブでマンガの中で作者が読者に物語を語り聞かせるといった形式の作品を描いていますが、その起源に「汽車旅行」があるかもしれません。というのも、うろ覚えの石森伝説の中にコマの数を増やすために一つの場面をコマ線で分割したという話があったと思ったのですが(なぜコマの数を増やす必要があったのか覚えていないのでかなりうろ覚えです)、そのような手法が「汽車旅行」のなかにすでに現れていて、後の展開に対して重要な位置を占めているのです。
私が読んできたすぐれたマンガの中にはそれ自体があたかもマンガ論のように読めてしまうものが時々ありますが、「汽車旅行」はそんな作品で、「スピード太郎」が「新宝島」の先駆けだったと長らく言われてきたといっても、実物を読めばすぐわかりますがコマ割りなどあまりこなれていなくて、発表年代は離れているものの大城の作品の進化とその達成はプレ手塚の位置づけからはみ出してしまうほど別の可能性すらはらんだ次元の違うものだと思えます。それだけに漫画史の中でどう位置づけるのかは慎重でなければならないと思いますが、このへんは宮本大人氏が長年手がけてきた領域なので、私としては論文を待つばかりです。
私自身はニッチなマンガ読みなので80年代後半とか昭和30年代とか手薄なところ、特に今の読者の感覚では古いとうち捨てられがちで渾沌としているところに興味を持って欲しいという気持ちがあるのと、映画に限らず児童書など隣接領域を見てほしい気がします。「テヅカ・イズ・デッド」では竹内オサムさんや二上洋一さんが批判の対象になっていましたが、彼らの地道な戦前児童文化の研究をマンガ読みがどれほど読んでいるのか疑問であるし、先行の世代の証言がなければ手がかりが得られないことも多いでしょう。マンガにおける世代差の問題はもっと意識すべきで、世代間の対話がもっと起こるべきだし、またあまり悠長ではいられないと思います。
自分はいま余裕がなくてとにかくいまある本の整理だけで手いっぱいなので本が増えると鬱なのですが、ネット上に若い野心的な論客が増えてきたらしいことは頼もしく思っています。
海外マンガもスピーゲルマンとか手に入れてませんが、ペルセポリスが話題になるなど好調だったのかなと思います。古典であるLittle Nemoは洋書でそこそこの値段なので一度よんでおくべきかな。Jimmy Corriganとか日本語訳もほとんど困難と思われますがこんなアメリカン・コミックもあるんだと知るのもいいんじゃないかとは思うのですが。