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2005-12-31 私のこの十年

このダイアリーは今年になってからちょっと気違いじみた感じで始めてみて、個人的には昨年同様厳しい一年ではあったけれど、来年はもう少し穏当にしたいなと思いつつ、結局気違いじみたエントリで今年は〆ることにした。

この十年間を考えてみると、マンガCDパソコンソフトウェアにほとんど稼ぎをつぎ込むという気違いぶりであったので、重症のオタクであることは間違いなかった。ただマンガを選んだのは娯楽として安上がりにもかかわらず奥が深かったからで、雑誌読みなので部屋中に溢れ返るとしても大金をつぎ込んだわけではない。ゲームはそれなりに値が張るし時間を食い過ぎるのでほとんどやらないし、映画テレビで放映されるにしても時間が拘束される感じがあってやはりあまり見られなかった。地下鉄サリン事件が起こった頃すでにテレビもろくに見なくなっていたのは、プログラマとして拘束される時間が長かったこともある。ソフトウェア業界には愛想がつきかけていたが一般事務も苦手であった。最悪だったのは開発部隊の中で閉じてしまって飲みに行くこともろくになく、社会人の感覚が身につかなかったのだが、それはずっと嗜眠症に悩まされて会議に出してもらえなかったせいもある。最初に相模原にある某有名大学病院へ行ってナルコレプシーかどうか検査したのだが、結局曖昧なままリタリンを処方された。それから何度か通院したが、若い医師はただ薬を処方するだけで何も進展がないのに業を煮やし、会社の所属の病院で相談したらいきなり鬱病と診断されて入院させられた。鬱の自覚はまったくなかったどころかオフになるとアクティブに活動していたので、考えてみると会社に飽きていたのだろう。この診断にも納得が行かなかったが薬漬けになりながら改善されず、別の病院に行って睡眠時無呼吸症候群と診断された。いびきがひどかったのでこれが正解のようだったのだが、オフでのアクティビティが失われたせいか鬱の症状が出てきてしまった。

父も年をとって体の不調が増えてきたが、最近の若い医者はろくなもんじゃないと怒っていて、これは同意するところ。困ったことに現在は整体師のほうがきちんとした診断ができる。医者は触診ができてなんぼでしょう。保険がきけばいいのに。

ところで大学の頃は漫研にもウィトゲンシュタインニーチェオタクがいて、当時の私にはよくわからなかったのだけど、子どもの頃から抱えてきた問いに答えられるのはもともとやりたかった人工知能研究よりも哲学ではないかという感覚があった。フーコーはなんとなくある程度は理解できそうだったがラカンについてはそれ以前にフロイトを良く知らないのでこれは独学では歯が立ちようにないと思ったのだけど、柄谷行人のように文芸評論家でありながら数学が得意な人がいたこともあり、またかつて身体論が流行する兆しがあって、大澤眞幸の研究に興味を持って(クリプキローティの名前はこのあたりから出てくる)、そこから永井均にたどり着く。私が子どもの頃から漠然と考えてきたことは永井の著作によって自分の中ではかなり明確になり、ある程度解決すらしたため、私はかなり救われたのだが、読む人によっては甚だしい誤読によってとても危ういものかもしれない。しかし、私の頭を悩ませた大きな問題(子どもの問い)は今ではずいぶん軽くなった。

ユリイカマンガ批評特集は必読 ユリイカのマンガ批評特集は必読 - ad-lib-comic-diary (ただいま整理期間によりお休みです) を含むブックマーク はてなブックマーク - ユリイカのマンガ批評特集は必読 - ad-lib-comic-diary (ただいま整理期間によりお休みです) ユリイカのマンガ批評特集は必読 - ad-lib-comic-diary (ただいま整理期間によりお休みです) のブックマークコメント

もうひとつ、マンガに関してはやはりずっとひっかかっていたことがある。私は有名すぎる少女マンガはそんなに読んではいないけど、たとえば大塚英志はなんでマンガを読めないのか、と傲慢にも思い続けてきたのである。読めない、というよりなぜもっと読まないのかとも思ったのだけど、彼の読みにはバイアスがかかりすぎていて、そのくせ教養と言ってしまうのもいけ好かないものがあった。基本的に、「サブカル」を書名につけるのはろくなもんじゃないと思う。自分には民俗学の素養が欠けているし文学もいわゆるサブカルとしては興味が持てないものであり論壇にも興味を持てないクチだったけれど、はっきり言ってマンガ読みとしては二流としか思えなかった。

蓮實フリークは嫌いだったけれど私の体質として物語よりも細部を過剰に求める傾向があるらしい。私が今まで出会ったマンガ読みの中でこれはすごいと思うのは橋本治夏目房之介宮本大人みなもと太郎米沢嘉博の5人くらいだ(竹熊さんが基準。いや竹熊さんもかなりすごいけど)。マンガについて門外漢と自称する斉藤環永井均の書いたマンガ論の本の面白さくらいはクリアしてもらわなくてはと思いながら、じゃあ自分にそれだけの能力があるかというと心許ないのだけど、少女マンガに関しては米沢さん以降がどうしても手薄で、女性による本格的な研究が待たれる。

大塚さん(に対する後続世代の過大な評価)への不満はユリイカ1月号が出る前に言っておきたかったが、奇しくも座談会の中で夏目、宮本のお二人が伊藤本と大塚本の違いについて語っている(というよりこの二人がどう言及するのか興味津々だった)。私がどうにも「記号的身体」への違和感についてうまく言えなかったことについて、57ページから58ページにかけての宮本氏の発言は決定的に重要で、自分なりに整理を付けることができた。つまりキャラクターになる前のキャラに対して、記号の体系に納まる以前の描線がある、夏目表現論が他と決定的に違っていたのはまさに描線のなかにマンガ表現の本質をとらえていたことであった。

もうひとつキャラについて考えるために注目すべきなのは固有名論が語られているところにある。これは思いもよらなかったのだけどクリプキが絡んでくる。ただここから伊藤本の中で私にとって一番やっかいな「マンガの近代」に果たしてうまくつながるのか(手塚は19世紀の文豪と同列には位置付けられるだろうけど、伊藤本の印象だとテヅカがほとんど怪物のように見えた)、そもそも近代とはなんなのかという問いにとらわれてしまい、ここ数年柄谷あたりもすっかり忘れてしまっているしあまり論理的に明快に考えられなくなっているのでここらへんは頭の柔らかい若い人にトライして欲しいなあと思うのだけど、私より年長世代で近代について考えてきた人がどう思うのかも知りたいところ。特に日本の場合ポストモダンというカタカナ語にはどうにも「サブカル」と同様の罠があるような気がしてならない。宮本論文がそのへんをどこまで解き明かしてくれるのかという期待はもちろん大きい。

とりあえずユリイカ1月号の特集によって「テヅカ・イズ・デッド」がかなりの程度見通しよくなったことは確かだ。

もう二人のNANA もう二人のNANA - ad-lib-comic-diary (ただいま整理期間によりお休みです) を含むブックマーク はてなブックマーク - もう二人のNANA - ad-lib-comic-diary (ただいま整理期間によりお休みです) もう二人のNANA - ad-lib-comic-diary (ただいま整理期間によりお休みです) のブックマークコメント

座談会で固有名の話が出た後に、それを補うように宮本氏が今年最大のヒット作となった「NANA」を数のドラマとして読む、という試みを行っていて、蓮實重彦を思い出すものだったが、二人の「なな」が出てくる少女マンガが実はもうひとつ連載されていることに最近気がついた。少女マンガ読みでその作品を読んでいなければモグリだ、というくらい「有名」な作品といっても過言ではないのだけど、さてそのマンガとはなんでしょう?

(答えは来年ココログのほうで)

さてソバでも食べに行きますか さてソバでも食べに行きますか - ad-lib-comic-diary (ただいま整理期間によりお休みです) を含むブックマーク はてなブックマーク - さてソバでも食べに行きますか - ad-lib-comic-diary (ただいま整理期間によりお休みです) さてソバでも食べに行きますか - ad-lib-comic-diary (ただいま整理期間によりお休みです) のブックマークコメント

12月のちくま学芸文庫のラインアップにはちょっと感動した。

ディラックの「一般相対性理論」とヒルベルトの「幾何学基礎論」。

あと実は一番驚いたのは今日の話題のもとになっている大澤真幸の「恋愛の不可能性について」。文庫版解説が永井均で絶賛している。言っていることは正しいと思う。我が身を振り返ってみても周りを見てもオタクってチマチマしてるもんな。

オウムの事件は松本サリン事件のほうが深刻だったと思う(瀬戸内シージャック事件のように)が、事件が起きた時哲学者松本に住んでいたという噂を聞いたことがあり、そこは社会学者が生まれた地でもあった。後に事件の主犯の本名が「松本」だったことがわかったが、オウムについて考えるならばとりあえずこの二人の学者の論考は欠かせない気がする。で、つい最近永井に関心を持ちオタク大塚英志を高く評価している気鋭の社会学者が二人もいることを知ってすごく妙な感じがしたのだった。

今年の本のベストを思いついたところで。息抜き的に読みやすいものを選んでみた。

マンガ関連本はちょっと外しておく。

1. ちゃんと話すための敬語の本 橋本治 ちくまプリマー新書

2. えっヘン 藤田 紘一郎

3. グロテスク教養 高田里惠子 ちくま新書

4. 教育不信と教育依存の時代 広田照幸 紀伊国屋書店

橋本さんは集英社新書3部作でかなり弱音を吐いていた(最後のはまだ読み終えてないけど)感じ。大学の講師になれたらとか思う人じゃないしね。

藤田さんって世間的にはどのように見られているのだろう。

年の暮れになってなぜか井上章一ブームが来ていた。松岡正剛が讃めていて、ジュンク堂に著作がまとまっていたので衝動買いしてしまったのだが、中原淳一ムック戦前から戦後の顔立ちの変貌について論じていてなかなか面白く感心したことがある。

あと本業関連なので番外

5. ITにお金を使うのは、もうおやめなさい ニコラス・G・カー

というわけで今年はこれでおしまい。また来年

2005-12-30 私の失われた十年 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

私はここのブログで時々自分を疫病神にたとえたが、この年の末になってまた不安に襲われることになった。それについては今書くことはないし、将来的にどうなるのかわからない。ただ自分が30代の半ばには実現しようと思っていたことがほとんど手つかずの状態で今日まで引きずってしまったことに忸怩たる思いがする。

もしブログが普及することがなかったら、私は今でもWebサイトデザインの入り口でつまずいていただろう。もしネットが今のように普及していなかったら、あすなひろし氏の消息をつかんで会いに行くこともたぶんなかったし、そのあと思いがけずもあすな氏が亡くなられなかったらマンガ業界にほんの鼻先だけでもコミットする機会もなかったかもしれない。だが今思うのはいささか遅すぎたということである。あすな氏が思いもかけず早く亡くなられてしまうとは夢にも思わなかった。しかもその後マイナーだが私がデビュー時から長らく親しんできた作家が相次いで二人も亡くなられた。どうしてこんなことになってしまったのか。

そこでとにかく先行の世代に過去マンガについての証言を求める訴えかけはしてきたつもりだし、そのような証言が次々と現れるようになったことは甲斐があったのだけど、私自身の証言はまだほとんど始まっていないというていたらくである。

正直のところ本業との掛け持ちは難しく、もっとまとまった時間が欲しいのだけど、一人暮らしも半分破綻しているような状況だ。いま一度若さと力が欲しい。

2005-12-24 3連休は寝てばかり このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

前々回のエントリで「このマンガを読め!2006」にさんざケチをつけたのだけど、「このマンガがすごい!」を読んで考え直しました。年末になってマンガ関連本の大書が次々と出てお金がまわらずなかなか手が出ないという状況ですが、「このマンガがすごい!」もオトコ版オンナ版と別々に出て、両方買うしかないよなあ困ったなあという気分でしたが、結局読んでみて分けたのは正解、と感じました。とにかく本の数が多いなかで、コミケの日数を増やしたように男女分けることによって、ランキングの説得力も増したことと、評論で取り上げられなくても人気があったり、良質だけどあまり票の集まらなかった作品をサルベージするという座談会があって、きちんとツボを押さえているのもよかった。この一年マンガ界に何があったのかを見渡すのは難しいけれど(例の事件にまったく触れないのもひとつの見識であると思います)、今マンガが面白そうだ、と伝えるあたりのテクニックが宝島社の出す本はうまい。オンナ版だけ読んでも充実が感じられました。「このマンガを読め!2006」への営業妨害のつもりはないので、両方買って比較するとよいと思います。

奇妙なことですが、有名どころの批評家による総括などを廃したのがむしろよい結果に出たような感じで、ほぼ唯一の例外と思われる伊藤剛さんの表現論的アプローチによる解説が本の中で浮いているのが皮肉なことになっていて、表現論的アプローチそのものについて興味を持つ私自身にとっても考えさせられるものでした。

それから個人的な反省なのですけど、前々回のエントリでは少女まんがのセックス描写の多さについて皮肉を書いてしまいましたが、実際には思春期的な性的な不安も込みにした純情ものとか本格的恋愛マンガへの指向が若い年齢層では高まっているということもきちんと押さえられていて、このへんはさすがに私も恥ずかしいので書きづらくて、実際ここでは書いてきませんでしたが、実は少女まんがシーンはかなり充実していたんだと思うと同時に、勝手エヴァンジェリストとして少女まんが方面に迷惑をかけてきたのではないかと恐れる私も、そろそろこれからの人にまかせてお役ご免かな、という気分です。

で、休み中にすませる予定の宿題がすんでおらず、年末マンガ関連本出版ラッシュには対応しきれていないのでこれ以外の紹介は年明けですかね。あ、ブログ分けたのでそっちに時間があれば書きますか。まあクリスマスも一人、というか、別にクリスマス恋愛に関係はありませんが自分自身が中学時代に純愛モードにはまっていたりして(「僕等がいた」というか、あんな大げさなものじゃなくて「まる三角しかく」みたいな)少女まんが読みもその呪縛が続いてきたところもあって、この年になって変に彼女とかそこまでいかずとも普通にマンガが話せる女友だちとか出来るといいな、とか夢で見たりするものですから、モテとか非モテとか負け犬とか言わんで来年オタクひきこもりからもっと明るく前向きに一歩踏み出したいと思いますです。

goito-mineralgoito-mineral 2005/12/25 09:30 こんにちは。「このマンガがすごい!」編集部がぼくに発注してきた時点では、ぼくはまったく「有名どころの批評家」としては扱われていなかったと思います。現在でもそうでしょう。また今後、「このマンガを読め!」でのような「有名どころの批評家」にぼくがエントリーすることがあるかといえば、たぶん、これもないと思います。

lacolaco 2005/12/29 07:18 伊藤さん、こんにちは。お久しぶりです。「このマンガがすごい!」のほうもすでに名を成した批評家に頼らないということで新しい視点を提供する伊藤さんに依頼したのではないかと思いました。しかし図版が少なかったりで「すごい!」の読者層にどれほどアピールしているのかなと思い、むしろ「読め!」に載ったほうがまだしもと感じました。ユリイカの特集はとてもよかったですが、単にヨイショではないマンガ批評専門誌をもう一度誰かが試みてよい時期ではないかと思うのですが。

goito-mineralgoito-mineral 2005/12/29 08:09 あー図版はですね。講談社サイドが使用を許可しなかったんです。「ユリイカ」なら許諾を取らず(適法な引用の範囲内ということで)できたんでしょうが、媒体が商業的になっていくほど制約が増えていくのです。たぶん「読め!」でも同じだったと思います。

goito-mineralgoito-mineral 2005/12/29 08:13 それともうひとつ。現在の「マンガ評論」は、「専門」であり「有名」であるほどいってることが信用できなくなっていくというパラドックスのただなかにいると思います。方法論を欠いた「ぼくら語り」という語りが論理的な必然として引き寄せた事態ですが、ぼくが今後も「有名どころの批評家」にエントリーすることがない、というのはそういう意味です。もう少し直接的にいえば、「読め!」がぼくや、ぼくよりも若い論者を大きくフィーチャーすることも、たぶんないでしょう。彼らにとって「マンガ」とは、いま4〜50代の世代的なよりどころであり続ける必要があるのでしょうから。

goito-mineralgoito-mineral 2005/12/29 08:17 さらにもうひとつ。
表現論的アプローチは、むしろ「すごい!」の読者のほうにアピールすると思います。これは確信的な推測なんですが、むしろ「読め!」の読者層(=旧来的なマニア層)のほうが、表現論には冷たいでしょう。彼らは自分の思いいれを語り、「まんが読者」としての薄甘い共同性のほうを大事にするでしょうから。
「表現論」は難しいので、一般にはウケない、これはウソです。「ぱふ」で女子高生を相手に「表現論」の連載を持ち、高校出たての学生相手に講義をしてきた経験から、はっきりそれはいえます。通じるひとには通じる、しかしそれは相手が「マニア」かどうかとは関係ない。それだけのことだし、これが冷厳たる現実です。ぼくはその程度には「まんが読者」という共同性を信じていないし、その意味では「マニア」に向けてものを書いていません。

lacolaco 2005/12/29 12:45 私が「読め!」に載ったほうがまだしもと感じたのは、そちらがまさに旧来のタイプの批評家が昔ながらと変わらずにマンガを語る薄甘い共同性が漂うからこそ、それとは異質なものが際立つと思ったからという一点です。私はどちらも物好きというか「マニア」に向けて出版されている点は同じだと思うのですね。「すごい!」のほうが気軽に読める作りになっている分、会話体でない長い文章はどうかということです。そしてまさに表現論への関心と「マニア」はあまり関係がない。そこに伊藤さんのおっしゃるパラドックスが感じられるのではないかと思うのですが。

2005-12-20 実家より

ここんとこ体調が悪くアパートのヒーターが使えないので電気毛布かぶっても我慢しきれず実家に一時戻っています。

前回のエントリもやさぐれていましたが、行きたいイベントをずいぶん諦めてしまいました。

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先々週は大友良英ニュー・ジャズオーケストラのOut To Lunch発売記念ライブを見に行って、その場で新譜やら買ってきましたが、足の調子が良くなくて立ち見が結構応えてしまって土日は家で寝ていました。Out To Lunchはエリック・ドルフィー晩年の問題作ですが、これを現在韓国在住というアルフレッド・ハルトを迎えたオーケストラ編成で再演。ハルトと大友といえばサンプリング作品Pekin Operをさらにサンプリングした「革命京劇」というわけで、Out To Lunchを全曲再演するのはこれと通ずるものがあるのですね。篠田昌巳氏が亡くなる前にカシーバーに参加するということもありましたので(青柳のあたりの枯れ野原は最近マンションが建った模様で彼が住んでいたあたりもわからなくなりました)、これはがんばって見に行きました。昨年見たジムブラックマーク・ドレッサーのような超人的なプレイヤーはさすがにめったにいませんが芳垣安洋さんのドラムはいい音鳴らしていましたし、大友さんはギターと指揮を担当していて、これはまるでミンガスだなと思った次第。

三木鶏郎トリビュートはあきらめ 三木鶏郎トリビュートはあきらめ - ad-lib-comic-diary (ただいま整理期間によりお休みです) を含むブックマーク はてなブックマーク - 三木鶏郎トリビュートはあきらめ - ad-lib-comic-diary (ただいま整理期間によりお休みです) 三木鶏郎トリビュートはあきらめ - ad-lib-comic-diary (ただいま整理期間によりお休みです) のブックマークコメント

そこまではがんばったのですが、先週行われた三木鶏郎トリビュートコンサートSing with TORIROは3日前くらいに気づいて、土日の4回公演のうち当日売りで行くつもりだったのですが、お金の面で今ひとつ考えてしまって諦めてしまいました(アルバムは手に入れたい)。

「もの派−再考」展も見に行けず 「もの派−再考」展も見に行けず - ad-lib-comic-diary (ただいま整理期間によりお休みです) を含むブックマーク はてなブックマーク - 「もの派−再考」展も見に行けず - ad-lib-comic-diary (ただいま整理期間によりお休みです) 「もの派−再考」展も見に行けず - ad-lib-comic-diary (ただいま整理期間によりお休みです) のブックマークコメント

あと一番の心残りは、せっかく以前横浜美術館まで李禹煥氏の展示および講演を見に行ったのに、国立国際美術館で行われた「もの派−再考」展を見に行く機会をついに逸してしまったこと。夏に鎌倉画廊石子順造氏が関わっていたグループ「幻触」展を見に行ったときにやるって教えてもらったのに、全くうっかりしていました。大阪まで行く機会なんかまったくなかったけれど、今日の毎日新聞の夕刊でも今年一年の回顧に大きく採り上げられていて、やはり残念でした。高松次郎あたりからトリックス・アンド・ビジョンを経てもの派にいたる流れについては、鎌倉画廊さんに見に行った際に開催以前に結構気合入れてエントリ書いていたのでそのエントリトラックバックをかけておきますが、どこかであっさり売り切れたらしいカタログ読めないかしら。

でもなんだかんだいってこの前は成瀬巳喜男生誕百年にも触れられたし(余談ですがNewsweek読んでいたらハリウッドゲイシャ映画に絡んで溝口の「祇園の姉妹」が話題になってたし、日記書きとシンクロすることが結構ありました)、日本人が忘れてしまっている自国の文化をもうちょっと見直したいので、がんばって続けましょうかね。

P.S. P.S. - ad-lib-comic-diary (ただいま整理期間によりお休みです) を含むブックマーク はてなブックマーク - P.S. - ad-lib-comic-diary (ただいま整理期間によりお休みです) P.S. - ad-lib-comic-diary (ただいま整理期間によりお休みです) のブックマークコメント

Tさん先日はiTMS情報ありがとうございます。でもあの祭りバグじゃない特別企画なのかしら。バグだと後味が悪いかも。

TsanTsan 2005/12/21 17:35 やは、どうもどうも。どう考えても特別企画でしょう、あそこまで放置してるというのは。最近はロサ会館地下で聞いた吉田達也(是巨人)が良かったです。あと今週末直島で現代美術三昧ですわ

2005-12-17 いまマンガはなぜつまらなくなったのか

「このマンガを読め!2006」を買って読んでみたが、低調で、いよいよベストテンも機能しなくなってきたと思わざるをえない。私はこれまでマンガはつまらなくなっていないと言い続けてきたが、自分自身にとってはつまらなくなっていないとしても、つまらなくなった、といわなければならないときが来ているように思える。

もはや意味がないといわれてずいぶん経つベストテン企画だが、アンケート回答者は52人で、一人の持ち点が15点、つまり総点数は780点しかないのだから、11位にランクインした作品の得点がようやく10点、以下13位9点、16位8点、21位7点、27位6点、33位5点となっている。規則としては、ベスト5を選んで15点の持ち点から7点を上限として割り振る決まりになっているが、1作に最高で7点入れている人が何人かいて、5点になると数多くの人が入れているのだから、一人の票でそれほど大きく順位が左右されるのではほとんど有意な差など出てこない。しかも一人が5点を入れればそれだけで33位にランクインして、一方で5作に3点ずつ割り振ったら1作もランクインしないという評者も3人いた。

さらに雑誌の数が相当多い中で、ここでの評者の読んでいる雑誌の数はたぶんそれほどたいしたことがないようだ。だいたい読む雑誌によって選ばれる作品が決まってしまって、そうすると、各々の読者にとってはマンガが面白かったにしても、それを雑誌の連載で読んでいない人にはほとんどその面白さが伝わることがないという事態がいよいよ広がりつつある。総体としては多様で豊穣なマンガの面白さは伝わらなくなっていて、このベストテンのような企画はその状況をさらに悪化させているだけかもしれないのだ。

コミケ化するマンガ市場 コミケ化するマンガ市場 - ad-lib-comic-diary (ただいま整理期間によりお休みです) を含むブックマーク はてなブックマーク - コミケ化するマンガ市場 - ad-lib-comic-diary (ただいま整理期間によりお休みです) コミケ化するマンガ市場 - ad-lib-comic-diary (ただいま整理期間によりお休みです) のブックマークコメント

私は以前ある少女まんが系のメーリングリストで年間ベストに必ず10作品選ぶことを課していたが、昨年あたりから限界が出てきた。40歳になるので過去マンガを再評価し発掘しなければならないと思うようになってきたのである。それと同時に雑誌の数が女性マンガの領域では異常な数になってしまって、全部どころかまるで読み通すことができない、ということになった。会心の作品が描けてもその掲載誌が読めなければ、すでにコミックス化のアドバンテージも失われており、日の目を見ることがない。私の同世代の女性作家はそういう状況下にあるから、大作、野心作を書こうというモチベーションなどどれくらい維持できるだろうか。売れる女性作家(優れた作品を書く作家が必ずしも売れるわけではない)は男性誌に引き抜かれ、中堅の女性作家はかなり厳しい状況におかれている。この分野には批評家の数が絶対的に少なく、サルベージも困難な状態なのだ。

今回のベスト10内にはよしながふみと安野モヨコのエッセイマンガがランクインしているが、エッセイマンガとして特別画期的なものとは言いがたく、作家の人気とネームバリューにおんぶした形だ。

かつて私が高校生くらいの頃は、マンガ家はなりたい職業のトップにはいるほど人気があったが、ジャンプ伝説の崩壊以降あたりから才能がなければ割に合わないことがわかってしまい、マンガの人気は若くなるほど衰えているであろう。結局マンガに関して発言権のでかいのは、団塊世代から私のようなオタク第1世代くらいまでとなっており、これら我々が成熟せずに学生が読むような作品ばかり読んで老害を垂れ流しているのではないかという危惧を感じる。

そしてマンガ家も、有名マンガ家のアシスタントから独立するよりコミックマーケットなどの同人からの青田買いが20年以上にわたって続いている。今のマンガは同人誌的なものが多くなりすぎてしまい、内容よりも絵柄で選ばれる傾向にいまや疑問をはさむ余地も少ない(それでかえって「きょうの猫村さん」のような極端なものが評価されたりする)。

最近のりぼんを見たが読者層を小学生中心にまで下げようとしているようだ。その点ではちゃおのほうが先行していたのではないか。小学生向けくらいになるとマンガは読者へのエデュケーションを避けられないのではないかと私は思っており、これは難しい課題になるだろう。

しかし座談会で中野晴行氏が指摘しているように、現在のヤング誌読者の平均年齢は30歳を超えつつある。たとえばマンガ誌を週に3冊以上読むというのは業界人でなければひきこもってマンガばかり読むのでなければ普通の人にはまず無理だ。金のない学生ならなおさらのことだろう。幼稚園、小学生の頃からマンガを読む習慣がつかなければ一時的にマンガ好きになっても年齢とともに離れていってしまう可能性が高い。私などは同年齢層の中では相当異常な方だろう。マンガを実際に読んでみれば面白くても、ある種の目利きにでもならなければ離れていく可能性は高いのではないだろうか。コミック自体の高齢化対応がもっとも進んでいるのはたぶん集英社女性誌や、中堅出版社のいくつ数があるのかもわからない女性誌であり、青年誌に関しては私にはそのような動きがあるのかどうかさえわからない。特に私たちの世代は成熟を意識しなければ高齢化に対応できない。団塊の世代はみなもう手遅れなのだ。マンガ文化は手塚の青年的自意識からほとんど進歩していないとすら思える。

マンガ評論家たちに唾を吐け! マンガ評論家たちに唾を吐け! - ad-lib-comic-diary (ただいま整理期間によりお休みです) を含むブックマーク はてなブックマーク - マンガ評論家たちに唾を吐け! - ad-lib-comic-diary (ただいま整理期間によりお休みです) マンガ評論家たちに唾を吐け! - ad-lib-comic-diary (ただいま整理期間によりお休みです) のブックマークコメント

今年マンガ界に起こった出来事に盗用発覚による絶版回収問題があった。これについては本にも書かれていてそれぞれに意見が出ていたが、最後の座談会での扱いはまったくお粗末なものであったとしかいいようがない。今回は法的な問題ではなく倫理的な問題であるから、私も書きづらいけれども、この問題について最低限抑えておかねばならないことがまるで認識されていないままに見当違いで低レベルなやりとりがされているのだ。

他のマンガ作品からトレスしたことについては、法的には親告罪であるために、訴えられていないのだから犯罪のような法的な問題ではないが、オリジナリティを重んじるマンガ界では倫理的な問題とみなされるし、これについて擁護できることはほとんどないだろう。しかし、問題が大きくなったのは謝罪が原因である。これをもし、原作者の許諾をとって使ったならばそれについて非難するいわれはなく、盗用問題の当事者たちは同じ出版社で書いているのだから実際そういうことにして処理しようと思えばできたことではあったし、現在世を騒がせている建築構造設計の偽造問題のように受け手に実害を及ぼすものですらない。許諾さえ得られれば問題ないし、現実には盗用された側がそれを法的に問題にもしてすらいないのである。

ところが盗用を認めた謝罪によってこの問題は実質的に解決しているので、ネットにおける匿名の糾弾者側は自作自演があったとしてそれを糾弾する。謝罪があったにもかかわらず本心では悪いと思っていないから倫理的に許し難い、という別の問題が捏造されたのだ。その二つはもし問題にするならば分けて論じられるべきであり、座談会冒頭における南信長氏の要約からして正確ではない。

さらにトレスされた側の作品自体が写真集からトレスをしていたのではないかという騒ぎにもなったが、現在のスポーツマンガの場合、資料に写真やビデオを使うことが多いから予め許諾をとっていないとはまず考えられないので、これもそもそも問題にはなりえない。

この問題を業界の問題としてコメントを出したのは私の知る限りブログにおける竹熊健太郎氏だけである。そして今回の本にある、川崎ぶら氏の私見に私はどちらかといえば共感することを記しておこう。

そして今回の騒ぎを大きくした「自作自演」への批判は、盗用とは本質的に関係がないのだ(模写については全面的に謝罪をしているのだから)。

また、今回の事件で処分を受けた作家は、少女マンガ界ではただの中堅どころか二作品の連載を抱えて雑誌の看板をになう、もっとも売れている作家の中にはいり、事件の前には韓国でのドラマ化と米国での出版を予定されていた矢先の出来事であったという。作家の自作自演よりも、このような背景でこのような事件が仕掛けられたことに悪意が見え隠れするという根の深さがあるのだが(作家ばかりか盗用を最初に訴えた者が今回の仕掛け人にはめられたことすら考えられる)、結局この座談会ではその作家や作品についても予備知識すらろくに持たずに雑談に終始しているに過ぎないし、オマージュと盗用を区別するグレーゾーンの恣意性についても勝手な感想を語っているに過ぎないのだ。

この事件は少女まんが界にとってはかなり大きな痛手であると思われるのだが、そういうことを指摘するものもいない。座談会に出ている彼らは何を見ているのだろうか。

この事件の糾弾者たちは、自作自演説を盗用の常用と結びつけるよう印象づけることによって道徳ゲームにおける正義を訴えるが、彼らはなぜみな匿名で糾弾し、実名を出そうともしないのか。これは倫理の原則としてフェアではないのではないか。にもかかわらず、座談会はこうしたこと一切を認識すらしていないがごとく最終的には作者個人のモラルの問題に帰するにとどめる。私にとって道義的に許し難いのはこうしたことである。

ちなみに出版社側の問題だといいたいのではなくて、この事件を仕掛けた者の「正義」が問題なのだ。そのような類の正義の身ぶりがマンガ界に限らず現在あまりにも蔓延しすぎている(たとえば青少年の凶悪化や少子化問題の語られ方など)ことが、今の世の中を異様に息苦しいものとしている、現在もっとも由々しき道徳の問題なのではないのか(実は私のブログ自体もそう言う意味では危うげではある。私はブログで語ることによってすでに加害者である、とかつて書いた)。

ヤングユーの休刊についても採算はとれているのになぜ休刊しなければならないのかと不思議がっているが、これまで述べてきたように、少女まんが、女性マンガをめぐる状況はいろいろと厳しくなっている。休刊させなければならなかった理由は私にもわからないが、YOUNG YOUはフィール・ヤングと競合し、コーラスのような雑誌は他にないから休刊させるならこの判断は正しいと言わざるをえない。

ただ気になるのはYYという雑誌が働く女性向けを特に意識した雑誌であり、ヤング・レディースというジャンルは女性作家の青年誌への引き抜きによってある意味終焉を迎えてしまうのではないか。そもそも女性読者へのジャンプの流出とヤングレディースへの男性読者の流入は並行的に生じたものであり、ヤングロゼやアミ・ジュールが休刊してからすでに何年も経っている。女性誌を読む男性読者の一人としては女性誌にとってしょせん邪魔な存在だったのかと思わずにいられない今回の休刊であった。

また中高生向けの少女まんが(?)雑誌にはセックスが氾濫しているが、これももしかして少子化対策の一環なのかと苦笑せずにいられない。

マンガ評論家は現在のマンガに対してろくな貢献をしていない。かつて一度頓挫した石ノ森全集が版元を変えて出版されるものの、全12期セット500冊(617,400円)を1期セット(51450円!)単位に予約しなければ入手できないのである。Googleの広告にはこれを逃すと一生手に入らないと書かれていてあきれてしまった。普通のマンガファンが古典を手軽に読めないマンガ文化とはいったいなんなのだろうか。


業界のタイコ持ちどもよ、よく見ろおまえの足下を

マンガマンガのかけ声じゃガキでもだませやしないぜ

(江戸アケミ、Hey!Say!より一部改変)

2005-12-06 部屋に置き場がないんですが。 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

いらないものを整理しようと思いつつ進まない上によけいなものを買ってしまってますますスペースが不足しております。

で、なんかまだキャンペーンが続いているようなので、

アップルのiMac G5欲しい!

えーとですね、何に使いたいかといえばこれまで使っていたG4Cubeをリプレースして、メインマシンとしてこれまで買った高いソフトは全部入れてビデオ録画とかもできるようにして使いたいですね。G4Cubeは彼女にあげます。って彼女いないやん!いや好きな人にこの際G4Cubeあげますから彼女になってくださいと告白するとか、えー、まあ当たったらですかね、あっさり拒否られて、えーとG4Cubeあげますから彼女募集とか、なんかええ歳こいてアホなこと書いておりますね。

ちなみにiBookG4、PowerMac7300/166、LC630、SE/30持っているんですが、SE/30はグレイスケール表示できるよう改造しているしちょっと手放しがたいけど、LC630は買って失敗したと思うので送料のみで誰かにあげてしまいたいですね。MACじゃないですがノートPCは確か7台ありますけど、ジャンク品で誰かほしいって奇特な方にやはりあげてしまいたいです。タワーも2台あるし現役はASUSのPunditがありますが、これだけ頭のたがが外れてしまって、入社するときWindowsのプログラマなんか志望するんじゃなかったって思います(入社当時はWindowsなんてやっと3.0で、最初は海外向けのAT互換機用のソフト作ってました。大学では生体内ネットワークというか免疫系とはちょっと違うんですがそんなことをしていたのですが、いきなりまったく知らないLANとかやらされて往生しておりました)。

昔は言語に興味があったんですけど(LispとかSmalltalkとか)、Blogが日本に入ってきたときにPHPの本を買ったりとか、あと会社の雑用でPerlでスクリプト書けとかFlash動画のためにActionScriptの勉強をさせられるとか上司にやたら振り回されたので、もうJavaとXML以外はなんかもう言語を勉強したくなくなりました。その手の本も無駄にたくさん買ってしまったのでAmazonとかで売れないでしょうか。近くの古本屋では発売年月で価格を決められてしまうので買取はめちゃくちゃ安くて店頭だと半額だったりするのでちょっと頭に来ますが、結局捨てるかねえ。

fuqusukefuqusuke 2005/12/10 17:18 lacoさんのエントリーを読んで『少年 完全復刻BOX』を早速Amazonに注文しました。知りませんでした。ありがとう。この『少年』が発売された当時わたしは8歳か9歳くらいかな。『少年』ではなくまだ『漫画王』あたりを読んでいたかもしれません。『少年』を読み始めたのはその後からでした。
直接関連するエントリーへのコメントからズレていてすみません。

lacolaco 2005/12/29 07:38 fuqusukeさん、すっかりお返事を書く機会を逸してすみません。
「少年」復刻BOXはまだ売れ残っているようですがこの内容なら決して高いとは思わないんで、マンガ史に興味が少しでもあれば手に入れて損はないと思います。付録まんがは図書館でも収蔵されていないものがとても多いので、復刻でもこのような形で出るのはおおいに意味あることだと思います。

2005-12-04 師走で鬱

目が覚めたら昼過ぎの2時でした。昨日TSUTAYAで半額だったので成瀬の浮雲を見て返しに行くのが夜中になってしまって、これは成瀬作品では異色作で小津安二郎がこれは自分には作れないと言ったくらいで(もう一つは溝口が山田五十鈴を撮った作品)、高峰秀子が演ずるヒロインのダメっぷりは確かに名演なのですが、見終わって鬱々とすること請け合いです。日本映画史上屈指の傑作と言われていますが、わりと安易にフェリーニの道を思い出して、年をとったせいか出来は浮雲のほうが上かと思いました。亡くなる前にあすなひろし氏を訪ねて道を見たのですが、カビリアの夜がいいと言っていたのでまだ存命だったら成瀬は好きかと聞いてみたかったなあと思いました。

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はてなを使っているとめったにその外に見に行かなくなるようで、私はけっこう昔からMovable Typeを導入してブログを立てたりWikiFarmも借りたりしていたのですがサポートの悪いプロバイダとの契約が切れてしまいずっと更新していなかったブログが消滅したのを機にフリー版が出たココログに登録しました。Niftyは本名とこちらと同じハンドルと二つアカウントを持っていて、本名のほうでは登録していたのですが実際は使っていませんでした。

ココログのほうはとりあえずもともとの目標である自称特殊マンガ読みとしての私的マンガ史のためのノートをつけることにしました。あまり書く機会がとれないのにブログを増やしてどうするのだという感じですが、ココログのほうはもう少しフレンドリーな感じでやってみたいなと思っています。ただココログのほうは有料のオプションでなくてもAmazonのアフィリエートができるので本の紹介とか偏るかもしれないし、はてなのほうで有料オプション使ってもアフィリエートでまかなえる気がもともとしないので、うまく使い分けられるかちょっとわかりません。家にあるマンガやCDを整理するにはノンジャンルで書いているこちらのやり方よりも

張り合いが出てくることを期待してみます。

http://comiclab.cocolog-nifty.com/

もうデザインからフレンドリーな感じにしていますがエントリとミスマッチを起こしそうです。