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2005-06-25 ある勉強好きのぼやき このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

私のプロフィールには「勉強が大好き。」「ダメ社員」と書いているのですが、梅田望夫さんが最近の話題でまさに私のプロフィールを直撃するような(笑)考察を展開していました。

これはまだ終わっていないようなのですが、ベンチャーとかやっている人も労働の現場は見えないのかってがっかりしつつも、私の書いている日記の内容ではうかつなことは言えないととりあえず様子だけうかがっていたら、梅田さん自ら凄いとリンクしているところがありましたので、私もリンクさせていただきます。

勉強のできない人から職を奪う生き方の提案

http://deztec.jp/design/05/06/25_job.html

この方は、

たしかに今、私は東証一部上場の某大企業(グループの社員数が1000人を超える)で研究開発部門に所属しています。けれども、仕事の大半はデータの取得作業です。それは製パン工場ほどひどくはないけれど、レジ打ちより単調。戦車1台を動かすためには、その何倍もの整備・補給車両が必要になる……そんな感じ。

と書かれていますが(私の職場とそっくり!)、大企業になるとそういう仕事は企業そのもの(もちろん多くの社員たちの家計も)を支えるためにどうしても必要となるのが現状です。私がコンピュータ系の企業を選んだのは、コンピュータの発達によって単純労働から解放されることがよいことだと思ったからですが、現実は違いました。資本主義というシステムはITブームを煽ってますます貪欲に労働と消費を求めます(私もいろいろと本を紹介してその中に乗っかっているのですね)。人間の生活のリズムを破壊しても平気なほど速さを競いあっていることにみんな嫌気が差しているんじゃないかと思うのですが、遅れたら死んでしまうと思うのか、スローダウンする気配は見えてきません。

このエントリの前の、「梅田望夫さんが見ている、どこか遠い世界」では、

梅田さんは一流大学卒でプライドの高い人を前提として話をしているから、命取りなんて言葉が出てくるのだと思う。「左遷」されて憤激するような感覚で書いているのではないか。

私も一応、某旧国立一期校の出身者だから、自分の話として書かせていただくけれども、これは生き方の問題です。プライドを捨てれば、「勉強能力」と「村の中での対人能力」みたいなものさえあれば楽しい仕事人生を送れるはずなのです。

音楽や野球や将棋の仕事での役に立たなさと比較して、お勉強はまだしも役立ちます。漢字が読めるだけで全然違う。新聞記事が読める、2桁×2桁を暗算できる、地理・歴史・政経などの素養がある、パソコントラブルにある程度まで自力で対処できる、これらの能力があるとないとでは大違いです。梅田さんはご存じないかもしれませんが、本当に勉強ができない人は、これらのことができません。

話のレベルが低すぎますか? そうかもしれません。しかし私はそれなりの大学を院試免除(学科のみ)が公示される成績で卒業しましたが、四国4県の県庁所在地を全部いえたら「賢い人」に分類されるような世界に生きています。

梅田さんの描いている世界には、100人に1人くらいのトップ層しか暮らしていないのではないか……ふと、そんなことを思ってしまう。現実感のない、どこか遠くの世界に見えるのです。

と書かれています。全くその通りなんで、本当はつつましく生活できることに越したことはない。私の父は旧制中学で母は小学校までしか出ていませんが、子ども時代不幸だったことはありませんでした。放課後は虫捕りをしたり野球をしたりドッジボールをして遊び回り、中学時代も受験対策は中3の夏から塾の日曜コースに行っただけ。それまでは住んでいる団地の外にすらろくに出たことはありませんでしたが、その狭い世界でそれなりに自足していました。団地の中の小さな図書館で読むものが少なく、雑誌の中からユリイカとか美術手帖とかちょっと難しいものを読んだわけです。

勉強能力だけはあったらしい私は大学にとどまってつつましく暮らせればいいと思っていましたが、父は大病以後窓際族に追いやられていたらしいので家計の問題で夫婦の言い争いが絶えず、大学院にとどまることは許されませんでした。今なら残るための方法を模索するところですが、あいにく育ちの悪さから世間知は足りなかった。今でも足りません。

大企業に入ったのは父をとりあえず喜ばせるためでした。自衛隊から某電機メーカーに中途転職した父は「国家上級公務員」か医者でなくては東大を出る意味がないと嘆きました(出身校は以前カミングアウトしています)。企業は金儲けがすべてであり学閥がはびこっていて東大卒はつぶされてしまう、実際そういうかわいそうな人がいたというのです。官僚の世界だってとんでもなく如才ない人達がいる競争社会なんだから同じじゃないかと思ったんですけど。父は会社でいじめにあっていると言い上司を呪っていました。ところが父は神戸に育って被差別部落出身者の蔑称を使って平然としているほど学がなくて、私がいくらとがめてもかわいそうな人達じゃないかと言ってその蔑称を改める気持ちなどこれっぽっちもない。このへんのエキセントリックさは私自身が知らず知らずに受け継いでいる危うさは感じます。

私は社会人になってから、父はきっと無能で職場の雰囲気をしらけさせ上司はかわいそうだったろうなと感じましたが、それでもあの頃は私を大学院に行かせることができたのだなあと思います。それだけは感謝してもしきれません。

たぶんマルクスを読まない私の世代くらいから実力主義が言われて東大卒の優遇はなくなっていきますが、それでも優遇されていたところはあったと思います。恥だらけですが解雇だけはされていないので正直会社には恩義を感じています。自分の大学時代の知り合いには官僚からフリーライターフリーターニートまでそろっています。大企業に馴染めず転職した人も何人もいます。

東大出の刻印によってひどい目や恥ずかしい目にあったことは数知れません。なにしろ運だけで受かって英語すらろくにしゃべれないのです。東大なんてたいした学校じゃないといっても誤解されるでしょうが、企業が勘違いしていたような、勉強能力が万能でないことは自分自身が身をもって感じていることです。抜け目なく如才ないタイプから極端に不器用な勉強バカまでが混在しているのが私の在籍していた大学でした。また大学院時代有能だった人は東京理科大から院試で入ってきた人達だったことを付け加えておきます。

正直言って私が人生で出会った人達の中で一番素晴らしいと思った人達は私の母を含む「学のない」人達でした。若い警察官自衛官や昔暴走族だったろうバイク便の運ちゃんで権力欲のかけらもない人達の持つ暖かさにふれて自分も世の中の役に立たなくてはと思ったことが何度もあります。そのような人達の住まう村でなら心安らかに人生が送れるかもしれないと本気で思っています。


それぞれの欠落をカバーしながら

http://blog.lv99.com/?eid=187059

「対人能力」に欠けている凄い腕のプログラマーと、「対人能力」があるがプログラム能力に欠けているプログラマー、どっちと組む? ぼくは前者。ぼくには、プログラム能力が欠けているから。組むことによってお互い欠けている部分を補完できるからだ。(それ以前に、「対人能力」ってあまりにも曖昧すぎる用語なので、使い辛い)

私はプログラマー志望で入社して、高卒の凄腕プログラマーに全く敵わなかったのですが、大学院でも外からきた人が有能だったくらいですから、彼の能力を尊敬してしまって補完する術を知りませんでした。入社当時会社はまだバブルで私はOJTもまともに受けられなかったのが不満でしたが、しかし無能なリーダーを持つ部下や外注さんはたまったものじゃありません。ITのテクノロジーは人材の適材適所にこそ使われるべきだと真剣に思います。そこで極度にプラグマチックな経営者技術者によって「人の多様さを無視して」対人能力を偏差値化するような設計をされてはたまりませんが。

ところで私の住む町も異国化してきています。飲食店チェーンの店員はみな海外からの留学生に違いありません。日本人と見分けがつかないですが、中央線文化の影響で住みやすいのかどうかわかりませんが中国語などは町中でもよく聞こえてきます。中小企業の現状はそういうもので、とりあえず住民との軋轢も起きてないようです。きれい事に聞こえるでしょうがその人種民族の多様性をまずは祝いたいと思います。かれらには日本の文化のよいところをぜひ持ち帰ってほしいと願う次第です。それらのうちの一つは私が一番素晴らしいと思った人達が持っているものだと思っています。

2005-06-24 いやったらしい教養 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

ここに書いていることを日記かブログかと聞かれたら、私は日記と答えます。

トラックバックしない限り特定の人に向けて書いているつもりは全くないし、ちょっと書いている内容的にトラックバックしにくくなってしまいました。不特定多数にブロードキャストするWeb日記とコミュニケート指向のブログは基本的には両立しないと思うのですが、ただトラックバックコメントは歓迎したいと思っています(本業と関係のないボランティア活動なのでコメントに関しては答えないことがあります)。

アンテナについては特に脈絡がありませんが即興で気に入ったものをつないでいます。日記のタイトルアドリブと書いているとおり。あくまでも自分の中の問題意識の中からのみ、いろいろな問いを垂れ流しています。それが主張のかたちで表されることもあります。自分の言いたいことをあえて言い切るために公共的な場でわざわざ書いています。なお自分は工学部出身なので技術者のあり方に対する批判はこれからもする予定です。

名指しで書かない限り特定の人の批判はしていないつもりですが、ブログの場合そうとられない可能性と危険性があるわけで、しかもおしゃべりと違って書いたものが残っていますから、誤解は予想を超えて多方面に広がることになるでしょう。こういうことがネットのさまざまなメディアで十数年間発言(ブロードキャスト)することで感じてきたことでしたが、同じ気持ちの人ってどの程度いるんでしょうね。

私の日記をうっかり見てなんかむかついた人やいやな気持ちになった人(きっと私のあずかり知らぬところでけっこういると思うな)にはぜひお薦めしたい本があります。

グロテスクな教養 (ちくま新書(539))

グロテスクな教養 (ちくま新書(539))

引用したいところは山ほどあるのですが、740円くらい安いでしょう。私も今日たまたま見つけて読んだばかりでざっと眺めたばかりですが(嘘じゃないですよ)、こういうのは男たちには思いもつかなかったりしますね。

一冊くらいは、読んで「いやーな気持ち」になるような新書があってもいいでしょう、と(編集者に)励ましてもらった。(p235)

前回書いた内容とリンクするところもあると思いますが、まさに身につまされるのはあとがきのこんなくだりです。

自分自身で自分自身を作りあげる、と教養を定義したように、教養は、自分自身をどう見るか、他者にどう見られたいか、他者をどう見るか、ということと結びついている。そこから生まれうる、間違った自己理解と他者理解の錯綜した滑稽さは、わたしにとって、考察対象というよりも、毎日の生活で直面している問題なのだ。(p233)

さて、私にとってこの本に書かれている最も興味深いことは、「今私たちが直面している過去に類を見ない社会的問題」なんてものは実はかつても起こっていたのだ、ということでしょう。ビジネスマンというのはそういう意味では実に近視眼的な人種であるよなあ、と思いますね。

2005-06-23 インターミッション

体調くずして会社休んでるのに日記書いてちゃいかんだろと思うので軽く流します。


ミュージカル・バトン回答の補足 ミュージカル・バトン回答の補足 - ad-lib-comic-diary (ただいま整理期間によりお休みです) を含むブックマーク はてなブックマーク - ミュージカル・バトン回答の補足 - ad-lib-comic-diary (ただいま整理期間によりお休みです) ミュージカル・バトン回答の補足 - ad-lib-comic-diary (ただいま整理期間によりお休みです) のブックマークコメント

コンピュータに入ってる音楽ファイルの容量:

iTunesの下の方に情報が見えますが、13.57GB 6日 1847曲でした。読み込み方式はAppleロスレスエンコーダに設定。曲間のつながりが不自然になることがあるなど気になることもあり所有しているCDの10%にまだ満たないです。

この日記のもくろみの一つにマンガを中心としつつ他に自分の関心のある分野に逸脱させるというのがあって、オタクを批判しながらオタクバッシングに対しても対抗するようなところがあるのですが、ある意味では音楽オタクのほうがたちが悪いような気がしてきました。

たとえばカラオケについては、大体3人に1人くらいは音痴や歌に自信がない、覚えていないなどで遠慮する感じであって、かくいう自分も音を外していないかけっこう気にしながら歌っています。カラオケ好きには音痴を苦にしている人に対する配慮が不思議に欠けているようなところがあるかもって感じます。

オタク批判的なことをしたいと思うのは、マンガを全く読まない人やアニメを見ない人がこの日本には普通にいるし、知らないから教養がないなんてことはないということを実は一応前提としていますが、音楽にしても単純にBGMとして聴くだけの人がたくさんいて、それはそれこそ大衆文化の本来的あり方の一つなんじゃないかと思うのです。

音楽ファンはマンガファン以上に誰でも音楽を聴くもんだと思っているかもしれませんが、音楽は積極的に聴きたくなくても耳に入るのであって、関心のない人は想像以上に多いんじゃないかという気がします。音楽が好きかどうかわからない人にバトンを送るのは私の感覚ではちょっとなんかなあと思うんですが。*1

無視してもいいと言いながら律儀に5人選んでバトンを送ってしまう人が多いブロガーの間でのミュージカル・バトンの流行は、あえて大風呂敷を広げてしまえば、音楽はとりわけデジタル化が早くから進んでいるゆえに、それ自体アメリカで生まれたサブカルチャーであるパソコンおよびUNIX文化以降のサブカル知識人/知的大衆的な問題として考えると興味深いような気がしました。アニソン声優ものとかもっと挙がっていいと思うんですよね(単に目が届いていないだけか)。まあ単純にコミュニケーションのきっかけに過ぎないと言われればそれまでなのですが。

私はマンガは大衆文化だから素晴らしいというような論調に対しては疑問があって、あえて極論すればそれを知識人文化人的な立場から説いたり論じた瞬間からそれはもう大衆文化ではないんだと考えます(なおややこしいのですが、学者の立場はまた別と考えます。現在の「知識人」は学問をあまりに軽視していると思う)。そこですべてがサブカルチャー(とりあえずのものとして私が考えるところの)となるわけですが、メインカルチャーサブカルチャーという単純な図式には収まらないということになるし、この図式の中で大衆文化を"無理矢理"サブカルチャーに加えてしまうときに、どちらを称揚しようと、文化商品からも既成のエスタブリッシュメントからもこぼれ落ちてしまうマイナーなものの豊穣さが見失われて二重に差別されてしまうことには断じて抵抗したいと思っています(それは私の力不足でうまく伝わってはいないと思うし、実際には独りよがりになっているのかもしれませんが)。

しかし、ここは随時わき上がる思考のメモとして使っているとはいえ、軽く流せなかったよorz

COMPOSTELA / 篠田昌己

東京チンドンvol.1 / 篠田昌己

Monogatari : Amino Argot / Carl Stone and Yoshihide Otomo

(このタイトルはアナグラムで実に秀逸ですね)

No Wave / Music Revelation Ensemble

This Heat

This Heat

えー? 39,800円ですか?


ブラザーのコンパクトレーザー複合機「DCP-7010」欲しい! ブラザーのコンパクトレーザー複合機「DCP-7010」欲しい! - ad-lib-comic-diary (ただいま整理期間によりお休みです) を含むブックマーク はてなブックマーク - ブラザーのコンパクトレーザー複合機「DCP-7010」欲しい! - ad-lib-comic-diary (ただいま整理期間によりお休みです) ブラザーのコンパクトレーザー複合機「DCP-7010」欲しい! - ad-lib-comic-diary (ただいま整理期間によりお休みです) のブックマークコメント

コピーマシンは2台買ってつぶしてしまったのでほしいですね。マンガ雑誌のデータベースを作るのにとりあえず表紙と目次だけコピーしてファイリングして、あとはスキャナでパソコンに随時取り込むという使い方ができてなかなか重宝しそうなんですが。

しかしアパートにはまだ使えるプリンタが4台あるのだけど、場所をとるのでゴミに出すしかないかなあ。オークションをまだ使ったことないんですが、梱包と発送の作業スペースをまず空けないといけないし、どこがいいのかよくわからないし。

*1:ああ、これは批判と誤解されるかも。そうじゃなくてBlogに関するテクノロジーと文化の奇妙さを言いたいのです

2005-06-22 nifty-serveの頃 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

いまはてなでは有料オプションを使っていませんが、Google Adsenseを見ては面白がっています。ひょっとしたらメンヘル系?の印象から社会システム論のほうに強引に引っ張ってみたい気持ちはありますが素人の考えることは我ながら怖い。

はてなアンテナから見ることのできる情報の中には奇妙なものがけっこうあるのですが、ある日アンテナを眺めていたらあるところで私のハンドルネームNGワードに登録されているらしいのを見つけて、まあしょうがないなと思いつつしょんぼりしてしまいました。私は工学部出身ですが、テクノロジーというのは残酷ですね。

まだWebが普及していない頃nifty-serveのFCOMIC会議室に行っては、自分が雑誌で読んでこれは伸びそうだと思う新人を勝手に紹介する、というエヴァンジェリストとしての活動をしてきました。コミックマーケット同人誌革命を起こして誰もがマンガの将来をそちらに託していた頃、私は反時代的に、大手出版社少女マンガの二軍作家、メジャーマイナーの作品に価値を見いだすことに喜びを感じていました。マンガ作品を投稿した経験はありませんでしたからマンガ業界の人間と会ったことはありませんでしたが、プロの作家が自分の描きたいものを必ずしも描けないことは作家のつぶやきとか同人誌の状況からなんとなく伝わってきましたし、それでも専業主婦の母を見てきて、自分が結婚した時に相手の女性に生活の面倒を見てもらうようなかたちはなんか違うんじゃないかというか後ろめたいものがありましたので、女性女の子のために働く職業というものをひとつの理想と考えていましたからエールを送りたかったのです。そのわりには自分は炊事も部屋の掃除も苦手なままできて、中途半端に「知識人」化して実務が苦手ときていますから、結婚する自信もつかず、我ながら情けないものです。

ある日FCOMICライブラリに英語で書かれた少女マンガ研究のレポートが載って、それを書いた人がMatt Thorn氏でした(今回のマンガ学会大会でも活躍していました)。コミケ同人誌界では有名な岩田次夫氏が書き込まれていたこともあって、私は岩田氏が「マンガ批評宣言」のために作成した少女マンガ雑誌リストとその寸評にたいへん感心していたので会議室上で声をかけたことがありましたが、岩田氏の関心はすでに同人誌に移っていたこともあって相手にしてもらえませんでした。

マンガ批評宣言

マンガ批評宣言

同人誌バカ一代―イワえもんが残したもの

同人誌バカ一代―イワえもんが残したもの

私がこれまで少女マンガへの関心を持続できたのは彼らのような存在に励まされたところも大きかったと思います。その一方で、野郎の分際で少女論のようなことはさすがにやりたくなかったので、とにかく少女マンガのコマ運びの面白さをその歴史も踏まえて分析してみたいと思い、夏目房之介さんの表現論に励まされながらいろいろ考えてきたのですが、マンガ資料は図書館にはほとんど置いていないので最初に思っていたよりもかなり大変だということが身にしみました。そのひとつの目標だけに絞って投資すればかなり前にまとまっていたのかもしれませんが、関心が多方面に発散してしまう私は結局仮説を抱えたまま今に至っています。

応援してきた作家、愛着のある作家でいまでもマンガ家を続けている方がいらっしゃるのでまだ読者はやめられないとは思っていますが、10年以上描き続けてきても筆を折ってしまった方、雑誌ごと消えてしまった方(これには正直かなり怒り狂いました)もいて、ファンとしてはエヴァンジェリストとして、そして時にはアジテータまがいとしてのネット活動は結局迷惑をかけただけなのかと忸怩たる思いがします。

2005-06-21 大阪に行ってきた

先の土日と二日間にわたって京都で日本マンガ学会大会があったので行ってきました。

内容に関してはここでは特にふれません。私は学者ではありませんがマンガに関心のある人は誰でも入会できるので、業界の方々以外にも在野でマンガの研究に関心のある方と思われる会員の方もけっこういるようです。

新幹線代は高いのでチケットショップ高速バスチケットを購入しました。片道4800円。青春18きっぷはオフシーズンのようでした。高速バスをはじめて使ったのですが、自宅から出発したらいきなり乗っている電車が車両点検とかで一時止まって、しかもそこから新宿まで乗り継ぐ中央線の区間も一時ダイヤが乱れているとのアナウンス、これでは間に合わないのではと思ったので、思い切って駅を出てタクシー京王線沿線まで出て、とりあえずバス発着場まで出発時間前にたどり着いたものの、どのバスかわからずこれはもう乗り遅れたかと思いましたが、間一髪見つけることができました。

昨年に大会があった時も会場にたどり着く前にトラブルがあったのを思い出しました。行く前に仕事を片づけなければなかったのですが、それのために使っていたMac(G4Cube)がいきなり壊れまして、FireWireCD-Rが使えなくなったので、背に腹は代えられないとiBookアップルストアまで行ってローンで購入。データをCD-Rに焼くつもりが手間取ってしまい、現地へiBookを持って行って対応しようと思ったらケーブルを忘れて来たことに気づき、途中でパソコンショップがあるところがないか考えて思い出したところでUSBメモリを購入し、一段落したあと目標のセッションに参加するためにタクシーで会場まで行ったということがありました。その後も昨年は身の回りに変なことがたくさん起こって夏場にはちょっと頭が狂っていました。

これまで半日とかそんな中途半端な参加ばかりだったので今回は京都まで遠征してちゃんと二日間参加しました。初日の午前中は大阪の母の育った土地を訪ねた後に万博公園に行き、宿泊はミナミまで行って道頓堀でお好み焼きを食べに行ったり夜中まで道に迷いながらいろいろと歩き回ってみたりしたので(しかしあやしい場所多すぎやで。漫画喫茶で夜明かしするつもりでしたが、結局風呂にはいるために夜中の二時過ぎにビジネスホテルにチェックイン。土曜の夜なんてどこも満室で往生しました)大会二日目は大阪から出かけるのが遅れたり最後のほうちょっと居眠りしてしまったりしましたけれど。

関西人を両親に持つ二世としての私は関西育ちの東京コンプレックスのようなものがよくわかりませんでしたが(もう20年以上も前、東京には250mlの缶入り飲料しか売ってなかったのに神戸には350ml缶を東京と同じ価格で売っていたり、東京では手に入らなかったチキンラーメンがあったり、自動改札が導入されていたり、環状道路がやたら幅広かったり、東京はなんて遅れているのかと思った)、はじめて足を踏み入れた大阪の市街は異国のような感じでありました。

最初は京都でインターネットが使えて仮眠できる漫画喫茶を探していましたが、これが見つからず、地図も持っていなかったので降りる駅を間違えてから京都駅まで一時間弱うろうろとさまよって、中央線人種である私は駅前のホテルに宿泊するのをためらって大阪まで行ってしまいましたが、親戚が在住していて何度も行っている神戸ともまた全然違いましたねえ。いい機会でした。

「おれはもう、毒もみのことときたら、全く夢中なんだ。」 「おれはもう、毒もみのことときたら、全く夢中なんだ。」 - ad-lib-comic-diary (ただいま整理期間によりお休みです) を含むブックマーク はてなブックマーク - 「おれはもう、毒もみのことときたら、全く夢中なんだ。」 - ad-lib-comic-diary (ただいま整理期間によりお休みです) 「おれはもう、毒もみのことときたら、全く夢中なんだ。」 - ad-lib-comic-diary (ただいま整理期間によりお休みです) のブックマークコメント

児童文学マンガはとても近いところにあるのに、両者の関係はいちマンガ読みから見てやはり良好とは思えません。

かくいう私もかつてのユリイカ児童文学特集を読んで岩瀬成子さんとか高田桂子さんとか梨木香歩さんとか読んで感嘆したくらいのもので、

あたしをさがして (大長編Lシリーズ)

あたしをさがして (大長編Lシリーズ)

ざわめきやまない (地平線ブックス)

ざわめきやまない (地平線ブックス)

西の魔女が死んだ

西の魔女が死んだ

古典である宮沢賢治をまともに読んでいなかったりもするのですが、ここしばらく書いてきた吉田戦車ネタの締めくくりとして、「毒もみのすきな署長さん」より。

この人は、どこか河獺(かはうそ)に似てゐました。赤ひげがぴんとはねて、歯はみんな銀の入歯でした。(p430)

宮沢賢治全集〈6〉 (ちくま文庫)

宮沢賢治全集〈6〉 (ちくま文庫)

宮沢清六氏は(中略)実はこの人達のようなのが賢治の好きでたまらなかったような人間型であったようだ」とコメントしている。(p552、解説)

ちょっと気になって今日本屋で探して読んで早速買いましたがね、最近とみに気力や記憶力が悪くなったものの、こういう不思議な勘だけはまだ衰えていないかな。

kagiraizoukagiraizou 2005/09/15 20:54 岩瀬成子はよいです。「あたしをさがして」はかなり実験的なところのある作品ですが、他にも「ステゴザウルス」とか、最近出た「となりのこども」も好きです。

lacolaco 2005/09/18 14:14 kagiraizouさん、コメントどうもありがとうございます。
岩瀬さんのように成長期の少年少女の内面世界を描く作家の作品は読み応えがあります。「あたしをさがして」はそれを突き詰めて実験的になっていますが、この方向はまだまだいろんな可能性を秘めていると思うんで、そんな試みをしているもっと多くの作家さんの作品に出会えたらと思いつつ、自分に余裕がないせいか最近はめぐり合わせが悪いなあと思っていました。
以前に「やわらかい扉」を買ったまま積ん読になっていたのですが、近刊を紹介していただいて、とても読みたくなってきました。どうもありがとうございます!

2005-06-17 福音

マンガ業界、音楽業界にとって(IT業界にとっても)福音かもしれない話題が入ってきました。

梅田望夫さんの「ネット世界で利益を稼ぐ「ロングテール現象」とは何か」

http://www.shinchosha.co.jp/foresight/web_kikaku/u103.html

誤解を恐れずに言うならば、パレートの法則ネット書店では破られている、という内容です。

米国のアマゾン・コムの本の売上げの半分以上が、販売部数ランキングの四万位から二百三十万位までのロングテールから上がっているようなのである(外部の研究者による推定)。高さ一ミリ以下で十キロ近く続くグラフ上のロングテールを積分すると、まさに「塵も積もれば山」、売れる本の販売量を凌駕してしまうのだ。

IT革命が何をもたらすのか、ということが少し見えてきたかもしれません。まだ不勉強なのでぬか喜びになるとまずいのですが、ニッチからマスマーケティングへと向かうのではなく、ワントゥワンに近いマーケティングが可能になるかもしれない、というよりはマーケティングという疑似科学パラダイム転換が起こる可能性があるか?ただしマスマーケティング自体がなくなるとはちょっと思いがたく、相補的な関係になるのでしょう。

私のAmazonの使い方は、基本的に情報収集のためですが、本屋めぐりをしても見つからない可能性がある場合には注文します。品切れ200円の本を買うのに送料が3倍以上かかっても、探し回る時間と運賃その他を考えれば古本出品から購入する選択をします。そう考えると、売れなくなった本がネット書店で売れるのは道理かなと思うのですが、今後の発展を考えればオンデマンドの少数生産技術が鍵を握るのかもしれません。

いまAmazonのライバルBK1では採算度外視で私家版の「あすなひろし選集」を扱っていますが(私は仕事上参加できていませんが)、商業出版社はなかなか手が出せないような状況で、しかしこういうのをビジネスとしてやっていける可能性が開ける希望があるというわけです。

ではロングテールの反対概念とは何か。それは大組織を支配する「80:20」の法則である。「80%の売上げは20%の商品から」「80%の利益は20%の大口優良顧客から」「80%の成果は20%の優秀な社員から」などなど、大組織における「80:20」の法則は枚挙にいとまがない。この法則は、品質・人事・営業と大組織のいたるところで通用するあまり、「あらゆる物事において、重要なのは少数であり、大多数は取るに足らぬもの」という思想に結実し、「取るに足らぬ80%は無視し、重要な20%にリソースを集中せよ、それこそが経営の効率を高めるのだ」という考え方が大企業経営の常識となった。この「取るに足らぬ80%」とは、まさにロングテールのことである。「ロングテールに関わりあっても固定費を賄えるだけの売上げを生まない」というこれまでの常識は、リアルな大組織においては今も正しい。ネット世界とリアル世界のコスト構造の違いが、ロングテールに関する正反対の常識を生み出しているのである。

こんなふうに書かれていると私のようなダメ社員のサバイバルにも明るい光を投げかけてくれるものですね。

「80:20」の法則がいわゆるパレートの法則ですが、この法則は企業社会では普遍/不変的な法則とみなされているのではないでしょうか。というより、ここでいわれているところの「大企業経営の常識」は私の誤解でなければもしかするとパレートの法則を誤解しているようにも思えます。今ちょっと調べる余裕がないのですが。私は働きアリの話が念頭にあるもので。


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id:goito-mineralさんから送られてきたのですが、お答え遅れてすみません。


コンピュータに入ってる音楽ファイルの容量:

しまった、チェックしてないや(現在自宅から離れモバイルで西に移動中)6GBくらい?

iBookに外付け160GBのHDDをつけて、可逆圧縮で入れています。

今聞いている曲:

more & more / aiko, "桜の時"

桜の時

桜の時

もーうバッチリ(はぁと)、なんて実はiPod Shuffleも家に置き忘れてきましたよ。今音楽聞けない状況です(シクシク)

最後に買った CD:

We Love Butchers / オムニバス(Bloodthirsty Butchers トリビュート)

Singer Songer。以前の日記で紹介しました。

よく聞く、または特別な思い入れのある 5 曲:

5曲にしぼるのなんて無理、と思いながら考えました。

Kandy Korn / Captain Beefheart & The Magic Band, "Mirror Man"

The Mirror Man Sessions

The Mirror Man Sessions

Ruins / Henry Cow, "Unrest"

Unrest

Unrest

  • アーティスト: Henry Cow
  • 出版社/メーカー: Rer
  • 発売日: 1999/06/28
  • メディア: CD

Big Door / じゃがたら, "君と踊りあかそう日の出を見るまで"

君と踊りあかそう日の出を見るまで

君と踊りあかそう日の出を見るまで

  • アーティスト: JAGATARA
  • 出版社/メーカー: アポロン
  • 発売日: 1990/05/21
  • メディア: CD

シニタイヤツハシネ(Born to Die) / Theピーズ, "とどめをハデにくれ"

とどめをハデにくれ

とどめをハデにくれ

Reincarnation of a Lovebird / Gil Evans(p) & Steve Lacy(ss), "Paris Blues", Charles Mingus作曲

Paris Blues

Paris Blues

バトンを渡す 5 名:

5名もネットに遊び友達いねーよ!いや送ってみたい人はいるんですが、挨拶もしてないし。

あすなひろし追悼サイトid:ttakahasiさん、俺のせいで迷惑かかってませんか。大仕事でお疲れでしょうからどうぞ十分休憩してください。

京都行き高速バスよりノートPCでお送りしました(ACアダプタの片割れの電源コードを会社に忘れちゃったのでもう電池が足りません)

ttakahasittakahasi 2005/06/18 02:47 ういっす、です。今こちらも出張先の宿なんですが、目が覚めたら2時過ぎ。メールチェックしたらトラックバックが入っててびっくり。旅先に思わぬ伝言で飛び起きた気分、ははは。
)大仕事
関係あるかなんですが、明日は広島によります。ははは。

ttakahasittakahasi 2005/06/18 02:55 ロングテールの話は先日みなもと先生とお話してて、『いい時代になりましたねえ』と感心してました。そうそう「あすなひろし選集」は一応先方から「ロング展開したいアイテム」と評価いただいております。みなさんよろしくね(はあと)

2005-06-13 馬鹿が戦車でやって来る

デザインをちょっと変更してみました。

Weblogをはじめた時はMovable Typeを自分でインストールしてCSSの勉強もしようなんて思っていましたが、40過ぎてがくっと気力が落ちてそんなんやってられないという気持ちに変わりました。はてなは快適です。AmazonGoogleWebサービスと比べても、はてなのほうがアイデアも面白いし、私のようなひきこもりにとっても期待は大きい。こちらも仕事上いろいろ考えなければいけない立場なので刺激になります。(以上前ふり)

以前吉田戦車について書いた後、戸田山氏の論理学の本を読んでいたら最初のほうに「吉田戦車氏の指摘」が出てきたので、やっぱり人気があるなと思いました。

吉田戦車が本の装丁に用いられたので一番古いのではと思われるのが、スガ秀実詩的モダニティの舞台」で、(c)コミックバーガーって記されているので「伝染るんです」以前ですね。小林よしのり氏とケンカするよりももっと前ですが、スガ氏は吉田戦車を愛読していたのでしょうか。

最近では「反社会学講座」がありました。

反社会学講座

反社会学講座

この本はよかったですね。知的な健全さがあって示唆に富む本でした。

馬鹿が戦車でやってくる [DVD]

馬鹿が戦車でやってくる [DVD]

  • 出版社/メーカー: 松竹
  • 発売日: 2005/07/29
  • メディア: DVD

美術手帖に載った吉田戦車の紹介記事のタイトルは、確かこの映画の題名でした。意外なところから示唆を受けたというか、はてなを使っていて役に立った。

1963年山田洋次作品、主演はハナ肇戦車87号です。私はマンガや音楽はけっこういろいろ知っていますが、映画をあまり見ていないのが致命的なアキレス腱で、これもタイトルしか知らないですけど、いろいろ見る機会を作りたいところ。

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赤塚不二夫のことを書いたのだ!!

赤塚不二夫のことを書いたのだ!!

「武居記者」が書いた赤塚不二夫本。赤塚さんのエピソードはいろいろなところで語られてきたのでこれまで知らなかったエピソードは特になかったかな。この本が面白かったのは赤塚さんが大ファンだったという美空ひばりを前面に押し出しているところです。その分手塚さんにはちょっと辛辣な印象を受けますが、それは手塚さんに限らずいろいろな編集者たちにもずけずけと率直にものを言っています。武居氏の履歴を見ると少女漫画のほうが長いのと、あと生涯一編集者として過ごしてきたということで、あっぱれなバカっぷりに徹しています。ちょっと私どもの年代以降はかなわない。

私は親から小学館の学習雑誌を勧められて読んでいました。というのは学力テストがあったんです。テストに答えてそれを小学館に送ると採点されて返ってきて、点数がいいとメダルプレゼントについてきたと思うんですが、もう昔のことなのでちゃんとした記憶がありません。学歴コンプレックスの父は教育熱心で、私は幼稚園の高学年で小学一年生を読み始め、五年生で小学六年生を読み終えてしまったのですが、お小遣いはもらえなかったしマンガ雑誌など買ってもらえませんでした。

じゃあ漫画を読んでいなかったかというとそんなことはなく、床屋さんの待ち時間でマガジンを一通り読んでいました。床屋に置いてなかったサンデー歯医者などで読んだりしていましたのでごく部分的にしか読んでいませんでしたが、武居記者のことや山田一郎に改名したのはリアルタイムで体験していました。

赤塚氏と手塚氏はいろいろと対称的で、赤塚さんの交遊はマンガ界をはるかに超えていますしアシスタントで独立して成功した人も多数輩出しています。

私はここしばらくあすなひろしの「布教活動」をしていましたが、あすな氏は赤塚氏は嫌いだったそうです。まあ性格的に合わないでしょうね。私は別にあすな信者ではないのですが(大好きだからといって信者ではないのです。信者になるのは作家に対して失礼だと思っているので)、あすな氏の経歴をたどるとマンガの知識が確実に増えるので強力にプッシュしてきました。赤塚氏について知るとマンガを超えてサブカルチャーに詳しくなるでしょう。

奥成達という人がいて(あすなひろしつながりでは川本コオ、高信太郎両氏とも交遊があった)、かなり大きなWebサイトがありますが、赤塚さんが山田一郎に改名した時、赤塚不二夫の名前を奥成氏にあげたことが以下に書かれています。

http://www.mars.dti.ne.jp/~4-kama/tatsu/zassi2.html

赤塚氏が書いた奥成氏との出会い

http://www.mars.dti.ne.jp/~4-kama/tatsu/nyarome.html

奥成氏はサザエさんパロディ事件で長谷川町子さんに訴えられたことで知られていますが、その一方で「天才バカボン」の文藝春秋漫画賞受賞を一番強く推薦したのが長谷川さんだったとのこと。赤塚氏が長谷川さんを「戦後最大の漫画家」と称えたエピソードは武居氏の本にも書かれています。

2005-06-02 子どもはなんでも知っている このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

誕生日を迎え、厄年に突入。

しかしすでに昨年から親しい人、懐かしい人、敬愛する人に次々と不幸があった。これまでの人生でもっともひどい年だったのだ。

誕生日祝いをどうするか考えて、結局本を多めに買う。

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繊細な思想。啓蒙に上下関係なんてない。

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とりあえずお守り代わりとして。高校生から読めるだろう。「無限論の教室」を読んだなら次はこれを。

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感謝いたします。マンガ創作の現場にいたとおぼしき筆者がまとめたもので、さまざまな感慨が伝わってくる。しかし少女マンガは女子中高生にまかせてみていいんじゃないか。

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時のしずく

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書店で二冊並んでいたので中身も見ず買う。

その後反動でコスプレ喫茶行っちゃいましたけどね...orz