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まさに窓口業務で現場を経験してきたのですが・・・

「こころごころ」さんのところで、厚生労働行政のあり方の話に関連して、「若いうちに現場に出るべし」の話題を取り上げています。

http://www.seri.sakura.ne.jp/~branch/diary0901.shtml

舛添大臣の

>警察と比べて下さい、昔の郵政省と比べて下さい、大蔵省と比べて下さい、警察署長として若い時に行く、税務署長として若い時に行く、郵便局長で行く、その時の経験がキャリアがアップしていく時にもの凄い良い肥やしになっているのです。そういうことをやっていなかったので、これをやらせるようにやっていきたいということで既に作業を始めております。

という発言について、賛意を示しつつも

>一線の感覚が重要というのは、まったくそのとおりだと思う。・・・警察庁や大蔵省(当時)が不祥事で叩かれた際にこれら署長ポストへの配置が「誤ったエリート意識」の象徴のように槍玉に挙げられたことからすると、大臣自身が「悪い面があるから…今まで各省庁の経験がありますから、それを踏まえた上でやりたい」と言われていることを勘案しても、大丈夫かなぁ、と思わないでもない。

と懸念を示し、懇談会の中間まとめが

>これまでの問題は現場の実情を十分に知らなかったことが原因でもあることを反省し、職員の感受性を高め、国民の立場に立った行政を確実にするためのひとつの取組として、本省の全ての職員が若いうちに一度は 生活保護のケースワーク、職業紹介や社会保険の窓口業務などの現場で業務を経験 するようにし、現場感覚を政策立案に活かすようにすべき。

としていることを指摘しておられます。

このご指摘は全く同感なのですが、あえて、旧労働省出身者として申し上げさせていただければ、私たちはまさにそういう育てられ方をしていたのです。ほかの(エリートな)お役所とはひと味違いますが。

わたくし自身の職業経歴はすでに以前からHP上に公開しておりますので、それをご覧いただければと思いますが、

http://homepage3.nifty.com/hamachan/keireki.html

入省1年目に本省で廊下トンビをしたあと、2年目はみんな地方労働行政に出され、私の場合東京都庁にいた後、8ヶ月間、池袋公共職業安定所でまさに第一線の職業紹介の窓口で現場の業務を第一線の職員と一緒になってやっておりました。

そういうどぶ板根性が身に染みついているから、紙の上の空理空論だけで知ったようなことをほざく輩を見ると腹が立つんだろうと思いますが、まあそれはともかく、こういうことは旧労働省出身者はみんな経験していることであるにもかかわらず、そういうことはまったくスルーされて、上のような言われ方をしてしまうのは、いささか寂しい思いがするところです。

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コメント

入ってからまずは現場を体験させること、それって、日本の企業内訓練というか、OJTというか、労働省に限らず、昔は日本の職場にけっこう存在した訓練方法だと思います。
現場がわかっていないと、効果的な政策は立てられないはずですね。実際は、現場を経験しなくとも、確実な認識・理解力があればいいのですけれども、一番問題なのは、そういう認識・理解力に欠けているのに、ハンパな作文・口先能力だけあり、現場をバカにしているやからで、そういうのが作る作文とか対策は、総論としてはそれらしく作ったつもりなのに、現場では全くそういう風に働かない、ということになってしまいます。
でも、今は、中核の正社員には、そういう「作文専門」みたいな人を置いて、現場は非正規だの外注だの、という構造に、官民問わず、職場がシフトしている感じがしますね。
厚労省の労働政策だって、いいものもありますけれども、ジョブカードとか、日雇い派遣の保険とか、うーむなものもあるわけでしょう。

投稿: ぶらり庵 | 2009年1月12日 (月) 08時24分

事件は現場で起こっているのであって、会議室で起こっているのではない!

のは確かですが、とはいえ、現場ばかり見ていると視野が狭くなって、かえって全体像が分からなくなる・・・ということもあるわけで、だから、「自分の経験」だけではなく、時間的空間的に視野を広げて「他人の経験」をも自らのものとする訓練が必要なんですね。

時間的に視野を広げる「他人の経験」は歴史ですし、空間的に視野を広げる「他人の経験」は国際比較です。

実際、本ブログで私が述べていることも、基本的には時間的空間的に若干視野を広げて「他人の経験」をふまえるとこうなるよ、ということなわけで、逆に言うと、そういう機能が今日の日本ではひどく劣弱化してしまっているということなのかもしれません。

「他人の経験」を的確に理解するためには、「自分の経験」も必要ですからね。今の「作文屋さん」には、そもそも「自分の経験」も乏しい上に、自分であれ他人であれ、そもそも「経験」から物事を帰納的に構築して考えていこうという構えが失われ、教科書に書いてあることを「真理」として鵜呑みにして、そこから演繹的に正しいはずの結論を導き出すことにしか関心がない人が増えてしまったのではないかと思われます。

投稿: hamachan | 2009年1月12日 (月) 17時27分

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