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2004-02-07 体調快方に向かう このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

この冬は鬱をこじらせて出社もままならない状況だったが、なんとか昔の生活に戻れそうな一週間を過ごすことができた。ひさびさに仕事したなあという感じ。

朝起きるために温度計つきの目覚まし時計と、起きる時間にバイオライトを顔に照らすようにタイマースイッチを買ったが、決め手になったのは携帯電話の目覚ましだった。この音が異常にうるさいし、普通の目覚ましのように切ってしまうことも面倒なのだが、いつもマナーモードのままにしていたのが良くなかった。FOMAに変えてから電池の持ちが短いので、寝る前に必ずマナーモードを外して充電するのを習慣にしたのである。こういう普通のことがどうでも良くなってしまったのがここ数ヶ月のことであった。

バイオライトの効果も侮れない。引っ越したときは南向きの窓の向こうからお天道様が差し込んで、冬に下見をしたときに昼間冬なのに暖かいのでめちゃめちゃ家賃の安いアパートを借りてしまったのだが、窓際にオーディオセットなどを置いていたので日差しが差し込まないどころか、知らないうちに近接して家が建ってしまったので、夜が明けても全くわからないのである。

僕は蛍光灯の光が嫌いで、最近は暖色系を選ぶようにしているが、それでもあの青白い光は憂鬱になるので、休日に出勤しても、多少暗くとも蛍光灯をつけないくらいなのである(他の人が来るとなんでつけないの?と怪訝な顔をするが、つけない方がましなのだ)。最近どこかでアメリカ人も蛍光灯が嫌いとか耳にしたが、正直言って蛍光灯の光が気にならない日本人はおかしいと思うのである。

バイオライトはミニクリプトン電球を独自の回路を使って外光と同じように光らせるらしい。そのためちょっと値が張るのだが、とにかく目を酷使する仕事では良い光がないと困る(職場の蛍光灯もどうにかしてほしいのだがこればかりはやむを得ない)。

そのバイオライトを時限スイッチつきのコンセントにつなげて朝顔をてらすとかなり良い。もっとも昨日など帰ってすぐ眠くてふとんに潜ってしまったので目覚ましもライトもセットし忘れていたのだが、電気をつけっぱなしで寝ていたのだった。睡眠薬なしの生活に戻りたいのだが、夜更かししなかったせいか今日は早く目が覚めてしまった。この調子なら社会復帰できそうだ。

とにかく出勤はしたのだが、寝る前にCPAPの装着を忘れて眠ってしまうミスもある。まだ体内時計は狂っていて、昨日ひさびさに小会議に出たが、爆睡してしまった。周りには病気だと伝えているのだが、やはりあまりに寝ているときまりが悪いし昨日は少人数とはいえ初顔合わせだった人もいて、大学院時代からの嗜眠症はCPAPによる対症療法でもまだ改善しがたい。手術はいやなので、ダイエットを進めたいのだが、やせても改善する保証はないし、食わないとまた鬱になるので仕事依存に戻らなければならない。といいながら、仕事ストレスがたまるわけで、結局買い物依存でストレスを解消させたきらいがある。

まず本だが、読むのに時間がかかるのがよい。そういう本は総じて高いのだけど、私が失敗していたのは、仕事のための本ばかり買っていたことなのだ。Javaの本、XMLの本、Webデザインの本、CGIの本、UMLの本、こんなのがどれも5,6冊ある。こういう本を電車の中で読もうとしても、眠くて結局読まないのだ。持病のおかげで昇進もそもそもあきらめているし(管理職なんてなんてつまらない仕事だろうか?父は部下を自由に動かせるからいいのだと私が子どもの頃から言うが、もちろん自由に動かせるわけがない。父も結局昇進できず定年になって、上司の扱いが不当だのというルサンチマンの固まりであった。本音は昇進すれば給料が良くなるからだったはずだが、いまのご時世は役職についてもマネジメント能力がなければ給料は容赦なくカットされるのである)、うちは両親とも評論家体質で私ももろにそれを引きずっているのである。

そこで文学とか社会学とか哲学とかの本を買うのだが、やはり評論やエッセイが一番面白い。私は今どきのやたらすぐ改行したり無駄な会話が延々と続く小説が大嫌いで、そこらの小説を読むくらいなら少女マンガを読むほうがなんぼかましだと思うが、かといって古井由吉とか保坂和志クラス小説になると、情けないことにけっこう難儀である。日本のトップレベルの作家ならやはりエッセイがいい。あるいはエッセイに近い感じの小説、特に女性作家の短編集がいいのだ。

評論もだめなものは単に時間の無駄、払ったお金も無駄になる。だいたい福田和也がナビゲータになるが、ひさびさにスガ秀実(すがは糸圭で一文字。変換では出てこない。Unicodeで?)の本が出ているのを見つけて読んだ。これはとても良い。私と同時代の論客がやたらと「戦後」にとらわれているのに対して、すが秀実1968年の「革命」を巡って左翼運動の歴史を見直す試みをしている。68年にはまだ年端もいかぬ子どもだった世代以降にはこの時代への実感が希薄であり、彼らの戦後論はどこかしら的はずれなのではないかと思っていたので、最近読んだ本の中でも群を抜いて面白かった。

もう一つ興味をひいたのはライプニッツの入門書。モナドとは何か、について<独在性>(私はなぜ一人しかいないのか)との関連を説いたものだが、永井均への中毒からしばらく逃げていた私にとってデカルト独我論から一歩踏み出す視点が得られてエキサイティングだ。ライプニッツの著作はしっかり持っているのであるが、読み解ければと思う。他にローティの本を昔買って結局読めずに積んでいたが、デリダとの関係を知って再び興味が出てきた。プラグマティズムとは何か、それをパースまでさかのぼって読みたいと思った時期があったが、またパースを一つの目標としてみたい。

そう、書き忘れていたが、サイードが昨年亡くなっていたことも知った。サイードこそいまもっとも読まれるべき知識人だ。