増子孝徳・弁護士(のぞみ法律事務所)
日本弁護士連合会は、2008年10月に行なわれた第51回人権擁護大会で、「安全で質の高い医療を受ける権利の実現に関する宣言」を採択した。現代、多くの人は生老病死という人生のあらゆる場面で医療を受けており、その人が受ける医療がいかなるものであるかは、その人の生命や健康のみならず、人生のあり方までをも左右していると言ってよい。だから、医療は最優先に取り組むべき課題であり、医療の担い手をはじめとするあらゆる人々の叡知を結集しなければならないと訴えるものであった。
ちょうどこの大会を挟んで、リレーエッセーが一巡した。多くの方がインフォームド・コンセントや患者と医療者のコミュニケーションについて書いた。インフォームド・コンセントを中心とする自己決定権保障は、患者のための医療を実現するために重要なことであるから、当然だろう。
だけれども、みなさんのエッセーを読んで、どうしてなのかはうまく説明できないが、ある親子の体験を書いてみたくなった。それは、医療に携わる人にとっては、おそらくは日々繰り返されている何の変哲もないことかもしれない。でも、自分の仕事は人を幸せに貢献しているのだろうか、と日々自問している私からみると羨ましい。そんなエピソードである。
もうすぐ3歳になる、その子には脳腫瘍が見つかっている。頭を球に見立てたなら、その中心に腫瘍がある。脳にトンネルを通すわけはないし、一体どうやって取り除くというのだろうか。医師からは、難しい手術であることだけ聞かされている。でも、出来ないと言わない。まさか、本当に脳にトンネルを通すのか。
実は、両親はまだ脳外科医に会ったことがない。主治医の小児科の先生が代わりに脳外科医と相談してくれている。だから、両親は小児科の先生を通じて説明を聞く。小児科医にとって脳外科領域は専門外だろうが、だからこそ専門的なところの説明が専門的なままではなく、小児科の先生によって適度にかみ砕かれている。医師だから、かみ砕き方が的を射ているのだろう。両親にとっては分かりやすい説明である。質問もしやすい。でも、小児科の先生も同じところが分からなかったりする。
腫瘍の正体は何なのか。手術をした方が良いのか。時期は。子どもの状態だけでなく、成長への影響も考えなければならない。最も障りのないタイミングを探っているのだ。信頼する小児科の先生にコーディネート役まで引き受けてもらえるのは、心強い限りである。
2年が経った。
MRI検査の2日後、小児科の先生から電話があった。今日中に脳神経外科を受診して欲しいとのこと。
初めて脳神経外科を受診する。両親は、初めて脳外科医に会った。同じ医師でも小児科医とは雰囲気がまるで違う。まず、半袖だ。そして、腕が太い。知り合いに文系医師を名乗る外科のお医者さんがいるけれど、この人は体育会系に違いない。
脳の断面写真がいくつも並んでいる。前に行なった検査で撮った写真も横に並べられている。撮影断面は検査ごとに微妙にずれるから、正確には比較できないそうだ。でも、「腫瘍が小さくなっておらず、大きくなっているようにも見受けられる」とのことである。ずいぶんと回りくどい言い方であるが、要するに手術を勧められた。
子どもに目立った症状はない。脳にトンネルを開ける手術なら辞退したい。そこで、両親はどうやって腫瘍を取るのか聞いてみる。
頭の左側をなるべく下の方まで開いて、場合によっては頬の骨を外す。そして、顔の筋肉をどかす。こうすると、中脳がよく見えるようになる。脳に隙間があることを初めて知った。その隙間を通って、中心部まで腫瘍を取りに行くらしい。トンネルを開けなくても大丈夫なのだ。両親は、ただ感心してしまう。
自分たちでは決められない。両親は、早速、小児科の先生の意見をうかがう。「脳外科の先生方とよく相談して下さい」との答え。いまや脳外科医が主治医になったのだ。遠慮しているのが分かる。その様子にいつもより元気がない。もしかしたら、小児科の先生も手術などしない方が良いと思っているのではないだろうか。だとしたら、なぜ。危険だということを知っているからだろうか。
実は脳外科医だって、両親が会ったことがないというだけで、2年以上ずっと子どもを診てくれていたのだ。それなのに、無防備なまま敵前に放り出されたような気分になるのはどうしてだろうか。
入院したら、小児が専門の別の脳外科医が主治医になった。やはり半袖だ。腕も太い。
ところで、手術の詳しい説明がない。両親は、まだ疑っているから、脳にトンネルを開けるような手術だったら取り止めるぞと身構えていたのに、その説明は前日の夕方だった。命にかかわる大問題だから遠慮などしている場合ではないのだが、ここで取り止めたら、ちゃぶ台をひっくり返すようで気が引ける。
初めてみる脳外科の教授は想像していたよりずっと若かった。半袖ではなかった。説明の語り口は明晰で落ち着いており、自信に満ちている。両親は気後れがするばかりである。
腫瘍は視神経に接しており、その大きさを考慮すれば視神経を圧迫している可能性が高い。腫瘍が大きくなりつつあり、このまま腫瘍が大きくなっていくと、呼吸機能など生命維持に必要な機能を損なうそうだ。一方、腫瘍の周囲には大切な血管があり、手術でそれらを傷つければ、即植物状態に陥る。だから、無理は禁物である。手術は、教授自身を含め3人で執刀する。長い目で見て、子どもが人生を楽しめるようにするにはどうすれば良いかを考える。
脳の模型を使って、手術の方法について詳しく説明してくれる。両親は、理科の授業を受けているような錯覚を覚える。「よく分かりました。よろしくお願いします」
午前8時半、手術室へ。手術には5時間かかる予定である。両親が手術室の前で待つことは許されない。用があるときはお呼びします、と書いてある。用があるときとは……。
両親は仕方がないから小児科病棟の前で待つことにした。午前10時。両親の前を小児科の先生が通り過ぎる。なぜか、うつむいて。
午後1時半。5時間経過。しかし、何も起こらない。
午後4時。7時間半経過。両親は小児科の看護師長から声をかけられた。「ご家族がここに座っているのをみるとほっとする」そうだ。手術室に呼ばれるような用がない、ということだから。また小児科の先生が通り過ぎる。やはり、うつむいて。
午後5時半。9時間経過。待っているだけの両親も疲労を自覚する。手術をしている医師や看護師たちはどうだろうか。常人とは思えない。
午後6時。手術室から小児科病棟に連絡が入った。あと2時間くらい、順調に進んでいるから安心して欲しいとのこと。両親は、ただただ頭の下がる思いがしてくる。
午後7時。手術着を着た教授が両親の近くを通った。両親に気づいて近づいて来た。腫瘍を取り出し終え、縫合に入ったところである。今日の手術は、3人で執刀し、目的を達成した。全体的にうまく行ったと思う。大変だったけど、今日の手術はうまく行った。
事も無げにそう言うと、さわやかに、さっそうと去って行った。手術室に入ってから10時間以上経っている。やはり常人ではないようだ。頼りになる、というのはこういう人たちのためにある言葉だろう。両親は、深々と頭を下げる以外何もできない。
午後9時半。13時間経過。手術が終わったというので、両親は手術室に向かう。最後まで手術室に残っていた主治医が出てきた。別室で説明を受ける。
大切な血管は全て温存できた。腫瘍がとても固く、取り出すのは非常に難航した。あきらめようかと思ったが、残せば再発することが目に見えているので、がんばって取った。だけれども、手術中、「これはまずい」と思うようなことは一つもなかった。麻酔が切れたとき泣き声をあげたから大丈夫。
主治医は涙ぐんでいた。両親は、その根気と緻密さに圧倒され、親でありながら「負けた」という感情がよぎる。「自分の生命力を患者さんにあげるつもりで手術に臨んでいる」と言った脳外科医がいる。本当にその通りだ。
病棟では看護師たちが待ち構えている。もう午後10時を回っている。もう一人の執刀医がベッドのそばにやって来た。初めて脳神経外科を受診したときの担当医師である。子どもの様子を確認し、「おれ、もう帰るよ〜」と言いながら壁に寄り掛かっている。いくら体育会系でも、両親を前に行儀を整える力も残っていないようだ。
両親も、そんなことをとがめるような気は全く起きない。どうもありがとうございました。
脳外科医たちが去り、看護師が一通りの世話を整え、ベッドサイドには両親しかいなくなった。まだ意識が戻っていない子どもは眠っている。たくさんの管が付いており、器械の音が合奏のように鳴り重なっているけれど、不思議と静かである。
みんながいなくなるのを待っていたかのように小児科の先生がやって来た。両親がまだベッドの横にいるのに気づいて、少し戸惑っているようだ。両親には声をかけず、子どもの方を覗き込んでいる。そして、首から下げていた聴診器を子どもの胸にそっと当てた。小児科の先生は5秒ほどそうしてから、子どもと両親に一礼し、黙って去って行った。ずっと心配していてくれたのだろう。
聴診はどんな言葉にも勝る、お医者さんの心のあいさつだ。
医療に携わることは、ただそれだけであたたかい営みである。人を幸せにできる力を持っている。だから、我々は感謝し、そして尊敬の念を抱く。なんと素敵な仕事だろうか。
日弁連「安全で質の高い医療を受ける権利の実現に関する宣言」全文
http://www.nichibenren.or.jp/ja/opinion/hr_res/2008_2.html
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増子孝徳(ましこ・たかのり) 弁護士・のぞみ法律事務所(宇都宮市)。1968年生まれ。一橋大学法学部卒業。日本弁護士連合会人権擁護委員会委員を務め、2007年から同委員会医療部会長。
病気になったり、けがをしたりした時、誰もが安心して納得のいく医療を受けたいと願います。多くの医師や看護師、様々な職種の人たちが、患者の命と健康を守るために懸命に働いています。でも、医師たちが次々と病院を去り、救急や産科、小児科などの医療がたちゆかなる地域も相次いでいます。日本の医療はどうなっていくのでしょうか。
このコーナーでは、「あたたかい医療」を実現するためにはどうしたらいいのか、医療者と患者側の人たちがリレー形式のエッセーに思いをつづります。原則として毎週月曜に新しいエッセーを掲載します。最初のテーマは「コミュニケーション」。医療者と患者側が心を通わせる道を、体験を通して考えます。ご意見、ご感想をお待ちしています。