2005-07-31 私の個人情報はきっと漏れている
仕事柄、情報社会というものはどうなるのかを考えるために自分自身を実験台にしている。ローソンでは以前からカードが使えたのでちょっとした買い物でもカードを使ってみたり(現金と感覚が変わるので家計簿をつけない人にはお勧めできない)、ネットバンキングも一時は試していたし、ミニ株の取引をしてみたりしてみた。いわゆるネットの出会い系や結婚支援サイトにも登録してみたり(私の場合プロフを見るとあやしい変な人なんだろう、会えた試しがありません。というかサクラばっかり?携帯の番号とかメアド収集が見え透いているサイトもほとんどスパム並みで減りませんね)、2ちゃんねるでスレッドマスターとサシでケンカしたり(さすがに自分でスレッドマスターをやろうとは思わなかったしコテハンも使いませんでしたが、昨年の正月休みなど2ちゃん漬けになった(完全に現実逃避だった)のでやめました。ちなみに私のスタイルは徹底してネタにマジレスだったのでたまにネタを出してもそう受け取ってはくれない)、まあもともとアジテーションが好きなのかもしれません。
でもMacをADSLで常時接続するようになってから不愉快なことが明らかに増えました。Macはセキュリティについて曖昧模糊としているのが難ですね。ここ最近はモデムかルーターがしょっちゅうブザーを鳴らします。あと某IT情報サイトにリンクを張ったらそれ以後そこのサイトに接続しにくくなりました。まあネットワークのセキュリティについては全然信頼していないのですが(IT業界の人間がこんなこと言ってはいかんわな。セキュリティの分野はやっぱり難しいんですよ。だからハッカーになりたがる奴は後を絶たないんですが、結局はある程度情報をオープンにするしかない)、もしなんらかのブラックリストに載っていたりするのなら監視されていたとしても担保というかアリバイになるつもりで適当に流しています。
ネットで一番まずいのは疑心暗鬼がつのって陰謀史観に陥ることなので、なんかおかしいと思ってもネタとして扱うようにしていますが、ある程度達観するまでにはそれなりの訓練が必要になります。まあ何も書かないでサーフするだけなのが一番いいのでしょうが、一度ネットでそれなりの知名度をもってしまうといかんともしがたい感じはします。ネットをやっていると妄想は膨らむので書くことでもやもやを発散するのと同時にアリバイ作りをしている部分はありますが、あとは誰かが私の名を騙ったりなりすましをされているという妄想がどうしても抜けないので、もし誰かがそんなことをしても無駄だと思い知らせるために書くというようなことにもなっています。こういうことを書くと電波になってしまうのでちょっと嫌なのですが、ここには書きにくいようなイヤな目にはかなり遭っていますので(過去にちょっと書いているか。自分でも単なる偶然か区別がつかないし、第三者には妄想と区別がつかないからなあ)。どうも歯切れの悪い話でした。
■オリコンの好感度アンケート

なんか全然脈絡がないですね。Oricon Styleの8/1号で2万人を対象としたアンケートで好きなアーティストのランキングが出ていて、世代別の結果がなかなか興味深いものでした。
総合ランキングではaiko、宇多田ヒカル、ミスチル、ポルノ、B'zという順位なのですが、40代のランキングではサザンがぶっちぎりで、10代から30代まで幅広く人気を集めるaikoには40代の皆さんはついていけないみたいで、その代わりに浮上するのが竹内まりやなんですよ。実にベタな結果だなあ(笑)宇多田ヒカルが2位なのは藤圭子の影響なんでしょう。30代のランキングでB'zがぶっちぎりで一位なのも他の年代と比べると妙に笑えます。J-popって結局なんなのかを考える意味では面白い結果でした。
■はてなの効用

妄想といえば私がトラックバックをするとされた人が不幸になるという妄想もあって、トラックバックには臆病になっているのですが、はてなの場合以心伝心みたいなものが可能なんじゃないかって期待もあります。あんまり密につながると危うそうなのでリンク元表示は隠しましたが。
歌田明弘さんのブログが最近更新されてなかなか面白いので、はてなブックマークしましたが、あらためてここで単純にリンクしておきます。
はてなダイアリーがテロを撲滅する?
http://blog.a-utada.com/chikyu/2005/07/post_b81e.html
これはテロにかぎらない。性的な妄想などでも同じだろう。性的な妄想を現実に実行したときに、その対象にされた人間が何をどう考えどう思うか、そうしたことを顧みなければ、妄想に歯止めがかかることはないかもしれない。インターネットは、過激な思想やニッチな欲望を共有し理解し、それを育む。では、インターネットは危険な道具なのか。
いやいや「リンク」というのはそうした思想や欲望の雪だるま現象を防ぐ働きもするはずだ、と言っているアメリカの憲法学者がいる。
どうすればいいのかというと、強制的に、対立する考えのサイトにリンクを張るルールにすればいい、というのだ。もっと効果的な方法は、党派的なサイトを見ていたら、反対の考えのサイトに無理やり飛ばすなり、ページが開くようにすればいい。
キャス・サンスティーンという憲法学者の『インターネットは民主主義の敵か』は、まじめで堅い本なんだけど、こうした指摘をしていて、これには思わず笑ってしまった。冗談でも何でもなく、まじめにこうした唖然とするようなことを書くとは、なかなかスゴイ学者だ。
サンスティーンのこの本は、'01年にアメリカで出版されると、大反響を引き起こしたそうだけれど、それも当然かもしれない。もちろん、これを現実にやれば、そうとうの反発があるだろう。でもまあ、イスラム過激派のサイトを見ていたら、突然、嘆き悲しむテロの犠牲者のサイトが立ち上がる、などという仕組みになっていたら、かなり強烈だ。あるいは、アダルト・サイトを覗いていたら、教育基本法を議論している自民党のサイト(などというのがあるのかどうか知らないけれど)に飛ぶなどというのもおもしろいかもしれない。
過激派やアダルト・サイトが、自発的にこうした仕組みを作ることは考えにくい。だから、ほかの人間が仕掛けをつくる、つまり一種のハッキングが必要だろう。でも技術的には、「頭を冷やす」ためのサイトを、ポップアップ広告が立ち上がるのと同じように立ち上がらせることは可能ではないか。
もっとも、サンスティーンは、こうしたアイデアを披露したくて本を書いたわけではない。
この憲法学者は、インターネットが社会の分極化をもたらし、それが民主主義にとって危険なことになりかねない、と主張している。つまり、インターネットによって、思想や妄想が頭のなかで雪だるま現象を起こしやすいことを憂いているわけだ。
ちょっと引用長すぎですが(要するに原文を読んでください)、私がはてなで書き続けている理由として、自分の書いていることがいろいろなリンクによって中和されることを期待しているということはあります。ダイアリー自体よりも興味深いページへのブックマークや、この人はものをよく考えていると思ったらアンテナに入れてしまうなんてこともしていますが、アンテナを自分のダイアリーのページから外したほうがいいのか迷ったりしながらも(むしろブックマークをダイアリーのページに入れるべきなんだろう)試行錯誤しています。
- 作者: キャスサンスティーン, Cass Sunstein, 石川幸憲
- 出版社/メーカー: 毎日新聞社
- 発売日: 2003/11
- メディア: 単行本
ちょっと考えが足りなかったので付け加えておくと、私のアンテナやブックマークはあくまで私自身の関心に沿ったものであることは逃れられないので、リンクがランダムにつながるというのがミソといえるでしょう。この本やサイバーカスケードに関してはすでにけっこう議論がされているようで、くじ引きを使う民主主義の議論などもこのへんと関連するんでしょうか。
■ツトム・ヤマシタが再発されていた

最近は日常的な本屋とレコード店のチェックをほとんどやめているので(とにかく部屋のCDや本の整理をしないとどうにもならん)、ツトム・ヤマシタ(STOMU YAMASHTA)の「ゴー」がCDで出たのに気づかず、土曜日は町田まで行って買ってきました(3作出たので出費がかさむのだけどパーカッションが大好きなのでずっと聴きたかった。本当はRed Buddhaとかソロを聴きたいのだけど)余談ながらついでにアサノのカレーを食べてきました(通勤圏内なんだけど平日だと帰宅途中はもう店じまいしているので今回初めて行った。これは小麦粉を使っていない本格派でした。町田はスペイン料理のお店で昔提灯を掲げた屋台みたいな店があって今ではおしゃれな店構えに変わったのだけどそこがおすすめ。カレーとしては全然違うのだけど立川のサンモリノのカレーが青のりがけで個性があって好き)。
はまぞうだとamazonには上の一つしかなかったのですが、一作目の「ゴー」とライブ盤の「ゴー・ライブ」も出ています。でも出ているのに気づいた時にはもうすでに品切れ状態で、ひさびさにCDショップめぐりをしてしまいました。
ツトム・ヤマシタのGOはグループと言うよりプロジェクトといったほうがいいのでしょうが、とりあえずロックにしてしまうと、ロック史上空前絶後のスーパーグループですね。70年代のフュージョンここに極まれりというメンバーです。
ツトム・ヤマシタ
スティーブ・ウィンウッド
アル・ディメオラ
この5人にさらに4,5人加わったプロジェクトなんですがいやあ、繰り返すようですがこのとんでもないメンバーは究極のフュージョンといわずしてなんと言おうか。というかクロスオーヴァーという当時の言葉のほうがいいな。すごい、凄すぎ(笑)
マジカル・パワー・マコや小杉武久がCD化されたくらいだからそのうち出るだろうと思ってはいましたけど、ゴングとRTFとボストンを足したような(割る必要はないな)感じというんでしょうかね(笑)
今年はシュトックハウゼンが来日したのも知らなくて、見に行けなくて残念でしたが、たとえばマイルス・デイヴィスとタンジェリン・ドリームを一緒に論じられるようなポピュラー・ミュージック論が読みたいですね。自分で書くには手に余るから。ちょうどジャーマン・ロックの雄であるカンの紙ジャケが出たし、GOにウィンウッドとともにトラフィックから参加したロスコー・ジーが後にダモ鈴木の抜けたカンに参加しているなんてことがあるので、クロスオーヴァーからワールド・ミュージック・ブームみたいな流れをたどると面白いと思うのですが。
2005-07-27 累計1万ヒット突破
私のはてなダイアリー、思ったより続きまして、まさかやめる前に1万ヒットを超えるとは思いませんでした。
一度書くごとにだいたい200くらいカウンターが増えるので、こんな思いつきで書いている乱文を読んでもらえるのはありがたいというかこんなんでいいんだろうかと思いますが、特に人文系のすぐれた書き手のダイアリーを時々こっそり覗きながら、考える道具としてこれからも使わせていただきます。給料もこれくらい貯金に回せたら...
もっと他へトラックバックしようかコメントしようかと悩むのですが、あんまり考えがまとまっていない記事についてはやはりちょっとトラックバックして特定の人に見てもらうというわけにも行かないので、しばらくはこのスタイルで続けることにしてみます。
2005-07-26 万博症とはなんだ(ノートの一)
長年マンガ読みを続けて感じてきたのは、「世代」によるギャップが思いのほか大きいということだ。それはマンガを読み始める時期が自分の場合だと幼稚園からで、大学までほぼ同年代とばかり交際する面がマンガ体験を世代的なものにしているからではないかと思う。
もちろん世代を超えて愛される作品も数多くあるが、そのようなものはどこか大衆離れしている面があるようだ。
前回1960年以後(昭和30年代後半)の書き手に親近感を覚えると書いたが、マルクス主義の影響を強く受けた団塊の世代から、反発を覚える世代へと徐々に変わって、そして1960年生まれ以降あたりからはマルクスの影響は影を潜め、代わりに心理学的な指向が強まったような感じがする。高校ぐらいにはユングが流行っていたようだ。
あくまでも個人的な印象だが、「ノストラダムスの大予言」や「日本沈没」が昭和30年代後半の同年代はトラウマになっているような気がする。そもそも「ウルトラQ」以降「ウルトラセブン」「怪奇大作戦」までの円谷プロ作品を原体験として持っており、その怪獣や宇宙人の造形は万博会場のイメージによくマッチするものだ。このへんは椹木野衣氏の著作を読むとわかりやすくなると思うが、幼時に体験した万博とその周辺で起きていたさまざまな社会的事件が私とその同年代にとってはオブセッションとなっている感じがするのだ。
椹木氏の岡崎京子論には私は違和感があって、それは私の岡崎作品への興味が一般に評価の高い作品からずれているせいもあるが(私のベストは「万事快調」。「ジオラマボーイ パノラマガール」や「セカンドバージン」が好きで、特に高く評価されている作品は過大評価だと思っている。安野モヨコさんのほうが才能あるよねと岡崎さんに言ったら同意してもらえるんじゃないか)、岡崎さんが事故にあって椹木さんが万博症を発症した、という感じがするのだ(ちなみに岡崎さんが事故に遭う直前に書かれている作品は非常に暗いというか、鬱っぽいものが多い)。エヴァについてもぼくが伝え聞いた範囲で言えば、最後に実験作品にしてしまっても全然OKなんじゃないとすら思うので、あのころの喧々囂々に対しては冷ややかに見ていたクチだけど(あの「イカス」マクロスの最終回のよれよれぶりとかナウシカのラストのへたれぶりとかに比べれば気が利いていると思わん?)、庵野氏が万博症を発症した、ということにしておきたい。
■ディズニーとスーパーフラット

エヴァをめぐるごたごたはかなりおおざっぱに言ってしまうと作品を徹底的に消費し尽くそうとする消費者とそれに抵抗する作家みたいな図式になってしまう。こういうまとめは無責任に過ぎるとは思うが、村上隆氏のオタクへのコミットについても、似たような感じを受けていた。美術手帖の先月の7月号で村上氏のインタビューがあり、本の整理をしていたらまぎれてしまったのでうろ覚えだが、ペシミスティックな感じでオタクアーティストとしての活動は今回の「リトルボーイ展」で終わった、というような発言をしている(この言い方は不正確かもしれないので正確を期すなら美術手帖を見よ)。ここで村上氏は、オタクのイデオローグたちがオタク文化を翻訳する必要を感じていないことを強く批判している。村上氏の十年以上にわたる活動はオタク文化を翻訳するというあまりにも困難の多い試みであり、それを試みたのは村上氏以外ほとんどいなかった(真性オタクはなぜ翻訳しないといけないのかそもそも理解していない)、と私も思う。
- 出版社/メーカー: 美術出版社
- 発売日: 2005/06/17
- メディア: 雑誌
その後雑誌「フィギュア王」(残念ながらAmazonにはまだ最新号が出ていない)の表紙にあさのまさひこ氏による村上氏へのインタビューと、内藤ルネの名前を見たので購入。特集自体はディズニーである。フィギュア誌はほとんど買っていないが意外と楽しめた。内藤ルネさんは自伝も出て、彼の絵柄は、上田トシコさんが高野文子さんに影響を与えたように、岡崎京子さんへの影響があったのではないかと私はにらんでいるので、再評価の流れは歓迎するけれど、それはとりあえずおいておくと、村上氏が二次元のマンガの絵から三次元のフィギュアに構成し直すことに驚きを見つけたとしたら(私もフィギュアについては三次元になることが驚きだったので)、その元祖はミッキーマウスの着ぐるみがいるディズニーランドになるのではないかと思って、そういう意味で興味深い構成であった。
いろいろネタが増殖してもとの草稿は限りない長文でごちゃごちゃになっていてどうも書き足りないが、時間も時間なのでこのへんで切り上げるとする。
■破壊的イノベーションとしてのANIME

いま日本のアニメやマンガがなぜ世界的に人気があるのかといえば、私の考えでは幼少時に日本産アニメに親しんでいた外国の子供たちが作り手に回るといった背景がある。手塚が残した最大の功績(功罪とも言えるが)とは、アニメーションの世界に徹底したリミテッドという破壊的技術を導入してコストカットした日本独自の「ANIME/アニメ」を作ってしまったことであろう。アニメとはそれまでのアニメーションに対する「破壊的イノベーション」であったのだ。結局手塚の考案したシステムが日本のアニメの特徴となってテレビアニメは世界中に輸出されていった。最近「萌え」ビジネスなどという言葉を見かけるが、その世界的文化的背景を理解しなければ、マンガ・アニメの国を挙げたコンテンツの輸出政策は失敗に終わるだろう。
2005-07-25 古本屋に本を売る
家にある蔵書が膨らみすぎて日記を更新している場合ではないと、整理を試みるが、遅々として進まない。それでもなんか気の迷いで買ったような本もけっこうあるので、40冊ほど近くの古本屋に売りに行ったら、全部で1000円という査定だった。バイトの店員がその場で査定するので、本の内容など関係なく、物質としての本に値をつけるようなものである。つまり新古書店での買取においては、本はコモディティに限りなく近い。
これから何千冊かを整理しようとしているが、たとえば30円くらいで売った本がもし定価の半額で新古書店の店頭で売られるのだとしたら、やはり新古書店に売るのはためらわれるし買うのもなんか嫌だ。とはいえ新古書店というのは所詮はバブルの産物で、出版にかかわるシステムが今後変わっていくならばやがては消えていく運命にあるとは思うのだけれど。
私がコンピュータ業界で仕事をしようと思ったのは、手作業などを自動化することによって、余暇が増え、その分人間が知的活動に費やす時間が増えることを期待していたからである。しかしながら、私が思っていたのとは逆で、効率化して得られた余裕をさらに生産の向上に割り当てるしか能がなくなっていくという泥沼に入り込んだ感がある。コモディティ化により最後には低価格戦略に帰着して価格競争の泥沼にはまりこむというのは、なんだかかつてのバブル現象と表裏の関係にあるように思う。
■「万博症」を考察するためのオタク周辺の知識人文化人マップ

1970年の大阪・千里丘陵で開催された日本万国博覧会の会期は、ちょうど1963年生まれの私が幼稚園を卒園して小学校に入学するという節目にきっちりと重なっている。30歳くらいまでに自分なりのマンガ論をまとめる目標が、阪神大震災とオウムが起こしたサリン事件以後大幅に目標が狂ってしまったのは、私が万博症を発症したからである。
下のリストはマンガ評論家の生年にちょっと興味を持ったことから作ってみた。大塚英志、唐沢俊一、岡田斗司夫の三人のオタク界のイデオローグが奇しくも1958年生まれで一致していたのが面白いと思ったからである。ほとんどネットから拾ったので正確さは保証の限りではない。
秋元康 1956年生まれ 東京都出身
野々村文宏 1961年生まれ
1958年生まれが万博を体験したのは小学六年生の頃になる。となると全共闘運動が高校にまで飛び火していた状況を多少は体感しているだろうし、三島由紀夫の自決などもクリアーに記憶していると想像できる。
いっぽうその5年下で当時小学一年生になったばかりの私にとってはこの頃の記憶は幼時体験として半ばもやのように包まれていると言っていい。万博と並んで私のトラウマとも言える瀬戸内シージャック事件をよど号事件よりもかなり前の事件と思いこんでいたが、きちんと調べてみると両方とも同じ1970年の事件であり、よど号ハイジャックのほうが早かったのがわかってちょっと愕然としてしまったが。むしろこの当時生まれていなかったり幼すぎて記憶がない人たちのほうが年表的な整理はきちんとしているに違いない。
1985年前後に朝日出版社から出ていた、今では主に大塚英志氏の言及によって伝えられている「週刊本28 卒業 Kyon2に向かって」を書いた野々村文宏、中森明夫、田口賢司の3人の「新人類三羽ガラス」の生年が1960-1年と、こちらのほうが若い。私が親近感を感じるのは新人類やオタクとは関係がなくて、やはり1960年以降に生まれた書き手である。
1962年生まれの椹木野衣氏と1971年生まれの東浩紀氏の間の論客が思いつかなかったが、最近になって、はてなを使い始めたせいもあって少し見通せるようになった(たとえば北田暁大氏など。ここでは入れなかった)。どうも私の長らく抱いていたイメージでは「新人類」というのは若くして会社を作ったりしていたタイプであり(その末裔がホリエモンなどのヒルズ族と思えた)で、「オタク」は作家志向という思いこみがあって(マンガ家について私は一つ年下の「昭和39年組」と自分が勝手に名づけた一連の作家を意識していたが、ここには列記しなかった)、椹木氏と東氏の間を思いつく同時代の作家で埋めていったらこんな表になってしまったのだけど、今度は逆に東氏以降の作家についてまるで思いつかないという状況になってしまった。村上隆氏ではないが、40過ぎていつの間にやらじじいじゃねえかと思う次第である。
2005-07-12 古本屋に漫画論の本を見に行った

呉智英氏の「現代マンガの全体像」は所有しているが、ここ十年以上読んでいないので、近くの古本屋に文庫を探しに行ったが見つからなかった。
石ノ森章太郎氏のマンガ家対談集である「漫画超進化論」が500円。過去に購入したと思うのだがたぶん読んでいないので買ってしまう。
小池和夫、藤子不二雄(A)、さいとうたかを、手塚治虫とのインタビューが収められている。
手塚氏は胃の手術後のインタビューで、亡くなる1年足らず前のものだが、これは年下の石ノ森氏が相手だったこともあって本音でマンガとそれを巡る環境について忌憚なく語っており、批評としての切れ味ではここでの手塚を上回るマンガ評論家はどこにいるのかと思うほどだ。
(pp135-6)
手塚:なんといっても「漫画主義」の権堂晋さん、山根貞男さん、梶井純さん、故・石子順造さん、そういう年代の人が中心になっている評論というのは、どうしても全体のマンガに対するグローバルな評論でないから、半分以上劇画に対する恋文だな、ラブレターだなと思って読んでいる。(略)
石ノ森:(略)マンガ評論の是非みたいなことなんですが、評論をグローバルな視点でできるには、ある程度マンガを描いた人でないとだめなんじゃないかと思うんです。技術論も含めて広い視点で見られる人じゃないと、トータルな見方ができないんじゃないでしょうかと。
手塚:一番近いのは編集者でしょう。
石ノ森:編集者でいますかね。
手塚:いまは編集者の評論家はいっぱいいますよ。大阪の村上知彦さんがそうでしょ、それから飯田耕一郎さんとか……。
石ノ森:ただやっぱりさっき言われたような、視点の狭さがあると思うんです。恋文的な部分があると思うんです。自分の想いをマンガに託して語るというような。決して冷静な目で見ているとは思えないですけどね。
手塚:でもマンガ家が評論を書いても、非常に偏るんじゃないですか?
思わずつい最近読んでいた蓮實重彦氏とスガ秀実氏の対談を思い出してしまった(それは「知的放蕩論序説」)。
ちなみに村上知彦氏は知る人ぞ知る「漫金超(マンガゴールデンスーパーデラックス)」の編集をつとめ、1979年に評論集「黄昏通信(トワイライト・タイムス)」を出している。マンガ界の渋谷陽一的なポジションにいた。
この本についてはこちら。私は内容の記憶が薄れているが当時としては画期的なものだった。
http://www.geocities.jp/mandanatsusin/nihon014.htm
ちなみに文庫では増補され名前が変わっている。
村上氏と竹内オサム氏は平凡社から1989年に「マンガ批評体系」全4巻+別巻を出していて、これはマンガ研究を行う上で基本文献の一つ。
飯田耕一郎氏はマンガ家であり、たぶん「漫画エロジェニカ」の編集をしていたのでは?ネットで検索しても見つからなかったが、手塚氏はちゃんと読んでいたのだろう。*1
1980年に「耳のない兎へ」という三流劇画の評論集を北宋社から出した(橋本治さんの「花咲く乙女たちのキンピラゴボウ」を出した出版社)。ちなみに私はこの本のタイトルの元になったであろう「兎」という作品が載っているコミックスをかつて探し出して入手したが(なんとサイン本)、著者の名前を忘れてしまった。「耳のない兎へ」自体がGoogleで7件しかヒットせず、ロリコン美少女ブームによって三流劇画ムーブメントはかき消されてしまったのだが、後に能條純一氏がメジャーに進出するなど決して軽視はできないものである(余談ながら私は少女向けの貸本で読者の投稿の中に「のうじょうじゅんいち」の名前を神田の有名な古本屋で見た記憶がある。能條氏が三流劇画出身であることはファンによってネットで明らかにされており、私自身も幼少時少女マンガは好んで読んでいたので、特別なことではないとして記した)。
なお、米沢嘉博氏や夏目房之介氏や大塚英志氏も1980年頃は彼らの近傍にいたのである。
(pp139-140)
手塚:マンガ家というのは客観的な視野に立ちにくい。やっぱりどうしても主観が入ってしまう。主観が入るということは、子供じみているということです。無邪気なんです。シニカルに、じっと外部から見つめて批判するという訓練は大人でないとできないですよね。社会評論家、政治評論家は本来からいうと、体制、あるいは反体制にのめり込んでしまうとだめなんです。それすらも超越して、客観的な立場から批判しなければならないんだけど。それが今の日本ではできない。どちらかについてしまう。
私の世代が手塚に学んだものがあるとしたらこういう点ではないかと思いたいところだが実際はどうかとなるとなんとも心許ない。まあ世代というくくりをすること自体がここでは批判されるべきである。先行する世代のことはよくわからないが、私の場合両親が大人になってからではなく幼い頃に戦争を体験しているから、親から伝えられてきたものといえるかもしれない。先行する世代と後続の世代との世界認識のずれを調停できるかもしれない立場であるが、それを後の世代にメッセージとして伝えられるものかは今後の課題だろう。
さいとうたかを氏のインタビューでは、手塚の初期作品を外国の丸パクリみたいに思って評価しておらず、手塚の神格化が異様な感じで批判をしたら劇画工房の仲間からも偉そうだといびられた、なんてことが書かれていて、とにかく面白い。
引用し出すと終わらなくなるけれども必読といえるだろう。
女性作家についてはやや批判的なので、私の立場では擁護しなければならないが、それは後の機会に。
手塚も言及していた梶井純氏が寺田ヒロオ氏の歩みをたどったのが次の本。
未読だが、先の石森氏の本では、寺田ヒロオ氏はトキワ荘に来るまで手塚を全く知らなかったという藤子氏の証言がある。
トキワ荘グループの作風を見れば、手塚治虫から逸脱する点は明らかで、対談の中でも影響を受けていないどころかむしろ批判的なメンバーもいたとのことで、そりゃそうだろうと思うのだが、やはり「漫画少年」という雑誌についてもっとよく知るべきだと思う。
なお、梶井氏には戦時下のマンガ史を調べた以下の本がある。
戦前の漫画については清水勲氏や竹内オサム氏の著作があるが、いずれにしても、過去の作品については現在の価値観で軽々と判断すべきではなく、時代背景を詳しく調査する必要がある。そのためには証言をできるだけ多方面から集める必要がある。このような仕事は容易ではないから、そのような書籍の重要性は言い過ぎることはないだろう。
たとえば二上洋一氏の少女まんがの系譜のような本は、この本だけぱらぱらとめくってもなんだかよくわからないと言うことになりかねないが、私にとっては大変貴重な証言なのである。
*1:この勘ははずれたかもしれない。もしかしてCOM?
2005-07-11 オタクは存在しない

オタクという言葉は現在どのように定義されているのだろうか。
「オタク」が流行したきっかけは、はてなのキーワードをたどればはっきりしている。
ちなみに大塚英志氏はひらがなで「おたく」と表記しないと怒るようだが、私は平気でオタクと書く。なぜならカタカナでヲタと書けるけど「をた」って書けないじゃん。
Wikipediaでは大塚氏の意見が尊重されているせいか見出しは「おたく」になっている。しかし解説を見るとカタカナ書きにしているのも多い。(たとえば健康オタクを健康おたくとは表記しないのだ。なかなか興味深い)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E3%81%9F%E3%81%8F
私はマンガについて書く時表記がよくぶれる。マンガと書いたりまんがと書いたり漫画と書いたり。このあたりはずさんなのだが、推敲しない時はそのままにしている。自分の書いたものをあとで読み直して批評するためだ。
「まんが」という表記は少女まんがによく使われる。それから人によっては日本特有のものを強調したいためにひらがなで書くようだ。大塚氏がどちらにこだわっているのかわからない。
「マンガ」の書き分けを提唱したのは石ノ森章太郎氏である。彼は「萬画」を提唱した。ここにはやはり日本のものとしてのこだわりがあるだろう。このような提唱がされた当時は大友克洋氏の影響力が全盛時だったように思われるが、私の周りでは石ノ森氏に対する冷笑があった。私は石ノ森氏の意図がよくわからなかった。今はわかるような気がする。
石ノ森氏は「マンガ」を手塚治虫の発明したものと見なした(これは正確でないかもしれない。石ノ森氏の著作を見よ)。少なくとも「マンガ」は手塚のもの、とした。しかし「マンガ」は「萬画」の中のワンオブゼムに過ぎない。「漫画」はどうか。文藝春秋漫画読本や、筑摩書房が出した「現代漫画」に選ばれている漫画は基本的には「女子供向け」でない「大人向け」漫画とされていたであろう。誤解を恐れずに言えば、オタクが読まない漫画なのである。平仮名の「まんが」についてはすでに触れたが、児童向けを意図することもある。
石ノ森氏は1989年、手塚への追悼として書いた作品で萬画宣言をするが、それはすでに手塚マンガも大人漫画も萬画の多様な表現のうちの一つである(一つに過ぎない)ことを宣言したものであると私は解釈している。
宮崎駿氏が手塚の追悼に際してアニメにおける手塚の貢献をほぼ全否定したような発言をしたことは今では有名なのかどうかわからないが、手塚氏が亡くなった時には私の周りのオタクたちはみなそれは知っていた。しかし萬画宣言に関してはよくわかっている人はいなかったように思う。それから付け加えておけば、手塚氏が亡くなった時「マンガはこれからどうなってしまうのか」と悲観的に泣き崩れる人々がテレビで映し出されたのを見て、ひじょうに困惑したことを覚えている。石ノ森氏や宮崎氏も、ひょっとしたら同じ困惑を覚えたのかと思ったりした。それから手塚治虫に国民栄誉賞が贈られないのはおかしいという議論が起きたが、私にとってはこのような議論が巻き起こること自体が奇妙なものであった。なぜなら、私の両親は手塚のことなど名前以外全く知らなかったし、それは両親に限らず親戚でも同じようなものであった。美空ひばりやサザエさんに比べたら、鉄腕アトムが国民的マンガでなどなかったことは当時の厳然たる事実である。
ここで、オタクとマニアの違いについて考察してみる。
オタクはマニアの蔑称だという立場はここではとらない。たとえばたしかに鉄道マニアが鉄道オタクと謙遜することはある。また女たちが自らを「オタク」と呼ばないことで、それが男に対するセクハラ的意味合いを持つことは否定しがたい面があって、オタクについて論じることが主に性的な側面を持っていたこともまず確かではあるけれど(大塚英志氏の「おたく」表記のこだわりはたぶんその意味合いと推測する)、それを考察するのはいささかうんざりするし、長くなってしまうのでここでは考察の外とする。余談ながら最近はやおい好きの中からオタクを名乗る女性も出てきている。
(なお、おたくのひらがな表記について普通健康おたくとは表記しないのは自嘲的、蔑称的ニュアンスが失われるせいかとも思ったが、一般的にそのようなこだわりがあるとは考えにくい)
マニアというと鉄道、飛行機、カメラ、切手、銃などが対象としてすぐ思いつくことであろう。このようなマニアの世界ではだいたいその全体像を知っており趣味の違いがあるにしてもほぼ話は通じる世界だと思える(現在はどうかやや疑問だが)。
ところが、オタクが趣味の対象としているマンガやアニメは、その対象が量的にあまりに大きくなってしまったために全体像が見えない。もちろん過去には見える時期もあったのだが、呉智英氏が1986年*1に「現代マンガの全体像」を出したのは、それが見えなくなったという認識が行き渡ったという状況があったように思われる。私の場合には80年代前半にすでにそのような認識があった。というのも、少女まんがについての情報が80年代になるとまるで入ってこなくなったからである。
80年代前半、私の周りで実際に相手に向かって「オタクは」と呼んでいたのは少女まんがマニアだった人達だった。これは少女まんがの中の男キャラクターが少女キャラクターに対して使うことが流行っていたせいもあるだろうが(ちなみにこの当時の少女まんがファンの女性たちの間では自分を「ボク」と呼ぶことが流行っていた)、それを現実に使うのはかなり度胸がいるのではなかろうか。今考えると、やはり同じ少女まんがファンでもなんでも読んでいるということはなく、マニアのように対象が一致しないという面がこの流行にはあったような気がするのである。こうした「原オタク」たちの間では、相手のことを「○○氏」と呼び合う風習があった。同じファンでありながらその趣味の違いを探りあう必要があったことを、オタクは、という呼びかけに込めたと思われる。
現在では、オタク同士で話が通じ合うという前提はほとんど崩れているが、そう認識していない人もまだけっこういるのかもしれない。そして話が通じ合うという前提が崩れていることに気づかないかのごとく話す者のことをオタクと呼んでバッシングするという状況があるようにも思われる。
私の場合、話が通じるという前提はなくここに書いているが、話が通じないことを前提にしながら語る行為が理解できない人はおそらくたくさんいる。そのような人達がオタクでない人達なのだ。
趣味のジャンルが重なるにもかかわらずその知識について完全な共通了解に達していないというのがオタクの置かれた環境であると考えることによって、オタクの世代分けが成り立つ。マニアには世代の概念がないというのが、オタクとのもっとも典型的な違いではあるまいか。
現在、文学や映画もマンガやアニメと同じような状況になっているのではないか。今文学や映画においてオタクではなくマニアを名乗る者がどれくらい存在するかによって、この仮説が的を射ているかどうかある程度は計れるかもしれない。
結局のところ、オタクのコミュニティというのはいまや全く脆弱なものとなっているのではないだろうか。そこでオタクをかろうじてオタクたらしめているのが「萌え」というキーワードかもしれないが、残念ながら今回の考察の対象外なのである。
完全な共通了解が存在しないのであれば、それは普通の人間関係と何ら代わりはない。ゆえにそもそもオタクなど存在していなかった。もし存在していたとしてもやがて、オタクは波打ちぎわの砂の表情のように消滅するであろう。
*1:1990年に増補版が出た
2005-07-06 ちょっと本買いすぎ
今回、である調に変えてみました。
はてなダイアリーを始めてからまた本を買いすぎるようになった。これから数年の社会の変化を考えるとしんどい時期になるだろうと思い、ついついいろいろと買ってしまう。インターネットだけではまだまだ本の代わりにはならない。
■少年犯罪と大人の責任

中井久夫氏の新刊で書評の対象となっていた家裁調査官である著者の本(書評は新潮選書のほうだったかしら)。
日本における少年犯罪の報道を見ると、その異常ぶりはメディア自体が少年少女を虐待しているんじゃないかと訝しむほどである。社会人として働いている世代が誰もかも大人になりきれていないせいなのか。
少年の凶悪犯罪は決して増えておらず凶悪化などしていないことはさまざまな本で指摘されているとおり。
この本の前書きでは昨年に成立した裁判員制度についてもふれている。日本の国際的責任とともに、日本の国民の一人一人が社会に対する責任を負うことがいよいよ求められているのである。
5年以内には施行されるということなので、ここで書かれているようなことは知っておくべきことになるだろう。
ここ数年テレビも新聞も習慣から外れてしまって恥ずかしながら裁判員制度については最近知ったのだけど、ネットで調べれば十分な情報は得られる。
ちょっと前の本だけれどこんなマンガも出ている。
O.J.シンプソンや最近ではマイケルジャクソンの無罪評決でアメリカの陪審員制度はいろいろと批判されているが、日本の裁判員制度はアメリカ式とはちょっと違うらしい。このへんは時間がないのと理解を深めるためここで調べるのはやめておく。
■ネット右翼と新左翼のどこが違うのか?

以前、同世代で飲む機会があったとき、ネット右翼なんて所詮は新左翼じゃん、と言ったらそうそうと思いっきり同意されてしまった。そういえば最近のネット右翼はどんな活動をしているんだろうか。
まだ全部は読んでいない。
ここでもやはり若年層に対する搾取と排除の問題が出てくる。若い人に対するお節介と言うより持論をひたすら押しつけるだけのガキくさい説教がブログ界隈でも起こっているらしいが、いい年して恥を知るべきだろう。
■IT doesn't matter(気にすんなって)

IT業界で賛否両論を呼んだNicholas Carrの"Does IT Matter?"がもう翻訳されていた。未読。ビジネス書はページ数の割りには安いものが多いけど、これはなんとか会社のお金で購入させよう。
ITにお金を使うのは、もうおやめなさい ハーバード・ビジネススクール・プレス (Harvard business school press)
- 作者: ニコラス・G・カー, 清川幸美
- 出版社/メーカー: ランダムハウス講談社
- 発売日: 2005/04/07
- メディア: 単行本
ちょっとこの邦訳の題名ではアメリカのIT業界に如何に波紋を投げかけたのかわからなくなってしまうのは残念ではあるのだが。
(参考)
http://blog.japan.zdnet.com/iida/a/000043.html?tag=zdnw
この本はITがたちまちのうちにコモディティ化することを問うているんだったかな。コモディティ化の反対語としての「マーチャンダイズ化」という言葉はあまりになじみが薄いが、「脱コモディティ化」という言葉ならばそこそこ知られているかと思い、Googleで検索してみたら、
脱コモディティ化 の検索結果 約 36 件
はあそうですかそうでしたか。
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2005-07-05 はてなダイアリー市民になった
2005-07-02 コモディティ化する技術屋は破壊的イノベーションの夢を見るか?
なんとなくいやみたらたらっぽい題名で恐縮ですが(決して特定の人を批判する意図はありません)、今回は現在私が会社の意向で勉強中の「コモディティ化」と、ハーバードビジネススクールのクレイトン・クリステンセン教授の論文で「イノベーションのジレンマ」で有名になった「破壊的イノベーション」についてだらだらと考えてみたいと思います。
■デジカメは今年十歳になった

唐突ですがコンシューマ向けのデジタルカメラが登場して今年で十年経ちます(本当は違うのですがそういうことにしておきます)。
デジカメの発祥とその大まかな歴史はこちら
http://www.jcii-cameramuseum.jp/events/20001024.htm
コンシューマ向けデジタルカメラの登場とその発展についてはこちら。
http://www.jiten.com/dicmi/docs/k19/19243s.htm
1995年と言えば日本は阪神大震災や地下鉄サリン事件で騒然となったいやな年ですが(実は私この頃からあまりテレビを見なくなっていてエヴァンゲリオンっていまだに見てないんですけど)、Windows95が発売され、それまでマッキントッシュの独走状態だったGUIが、それまでMS-DOSを走らせていたPC-AT互換機でも本格的に使えるようになった年でした(Microsoft ExcelとWordはもともとMacのキラーアプリで、今でもMacとWindowsのデータ互換性は十分。OpenOffice.orgはフォント互換がまだうまくいってないのでは。フォントはMacのほうがいまでも圧倒的にきれいだと思います)。そして、デジカメの歴史に残る対照的な2つの機種が登場しました。
一つがカシオ計算機のQV-10、もう一つがリコーのDC-1です。
QV-10について
http://www.wan-in-black.com/digi_camb/qv_10/qv_10.htm
http://ja.wikipedia.org/wiki/QV-10
DC-1について
http://www.itojun.org/digi-cam/dcfaq/dcfaq.part.2.html
今の一眼レフを除くコンパクトデジタルカメラのコンセプトはこの2機でほとんど出尽くしています。なかった機能は手ぶれ補正機能くらいでしょうか。
3月に発売されたQV-10はそれまでの特に2つの点でカメラの常識を覆すものでした。
- 回転式レンズ機構
- 液晶モニタ搭載と光学ファインダーの削除
画素数は25万画素で、実際、カメラ業界からはカメラ扱いされていなかったような気がします。
私もこれはおもちゃだと思いました。価格は65000円で、デジカメとしてはじめて10万円台を切ったマシンですが、これは私には高い買い物にうつりました。
一方の6月に発売されたDC-1はカメラメーカーであるとともにマルチメディアに力を入れているリコーらしいオペラグラススタイルのデジカメでした。
この41万画素のマシンは次の点で画期的でした。
- 静止画/静止画+音声(10秒)/連写/動画(5秒)/音声/文字(接写)撮影の5つの動作モード
- f7.1〜f21.3mm3倍ズーム(35mm換算50mm〜150mm)
つまりスチルカメラにもかかわらず動画と音声が記録可能だったのです。
それからズームですが、オペラグラススタイルなのでレンズが飛び出したりしません。デジカメのズーム機能はサイズと価格に影響するため次のDC-2ではズーム機能を削り、新規参入他社もしばらくの間(2年くらい?)ズームつきカメラに挑戦する技術がなかったのでしょう、それゆえにDC-1がいかにとんでもないカメラかを実感させるものでした。
QV-10に搭載されていないストロボ内蔵で、単体では光学ファインダのみで液晶モニタは外付けオプションで、面白いのはこの外付モニタのほうが角度を可動できました。
リコーの売りである1cm接写というのも(DC-1Sから?)驚いたものですが、QV-10も10cmから接写できました。
DC-1は高機能をどれだけ小型化して実装するかの当時の限界に挑んだマシンでもあり、私は当時はこちらのほうにデジカメの革命を見たのですが、周辺機器を揃えると20万円を超えるため、手が出ませんでした。ズームが搭載されはじめたころ値崩れしたのを名機だからと思ってボーナスはたいて買いましたがそれでも15万円しました。あの頃の私を後ろからぶん殴りたい気持ちです。
Macに詳しい方なら、この2機よりも前に民生用のデジカメがAppleとKodakから発売されていたことはご存じでしょう。
Apple QuickTake100 コダック製 1994年1月発表
http://www.mactechlab.jp/mactech/modules.php?name=News&file=print&sid=41
それからデジカメの年表がこちらにありますが、1995年3月のところにDC40があります。
http://www.digicamezine.com/digicame/makermatrix.htm
38万画素で99,800円と10万円を切っています。
Appleというのは変な会社で、Macintosh Plus, SE, G4Cube, Mac miniとデスクトップマシンはめっぽうコンパクトなマシンを出しているのに、ノートに関しては無駄にでかいマシンが多いです。もちろん、これは日本人の感想であってごつくでかいアメリカ人にはコンパクトなノートはキーボードが使いづらいのだろうと思いますが。カメラにしても購買意欲をそそるものとは言いがたいものでした。
しかしWindows95のリリースに先駆けて低価格のデジカメが発売されたことが、95年の2つの名機の登場を必然としたことでしょう。
オリンパスもデジカメを早くから手がけており、先の年表の95年6月のところにあるDELTIS VC-1000II HSがありますが、このDELTISシリーズは以下のURLにあるように、1993年に41万画素で520000円という価格から95年の時点で248,000円と、DC-1のセット(DC-1は単体価格149,800円のようですね)と同じくらいの価格になっています。オリンパスはブランド名をCamediaに変えて一時は勢いもあったんですが。
http://www1.harenet.ne.jp/~hiharada/plink/pl42/pl4205.htm
オリンパスもソニーもデジカメでは先行メーカーだったわけですが、95年にあっさり風向きが変わってしまったのでした。カシオとリコーにはWindows95の登場をおそらく前提として従来のカメラのデジタル化にとどまらないデジカメの将来についてのビジョンが明確にあったのでしょう。これはたまたま商品コンセプトが社風に合致したというか運が大きいと思いますけど。
QV-10やDC-1に飛びついたのはジェフリー・ムーアのキャズム理論で言うところのイノベーターやアーリー・アドプター(オピニオンリーダー)たちといえるでしょうが、DC-1は今の携帯電話のようにコンパクトで多機能で、メカフェチでお金に余裕がある人向けであるのに対し、QV-10はガジェットで遊ぶのが好きなオタクに圧倒的に支持されました。DC-2がズーム機能を外してサイズも大きくなったように、QV-10の<手ごろな>価格が支持されて市場が一気にふくらんでいきました。真のイノベーターは<オピニオンリーダー>ではなく<オタク>だったんじゃないかと思います。
(参考)
http://www.mitsue.co.jp/case/concept/02.html
さて、そこで破壊的イノベーションの話になるのですが、ちょっと面白いことに、オリンパスのDELTISブランドはデジカメから離れて奇しくもMOドライブに受け継がれていたのですね。ここで余談ながら私の持っているデジカメはDC-1Sとオリンパス Camedia C-2020 Zoom、Minolta Dimage Xgの3台です。しかし3台も持ってどうするんでしょう。DC-1Sは値が付けば売ってもいいかと思っているんですが。そんなこんなで今年のリコーは何か面白いものを出さないか気になっていたのですが(広角が売りなんですよね)ところが今年はどうも一眼レフブームのようで地味に見守りたいところ。
クリステンセンの「イノベーションのジレンマ」は、ディスク・ドライブ業界におけるプレイヤーの栄枯盛衰について調査分析して、破壊的イノベーションの現象を見いだしました。私のおぼつかない理解によればQV-10はデジカメにおける破壊的イノベーションをもたらしたということになるでしょうか。
(参考)
http://www.infoscape.jp/tms/mot/book1.htm
イノベーションのジレンマ―技術革新が巨大企業を滅ぼすとき (Harvard business school press)
- 作者: クレイトン・クリステンセン, 玉田俊平太, 伊豆原弓
- 出版社/メーカー: 翔泳社
- 発売日: 2001/07
- メディア: 単行本
■iPodは破壊的イノベーションなのか?

さて、ディスクドライブといえば、いち早くデジカメをコンシューマ市場に投入したAppleはiPodの成功によってQuickTakeの教訓を生かしたのかもしれません。私はiPod miniについてはディスク容量が中途半端なような気がしたのですが、スティーブ・ジョブスは迷わず先攻の姿勢に出ていますね。戦略にブレがないと思います。
ただここで私としては気をつけたいことがあります。ディスクドライブのようなもの(部品)は破壊的技術のイノベーションによってコモディティ化するように思えますが、QV-100やiPodは破壊的技術によるイノベーションと言ってしまってよいのかちょっと疑問があります。デジカメやミュージックプレイヤーはそもそもコモディティではなくマーチャンダイズであって、技術のレベルではコモディティ化の影響をうけますが、商品性としてはデザインやサービスがものを言うのじゃないかと思います。やはりiTunesはすぐれたサービスだしiPod miniはカラーリングによってiPodと差別化されています。
「イノベーションのジレンマ」を読んでもしクリステンセン教授を神様のように思ってしまうとすればそれは技術者の陥る技術信仰の罠になる危うさがあるように思われます。読んで目から鱗が落ちるような本は批評的に読む姿勢を持ったほうがいいかなと思っています。
ここで論ぜられていることについてなぜ目から鱗が落ちるのか考えてみると、ディスクドライブについてはスペックを落として小型化することが破壊的技術のようにみえる、それって「ムーアの法則」あたりを前提にしてるんじゃない?というか、実は今まで私の話してきたことがそういう言い方になっているようですが、さすがにそんな単純な話ではないはずで、これは「イノベーションのジレンマ」を実際に読んだ人が社内などでいろいろと意見交換をしたほうがいいのでしょうね。
というのもgoogleで検索すると例えばこんなコンテンツが見つかりました。
イノベーションのジレンマ以前の問題…
http://www.randdmanagement.com/c_shuju/sh_070.htm
このような姑息な姿勢に憤慨するスタッフも多い。
しかし、このような姿勢に転換させた原因は、スタッフにもある。
クリステンセンの本を必読とみなしたのは、もともとはスタッフの方だ。一見、正当そうだが、直面する課題に関する社内議論を避け、有名論文購読を優先したともいえる。
この正月休みも様々な「勉強」を推奨したようだ。現実の問題に立ち向かうより、知識を増やした方が、解決につながると考えているのだろう。
このような非実践的主義的な行動を推奨する限り、幹部の意思決定の質は高まることはあるまい。
あちゃー!ごめんなさいごめんなさい。
■コモディティってなんだっけ

ここでコモディティ化についてもググってみましょう。
情報マネジメント用語事典 > コモディティ化
http://www.atmarkit.co.jp/aig/04biz/commoditize.html
高価な商品が低価格化・普及品化することを“コモディティ化”という場合もある。
この言い回し、なんか微妙ですね。ここでは「日用品化」という言葉を使っていないので安心しましたが、もうちょっとほかも見てみます。
電気通信事業のコモディティ化とマーチャンダイズ化 青柳武彦(GLOCOM主幹研究員)
http://www.glocom.ac.jp/project/chijo/2002_06/2002_06_18.html
コモディティ(Commodity)にはぴったりした日本語がない。通常は「商品」と訳されているが、商品にも単なるグッズ(Goods)や、マーケティング活動を行ったりブランドをつけたりして差別化をはかるマーチャンダイズ(Merchandise)など、色々とある。「日用品」、「生活必需品」、あるいは「安くて容易に入手できるもの」と訳されている場合があるが、以下に述べる理由によりいずれも妥当ではない。(中略)ほとんどの日用品(食品、洗剤、ティッシュペーパーなど)は、コモディティではなく広告宣伝によって差別化をはかっているマーチャンダイズである。コモディティの代表格である金、銀、銅などは、日用品でも生活必需品でもない。また、コモディティには安価で容易に手に入るものもあるだろうが、それがコモディティの特徴的属性というわけではない。
読みづらいところを中略してしまいましたが実は略したところがたぶんきっと重要だったりします。
コモディティはもともと商品取引(たとえば先物)の対象となる商品を指すようなのですが、余談ながら素人はたとえ一日たりとも先物取引に手を出してはいけません。まあ私も先物取引の仕組みはよくわかっていませんが、知っていることが安全という気はします。
青柳氏はコモディティ化の流れに逆らうものとしてマーチャンダイズ化を考察しています。そこでちょっと試しにGoogleでヒットさせてみましょうか。
コモディティ化 の検索結果 約 95,200 件
マーチャンダイズ化 の検索結果 約 13 件
コモディティ化という言葉がいかにインパクトの強い流行語として猛威をふるっているかって感じがしますね(というのは引っかけで、13件となるとマーチャンダイズ化という切り口を青木氏がはじめて提示したという感じです)。ちなみに出版の世界で起きていることはコモディティ化じゃなくて極度なマーチャンダイズ化なのじゃないかとふと思いましたが、まだ勉強中なので思いつきにとどめておくことにします。
<a href=”http://brevenka.net/news/edgecumbe_college_torque”>edgecumbe college torque</a>
<a href=”http://shfd.bredizto.net/”>shfd.bredizto.net</a>
<a href=”http://zegr.bredizto.net/”>zegr.bredizto.net</a>
<a href=”http://slxu.bredizto.net/”>slxu.bredizto.net</a>
<a href=”http://yzt.bredizto.net/”>yzt.bredizto.net</a>
<a href=”http://vlj.bredizto.net/”>vlj.bredizto.net</a>
<a href=”http://qhs.bredizto.net/”>qhs.bredizto.net</a>
<a href=”http://boun.bredizto.net/”>boun.bredizto.net</a>
<a href=”http://tvcgryo.bredizto.net/”>tvcgryo.bredizto.net</a>
<a href=”http://bizdnr.bredizto.net/”>bizdnr.bredizto.net</a>
<a href=”http://gofwi.bredizto.net/”>gofwi.bredizto.net</a>
<a href=”http://nhzrk.bredizto.net/”>nhzrk.bredizto.net</a>
<a href=”http://semox.bredizto.net/”>semox.bredizto.net</a>
<a href=”http://iuhkog.bredizto.net/”>iuhkog.bredizto.net</a>
<a href=”http://qrdhfgg.bredizto.net/”>qrdhfgg.bredizto.net</a>
<a href=”http://vpml.bredizto.net/”>vpml.bredizto.net</a>
<a href=”http://oodsjkn.bredizto.net/”>oodsjkn.bredizto.net</a>
<a href=”http://pvuwr.bredizto.net/”>pvuwr.bredizto.net</a>
<a href=”http://mkevuf.bredizto.net/”>mkevuf.bredizto.net</a>
<a href=”http://bopxg.bredizto.net/”>bopxg.bredizto.net</a>
<a href=”http://hprjmrq.bredizto.net/”>hprjmrq.bredizto.net</a>
<a href=”http://ehwfws.bredizto.net/”>ehwfws.bredizto.net</a>
<a href=”http://cqjtdc.bredizto.net/”>cqjtdc.bredizto.net</a>
<a href=”http://hqhj.bredizto.net/”>hqhj.bredizto.net</a>
<a href=”http://rgfyu.bredizto.net/”>rgfyu.bredizto.net</a>
<a href=”http://uheoh.bredizto.net/”>uheoh.bredizto.net</a>
<a href=”http://zcr.bredizto.net/”>zcr.bredizto.net</a>
<a href=”http://xlc.bredizto.net/”>xlc.bredizto.net</a>
<a href=”http://ekt.bredizto.net/”>ekt.bredizto.net</a>
<a href=”http://nmcl.bredizto.net/”>nmcl.bredizto.net</a>
<a href=”http://dcxag.newkolle.net/”>dcxag.newkolle.net</a>
<a href=”http://jrfjij.newkolle.net/”>jrfjij.newkolle.net</a>
<a href=”http://navndkw.newkolle.net/”>navndkw.newkolle.net</a>
<a href=”http://bhb.newkolle.net/”>bhb.newkolle.net</a>
<a href=”http://nlewssc.newkolle.net/”>nlewssc.newkolle.net</a>
<a href=”http://cgdo.newkolle.net/”>cgdo.newkolle.net</a>
<a href=”http://ttglos.newkolle.net/”>ttglos.newkolle.net</a>
<a href=”http://lngnmg.newkolle.net/”>lngnmg.newkolle.net</a>
<a href=”http://iczja.newkolle.net/”>iczja.newkolle.net</a>
<a href=”http://qamhmj.newkolle.net/”>qamhmj.newkolle.net</a>
<a href=”http://oqnc.newkolle.net/”>oqnc.newkolle.net</a>
<a href=”http://vll.newkolle.net/”>vll.newkolle.net</a>
<a href=”http://ehnu.newkolle.net/”>ehnu.newkolle.net</a>
<a href=”http://trs.newkolle.net/”>trs.newkolle.net</a>
<a href=”http://blpnku.newkolle.net/”>blpnku.newkolle.net</a>
<a href=”http://mhm.newkolle.net/”>mhm.newkolle.net</a>
<a href=”http://tztq.newkolle.net/”>tztq.newkolle.net</a>
<a href=”http://eqaqbqn.newkolle.net/”>eqaqbqn.newkolle.net</a>
<a href=”http://lokt.newkolle.net/”>lokt.newkolle.net</a>
<a href=”http://bfqzpd.newkolle.net/”>bfqzpd.newkolle.net</a>
<a href=”http://doemn.newkolle.net/”>doemn.newkolle.net</a>
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<a href=http://kzj.viozarll.net/pronafin.html > http://kzj.viozarll.net/pronafin.html </a>
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